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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EpⅠ Paradise Lost
12/44

 血々流々のトラインスタイル

 伊和里は機を窺っていた。

希望の依頼通り、憂馬を救出して保護するには相応の準備が必要だった。

闇雲に突っ込んだところで、百パーセント勝てる保証はない――どころか、正々堂々、向かい合っての勝負ならばおよそ五分五分、奇襲が成功したとしても勝利を確信することはできないかもしれない。

 何も、伊和里の能力が《放火狂人》真野 梶に劣っているというわけではなく、彼はそれほどの手練だった。

そして、いくら日常的に殺人を隣に置いているからと言って、根本を辿れば、この世界の構造は『殺すか殺されるか』なので、慎重にならざるを得なかった。

慎重に越したことはない――策は必要だ。

しかし、知的な印象を与える外見とは裏腹に、伊和里は作戦を練るということが苦手で、むしろ下手な策を弄するよりもシンプルに襲撃する方が得意である。

一切の無駄を省いた殺人こそ、彼女が抱える美徳でもあった。

 慣れない策を弄して死ぬのなら、自分のスタイルを貫いて死のう。

 伊和里は自らの弱点をひどく認識していたし、その上で首尾一貫の姿勢を保っている。

 だが、それなのにどうして伊和里はなかなか動けず、機を窺うことになってしまったのか――まさか憂馬が真野と対峙するとは思ってもいなかったので、その状況に奇を(てら)ったからだった。

あのまま憂馬が首を絞められ続けていれば、すぐにでも飛び出していたけれど、しかし、状況はそうではない。

 わけがわからないはずなのに。

 どうして自分がこんな目に遭っているのか理解できないはずなのに。

 夢ではないかと現実逃避でもしそうなものなのに。

 頭が真っ白で状況整理すらままならないはずなのに。

 どうして――

 どうしてあんな目をすることができるのだろう。

 どうして――

 どうしてあんなにも強いのだろう。


「……あんたは強い」


 伊和里は憂馬の姿を見て独白した。

 思えば、伊和里が初めて異常者として周囲に認識され、それを自覚した頃、己の異常性をひどく呪ったことを覚えていた。

どうしてあたしはこんなにも狂っているのだろう、生きる価値すらない、呪われた人間だ――そんな風に自暴自棄に陥った。

 人を殺すことが嫌いだった――いや、心のどこかで、自分は一般的な真人間であると思い込んでいたのかもしれない、けれど、殺人で得られる愉悦は勘違いも甚だしいそれを木っ端微塵に吹き飛ばした。

 異常性を認めたくない自分と、殺人行為で快感を覚える自分。

その二つの差異に、伊和里は心底悩まされた。

未だにその悩みが解消されたわけではないけれど、考えるよりも先に行動する伊和里にとって、その程度のことは悩むだけ無駄で、吹き飛ばす方が早かった。

悩みの種を撒いて、水を与えずに忘れ去ることが何よりも救いになったのかもしれない。

 しかし、伊和里を苛む悩みの原因は、頭で理解して納得するよりも早く認識させられる。

自身が異常者だということは、嫌が応にも自覚させられる。

いくら現実から目を背けても、人を殺してしまっている自分がそこにいる――だから結局、根本的な悩みの解消は叶っておらず、むしろ日々次第に強みを増す『肯定的な自分』と『否定的な自分』を感じざるを得なかった。

