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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EpⅠ Paradise Lost
2/44

 連続殺人のパラダイム

「人にとっての死は真の意味で解放なのか、或いは束縛なのか――君は一体どう考えるかね」

「…………は?」


 ちらちらと粉雪が舞っては消える街角で、眼前を塞がれた少年は突拍子のない質問に眉をひそめざるを得なかった。

車一台が通れるだけの道幅だと言うのにもかかわらず、少年の前に立ち塞がる男は一向にそこから動こうとはしなかった。

 その男はまるでコンパスのように細く、まるで定規のように薄っぺらい。

人類が最低限の活動をするためだけに変化した体型のようで、余分な肉はおろか、薄皮と骨だけで成り立っているかのような造形だった。

上背もあいまって、全体的な線の細さはさらに際立っており、本当にこんな体で立っていられるのかと疑問に思うほどである。

 グレーのスーツに同色のコート姿。

それがよく映えるのも、それ故なのだろう――と、少年は奇妙な邂逅の中で、僅かにそんなことを考えていた。

「しかし、命を捨てることはできても拾うことができないという観点から見れば、真の意味では『束縛』のように思えてならないのだよ。いや、束縛というよりもこの場合、『呪縛』とした方が正しいのかもしれないな。なぜなら、『死』は存命の者をまるで呪いのように縛りつける――」

「……はぁ」

「だからと言って、死者が救われたとも限らないのだから、少なくとも解放とは言えないのだ。しかし反面、苦しみや因果からの『解放』が確かに成されるのもまた事実。ならば一体、『死』とは何なのか――君はそんなことをこれまでに一度でも考えたことがあるかね」

「……………………」

 放課後、帰宅途中ということもあり、少年は先を急いでいた。

いや、早々に帰宅しようと、別段やらなければいけないことなど皆無であったが、道端で得体の知れない男に絡まれている状況から一刻も早く抜け出したかったのだ。

それに彼の場合、一度決まった気分を再び別方向へ転換することが苦手でもあった。

 

 帰ると決めたら帰る。

 やると決めたらやる。

 やらないと決めたらやらない。

 

 極端な性格と言えるかもしれないが、その裏には自家撞着(じかどうちゃく)にも似た感情が隠されていた。

優柔不断や中途半端にならないためにも、そうして己を律することによりコントロールしている。

それが彼なりの『一番楽な生き方』でもあったのだから、極端だと言われようが変人扱いされようが、甘んじてそれを受け入れていた。


 私立花ノ宮学院に通う高校三年生。

進学校とは言い難いものの、翌年に転機を控えた受験生である。


 名は――


「君、名前は何と言う」

「……貴船 憂馬(きふねゆうま)

 憂馬が躊躇いながら名乗った後、男は感心したように痩せこけながらも滑らかな頬に自らの手を当てて頷いた。

「ほう……」

 細身の男は言う。

「良い名前だ。名前は大事だ、その人間の個性と属性を表すとよく言うものだ……ふむ、ではこれも何かの縁かもしれん、とりあえず俺も名乗っておこう」

「…………」

 正体不明の男の名前など聞いたところで何か意味があるとも思えなかった憂馬は興味がなさそうにそっぽを向いた。

ここで逃げ出すことも可能だったけれど、必要とは思えない名前を聞くくらいなら構わないと気を許したのかもしれない。

それさえ大人しく聞いていれば、男はすぐに立ち去るだろうとの考えだった。


「俺の名は町屋 鶯(まちやうぐいす)だ。よくその頭に刻むといい。いずれ俺の名前は聞くことになるからな」


 まちや うぐいす――その名前を聞いて、憂馬は率直に似合わないと思った。

そして、明らかに偽名だと疑えるようなそれに思い当たる節がなかったのを確認して、ここでようやく遠い知り合いかもしれないという疑念を晴らすことができた。

まぁ、最初から知り合いだなんて露ほど思っていなかったのだけれど――憂馬は嘆息してそう思った。


 積もるとも思えない粉雪は自然と雨粒になっていて、傘を差すほどではなかったが、憂馬の心境が逸早く帰宅したいという強い願望に変わっていたことを細身の男――町屋 鶯は察したのか、話を切り上げるように再度問うた。

「最後にもう一度だけ訊こう、なに、別に答えなくても構わない。君は『死』を真の意味で何と認識している」

「……『死』…………?」

「『死』は解放か束縛か、呪縛か?」

 町屋の表情は変わらない。

終始一貫して無表情である。

知れない得体、読めない表情、変わらない奇怪、歪んだ奇縁、歪まない造形――憂馬には彼が何者なのかを探るための情報は何一つ得られなかった。

「いんや――」

 答える。

 応える。

 それは恐らく、憂馬が抱く心の奥底の底で閉じ篭った、自らの意思で閉じ込めた本音だったことだろう。


「死ぬことに意味なんてあるわけねーよ。生きることにも意味なんてないのによ。仮にもし、町屋さん、あんたの言う通り意味があるとするなら――それは『死』の真の意味は『生』ってこった。誰かが死ぬことによって誰かが生きる、そんなもんじゃねーの」


 憂馬はそれで話を終えるように、まるで薄い壁の如く立ち塞がる町屋の脇をすり抜けた。

すれ違う瞬間、彼から狂気とも思える不吉感が滲み出ていたような気がしたが、構わずに一定の足取りを保った。

「かはははっ、問題が摩り替わってるぞ、憂馬くん。俺は人の『死』に何か特別な意味があると思うからこそ問うているのだ。確かに人が死ぬことに意味はない、生きることにも意味はない。だが、『人の死』そのものには確かに意味があると思うのだよ」

