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 4 ・二千十四年七月末

   4 二千十四年七月末


 ざまあみろ、と誰かが口ずさんだ。

 僕だ。何十何百、何万何億もの僕。大勢の僕が立ち並び、皮肉っぽく顔を歪ませて笑っている。その足元には、何十何百何万何億もの少女が伏している。

 エルザ・イライザ・エリーズ――エリサ。

 ざまあみろ。長く暗く寂寞としたどこかに、その一言が響き続ける。

 反響する声。どこかの僕の声――。

 それをかき消すように、別の声が聞こえた。

「有理は、もっと別の可能性を生きられる」 

 聞いた途端に、狂おしいほどの郷愁が感じられた。全身の骨も筋も臓腑も何もかもが、手を振り上げ喉を枯らして求める声だった。

 僕は、そんな感覚に突き動かされるようにして、呟いた。

「恵理紗?」

「有理」

 間髪いれずに名前を呼び返される。僕は何がなんだか分からず、けれど無性に安心する。いくつもの宇宙の、いくつもの自分を見て、味わって、薄まってしまった自分の輪郭線が力を取り戻すような気分を味わう。

 左手の指先に温度を感じた。繊細でほのかな暖かさ。

 僕は、その暖かさを瞬時に数字に置き換えることが出来た。35.4℃。恵理紗の平熱だ。僕と恵理紗は肌を触れ合わせることなんてそれほどないけれど(思春期の男女の、やや玄妙な友人同士であるがために)、時たま肩や手先に触ったり、お互いの足同士がぶつかったりしたときに、僕は何度もその温度を味わっていた。

「私、平熱が低いかもしれない」と中学三年のときに恵理紗がそう言って自身の体温を教えてくれて以来、ずっと覚えていた。35.4℃。どこにも行き着く先を見たことのない僕にとってもっとも、この世が「しっくりくる瞬間」を与える、祝福の温度。

 じっくり説明すれば間違いなく変態的だから誰にも話したことがないが。

 ともかく、その、彼女の体温が、僕に触れていた。多分、僕が未来都市や地下牢獄や古い欧州の町や二千一年の物騒なアメリカにいる間中、ずっと。

 そいつを意識した瞬間、僕はデコヒーレンスした。拡散した意識、広くに目を向けすぎて散らばった僕というものが、還ってくる。

 目をあけた。現実の目を。張り付く上下の瞼、弱い光でさえ眩しく痛みと共に突き刺さってくる瞳。何もかも野暮ったく感じられる。肉体、物的証明――この世の自ら。

 僕は、首に力を入れた。死にかけのセミみたいな音が喉の奥から聞こえた。苦労して何とか横を向くと、思った通りそこに、恵理紗の姿があった。

 どうやら僕はベッドに横たわっているようだった。入院経験がないから確証はないが、病院の一室だろう。カーテンで区切られたスペースに、大きなベッドと僕が配置されている。

 ベッドの脇には小さな椅子が置かれていた。見舞い客のためのものだろうか――そこに恵理紗は腰掛け、半ば僕のベッドに寄りかかるような姿勢でいた。彼女の手が、僕の左手に軽く触れているのが目に入る。

 なんだかどこかで見た光景だった。僕は心の中で苦笑する。

 すぐに、恵理紗は僕の覚醒に気がついたようだった。僅かに目を見開いた。瞳がきゅっと収縮し、それから緩んだ。

「……有理」

 唇が微かに動いて、僕の名前を象った。

 僕はなんだか急激に、喉の奥が詰まるような感覚に囚われた。今、ここに、恵理紗がいるのだ。あらゆる宇宙で手ひどい別離を経験することとなった、僕にとっての絶対性が。

「……ただいま」

 そんな言葉が出た。少々間抜けではあるかもしれない。事故に遭って、目を覚まして第一声がこれでは。

 けれど、恵理紗は少しも変な顔をしなかった。至極当然といった風に、少しだけ僕の左手を握る力を強くして、言葉を返してきた。

「おかえり。有理。それから――」

 続けて、恵理紗は何かを口にした。けど、僕はそれを聞き取ることが出来なかった。猛烈な眠気があり、倦怠感があり、ついでに言えば今更ながらに痛みもあり、朦朧としていたために。

 おかえり。おかえり、有理。

 それだけで安心してしまった。だから僕はもう一度眠りについて、それから――

 それから、恵理紗をもう一度見失うことになった。


   *


 僕の怪我は結局大したものではなかった。右腕の肘と手首の間の骨が二本とも折れたのが一番大きな怪我で、次点が脱臼と左足親指の亀裂骨折。後は打ち身や擦り傷、その他色々小品ばかりだ。

 背中を強く打ち、元々の気分の悪さもあって気を失いはしたものの、別に脳だとか内蔵だとか、大変なところを壊したわけではないというのだから、幸運ではあるもののそれで気絶までしたのは、少し恥ずかしい気がした。

