Ⅲ 一七七一年 六月~九月
Ⅲ 一七七一年 六月~九月
六月七日
ここが行き着く先だなどと、断じて認めない――そんなことをはっきりと考えていたわけではないが、しかし、「しっくり来る場所」なんてものに、一体人はどれだけの確率でありつけるんだろうね。
僕にだって、心安らぐ場所や喜びや感動に打ち震えることの出来る場所というものはある。君の今いるそっちだって、まあ色々と不満ではあったけれど、君のような友人がいるという意味合いにおいては、大事な場所だ。
残念ながらそれも、「しっくり来る場所」ではなかったのだけれど。そうであったがために、僕は今こうして君から遠い場所に――新天地にやってきたわけだ。
どうなることかとは思っていたけれど、まあまあ上手くやっている。過度に心配しないでくれたまえ。むかしから、ソフィア、君は僕にどうも過保護だったからね。
出来うる限り、上手くやるさ。これまでもずっとそうだったろ? そちらから見守っていてくれ。
――ジョルジュ・ウェルテルよりソフィア・ウィルヘルミナへ――
六月十六日
運命だの天命だの宿業だの、その手の言葉を使いたがる人は多い。多くは胡散臭い使われ方だ。僕はこれらの言葉に、それ故に、ある程度距離を置いてきた――置いてきたつもりだった。
虚しい話だよ。ねえ、逃れえぬような巨大で恐ろしく、狂気的で此岸に収まらぬものだからこそ、天命だとか運命だとか言うんだろうに。全くもって、愚かなことだ。
一体何の話か? つまりは――ある人と、知り合ったということだ。
とある老法官の娘で、今は婚約者のいる身だという、一人の女性。
エリザ・シャルロッテという。
奇妙に筆跡が歪んでしまったことに君は目ざとく気がつくだろう。だが何度書いたって歪むのだから仕方ない。白状するが、この内容の手紙を書くのは三度目なんだ。触れれば溶けそうな熱く激しい奔流と言えそうなこの意識を――記憶を、意志を、言葉にするだけでも大変なことだが、文字にするのはもっと難しい。冷静さを保つのは曲芸みたいなものだ。
知性ある美しい人だ。感性豊かで、物事を考えたり感じたりするということをきちんと知っている人だ。自分が何を『知らないか』を知ろうとすることの出来る人だ。
目はややつり気味で、吸い込まれるような黒と、優しい鳶色だ。髪は繊細さの極致にあり、肌は白く、ほのかに薔薇色がさす。しなやかな首元に、小さな愛らしい鎖骨。常に美しい比率を見せる指は、その時々で最も上品に見える形に曲げられている。
長い睫。理想的な奥ゆかしさと利発さの混ざった二重の瞼。生きた色をしながら、同時に運命的な鋭さや震えるような予感を感じさせる唇。
彼女とはとある舞踏の場で知り合ったのだが、その詳細は気が向いたら書くとしよう。
彼女の声をはじめて聞き、危機感で一杯になった。逃れ得ない莫大な価値というのは、恐ろしいもので、総毛立って仕方なかった。
彼女と初めて出会い、言葉を交わし――そして、夜になり、その日最も印象的な時間を僕は味わった。
それは、いくらかのご婦人方に混ざって他愛ないあれやこれやの議論の真似事をしていたときだ。時刻は夜遅くで、ダンス会場の広間の外は大雨だった。
話題は、この世の幸福と不幸についてだった。婦人方はあれこれと平凡で人生論的な、やや聞き飽きた文句を重ねていて、僕はやや退屈していた。そこに、ロッテが一言、さしはさんだというわけだ。
「思うに、幸福も不幸も、元は同じ一つのものではないでしょうか。それらは対立する二物ではありますが、対立するということは、対立するという点において同種であり、一つの尺度の上に並ぶ二つの名前であるということになります」
そう言って、彼女は皆を見回し、すぐには理解が得られていないと見て取ると、群衆の中から僕を見つけ出し、目線で訴えた――「そうではありませんこと?」
彼女の目には、目に見える実際の光よりもずっと多くの輝きが宿っていることを僕は見抜いた。知性の光だ。短い言葉の裏にどれだけの考えがあるかを読み取ることができた。
僕は久しぶりに興奮して、すぐに声を上げた。
「ええ――そうに違いありませんとも。善悪、正邪、真偽――何事においても、対立する二物に関しては、同じことが言えましょう。どれも、どちらかを徹底的に突き詰めて考えれば考えるほど、もう一方に辿り着いてしまう」
「ええ、正に」
ぱっと彼女の顔が輝いた。同じことを同じ速さで考え、直感する喜びが、僕らの間を駆けた。
「獲得と喪失も同じです。失われない価値は価値ではありえず、だから価値というものは獲得と喪失がセットになっています。幸福と不幸も、同じことが言えます」