 シンプルだからこそ、真っ向から自分と向き合ってしまう。

やはりそれが、悩みを増幅させてしまうことに繋がるのだった。

本来はそれを忘れ去ることなんて到底できないだろう。

けれど、少なくとも人を殺す過程においては、異常者である自分を認めていた――悩みなんて忘却してしまうほどに無我夢中だった。

だからこそ、伊和里は己と葛藤しつつも、これまで生き残ることができたのかもしれない。

 心のどこかではそんな自分を認めて、認識していたのだ。

 なのに。

 なのに、


「なのに、あたしは未だに迷っている……」


 今なら背後から真野を襲うことだってできるだろう。

 慎重になりすぎているのかもしれない。

 けれど、本当にそうなのだろうか――それが迷いではなく、躊躇ではなく、一体何だと言うのだろうか。

少なくとも、憂馬を救出するという任務においては、状況判断に徹しなくとも、すぐに駆け寄れば済む話だというのに。

 機を窺う、なんて都合の良い言い訳だった。

 こんな世界だからこそ、慎重にならざるを得ないなんて、ただの言い訳だった。


「こんなにもシンプルなあたしが迷っているのはどうしてだろう」


 《通り魔殺人鬼》――ノープラン。

 その名こそが、未だに伊和里を締め付ける要因だったのかもしれない。

認めたくない自分の姿で、だけれどそれが本当の自分の姿で――その葛藤はやはり彼女を苦しめるには十分だった。

 シンプルだからこそコンプレックスで、

 単純が故に複雑で、

 長所であり短所で、

 簡単なのに難解で、

 明快なのに不明で、

 コンプレックスだからこそシンプルな――自分。

 けれど。

 本当は認めたくないけれど。

 一つだけ。

 ただ一つだけ。

 自分が自分だと認識していることがあった。

 他でもない、『あたし』が『あたし』だと理解していることがあった。

 元の生活に未練がないわけではない。

 過去に残した友人に心残りがないわけではない。

 離れ離れになってしまった両親に孝行できなかったことを悔やまないわけではない。

 みんなと同じように遊び、学んで、恋愛をして、時折泣いて、その倍笑って、惰性に過ぎない日常生活に復帰したくないわけではない。

 未練はある。

 心残りもある。

 後悔もある。

 罪悪感もあるし、口惜しい気持ちもある。

 寂しくもなるし、悲しくもなる。

 泣きたいときだってある。

 強がる自分に疲れることだってある。

 日々葛藤する自身に呆れることもある。

 どうして自分だけ、と悲観的にもなる。

 自虐的に、自らを追い詰めてしまうこともある。

 だけど。

 だけれど。

 どうしても諦めなければいけないことだってあるものだ。

 名残惜しく、手を振らなければいけないことだってあるものだ。

 過去は振り返るものでも、後悔するものでもない――むしろ回想して思い出に浸るものでもない。

 過去は。

 過去は――過去は諦めたものだ。

 己が諦めたものが過去だ。

 だから、昨日は諦めよう。

 そして、今日を認めよう。

 昨日の自分は死んで、今日の自分は生きよう。

 ほんの少しだけでも自分を認めよう。

 『自分』が『自分』であることを認めよう。

 本物だとしても偽物だとしても、間違いなく自分は自分だと認識しよう。

 確かにここに存在して、

 確かに今を生きている――その自分を認めよう。

 そして、向き合ってみよう。

 撒いた種を忘却するのではなく、目一杯の水をやって、月の光を浴びせて育てよう。

 どんな実をつけるのかはわからない。

 何を実らせるのかもわからない。

 自分が実りある者になれるのかもわからない。

 わからないから、育てよう。

 育てて初めてわかるものもあろう。

 そう、

 そうなのだ。

 未来のことなんて誰も見えないのだから、先のことなんて誰にもわからないのだから。

 なら尚更、都合がいい。

 シンプルさが故に複雑な自分にとっては打ってつけのことだ。

 先のことなんて、知らない。

 未来のことなんて、知らない。

 ならば、

 ならば今を考えよう。

 

 今を生きよう。


 伊和里の悩みは一時的に払拭され、心からそう思えた――

 

 




「まず、腹を刺す。そして胸を刺す。顔を刺す。もう一度腹を刺して引き裂く。さらに顔を刺して引き裂く。目玉を抉り取って、鼻を切り落とす。皮を削いでから耳を切り落とす――」






「手足の爪を剥いで、歯を砕く。舌を二つに割いて引き千切る。関節を逆に折り曲げる。手足の指を折り曲げてから切り落とす。口を頬まで裂いたらそこに爪と指を詰め込む。首を開いて脊髄を折って、神経を抜く――」





「最後に頭をかち割って頭蓋骨を砕く。そこから脳髄を引きずり出して、脳味噌をかき混ぜる。ぐちゃぐちゃになったスープを裂いた口の中に注ぐ。空っぽになった頭には鼻と耳を詰めて血を注ぐ。頭に手を突っ込んで、またかき混ぜる。そして――」




そして、最後に――




「あなたの道を無くしてみせよう」




 伊和里は奇襲をかけるわけでもなく、憂馬と真野が対峙する空間を目指して闊歩した。

 か細い手に握られているのは怪しく煌く短刀。



「《通り魔殺人鬼(ノープラン)》、始めます」



 伊和里は短刀を振り下ろした。

 閑散な住宅街に、一人の絶叫がこだました。




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