 入院は思った以上に短く、たった一週間半だった。腕は手っ取り早く手術で処置することとなり、小さな金属製の添え木みたいなものを腕に埋め込んで骨を繋いだ。半年後くらいに、骨が完治したのを確認して取り出すらしい。

 単純な怪我による入院ということで、手術の前後を除けば食べることも話すことも全く心配せずに行うことが出来た。同室の患者さんたちも同じようなものだったから、見舞い客は病院内にあっては陽気な雰囲気の人々が多かった。

 演劇部の面々はかわるがわる数人ずつで見舞いにやってきた。僕は皆に自分の不注意を詫びたが、部長はその謝罪に対して『怪我人がしつこく謝るようなら容赦なく殴る』と気遣いなんだかスパルタなんだかよく分からないことを言ってのけた。

 劇の練習具合が気になりはしたけれど、皆の様子を見る限り問題はないみたいだった。演出は恵理紗がきっちりつけているという。

 ありがたいことに、下級生も含めて全ての部員が、一度は僕の元を訪れた。

 けれど、恵理紗は、僕が夢うつつに目を覚ましたあの時以来、病院に姿を現さなかった。

 退院する頃には、いよいよ舞台本番、地区大会が、すぐそこにまで迫っていた。

 

   *


 恐らく――実感としてはほとんど確実に――ソフィアの言っていたあの怪しげな宇宙に関する話は、本当の話だったのだろう。

 事故に遭って気を失い、再び目を覚ますまでのたった十時間に満たない間に、僕は膨大な数の宇宙を目にしていた。何人もの僕が、それぞれの宇宙で価値を抱えて右往左往し、そして最後には恵理紗を失い崩れ落ちる――あるいは先に僕のほうが消えて、恵理紗が残される――そんな光景を『味わって』きた。

 これまでになく、僕は別宇宙をはっきりと見ることが出来たわけだ。この厄介な超能力もどきが何なのかは本当に分かったものではないが。

 ただ結果として、いくつもいくつも別の世界の別の僕を見て、時に一体化したように物事を感じ、考え、悲哀に吐きそうになって――そんなことを経験する中で、僕は、何かを見つけた気がしていた。

 何か。何か――ひどく、大事なこと。

 僕が、自らの絶対的な願いのために、必要とするもの。

 そいつはなんとも不定形で、はっきりとしなかった。手を伸ばして触れてみようと思っても、すり抜け、逃れ、影すら踏めない。自分の視界の盲点を見ようと眼球をあちこちせわしなく動かすようなものだった。どうにも上手くいかない。

 退院から地区大会までの数日を、僕は通院の合間に部活に顔を出して過ごした。恵理紗とは、ほとんど口をきかなかった。いよいよ本番をすぐそこに控えて、忙しかったし、それに、僕と恵理紗の関係は互いの親によって色紙を水につけたみたいに変色したままだ。

 ソフィアとは少し話をした。

「助けてくれても、良かったんじゃない?」

 そう僕は最初に訊いた。ソフィアの正体は既に分かっていた。彼女はただの美少女でもなんでもない。時空をかける超意識体、ソフィア様だ。

 彼女はけろりとした顔で、「ごめんなさい。でも、いい経験になったでしょ?」

 と言ってのけた。僕が別宇宙を強く認識できたことを言っているらしかった。

「別に、あんなのが見えたからって、どうなるものでもないだろ」

「本当に?」

 面白がるように、彼女は顎を引いて、上目遣いに僕を観察した。僕はなんとなく耐え切れず、話を逸らした。

「もうすぐ『進展』するって言ってたのは、事故のこと?」

 まさか、あれしきの出来事で、僕と恵理紗の間がどうにかなるとでも、思ったのか。そういうつもりで言ったのだが、ソフィアはすぐに否定した。

「いいえ。進展っていうのは――うん、もう少しすれば、きっと、分かると思う」

 それから、目を細め、少しだけ酷薄な笑みを浮かべてみせた。

「ねえ、瑞穂有理、今でもあなたには、無限の宇宙たちが、前と同じように、見える?」

 そんな言葉を残して、ソフィアとの会話は打ち切られた。部長がソフィアを呼び、舞台に連れ戻す。

 ――いい経験になったでしょ?

 ――前と同じように見える?

 僕は、その日、自宅で意識をぼかして、認識のピントをずらしてみた。以前と同じように、多くの宇宙を、別世界を、垣間見ることが出来た。

 しばらく別宇宙の幻に目をやり――そこで僕は、気がついた。

 はじめは、小さな違和感だった。次第にそれが、はっきりと、なんであるか認識できるようになった。

 それは、「不足」だった。なんと言うべきか――見えるはずなのに、見えないもの。これもまた、盲点みたいなものか。感覚的であやふやな話ではあるけれど、僕には、以前に比べ、見える幻が――別宇宙が、少なく感じられた。

 なんだろう、これは。

 恵理紗との関係。はっきりしない『大事なこと』。ソフィアの言葉。何もかもが、曖昧で、突き抜けることが出来ず、辿り着くべき場所が見えない。

 結局僕は口に出来ないもどかしさを抱えたまま、地区大会を迎えた。


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