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 1 ・二千十四年五月中旬(3)


 藤沢恵理紗と初めて長い間会話したのは中学二年のあの男女分かれての討議の、一週間後だった。

「どうして一度も革命なるものが、成功していないと思う?」

 彼女は利用者がほとんどいない図書室の窓際の席に腰掛け、日の光を長い髪に――そのころはまだ長かった――受けながら、課題に取り組んでいた。確か、世界史の授業の課題だったように思う。今までに習った内容から興味・関心のある事柄を自由に決めて、それについて調べ、考え、レポートのようなものを作れという、どちらかといえば勉強というよりは息抜きといった感の強い課題だった。

 多くの生徒が三国志についてだとか、ロココ調についてだとか、十字軍についてだとか書く中、恵理紗が選んだ主題は、「革命について」だった。

 政治家養成所でもなければテロリストの学校でもない、平凡な県立だか市立だかの中学校に通う子供としては、ちょっとばかり大人びているといえるかもしれない。

「歴史上『革命』なるものは何度も登場してきたし、それに対して「成功」の二字が続けられたことも何度もあった。ロシア、フランス、清教徒……おびただしい数の国の独立と、政権の生成消滅。瑞穂くん、革命というものは、どういうものだと?」

 少々考えた後、僕は色気の全然無い、淡白な答え方を選んだ。

「体制や構造の、根本的・抜本的な変化」

 恵理紗は、確か一瞬だけ驚いたように目を見開き、それからすぐに続けた。

「そう。根本的な変化。だけど有理、数千年の人類の歴史の中で、根本的に変化したものが、一体どれほどあると思う?」

「……色々あるんじゃないかな。文明なんて昔とは比べ物にならないし――」

「確かに、文明的な意味での革命は成功したかもしれない。けれど、政治的、思想的な意味での革命は?」

 それだって色々成功して、多くのものが変わってきただろう、と僕は言いかけて、止めた。違和感に気づいたせいだった。

 民主主義。共和制。資本主義と社会主義。共産制。

 脳裏に浮かんだのは、襲った村で略奪を楽しむ中世の傭兵部隊と、数多くのカメラに向かってイラクと戦争すると意気込む海の向こうの偉い人の姿だった。突撃する騎馬と、降り注ぐ火矢が見え、同時に、並んで立つ二棟の高層ビルに飛行機が突き刺さる光景が見えた。

「文化と文明を発展させ、人口を増やし、総体としては豊かになりつつある一方で、悲惨な搾取や戦争はなくならないし、死者の数だけを見るならばむしろ悲惨さを増している。最早先進国の一般大衆は、自身が潜在的加害者であることを忘れるための方便なしには生きていけないし、後進国の貧民たちは虚無に落ちる寸前に残った僅かな憤怒でもって自爆テロに及ぶことになる。ボランティアを、支援を、愛の手を、と謳いつつも、先進国の赤ん坊の心臓移植に莫大な金額の寄付が集まる一方で、名前も知らないアフリカの黒人の子供には同じだけの支援がなされることは無い。コンビニでは食糧支援機構へ売り上げの一部を寄付していると誇らしげな店内放送が流れる一方で、裏口からは業務用ゴミ袋一杯に賞味期限内の食品が詰め込まれて廃棄される」

 質の良い木材で出来た床をリズミカルに、且つ静かに歩む足音のようだと僕はぼんやりそんなことを思った。恵理紗の声は、語る内容に反して――あるいは適して、準じて、というべきか――耳に心地よいものだった。

「資本主義も社会主義も、根本に抱える問題は同じで、だから双方とも自分の主義と矛盾するような特例や例外を設けてシステムの重大な欠点を隠そうとする。累進課税制、経済特区の制定……それも、一時しのぎにしかならない。

 資本主義においては貧民はまともなチャンスすら得られず、富める者は何の努力をしなくともそれなりに儲けられる。社会主義にあっては、努力の意味が霞む。

 理想的な資源の分配方法というものは、本来小学生にだって分かる単純な方法でしかない。つまり、優れた人間、勤勉な人間、善き人間に多くの資源を与えればいいということ。個々人の価値を可能性を含め正確に計り、それに基づいて分配を行う。価値のある人間には多く、他方には少なく。問題は、価値を図るだけの価値を持った人間がほとんどいないということ。

 無数の革命が起こり、成功したといわれながらも、世から悪徳が消えず、くだらない欺瞞と恥ずべき醜態がはびこり、奴隷化や搾取が無くなってはいない理由。あらゆる革命が、真の意味で成功してはいない理由が、それ」

「それ?」

「価値を持った人間の少なさ。今のところ社会は、大多数が賢くも無ければ特別勤勉でもない人間によって構成されている。本当に優れた考えを持ち、善とは何かを深く考え、正しさを洞察し、真に『世のため=自らのため』を考えて動ける人間は、ほんの少数しかいない。どんな分野でも、秀才や天才は、その他大勢の凡人より圧倒的に少ない。だから、革命は成功し得ない。民主主義は衆愚政治にしかなりえないし、選挙は馬鹿げた人気投票にしかならない」

「民主主義以外では? 独裁とか、あるよね」

「どんな政治体制も結局は民主主義の亜流にしかなりえない。いかに冷酷な力を持った独裁者といえどその権力基盤は、大衆が生み出す資源・経済に他ならない。本気で民衆が独裁を拒否するなら、独裁者には対抗策は無い。ライフルを突きつけ、一人ずつ撃ち殺していこうとも、民衆全員が「この国に従うよりマシだ」と考えたのならどうしようもない。国民全員を殺せば、ただの荒野が残るだけ。

 ほんの少数の優れた人間が革命を起こそうとしても、だから、成功しない。大衆は賢くないし、善について考えもしない。テレビ番組の募金企画に参加して自分は悪人ではないと信じ、その帰り道に何十人もの子供を飢餓から救い向こう何年も学校に通わせるだけのお金を使って楽しくショッピングする。その程度が関の山で、彼ら彼女らは例えば全世界の飢餓民を現状の地球上の資源で出来る限り救うために明日から肉を食べるなといわれれば、猛反発するし、戦争だって平気で起こす」

 髪同様に色素の薄い瞳に、外からの陽光と、室内を照らす蛍光灯の光が混ざり合って当たっていた。綺麗な鳶色が、遠くを見つめていた。

「僕たちだって、良い物食べて豪華なベッドで眠るよ。藤沢さんだって」

「覚悟はある?」

 訊かれて、戸惑う。覚悟?

