1 ・二千十四年五月中旬(2)
「転校生がいます」
という台詞を聞くのは、僕にとって人生で二度目だった。一度目は、自分が中学二年の春に越してきた時だ。漫画でよくあるシチュエーションだし、全国で年何人の転校生が生まれているかを考えれば、珍しくも無い場面ではあるのだけれど、この日のそれはいくつかの理由ではっきりと珍しすぎた。
一つ、今日は五月も半ばであるということ。新学年・新学期開始から一ヶ月以上経過したこのタイミングに転校というのはなんとも不思議な話だ。
二つ。担任教諭の隣、教壇の中央に立つ転校生が、文句のつけようが無いプラチナブロンドと深い緑色の瞳――濡れた緑の色だ――に加え、海の向こうの映画からそのまま抜け出してきたような西洋白人美少女的相貌を備えていたということ。
壇上に彼女が立った瞬間からしばらくの間、騒がしい朝の教室は打ち捨てられた納骨堂のような静寂に支配された。
「ソフィアといいます。よろしく」
ほんの少しも物怖じした様子無く、壇上の少女は自己紹介する。ヨーロッパの何とかって国からきただとか、父は日本国籍を持っているだとか、日本はとても面白そうな国だ、なにせ血液型性格診断なんてわけの分からないものがある国だから、だとかそういう話を楽しそうに、自然な日本語で彼女は語ってみせた。
担任の女性教師はどこかしら圧倒された様子だったが、それは生徒全員もそうだった。
「ええと……何か、皆さんのほうからはありますか?」
一通り自己紹介が済んだ後で、担任はクラスを見回して訊く。すぐに手や声を上げる者はいなかった。
左右に綺麗に分けて整えられた、銀に近い長い髪。美しく白い額に、勝気な気配の強い目元。中年親父が大抵は喜ぶはずの女子生徒用の制服が、絶望的に似合っていない。皆、そんな彼女を見つめているだけだ。
「ゲームっつーかコスプレみてぇな感じ……」
小さく零したのは、近くの席に座る男子生徒の一人だった。
なにもないようなら、と担任が先を続けようとしたタイミングで、ノリのいい生徒の一人が意を決したようにタメを挟んでから声を発した。
「部活とか、決めてますかー?」
いかにもお調子者然とした口調に、教室のそこかしこから小さな笑いが上がった。しばらくしてから、「バスケ部マネージャー募集してんだけど」とか、「一緒にバレーやろうバレー」だとか、主に元気のいい男子中心に冗談交じりの誘い文句が飛ぶ。なにせ間違いない美人だ。一旦声をかけ始めればあとは調子付いてしまうのも分からないわけではない。
だが当の本人は、そうした盛り上がりを一気に断ち切った。誘い文句の切れ目を狙い済まして、はっきりと宣言したのだ。
「ごめんなさい、部活は、もう決めていて」
それから彼女は、こちらを――つまりは僕のほうを、見た。偶然か錯覚かとも思ったが、はっきりと彼女は、僕に視線を合わせていた。それからゆっくりと、瞳の向きを変えた。自分から離れていく視線を追うと、その先には窓際の席に座る、恵理紗の姿があった。
「演劇部に、入りたいと考えてます」
*
演劇部というのは少しばかり奇妙な立ち居地の部活である。
一応文化部ではあるのだが、肌を焼くような照明の熱を受けながら長時間舞台上で大声で台詞を発し、時に激しく動いて演技するということの性格上、その活動は運動部よりであるとも言える。地区大会から県大会、ブロック大会に全国大会としっかりした大会が用意されており、全国まで行けばテレビ放映だってされたりする。そういう意味ではメジャーな運動部とあまり変わらないし、「分かりやすい部活」のうちに入ると思うのだが、どうしてか今一歩認知度が低い。
吹奏楽や美術に比べて、大会や活動内容に関してあまり知らないという人は、多いだろうと思う。
そういうわけで、ともすれば物を知らない職員連中から軽視されかねないという危機感を持っている我が校の演劇部は、勢力増長の一助となる新入部員に対しては非常に好意的だった。部員の多くが――ほとんどは女子部員なのだが――とにかく可愛いもの美しいものに目がなかったという事情もあって、話題の外国人転校生・ソフィアは大いに歓迎されることとなった。
「すごいねこの髪。ウィッグいらないじゃん。やたら質良いしさ」
僕や恵理紗と同じ二年生の部長は、二秒でソフィアの入部を受け入れ、さっさと書類をそろえて顧問に話を通してしまってから、じっくりと彼女を眺め、撫で回していた。
「これは凄い部員が入ったよ。脚本、今から少し手加えよっか。これはもう舞台に上がってもらうしかないよ」
「でも私、初心者ですよ?」
「そんだけ可愛けりゃ立ってるだけでも客引きになるから」
「うわぁ、えげつないですねー」
「まあそれは若干冗談だとして」
「若干なんですか」
こほん、と咳払いの真似をしてから、部長は自信たっぷりに告げる。
「立ち振る舞いからして向いてそうだからさ。有理や恵理紗から自己紹介のときの様子聞いたし、今見てても姿勢は綺麗だし初めて会う相手真っ直ぐ相手見据えるしで、良い感じなんだよ。それにどう見たって筋肉もりもり体力タイプってわけでもなさそうだし、役者が適任かなって」
それに関しては、僕も皆も同感だった。
「じゃあ、恵理紗に有理、変更も含めて脚本早めに、よろしく!」
