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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EpⅡ Paradigm Lost
16/44

 転調先々のセッションパート

「おはよ」

「…………」

「おはよ」

「………………ん」

「おはよ」

「……………………んー」

「三秒以内に起きないと殺すから。いーち、に――」

「おはよう、伊和里ちゃん――って、寒っ!」

「窓がないからね」

 憂馬が目覚めたのは自室でも寒空の公園でもなく、伊和里の部屋だった。

ベランダの鉄柵はひしゃげ、窓ガラスは大破し、部屋一面に刺々しい破片が散らばっている中、憂馬は毛布を体に包めてくしゃみをした。

 十二月。

 冷え込みが激しい真冬の深夜に、外気に晒された部屋で寝るというのはもはや外にいるのと同じだった。

しかし、まさか公園などで一夜を過ごすわけにもいかず、憂馬は真野との戦闘を終えた足でそのまま伊和里の部屋に戻ってきたのだった。

 思考ははっきりとしている。

 意識もはっきりとしている。

 直接的に自分でやっていないとは言え――人を殺したというのに。

 憂馬は昨夜のことなどまるで夢の中の出来事のように感じていた。

自分でも驚くほどに、後悔はしていなかった――いや、後悔や後戻りなんて、そんなものを感じる暇さえなかったのだ。

 突然、殺されそうになって。

 そして、殺した――単純に、明快に、ただそれだけのこととしか捉えていなかった。

それは元より憂馬が狂っていたからなのかもしれないし、あまりに現実感のない出来事のせいで、実感するには難しいのかもしれなかった。

 翌朝起きればいつも通りの調子で、《連続殺人鬼(シリアルキラー)》としての自分ではなく、《貴船 憂馬》としての自分を取り戻していたのだった。

まるでそれは、日常に回帰したような感覚だった。

あの日――憂馬の両親が無残に殺されたあの日を境に狂いだした歯車は、いつの間にか正常に動き出していたのだろう。

 異常という日常が正常に変化したように。

 正常が異常であるかのように。

 憂馬が気付かない間に、認識しないままに、彼の中の日常の一部に『異常』が紛れ込んだことは誰も知る由もなかった。

 しかし、何も憂馬が《放火狂人(パイロマニアック)》を殺したことをあっさりと忘却していたというわけではなかった。

動けば全身が筋肉痛で、動けば感触を思い出すのだった。

 感触――ナイフで人を斬る感覚。

 それはやはり、夢ではない現実の世界で、憂馬が人を殺したことを実感させ、人を殺したことを想起させるには十分だった。

けれど、それが憂馬を苛むには及ばなかったのだから、それが故に『先天的』な殺人鬼と称されるのかもしれなかった。

 憂馬自身、一体どうして自分はこんなにも平然としているのか、理解していない。

自分のことなのに、自分がわからない。

まるで『あの時』と似たような感覚で、しかし、どこか違うようでもある。


「…………ふぅ」


 憂馬は心のどこかで思うことがあった。

僅かにでも、自分の異常性を認めていた。

人を殺しても尚、親を殺されても尚、冷静さを保ち、平然とし、動乱して発狂することもせず、あっさりと異常を受け入れ、きっぱりと日常を捨てていた。

いや、日常を捨てたわけではない――今は未だ、この世界の『異常』が普段の日常の一部にしか過ぎないと捉えているのだろう。

 最終的に思考が行き着く先は、自分の異常性、という疑問である。

自分はいつからこんなだったのか、いつから狂っていたのか、元から狂っていたのか、人の死を悲しむことができない人間だったのか、両親を殺されても平気な人間だったのか、殺人を犯しても後悔しない人間だったのか、何の躊躇いもなく人に刃を向けることができる人間だったのか、顔を燃やされても笑っていられる人間だったのか、自分を守るためとは言え積極性と主体性を持って命を絶つ側に自主的に立つ人間だったのか――それはいつからだ、という考えが巡り巡った。


 しかし結局、そんな疑問に明確な解答が得られるはずもなく、

「やっぱ、元々こんなだったんだろーなぁ……」

 憂馬は埃に塗れた天井を見上げて独白した。

「あんた、これからどうすんの」

「どうすんの、って?」

「これから、どう生きるかってこと」

 どうやら伊和里は憂馬より早く起床していたようで、ポニーテールに花柄のエプロン姿になっていた。

その様に暫く見蕩れていた憂馬は、伊和里が差し出した熱い缶コーヒーによりふと我に返った。

「どうするって言われてもなぁ……今更警察なんて行けるわけねぇーよ」

「そりゃそうだね、かと言って、いつまでもあたしの家に泊まらせるつもりもない」

「ははっ、そりゃそうだ。いくらライオン娘だからと言って、何かの間違いがあるかもしれねーし」

「……間違いって何」

「伊和里ちゃんが俺に惚れるかもって、間違い」

「それはない」

「即答かよ」

 憂馬は触れることに嫌気が差すほどまで熱せられた缶コーヒーを慎重に開け、一口飲む。

体が冷え切っているせいか、食堂から胃に熱い液体が流れる感覚を体感した。

 これからどうするか――憂馬には二つの選択肢があった。

勿論、人を殺してしまっている以上、のうのうと警察に自首するわけにもいかないので、その選択は端から含まれていない。


「まず一つ目、このまま伊和里ちゃんや希望さんの世話になる」

 

