魔術奇術のトリックオアトリック
「どうしたよ朝子ちゃん! さっきから防戦一方じゃねーか!」
いい意味でも悪い意味でも《異常者》として開き直っていた憂馬は、両手で構えたそれぞれの無骨なナイフを振り回していた。
それが殺害意欲に任せた攻撃だったのか、ただ調子に乗って無邪気に振り回していたのかは本人しかわからないことだったけれど、恐らく、本人もどんな心境で刃という力を揮っているのかを理解していないことだろう。
ただ力任せに、相手の動きなど微塵も計算せず――つまるところ、何も考えず、朝子に向かっていたのだった。
朝子もまた夜子と同様、自ら積極的に攻撃を仕掛けることはなかったので、それは憂馬にとって不幸中の幸いとも言える。
いや、最早、何が不幸でどれが幸いなのか、それすらよくわからなくなってしまっているが。
憂馬の攻撃は直線的で、朝子にとって回避することは非常に容易い。
けれど、時折見せる、理解し難い動きを伴った攻撃に度々肝を冷やされるのは確かだった。
素人だからこそ読み辛い攻撃だったのだろう。
素人が故に、理解しかねる剣筋だったのだろう――朝子は無表情と余裕を保ちながらも、手を抜いたり警戒を怠ったりはせず、むしろいつも以上に、相手の挙動に集中していた。
そんなことは露知れず、憂馬はお構いなく攻撃を続けるが、闇雲に振るった刃が朝子に届くはずはなく、体力を削る一方である。
そして、結果、言うまでもなく絶息する。
「……はぁ……はぁ、くそっ…………避けるとか卑怯だろ……」
「…………」
朝子はそこはかとなく戸惑っていた。
混乱していた。
過去の戦闘を思い出しても、憂馬のような《異常者》は初めてだった。
《連続殺人鬼》と名高い彼が、どうしてこんなにも弱く、そして威圧感に欠け、素人に毛が生えた程度の力しかないのか――何より、殺し合いを楽しんでいるというよりかは、面白がっているようにしか見えない言動が朝子を迷わせていたのだった。
そこまで迷えば疑問が原点に返るのも当然で、朝子は憂馬が《異常者》であるかどうかもわからなくなっていた。
しかし、伊和里と花孫を連れている以上、さすがに彼が何の変哲もない一般人だということはないだろうが、それにしても類を見ないある種の”異常性”を感じるのは判然としていた。
朝子がそう感じてしまうのも、憂馬が未だ本来の力を発揮できていないからだろう。
才能は依然として開花していないのだから、赤子のような扱いを受けて当然なのかもしれなかった。
「お兄さん、お兄さん……ボクはお遊戯でお兄さんと殺し合いをしてるわけじゃないんだよ」
「……あぁ?」
余裕の表情で朝子は、肩で呼吸をする憂馬を挑発した。
「本気出してよ、お兄さん」
「…………」
憂馬は次第に落ち着く呼吸の中、本気とは何だろう、と考えていた。
少なくとも、憂馬は本気で朝子を殺すつもりでいたし、殺そうとしていた。
だから、憂馬は朝子の言葉に反応することができず、沈黙してしまう。
「お兄さん、ボクにはお兄さんのような赤い眼がないのを知ってる?」
「赤い、眼……?」
「うん、その赤い瞳――それが《異常者》の中でも限られた者しか有することが許されないってこと知ってる?」
憂馬は再び沈黙して、右手に握る曇りないナイフの刀身を鏡にする。
その手鏡に映る――赤い眼。
まるで眼球に赤ワインを流し込んだような赤い瞳がそこにあった。
血涙を流し鮮血を迸らせる、真っ赤なビー玉のように艶やかで透き通った、それでいてどこか闇の深い色をした赤眼がそこにあった。
「『変色眼』――先天的殺人能力を備えた者だけに現れる、言わば、神の賜物だよ。贈り物だね、ギフトだよ」
「へんしき、がん……」
「そう、お兄さんはやっぱりその特殊性に気付いていなかったんだね。数いる《異常者》の中でも特別の中の特別、喉から手が伸びるほど欲っしても届くことのない力なんだよ。その力は強大が故に扱い難い、巨大が故に埋もれ行くんだ」
朝子は憂馬の反応に構わず、滔々と語る。
「勿論、この世に生を受けた瞬間から先天性と異常性を持つ《異常者》は確かにいるよ――だけど、その誰もが等しく眼の色を変えることはできないんだよ。専門性とは唯一無二の力ではなく、特別性こそが唯一であり無二なんだよ」
朝子の表情は変わらない。
虚ろで淀んだ目を保っていた。
およそ少女とは思えないくらいの圧力を憂馬は全身にひしひしと感じていた。
「ボクも先天性を持った《異常者》の一人なんだ。だけど、お兄さんのような『変色眼』はない」
「俺も朝子ちゃんも同じ――」