びっと指を突きつけてこちらを指す部長に合わせて、ソフィアもまた「よろしくお願いします」と悪意ゼロで言ってくる。
なるほど、そうなるのか。僕は恵理紗と視線を合わせて、同時に複雑な顔になった。
その日の――ソフィアの転校&部活動参入初日の――活動は、ほとんどがソフィアの歓迎に費やされた。基礎練習のさわりの部分だけを彼女に体験してもらった頃にはすっかり部活終了時刻になっており、早めの解散を部長が皆に命じた。
「あ」
皆と別れて恵理紗と共に二人で校舎裏の通用門まできたところで、僕は間抜けな声を上げていた。
「どしたの?」
恵理紗が訊いてくる。僕はポケットに手をいれると、中にある小さな金属を掴んで引き抜いた。
「部室倉庫の鍵。そのまま持ってきた」
「あー……」
「すぐ返してくるから、先に帰ってていいよ」
「いいよ、そのくらい。門出たところで待ってるから」
「悪い」
恵理紗の好意に甘えつつ、きびすを返す。軽く走って校舎の中に戻り、急ぎ足で職員室へと鍵を返し、さっさと廊下に戻る。
人影の少ない階段を駆け下りて下駄箱へと辿り着いたところで、背後から声がかかった。
「ずいぶん急いでるね」
ソフィアだった。ところどころへこんだモルタル作りの床や色気も何も無い蛍光灯を背景に、冗談みたいにきらきらと輝く白金の髪が揺れていた。
「……えーと、まだ帰ってなかったの、ですか?」
なぜか敬語っぽくなる。
「そ。君、瑞穂有理を待ってたからね」
「待ってたって……」
軽く首をかしげて、僕は眉根を寄せる。今僕が校舎内にいるのは、自分の間抜けのせいで、偶発的な事態の結果だ。それがなければ今頃は――
「それがなければ今頃は恵理紗とスーパーにでも寄って、適当な夕飯のための適当な買い物でもしてるかもしれない」
思わず息が詰まる。今のは、僕が言ったんじゃない、よな、と自分に確認する。
前の前に立つ少女は、勝気な瞳の中にからかうような色を浮かべていた。桜色の唇が続けて素早く動く。
「スーパーって、ココから一番近いとこでも十分はかかるよ。正確には『そこに行く途中だっただろうに』じゃないかな」
「い、いや、そういうことじゃないというかそんなことはどうでもよくて」
「ちなみにあそこの惣菜コーナーの十八円コロッケは世界遺産級だからお勧めで」
「尚更どうでもいい」
「どうして内心を見透かされたのか?」
「そうそれ」
「あてずっぽだよ」
んなアホな、と言いかける僕に、彼女はけらけらと笑ってみせる。ごめんごめん、ちょっとからかった、と柔らかに付け加える。
「でも、まんざら嘘でもないよ。きっかり次の台詞だとか思ってることだとかを言い当てるのは難しいから」
半秒くらいの間に、僕の顔はおそらく疑問符で埋め尽くされたと思う。
「え、何、エスパーなの? 心理士? 神様? 思春期男子にしか見えない妖精?」
「いやあのね、ううん、まあ、なんでもいいよ」
良いわきゃないだろ、とは思うのだが、こちらをじっと見据えるソフィアの妙な迫力に気圧され、言葉を飲み込む。
混乱しつつ、しかし一つ、はっきりしていることもあった。早く切り上げないと、恵理紗が雨の中外で待ったままだ。勝手に帰るにしても彼女は今日は――
「今日は、帰る先がいつもと違う。結局自分が帰らなければどうにもならない」
今度こそ本当に、頭蓋の内側が真っ白になる。
一字一句丁寧にトレースしたかのような言葉。僕は比較的、普段ものを考えたりする際頭の中で言語化するほうだと思うのだが、その脳内にしか存在しないはずの言葉を目の前の少女は丁寧に読み取り、口に出している。
占い師や心理士、一部のビジネスマン、刑事など、対人関係における技術・知識が必要な職につく人間の中には、まるで相手の考えを見透かしているかのような言動を取ることのできる者もいるだろう。が、ソフィアというこの少女が行っているのは、そうした次元の話ではなかった。
「君は……」
「悪意は無い。ばらされたくないことをばらすようなこともしない」
ふっと唇の端を緩め、笑みを浮かべる。
「むしろ、反対。私は、あなたに協力できる」
「協力って、何の。演劇部のためのってことなら、歓迎するけれど」
「それもするけれど」
おかしそうに、喉を鳴らしてソフィアは笑って見せた。
「するけれど?」
「もっと大事なこと。あなたにとって差し当たり最も重要なことに関して」
――僕にとっての、最も重要なこと。やや唐突に出てきた言葉に、一時惑う。僕にとって一番?
石油危機。温暖化。保険年金制度の瓦解の可能性。就職難。模試の成績。脚本の完成。
列挙する。どれも違うことが、即座に分かる。
答えは、すぐに浮かんできた。生き生きとした、というよりは、憂いや静けさの似合う相貌。ソフィアとはまた異なる意味で、様々な価値のこもった姿。
雨の中に立ち、人を待っている。
「ねえ、瑞穂有理」
ソフィアが、すっと顔を近づけてくる。髪の幾筋かが、僕の鼻先をかする。何か香りがするかと思ったが、無臭だった。なにもない。
笑みを消し、からかうような気配も消した彼女は、目を合わせたまま、瞬きもせずに、僕に問いかけた。
「どんな努力であれ、叶うという望みが――可能性があって然るべきだと、そう思わない?」




