双子相愛のクレイジーマタニティ
神社――名を花ノ宮聖天と言う。
繁華街の脇にひっそりと鳥居を構えたそこは、最早すでに風化した歴史産物のような雰囲気を醸し出していた。
造営された頃は目に焼きつくほどの赤色をしていたであろう立派な鳥居は寂びれ、剥げた塗装からはひび割れたコンクリートが剥き出しになっており、あたり一面に枯葉が散乱していた。
コンクリート地もひび割れており、その隙間から首を出す無数の雑草が何とも言えない緊張感を表していた。
見るからに誰も寄り付かないであろう神社である。
見るからに誰も管理していないであろう神社である。
この土地での生活が長い憂馬は勿論、その存在を把握していたけれど、ただそれだけであって、内部に足を踏み入れたことは一度もなかった。
それは伊和里と花孫にも同じことが言えた。
神社が主催する催しものは一切ないし、過去に度々前を通ったことがあった憂馬でさえ誰かが参拝している姿も、御手洗で外界の汚れを落としている人の姿も見たことがなかった。
そのせいか、幼少期には都市伝説のような噂話が伝播したり、絵空事のような物語をよく耳にしていた。
しかし、幽霊が出る噂話があったところで、その中に『双子』というワードは未だかつて聞いたことがない。
それを踏まえると、神社の前にメイド喫茶の看板が掲げられたのはつい最近のことなのかもしれなかった。
『ホリック×ホリック』――看板にはやはり、双子の写真が掲載されている。
花孫によると、その双子の写真と誘拐犯は似ているくらいで、正確な判断は難しいようだった。
「んー、とりあえず、直接会う方がいいですよね」
などと、当たり前のことをぬかす。
看板に掲載されている写真の上部には彼女らの名前も記載されており、一人を宵 夜子、もう一人を宵 朝子とした確かな双子のようである。
写真を見る限り、どちらがどちらなのか区別できないほどに瓜二つなので、双子という判断は間違いなく正しいだろう――と、三人は同じことを考えていた。
「それにしてもさー」
憂馬は看板を過ぎ、鳥居を潜る直前で口を開いた。
「その行方さんって人、話を聞いている限りじゃ相当強いんだろ?それなのにどうしてそんな簡単に捕まったんだ?」
「行方さんは強いです……本当に強いです、けど、今は弱いです……」
「ん、何で?」
「わたしが行方さんに拘束錠をかけているからです」
「なるほど……そのせいで、いつもの力は出せないってことか」
「それだけじゃありません、行方さんが本領を発揮するには少し条件が必要みたいで……それはわたしにもわからないんですけど」
「へぇ……」
憂馬は特に興味がなさそうに相槌を打った。
行方のことを何一つ知らない憂馬にとって、このような依頼を受けることなど本来すべきことではなかったけれど、しかし、それをわかった上で請け負ったことには理由があった。
その一つには当然、妹の捜索の手がかりを掴むことが含まれていたし、それを達成するには必然的にコネクションをも要すると理解していたのだった。
関係を横に広げれば、自ずと情報量は増える。
最初の足がかりとしてはなかなか良い機会だったとも言えた。
そして何より、大前提として――《異常者》として生きていく上で、”世界”を知るということは自分の生存率を上げることにも繋がると認識していた。
自分が死んでしまっては妹を探すこともできないし、両親を殺した犯人をも特定できない――だからこそ、それだけは避ける必要があったし、『生きること』に執着しなければいけなかった。
ただ、それはつまり、自身を《異常者》と認め、認識することを前提としている。
それをも理解していた憂馬は、この先にどんな危険が待っていようとも、後悔することになったとしても、いい意味で――いや、悪い意味で開き直っていたとも言えよう。
「確かにこれは異常かもしれない」
伊和里は鳥居を潜った直後、足を止めた。
「人の気配がまるでしない」
「どういうこった、それじゃ、ここはやっぱ違うのか?」
「いや――でも……」
刹那の出来事だった。
頭上から二つの影が降ってきたのは。
二つの影。
目の前で対峙する二つの影――二人の少女。
右に同じく、左に同じく、瓜二つどころか全く同一人物であろう二人の少女だった。
白装束を身に纏い、それに反する色をした短めの黒髪を後ろに結い――白い足袋に白い鼻緒の草履、真冬には適さない薄布の衣服。
そして、蒼白な顔をしたお面――垂れ下がった点でしかない薄眉に、細長い切れ目、盛り上がった頬肉、その点だけが妙に印象深い血色の唇。
ほんの少し口角を上げ、怪しくこちらに微笑むおかめのお面。
「初めましてだね、宵 夜子と言う者だよ」
「初めましてだね、宵 朝子と言う者だよ」
寸分なく狂わない声調。
どちらが発声しているのか全くわからなかった。
「今日はいい獲物が自らやってきたね、最高の気分だ」
「そうだね、最高の気分だね」
双子は言う。
表情を見せない双子は流暢に語る。
「さて、今日はどんな遊びをしようか、鬼ごっこでもしようか」
「そうだね、鬼ごっこにしよう、夜子と朝子が鬼だね」
こちらのことなど無視するように、二人だけの世界に入り浸ったまま語らう双子に、花孫は震えながら一歩前に踏み込んだ。
「ゆ、行方さんを返してくださいっ!」
「…………」
「…………」
夜子と朝子は沈黙する。
お面越しで表情こそ窺えないが、二人で目を合わせて首を傾げているようだった。