 憂馬の言葉に伊和里は軽い溜息を吐いた。 

「希望さんはともかく、何であたし……」

「右も左もわからねぇのに、そりゃないぜ伊和里ちゃん。獅子の子落としとは言うけど、生憎、俺は伊和里ちゃんの子供じゃないし」

「あたしはライオンじゃないっての……」

 どうやら伊和里は憂馬との接し方のコツを掴んできたようで、安い挑発や無礼な言葉は受け流すの方が正しいと理解していた。

だからこそなのか余計に、ライオン娘と揶揄され、挑発に乗って飛び込んだ後、抱きしめられたことをひどく後悔していた。

 まったく、自分はどこまで純情なのだ――恥ずかしい、と伊和里は心の中で人生の汚点とも言えるそれを恥じていた。


「二つ目、妹――憂香を探す」


 次に発せられた言葉に、伊和里は溜息を吐かず、納得したような面持ちをした。

「そっか、まだ見つかってないね」

「それはつまり、両親を殺した犯人を捜すってのも含まれてんだ」

「あんたの妹が親を殺したって決まったわけじゃないでしょ?」

「まぁ、そうだが――けど、少なくとも俺の記憶が正しければ、憂香は俺よりも先に帰宅してたんだよ。その時点で親が生きていたかどうかはわからねぇけど、少なくとも、憂香にヒントはあるはずなんだよ」

「……ふぅん?」

 伊和里は神妙に相槌を打った。

「親を殺した犯人が憂香かどうかはわからねぇけど、それにしても気になるのが、憂香がどこに消えたのか――なんだよなぁ……」

「連絡はつかないの?」

「メールも電話も駄目、電源が切れてやがる」

「そっか……」

 憂馬と憂香がどのような兄妹関係を築いていたかと言うと、それは極々普通の、一般的な関係だった。

幼い頃はよく二人で遊んだし、喧嘩も日常茶飯事で――しかし、年齢を重ね、思春期になれば口数も減り、そうなれば喧嘩をすることもなくなり、次第には顔を合わせることもしなくなった。

そして、大人の階段のようなものを昇りつつある高校生になり、子供染みた関係性は変化していった。

「お兄ちゃん」の呼称が「憂馬」へと変わり、少しの壁を挟んだ関係だったものの、それは良好的だった。

 二つ下の、来年の春には高校二年生になる妹――貴船 憂香、彼女の存在が憂馬の中でとてつもなく大きなものかと言えばそうではなかったけれど、しかし、家族である以上、そして何より両親が死んだ以上、気に留めないわけにもいかないだろう。

「伊和里ちゃん、どうにか探す方法はないのか?」

「まぁ……あるけど……」

 伊和里は口籠った様子で、判然としない口調である。

「何だよ、何でそんなに喋るの嫌そうなんだよ」

「多分、どこかのチームに拾われてるんじゃない? 『深刻数字(シリアスナンバー)』とか『血まみれの血統(ブラッディブラッド)』とか、或いは『生贄宛(トゥザサクリファイス)』とか――」

「チーム……何だそれ?」

「この世界を一人で生き抜くには難しいってこと。あんたやあたしみたいなほとんどの《異常者》は『チーム』に属して、自身を守りながら生きてる」

「なるほどねぇ……仲間がいねぇといつどこで殺されるかわかんねーってことか」

 憂馬は納得の表情を浮かべる。

「まぁ、仲間がいたところでいつ殺されるかわからないけれどね」

「なら、その『チーム』ってのに片っ端から当たれば、憂香も見つかるかもしれねぇのか。おっし、理解した理解した」

「簡単には言うけどさ……実際、難しいよ、多分」

 伊和里は『チーム』がどれだけ内側に閉鎖された世界なのかを知っていた。

所在すらわからない曖昧な組織に闇雲に当たっても、成果など得られるはずがないことを理解していた。

勿論、中には義理人情に(あつ)い組織もあるけれど、全てがそうではない。

しかし、手っ取り早く妹を探すのなら、確かにその手段は正しいようにも思えたのだった。

そして何より、憂馬の希望に満ちた表情に、『チーム』がどういうものなのかという真実を伝えることが億劫になってしまった。

だからこそ、口籠ってしまう。

「ちなみに、伊和里ちゃんはどんな『チーム』に入っているんだよ?」

「あたしは――」

 伊和里は冷め切った缶コーヒーを一気に飲み干して言う。


「チーム『無名(ノーネーム)』」


「……は?」

 薄ら笑みを浮かべた伊和里が何を思い何を考え、何を企んでいるのかなんて、憂馬には到底わかるはずがなかった。



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