だからこそ、言いようによっては、『全てが』不幸であり幸福であり、なにもかも祝福だということさえ出来る、と彼女は続けた。
婦人方は拍手喝采、彼女を称えたよ。別に彼女は弁論家ではないが、一足飛びに弁証法的世界認識に辿り着き、語って見せたんだ。
彼女は笑顔でそれらに応えた後で、僕の手をとり、「私たち、息がひどく合っていませんでした?」と上目遣いで言った。僕は大きく頷いて、僕らはそこからしばらく二人で話しこんだ。誰も分け入っては来なかったよ。熟練の剣士同士が難しい型をペアでやってるみたいなもので、誰かが途中から割り込む隙が無かったというわけだ。
全く、興奮冷めやらない。今はただ、彼女の途方もない神々しさに打ちのめされている。
まるでショットガンで打ち抜かれたような心地だ――。
……ショットガンとは何だろうか。とても自然に出てきた言葉だから書いてしまったけれど、思うままに書きすぎるというのも、困りものだね。まあなんというべきか、そういうわけの分からない言葉まで書いてしまうほどに、今の僕は恍惚と驚愕に満ちているのだと、そう思ってくれれば間違いは無い。
全ては祝福だ。何もかも燦然と輝いているようだ、ソフィア。
六月三十日
どこかで見たことがある。
無論、ロッテと僕はついこの間初めて知り合った。それまでの人生に重なる点は無い。だが、どうにも僕には彼女をこの目で見、この手で触れた記憶がどこかにあるような気がしてならない。
もう何度も、彼女のお宅にお邪魔している。彼女の小さな弟や妹たちはみな僕に懐いてくれている。ロッテとは長椅子に並んで腰掛け、本について話し、時には共に散歩したりする。
彼女と共にいることの、何と不可思議に輝かしいことか。時間が、遅くも早くも感じない。ただ奇妙にねじくれ、僕自身と一体になっているかのようだ。
これまでの人生でかつて味わったことの無い現実感を、僕は感じている。どうということのない下草や、傾いた納屋の脇の農道、栗の木の木陰や小川の底の小石の群にすら、感慨を覚える。そうした場所でどんな情感豊かな、無数の出来事が起こっているかと想像できてしまう。
ロッテの婚約者だという男にも会った。アルベルトという、尊敬すべき優れた人間だ。彼女のような人の婚約者だと紹介されるに、これほど違和感の無い人間もいないだろう。
七月二十日
恋愛というものの正体を、このところよく考える。いろいろと頭を捻って、その結果として出てきたのは、つまりそいつは、「事故」であり、「呪い」のようなものだということだ。
ソフィア、君はコーヒーにキャラメルシロップと氷を混ぜた奇妙な飲み物が好きだったね。誰しも好きな食べ物はあるけれど、なぜそれが好きなのか、と考えたことはあるかい?
甘いからだとか、食感が好きだとか、色々分かりやすい理由は聞くけれど、そのどれも、僕には本当だとは思えない。甘いものは世の中に数多くあるし、食感のよいものもまた同じく、だ。
「それ」が好きな理由というのは、「それそのもの」が好きである限り、実は説明不能ではないかと思う。理由が挙げられるというのは、その「理由」が好きなのであって、「それそのもの」が好きであることにはならない。
上辺だけ恋愛の真似事をするのが好きな連中がいるだろう――とにかく若くて綺麗なのを次々にたらしこもうという下品な輩が。ああいうのは、「理由」で好むからこそ、そんなとっかえひっかえが可能になるんだ。つまりは、顔が美しいから好きだというんなら、顔が潰れればいらなくなるわけだからね。
愛するということは、どうであれ愛するということだ。「それ」が「それ」である限りにおいて、どうであろうが愛するというそのことを「好きだ」と僕らは呟くのだ。
なぜ好きか、と言っても、理由は挙げられないのだから、「どうしてか好きだ」と言うしかない。自分では選べず、ただ気がついたら、好きである。天性と言ってもいい。
自己を超えて、ある意味で自動的で、しかも逃れ得ない。
だから、事故であり、呪いというわけさ。
恋愛なんてものは、進んでするものでもなければ、無理に避けるものでもない。人を絶対的に好むというこれは、時に無常の喜びを与えるが、また時にはこれ以上無い恐ろしい空虚と苦痛を与えてくる。
なければないで、人生の幸福は他にもある。大きなプラスかマイナスかの賭けみたいなものだから、しないならしないで、いいのだ。
恋愛をことさら賛美し、絶対にすべきだと主張するような人間は信用してはいけない。彼らはものを考えることも、感じることも、怠ってきた連中だ。