「それはだめだよ」
「それはだめだよ、できないよ」
「後で遊ぶんだから」
「後で一杯遊ぶんだから」
「大好物は最後に食べなさいってママが言うんだよ」
「大好物は最後に食べなさいってパパが言うんだよ」
花孫はそんな風に言い返されて、泣き声を上げながら後退した。
精神が貧弱すぎる――と、憂馬と伊和里は緊張感に欠ける花孫の泣きっ面に肩を竦めざるを得なかった。
「意思が弱ぇよ、和花ちゃん……」
「だってぇー……うー……」
憂馬に助けを請うように寄り添った花孫は一滴も流れていない涙を拭う振りをしていた。
嘘泣きにしても度が過ぎるほど下手糞だったが、憂馬は仕方なく頭を二度優しく撫でた。
それにより、まるで雲間から垣間見えた太陽のように、泣き顔は一瞬にして笑みを取り戻したのだった。
単純さが故に厄介で、純粋さが故に凶悪で、純情さが故に自己中心的で、無垢さが故に横暴である――憂馬は花孫の心理状態をここでようやく少しだけ理解することができた。
「あんたたち、一体どこの『チーム』?」
伊和里はおよそ会話することなど不可能とも思える相手に対して、疑問を投げつけた。
しかし、返答は意外にも素直で、コミュニケーションは図れそうである。
「チーム……もしかして、『遊戯中毒』のことかな」
「そうだね、ボクたちは『遊戯中毒』だね」
双子は相変わらずの様子で復唱した。
「あんたたちが赤ヶ坂 行方を攫ったの?」
「お姉さん、言い方が悪いよ、酷いよ。ボクたちはただ協力してもらってるだけだよ」
「そうだよ、協力以外の他に何もないよ」
「……ふぅん」
伊和里は心底不愉快のようで、眉間に寄せた皺が放つ剣呑さが益々強調された。
すでに臨戦態勢を整えている伊和里は、太ももに装着したホルスターに今にも手が伸びそうな姿勢だった。
左右に備えられた、花柄のワッペンをあしらったホルスターの中には可愛気のない無骨で不気味な、人を傷つけ殺すためだけに存在する二つのナイフが収納されている――それを構えれば最後、一般から切り離され、日常からかけ離れた《異常者》としての姿を披露することになる。
一時期、伊和里はそれに悩まされたし、苛まれた。
日常に嫉妬した。
平凡に憧れた。
異常を恨んだ。
自分を憎んだ。
周囲を呪った。
神様に唾を吐いた。
己の運命に絶望した。
それを甘受しきれない卑しい自分に嫌悪した。
惨めな自分を厭った。
弱い自身に失望した。
同情して欲しかった。
哀れんで欲しかった。
何より、助けて欲しかった。
陥って、落ちて、抜け出せなくなってしまった底なし沼から伸ばされた手を誰かに掴んで欲しかった。
けれど。
けれど――
そんなものは幻想にしか過ぎない。
そんなものは叶わない願望にしか過ぎない。
夢のまた夢、夢より夢の、有り得ないことの中にも有り得ない、そんな希望だった。
あの頃より、強くなったかどうかはわからない――けれど、わからないなりに進んできた。
どれだけ逃げても、どれだけ目を背けても直視させられる『現実』を嫌が応にも認めてきた。
だからと言うことではない。
けれど、少なくとも――
「私は”ここ”で生きる」
伊和里は言う。
毅然とした態度を保って、勇猛果敢に言ってみせた。
「あんたたちの道は”ここ”で終わる」
伊和里は左太ももから妖しく光る短刀を取り出し、その切っ先をお面の双子に向けた。
「本当はこんな依頼どうでもいいけど――請け負った以上はそれなりの仕事はするつもり」
それに対し、双子――夜子と朝子は不気味な笑い声をあげる。
嘲笑うかのように、人を見下すかのような声をあげる。
「きひひひっ、ほほほほっ」
「ほほほほっ、きひひひっ」
「それはつまり、ボクたちを殺すってことだよね」
「それはつまり、ボクたちを殺すってことなんだよね」
「できないよ」
「できっこないよ」
「だって」
「だって――」
お面を、取る。
双子は一挙手一動、整合に等しい図形のような姿勢を取って、同時にお面を取った。
まるで二人で一人のように。
まるでもとよりそれが正しいと言わんばかりに。
おかめの面は無造作に地面に放り投げられた。
かつん、と甲高い音が聞こえて、
「《瞬間殺人》宵 夜子、一瞬の殺人を見せてあげる」
「《奇術殺人》宵 朝子、手を触れない殺人を見せてあげる」
瓜二つの双子は同時に身構えた。
一方はアイスピックのような針を、一方は藁人形を。
「はははっ、何かよくわかんねーけど、俺も参戦しよっかな!」
憂馬は臆することなく、高らかに笑ってみせた。
殺されるかもしれない危険性は絶対的に除外し切れない――けれど、死線を掻い潜ればそれだけ憂香に近づくことができる。
こんなところで死ねるわけがない、死ねるはずがない――憂馬を突き動かす要因はただそれだけだった。
そこに伊和里や花孫はいない。
依頼など、本来どうでもいいことだった。
しかしそれでも、親殺しの犯人を見つけるため、妹の憂香を探すため、憂馬は自ら《異常者》として生きることを、ここでようやく認めることができたのかもしれなかった。
《貴船 憂馬》として生きるのではなく、《異常者》として生きる。
そして何より――
「《連続殺人鬼》、慣れ親しんだ二度目の殺人をお披露目してやるぜ、ははははっ」
そう、《連続殺人鬼》として生きることを認めた瞬間だった。
背後に沈黙していた花孫が、
「かっこいいですっ」
と暢気な感想を述べたことに、誰も突っ込みを入れることはなかった。