 背後からそんな町屋の声が聞こえたけれど、これ以上相手にする余裕がなかったので、憂馬は伏し目がちにその場を後にした。

 しかし。

 しかし、だ。

 この胸騒ぎは一体何だろうか。

胸騒ぎというか、ざわつきというか――自分の精神状態が不安定になっていることがわかる。

不安なのか、心配なのか、しかしそれは一体何に対する感情なのか、憂馬にはそれが理解できなかった。

ただ何となくよくないことが起こるような気がして、ただ何となく不運なような気がした。

 町屋のただならぬ気配に毒されたのかもしれない。

まるでインフルエンザが空気感染したような気分だった。

気鬱と言うか、憂鬱と言うか――憂馬には現在の自分を表現するための語彙を持ち合わせていなかった。

 けれど。

 その中でもただ一つだけわかったことがあった。

 その中でもたった一つのことだけがわかったこと。

 『それ』が『なに』なのか、刹那、憂馬にはわからなかったけれど、刹那後、すぐにわかったことだった。

 嫌でも。

 嫌が応でもわかってしまったことだった。

 町屋の雰囲気に毒されたからざわついていたのか、それとも、予めこの事態を予期していたから不安だったのかはわからないけれど、少なくとも、『それ』を見た瞬間、憂馬にはそのようなことを考えている余裕など皆無だった。

 決して予期していたわけではない。 

 決して予知していたわけではない。

 こんな突拍子のない、リアリティに欠けるような事態があっていいものではない。

 現実かどうかもわからない。

 自分が今生きている世界が、本当に今まで自分が生きていた世界だったのかもわからない。

 憂馬には――わからなかった。

 何にも――わからなかったのである。


 なぜなら。

 なぜなら、憂馬の眼前には。


「……え、え」


 町屋との邂逅から徒歩でおよそ五分――自宅に帰還し、いつも通りに、いつもの日常通りに、いつもの惰性通りに玄関の鍵を開けて、ただいまを言わずに靴を脱ぎ、学生服であるブレザーのボタンを外しながらリビングの扉を引いて這入った時だった。


うっ(・・)……ぁぁっ(・・・)………………ぁぁ(・・)……」


 一人は首根っこを切断された男性。

 一人はありとあらゆる関節を不可動域まで捻じ曲げられた女性。

 憂馬の目の前で殺されていたのは――彼の実の両親であった。

 血を分け、愛息子に愛情を注いだ両親であった。


「とうさ………………かあさん……うぁ、あああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 血まみれのフローリング。

 血みどろの死体。

 血飛沫。

 血溜まり。

 辺り一面が――血。

 血液。

 血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血――――

 気付けば、憂馬は粘着質の赤液体を踏んでいた。

染み込んでぐしゃぐしゃになった靴下から嫌な感触が伝わる。

 べとべと。

 ねちゃねちゃ。

 つま先から上半身へ、頭の先へと駆け巡る鳥肌。

 体が動かない。

 微動だにしない。

 今すぐ駆け寄りたくとも、言うことを利いてくれない。

 まるで脳が電気信号を発信するのを拒否しているかのようだ。

 まるで神経回路が断線したような気分だ。

 過呼吸。

 無呼吸。

 うまく呼吸ができない。

 できたとしても脳が酸素を拒絶している。

 今度は息が吐けない。

 肺が活動を停止しているようだ。


「はっ、はっ…………は、あ、……ぐぁ、はっ……」


 なんだよこれ。

 なんなんだよこれは。

 どういうことだよ。

 どうなってるんだよ。

 わけがわからない。

 ゆめ?

 わるいゆめをみてるのか?

 ちがう、いやちがう。

 げんじつ。

 まぎれもないげんじつだろ。

 ち。

 なんでちが。

 なんでとうさんとかあさんがたおれてんだよ。

 なんで。

 なんで、なんで、

 なんで、なんで、なんで、

 なんで――しんでるんだよ。

 なんでころされてるんだよ。

 なんで。

 なんで――

 なんで――――


「はっ、へっ……へへっ、へへへっ…………ふっ、へへへへっ」


 あれ。

 俺、何してんだろ。

 俺、何しようとしてんだろ。

 血とか肉片とか簡単に踏んでるし。

 あれ。

 俺、何してんだろ。

 俺、何しようとしてんだろ。

 台所?

 キッチン?

 下棚を開けて――

 あれ。

 あれあれ。

 あれあれあれ。

 包丁とか手に取って、一体何をしようとしてんだ?

 あれ。

 普通に掴んじゃってるし。

 えっと。

 わけがわからねぇ。

 自分で何をしようとしてんだろ。

 自分?

 今の俺って本当に自分なのか?

 わからねぇ。

 自分って何だっけ。

 俺って誰だっけ。

 あれ、俺って今生きてるんだっけ。

 死んでるんだっけ。

 死んでるのは父さんと母さんで――

 え、あれ。

 跨って。

 跨った?

 何に?

 死体に。

 まずは父さん。

 日頃からお世話になりっぱなしだった父さん。

 いい人だったよ。

 すげーいい人だった。

 うん、ありがとう。

 最後まで言えなかったけど、今なら言えるかもしれねー。

 両手を掲げて。

 振り――降ろす。


 渾身の一撃を――振り下ろす。


「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 ざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっ。


 次は――母さん。

 母さんにも感謝の気持ちを伝えないと――


「ううううあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!あああああああああああああぁぁぁぁっぁぁぁあぁぁぁぁっっ!!」


 ざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっざくっ。


「へ、へへへへっ…………ふははははっ……」


 あーあ、何してんだろ俺。

 わけわかんねぇ……。

 疲れた。

 ちょっと、疲れたや。

 あぁ……あーあ……。



 その一瞬に、憂馬の意識と意図はまるで糸を切断したかのようにぷつりと途絶えた。



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