「どうしてボクにはお兄さんのような血色の瞳がないんだろう?どうしてなんだろうね?」
憂馬は唾を吐き捨てるように、そんなの知るか、と思った。
自分でも気付かぬ間に、知らぬ間に現れた赤い眼だったし、それがどれほど特殊な性質なのかを説かれたところで、実感することなどできなかった。
むしろ、だから何だ、であった。
しかし、赤い瞳が先天性を持つ《異常者》の全てに現れるわけではないとして、その理由は一体何だろう、と憂馬は朝子の次の言葉を待った。
耳をそっと傾け、冬の風で舞う枯葉の雑音に掻き消されそうな声を逃さまいと、姿勢は自然と前のめりになる。
「ボクにだって、ボクにだって――異常性は生まれたときからあったのに」
と。
「ボクにだって……ボクにだって……」
と、朝子は先ほどまでの冷静な表情を一転させた。
震えた拳をしっかりと握り締めていた。
「ボクにだって、お兄さんと同じくらいの異常性や特別性は持っているのに――」
朝子の声は微かにして吐息混じりだった。
憂馬には聞こえず、何やら呟いている様子だった。
「お、おい、朝子ちゃん……何を言って――」
不思議に思った憂馬は一歩を踏み出し、俯いた朝子の表情を窺おうとしたところで、
「ボクねー、ママを殺したんだよ。殺して殺して、バラバラにしてメチャクチャにしたんだよ」
「……え?」
憂馬の足はその瞬間止まる。
「楽しかったなぁ、気持ちよかったなぁ、あの快感はもう二度と味わえないなぁ。だってほら、ボクは生まれもっての《異常者》なんだから、親殺しなんて珍しくないよね。ボクの隠れた異常性がただ露になっただけなんだから。だから、ボクはやっぱりお兄さんと同じ生粋の《異常者》で、先天性を持つ《異常者》で、だからこその《奇術殺人》なんだよ」
それなのに、と朝子は続ける。
表情こそ窺えなかったが、苛立ちを隠しきれず、次第に声が荒げた。
「それなのに! それなのにどうしてボクじゃなくてお兄さんなんだ! どうしてママを殺したボクじゃなくてお兄さんなんだ! お兄さんには何もないくせに! お兄さんなんて何も力がないくせに! ボクの方が立派な《異常者》だよ! 立派な殺人鬼だよ!」
「…………」
「ママを殺しても、何人殺しても、その赤い眼がボクに現れないのはどうしてなんだ! どれだけ血を浴びれば、どれだけ血を啜ればボクの眼は赤くなるの!? どれだけ血を流しても、どれだけ残酷な殺し方をしても、どれだけ拷問しても、どれだけ非道になっても、ボクの眼は黒いままなんだよ!」
こんな、
こんな――
こんな眼なんて――
「だから、ボクはお兄さんが憎らしい。『変色眼』のお兄さんが憎らしくてたまらない。ボクが欲するものを有するお兄さんが弱いのも許せない。ボクが求めていた『それ』は『それ』じゃない。ボクの知る『それ』がその程度のものであってたまるか。お兄さんに赤眼を持つ資格なんてない、特異性の欠片もないお兄さんが簡単に汚していいものじゃない。もっと崇高で崇拝するべきで、孤高で気高い、誇り高きものなんだよ」
激情した朝子だったが、一時的に声調は落ち着いた様子だった。
いや、怒りを通り越して一周回ったようで、それが故の冷たい物言いだった。
一歩、一歩と憂馬に詰め寄ってくる朝子はもう何も言わない。
何も言おうとしない。
ゆっくりとした足取りで、しかし確かな歩みでにじり寄ってくる。
対して、憂馬もまた沈黙を維持していたが、朝子が手の届く距離に近づいたところで、ふと口を開いた。
「朝子ちゃん、あんたさ……この赤い眼欲しさに母親を殺したのか?」
朝子は答えない。
応えない。
「朝子ちゃん、あんたさ……この赤い眼欲しさに人を殺してきたのか?」
再度、沈黙。
沈黙は肯定を意味していた。
憂馬はその意を察して、ナイフの柄を握り締めた。
歯を食いしばり、全身の震えを抑えんと握力を集中させた。
そして次第に、力が抜けていく。
自然と力が抜けていく。
その時、憂馬は悟っていた。
朝子がどういう人格をした《異常者》で、どういう心理状態に立っているのか、想像することができた。
だから憂馬は言う。
妙な沈黙もせず、わざとらしい間も空けずに言う。
明確に明瞭に、ただその言葉という諸刃の剣を相手に突き刺すために言う。
道を説くわけでも背伸びをしたことを言うつもりもない、それこそ伝わるかどうかさえ怪しい大言壮語だろう。
憂馬は右手のナイフの切っ先を朝子に向けた。
胸元から顔面の中心へと払うように、尖った刃を向けた。
「あんたのやってることは全部物まねのお遊戯だろ」
その瞬間。
朝子の号哭がむなしい寒空に響いた。




