憶測観測のイデオロギー
「ふふっ、ふふふ、ふははははははっ……」
「あーあ、呆気ない幕切れでしたねぇ……まぁ、真野さんが彼に浴びせたのは灯油で間違いなかったんでしょうけど――さすがに雪で湿った土を被った顔面を燃やすのは限界がありますよねぇ」
赤ヶ坂 行方の消え入るような笑い声に対して、花孫 和花は肩を竦めて大きな溜息を吐いた。
「それも仕方ないわ、そもそも潜在能力が全然違うもの。《連続殺人鬼》に然り、《通り魔殺人鬼》に然りね。最初からこうなることは予想していたし、結果もまた想定内よ」
「えー、ホントにいいんですか?仮にも『深刻数字』の仲間じゃないですか」
「あら、仲間だなんて、そんなこと過去に一度だって思ったことないわよ。それに少なくとも、湿った土を被った相手を燃やそうとする浅薄知慮な輩なんて私は知らないわ」
寒空の下、行方と花孫は雑居ビルの屋上で眼前で繰り広げられた戦闘を終始観戦していた。
真野は背後から忍び寄る影に気がつかなかったようだけれど、彼女ら二人には勿論、伊和里が去った素振をしただけということも、機を窺い息を潜めていたことも既知だった。
伊和里が公園を後にした後、そのままぐるりと外周を回り、再び公園内に生い茂る木々に飛び込んだ光景を屋上から目の当たりにしていたのだから、それもまた当然である。
同じ『深刻数字』の同胞として、真野にはせめてもの助け舟としてその情報を伝えるべきだったのだろうが、少なくとも、行方自身がメンバーのことを何とも思っていない以上、それがなされることはなかった。
仲間とは言え。
同胞とは言え。
この世界の根底には『自分の尻は自分で拭く』という考えが根付いているせいなのかもしれなかった。
しかし、そんな”世界”を生きる異常者全てにその通説がまかり通っているというわけではなく、花孫が所属する『血まみれの血統』では比較的仲間意識が強い。
極端に言えば、『深刻数字』というチームが異端なだけであって、『血まみれの血統』を含む他のチームないし組織とは根本的な部分から異なるのだろう。
同じビジョンを描けども、所属する彼らの行動指針はズレているのだから。
だから、何の助け船も出そうとしなかった行方が冷酷残酷である、という紐付けは決して正しいとは言えない。
とは言っても、本来は助けるべきだったのだろうし、助ける術がないわけでもなかった――行方自身は今更ながらにそう考えていた。
すでに時遅し、けれど、少なくともあんなにあっさりと殺されていい人物ではなかったと、後悔にも似た感情を抱いていた。
殺し殺されるのが極々当たり前の日常と化している世界でも、行方のように人の死を目の当たりにして、心のどこかに不燃物が残滓するようなまともとも言える人格者が少なからず存在するということは、この”日常”のせめてもの救いとも呼べるのかもしれない。
「ナンバー5――せっかく先日、やっと昇進したというのにね」
「真野さんのことですか?」
「そうよ、『深刻数字』と言うからには、属するメンバーにそれぞれ番号が割り振られているのよ」
「へぇ! そうなんですかっ! それは知りませんでした……ちなみに、行方さんは何番ですか?」
「わたしは3番」
「わぁ! さすが行方さんですねっ、凄い! 行方さんの強さは尋常じゃないですからねぇ……わたしもいつやられるかわかりませんよぉ……」
「ふふっ、別に強さだけで決まってるわけじゃないわよ」
行方は不安がる花孫に軽く微笑んだ。
「そう言うなら、そのナンバー3を封じ込めてるあなたの方が凄いんじゃないかしら」
「……んー、えへへっ」
「照れないで、別に褒めてないわよ。嫌味を素直に受け入れることができるなんて、どれだけポジティブなのよ」
本来は敵同士。
行方が属する『深刻数字』と花孫が属する『血まみれの血統』は、対照的な組織理念やビジョンから非常に険悪な関係だった。
まさに、犬猿の仲と言っても過言でないくらいに、互いが互いを忌み嫌っている。
『深刻数字』の目的が”世界”を牛耳ることならば、『血まみれの血統』の目的は平等な”世界”。
一見すれば、『血まみれの血統』が目的とすることは綺麗で理想的な世界に思えるかもしれないが、対立する『深刻数字』から見れば、それはただの弱気にしか捉えられない。
一般的な日常の中に潜み、隠れ、片身の狭い思いを強いられている《異常者》は互いが互いを支え合って生きていくべきだ――それはあまりにも弱気で内気なもので、自己の誇示と矜持を捨てた、自分自身を否定することと同義の方針であり、それこそが『深刻数字』には受け入れることができない要因の一つだった。
単純な組織の大きさで言うと、圧倒的に『血まみれの血統』の方が巨大だが、
「たとえ蟻が群れようとも、人の身をした俺はそれを軽く踏み潰す」
そんな風に、町屋 鶯はいつも彼らのことをそう卑下した。
「わたしたちは蟻じゃないです……」
花孫もまた町屋と面識があり、以前の対面で同じことを吐かれていた。
それを思い出した彼女は肩を落として俯いた。
「そうね」
「兵隊でも軍隊でもないです……」
「そうね、わかってるわ」
「海軍でも陸軍でも空軍でもないです……」
「わかってるわよ、それくらい」
「わたしたちは蟻じゃなくて、ケーキなんです」
「わからないわよ、それは」
「はっ! すいません、お腹が空いたのでつい……」
「ケーキと言えば、きっと彼がケーキじゃないかしら?」
「……彼?」
「《連続殺人鬼》の彼よ。言ってしまえば、彼は蟻に群がられるケーキだわ」
行方はぽかんとした表情をする花孫に視線を遣って、深く溜息を吐いた。
「じゃぁ、さっきの商談は結局、破談してしまったし――ご飯でも、行かない?」
「い、い、い、行きますっ! 奢りですよね! やったーっ!」
「はぁ……うるさいわね、ほんと」
行方と花孫は屋上から一階に降り、闇夜に姿を消した。
◆
「くふふふっ、夜子、いい獲物を見つけたよ」
「くふふふっ、そうだね、朝子、いい獲物を見つけたね」
「それじゃ、行こうか」
「そうだね、それじゃ、行こう」
赤ヶ坂 行方と花孫 和花の後を追うように、また二つの影がひっそりと闇夜に溶け込んでいった。




