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   Ⅲ 一七七二年 十月~十二月

    一七七二年 十月~十二月


 十月二十五日


 もう一年半近くにもなるのか――ロッテと出会ってから。

 もう何度彼女と言葉を交わしただろうか。彼女の言葉や声の調子の全てを記憶に留めようと僕は無為な努力を繰り返している。人間の頭脳のいい加減さに気狂いして怒りそうになる。どうして僕はロッテの全てを記憶できないのか。目元の産毛の一つ一つまでも覚えておきたいが、実際の僕は、一年以上前の会話をどれくらい正確に思い出せるか怪しいものだ。

 彼女に関する記憶を失いながら生きているというのは、つまり死にながら生きているというようなものだ。僕はとっくに死体まがいだというわけだ。


 十一月三日


 ありがとう、ソフィア。

 君の長い長い手紙を読んだ。僕は、君がああしたことを書いてくるとは思っていなかったので、最初、僕の気持ちを悪戯に傷つける冗談の類かと思った。けれど、全く違ったね。

 アルベルトを、誰にも疑われず、ロッテに気づかれもせず、罪に問われることも無く殺すための方法。『殺害計画』だなんて仰々しくも馬鹿馬鹿しいタイトルを目にしたときには君がどうかしてしまったんじゃないかと思った。

 しかし――これは、こいつは、とてつもないものだ。君は、君の頭脳は僕とは比較にならないものなのだろうね。いや、これほどの計算を、策略を、推測を行える君は、人間というものの枠を超えているのかもしれない。

 何度も読み返した。三日間考え続けた。確かに、君の手紙の通りにすれば、僕は誰にとがめられることも無く、アルベルトを殺せるだろう。穴の無い計画だ。


 十二月一日


 手紙を出した。アルベルトに。彼の拳銃を借りてきてくれと人に頼み、手紙を渡した。旅行に出かけることになったから前に話していたあの壁にかけてある拳銃を貸してくれと、そういう内容の短い手紙だ。

 僕は今、ロッテから昔贈られた誕生日プレゼントに接吻をした。これが最期だ。淡紅色の飾り紐、ロッテがかつてつけていたこれを、僕は最期まで離さないでいることだろう。


 十二月――クリスマスまで数日


 今日ロッテは僕の隣に座り、僕の訳したオシアンの歌を、僕に読んでくれとねだった。目には涙が溜まっていた。僕も似たようなものだったかもしれない。

 僕らは確かに通じ合っていた。彼女は僕を深く愛してくれていたし、僕のほうは――言うまでもない。僕らは肩を寄せ冷たい空気の中で小さな体温を寄せ合いながら、歌の中に自らを見出し、心を高ぶらせた。

 全て読み終わり、僕らはどうしようもなかった。

 唇に接吻を浴びせて、それから僕らは別れた。「これが最期です」とロッテは言い、僕はさよならと繰り返した。

 さよなら。さよなら、ロッテ。さよなら、独り身の僕よ。


 日付不明


 銃が手元にある。アルベルトの銃だ。ソフィア、君が計画の中に登場させた銃だ。

 僕は今そいつをこの手に握っている。使いの者によれば、この銃を壁から外して埃を払い手渡したのは、ロッテだということだ。


 夜


 僕は銃口をしっかりと目標に向け、引き金に指をかけている。外すことはないだろう。

 ――たとえば助かる見込みの全く無い重病人を、それでも生かし続けることは、正しいことだろうか。恐ろしい苦痛と、尊厳を根こそぎ奪い取るような醜態を晒さなければならない末期の病人を、生かし続けるべきだろうか。

 人は時に、どうしようもなくなる。その精神が、どれほど強くあろうとも、ぼろぼろに崩れ、弾け、おかしくなるような事態に直面してしまう。そんな中にあって、人は自分を生かし続けるべきだろうか。

 僕は、自分を損なうわけには行かない。損なわれた自分は最早自分ではない。決定的に自己の根本を損ない変質させるというのはは死ぬのと同義だ。ただ死と違うのは、変質した後でも生きているそいつが、それからも生き続ける中で、それ以前の自分を汚すだろうということだ。

 僕はそんなことを許しはしない。

 ティプトリーという作家を知っているかい? ほら、あの――ううん、どうしてだろう、すっと名前が出てきた作家なんだが、どうにも作品や活躍年が思い出せない――まあともかく、彼女の最期について君は知っているか?

 僕は、つまり、彼女と同じような決意をしている。ただし、僕の場合は、一人でね。

 そういうわけでソフィア、僕は今、銃口を自分の頭に向けている。君が必死で考えてくれた計画は、申し訳ないが、実行には移さない。

 絶対性の前では倫理もへったくれもない。僕はもしそこらへんの誰かを殺せばロッテをくれるというなら、いくらでも殺すだろう。

 けどロッテは物ではない。そしてアルベルトは善人だ。彼が失われれば彼女は損なわれるし、彼女という絶対性を持った僕も損なわれるだろう。

 八方塞がりというわけだ。行き詰まり――僕の、『行き着く先』は、ここというわけだ。

 まさかこんなことになるとは思ってなかった。けれど、考えてみれば、悪い人生でもない。諦観や辛苦や哀しみばかりがあったが、それでも、だ。

 何せ『全ては祝福』だからね。


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