「わたしは昨日、二百八十円のカップラーメンが夕食だった」

「庶民的だね」

「たまたま父さんも私も時間が取れなかったから。でもその一食で、数人分のワクチン費になる」

「いや……そりゃ、そういう話はよく聞くけどさ……?」

 僕は話の方向が急に抹香臭くなったように感じて、苦笑いを浮かべた。日本は豊か。小学生のお小遣い分の金額で、何人もの最貧国の子供が餓死から救われ、学校にだって通えるようになる。よく聞く話だ。

 だけど、だからって何が出来る? 今すぐ世界の経済構造を変えられはしない。僕が最貧国を想って食事を控えたところで、何にもならない。僕も彼女も、先進国に生まれ、先進国で育った。今更、すぐには何も変えられない。毎日おいしい食事を食べて、柔らかなベッドで眠るしかない。ぎりぎりまで我慢して途上国めいた暮らしを模倣して見せたって、何の意味もない。結局、食べるしかない。

 だけど恵理紗は、そんなこととっくに理解していた。理解した上で、次の言葉を放った。

「だから私は、何人かの子供を殺すつもりで食べた」

 引きつった笑いを浮かべていいものかどうか、僕は正直なところたっぷりと迷った。相手が彼女でなければ、馬鹿馬鹿しく一蹴するに決まっている。

 じっと、ぶれず揺れず反応を見逃さない視線。恵理紗は、冗談でも誇張でも欺瞞でもなく、言葉を口にしていた。

「どんなきれいごとを並べたって、現在の人類じゃあらゆる経済行為は無限に資源と人が用意できない限り、搾取のし合いになる。何も分からない幼児期ならまだしも、常識的に貧しい国々と富める国々の関係が分かる中学生にもなって、覚悟から逃げるようなことは、したくない」

 人を深く傷つけたり、人から一方的に奪ったり、あるいは殺したりする理由なんてものは、容易には上げられない。そんな正当性はこの世には無いのかもしれない。けれど、既に加担している行為について、止めるかどうかを選ぶことが出来るとき、人は覚悟を持って自分で選ぶことが出来る。

 そして同時に、覚悟を持たない人間は、選択を避け、見ない振りをして、惰性で行為を続けることになる。

 藤沢恵理紗は、覚悟の人だった。言われてみれば当たり前に必要な、けれど多くの人々が持ち得ない覚悟と共に生きる人間だった。

「わたしたちはどうしたって犠牲なしには生きられない。他の動植物を食べることは当然だけれど、それ以前に、物理的に存在している時点で空間を占有する。誰もが、世界からリソースを奪わなければ存在できない」

 人は、山と積まれた犠牲の上に立っている。

 フレーズだけを聞いてみれば、ありきたりな言葉ではあった。けれど恵理紗のそれには中身が伴っていたし――それにこれはこの時より少し後になって知ることなのだが、伴っていたのは中身だけではなく、経験も、だった。

「革命において必要なのは、独裁者や富裕層を引き摺り下ろして十字架にかけることじゃない。そんなことをしても何にもならない。なぜなら、引き摺り下ろした庶民の多くが、出来ることなら彼らに成り代わりたいという考えを顕在的にしろ潜在的にしろ持っているから。真の高潔さでもって悪を討つのではなく、ただの怒りと、嫉妬と、生活苦から暴力を振るうに過ぎない……革命を、誰かを討つことでなそうとするならば、真の革命家は七十億人を相手に闘わなければならなくなる」

 キリストもソクラテスも、死刑になったんだよ……。

 恵理紗はほとんど声に出さず、唇の動きを僕だけに見せてそう付け加えた。

「……なんだか、藤沢さんがテロリストに見えてきそうだ」

 ぼそりと呟くと、そういう言葉を待っていたというように、恵理紗はそれまで硬くしていた表情を一気に和らげた。

「もしかしたらもう、瑞穂君の鞄に何か仕掛けてるかも」

「ああ短い人生だった」

 軟化した空気に安心しながらややオーバーな身振り付で言う。

「なんか、変だよね。こういうの。ちょっと……おかしいかも。うん、頭の変な女だ」

「いや……まあ、ちょっと眉根を寄せる人はいるかもね」

 僕は大分控えめに表現する。

 花の中学二年生と聞けば、大半の大人はもっと分かりやすいものを望むだろうから。自分たちの経済行為の正当性に本気で疑義を唱えたりする子供は、想像してたのと違う、ということにもなるだろう。けれど。

「引いた?」

 恵理紗が、笑顔のまま、しかし少しばかり慎重さをうかがわせる声音で訊いてくる。

「いいや。でも吃驚はしたかな」

「そうだよね、やっぱり……」

「いや、多分そっちが考えてるのとは違う理由で。何と言うのかな――」

 僕もまた同じようなことを考えたことがあるからだ、と、間を置いてから僕は続けた。


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