Ⅱ セントラ暦二百九十三年 白梯子の月 (2)
ウェルニクの剣の腕は、精密にして豪胆、基本を崩さずしかし応用も忘れない、教導の型通りでありながら、高度に研ぎ澄まされ、それ故に恐ろしい強さを持っていた。
秘術に頼りすぎず、しかし常に術によるサポートを剣技に挟むことを忘れない。手首一つでフェイントを一瞬に三度も入れ、しかし本命の攻撃の出が遅くなることもない。
純粋な技量だけで言えば、ユルゲンに勝っているかもしれなかった。
重力操作で不規則な軌道を描き襲い掛かる結晶の刃を背後に跳んでかわしながら、ユルゲンは腕を伸ばし自らの剣を大きく突き出した。
喉を狙った切っ先は、しかし強められた重力の壁に阻まれる。剣が折れることを避けるために、すぐにユルゲンは腕を下ろす――と見せかけて、突然その場に倒れこむようにしながら、足元を狙う。
浅くブーツを切り裂いた刃をさして気にせず、ウェルニクはタイミングを計って踏み込む。
咄嗟にユルゲンは剣を天に向かって突き上げた。狙いも型もあったものではない無茶な動作だったが、この野蛮な攻撃が功を奏した。上段からの重みの乗った一撃でユルゲンを粉砕しようとしていたウェルニクは肩を裂かれ、よろめいた。
咆哮して、ユルゲンは立ち上がり、続けざまに打ちかかった。ウェルニクはその全てを受けきり、後退する。
「やはり……強い! ユルゲン、それほどの力を持ちながら、なぜ、背教など!」
「お前も強くなった、ウェルニク。俺からすれば、同じような疑問をそのままお前にぶつけたいところだ。それだけ強くありながら、どうして教会に疑問を持たない」
ぐっと、奥歯をかみ締めたような顔をしてから、ウェルニクは叫んだ。
「真実など、それほど重要なものか!」
「本気で言っているのか、ウェルニク。教会とアナンダミドの嘘で、どれだけの人間が犠牲になっていると思う!」
「混沌の力の危険性は変えようのない事実だ! それに、犠牲なら、そんなものは常に必要になる……混沌の使徒がその犠牲から解放されれば、次はまた別の誰かが役を担うだけだ!」
ユルゲンは言い返そうと口を開きかけ、しかしウェルニクのあまりの気迫に、押されてしまう。
「あなたや王妃は、教会や王が、権力の増強のために事を謀ったという。だが、それの何が悪い!」
「ウェルニク……」
「あなたも知っているはずだ、ユルゲン。民がどんなものかを。大衆がどんな性根を持つものたちかを。賢くも無ければ特別勤勉でもない人間……それが、民衆だ。大多数の人間だ。羨むくせに努力せず、自分の人生の苦痛を絶えず他人のせいにしたがる……こんな人間たちを統治するために、まともな方法などあるものか!」
ふと、ユルゲンの頭蓋の内に、この場とまったく関係のないイメージがよぎった。今よりもっと幼い自分が、誰かに話を聞かされている情景。賢くも無ければ特別勤勉でもない人間……秀才や天才は、その他大勢の凡人より圧倒的に少ない……革命において必要なのは、独裁者や富裕層を引き摺り下ろして十字架にかけることじゃない。
「混沌の民を勝手に犠牲とすることは、悪かもしれない。だがこの悪を世の中から排そうとすれば、民衆は必ず不満を爆発させる。新たな生贄を求める。ユルゲン、私たちの世界は、とうの昔に行き詰っているんだ! 可能性などない!」
不意をつく形で、ウェルニクは声を上げながら一気にユルゲンへと身を躍らせた。乾坤一擲の横薙ぎの刃が、鍛えられたユルゲンの瞳でも追いきれない速度で振るわれた。
受け止めようとしたユルゲンの剣の刀身が、半ばから切り飛ばされて宙を舞った。
ユルゲンは結晶の刃が胸に食い込むのを感じながら、歯を食いしばり、足を前に出した。
傷口で刃を滑らせ、血を吐きながらウェルニクへと肉薄する。
目を見開くウェルニクに、ユルゲンは折れた剣を叩き込んだ。容赦なく二度三度と、ぼろぼろの金属を彼の身体に叩きつける。
「悲劇も愚かさも味わって――それなら、汚くとも、統治する側に収まる以外に、何があると……」
血混じりに、ウェルニクはそんなことを呟き、そして崩れ落ちた。
亡骸を見下ろし、ユルゲンは手に持った折れた剣を捨てて、予備の短剣を腰の裏側から引き抜いた。
目の前には、呆然とした教会騎士たちの顔の群があった。
「逃げ帰るなら、そうしろ」
ユルゲンの一言に、彼らは、怖気づきながらも、手に持った獲物を、それぞれ構えなおし始めた……。
予言騎士ソフィアは、特にどうということもない農村の出だった。孤児としてある農家に拾われ、育てられたと言う。
拾われたのは六歳ごろのことで、村の診療所で目を覚ました彼女はそれまでの記憶を失っていた。頭部に傷跡があり、外傷をきっかけとした生活健忘だと診断された。
その後彼女は真面目な娘として農家を支える労働力となったが、十七歳のある日、突如として頭の中に声のようなものを聞く。
『自らを導く声がした』と主張した彼女は、当初気がふれたのではないかと疑われたが、自分の住む農村の未来を次々と予言し、的中させたことで、「予言者」として有名になる。
一年後、彼女は「使命を告げる声を聞いた。やるべきことを見出した」と言い残し、村を出る。
アナンダミドからの追っ手に怯えながら西へと向かうとある集団――世界中の教会が一致して背教者の烙印を押したエリーズ元王女率いる『混沌の街の人々』の元へと、彼女は向かった。
ユルゲンという背教騎士と、エリーズ。その二人を守ることこそ、使命だと、一団に合流した彼女は宣言した。
元々何の訓練も受けていなかったソフィアはしかし、混沌騎士団の男たち三人を相手にした訓練で、一撃も剣を剣で受けず、身体にも当てさせず、避け続けるという神業を披露した。
混沌騎士団は、この予言騎士を、ユルゲンやエリーズと共に、祭り上げた。
「予言」や「使命」などという抽象的なものを根拠として混沌騎士に力を貸すソフィアは、敵の斥候や難民狙いの盗賊を何度かたやすく蹴散らした。
そんな彼女に、ユルゲンは一度、なぜそこまで自分たちに仕えてくれるかを問いかけた。それに対する答えは、予言以上に、誰の耳にも意味不明なものだった。
「私は元々、こうすべきだったと気がする」
「それは、いつもの予言というやつか? そもそも、予言とは、何だ」
「いや……」
顎に指先を軽く当て、ソフィアは考え込んだ。言葉を探しながら何事かをぶつぶつと呟き、顔を上げて説明を始めた。
「近似した多数の宇宙の観測結果から、高い確率で未来を予測する技術、だ。私は本来その情報を元にある目的を達するための子機であって、それが予想外の事故で親機たる意識本流との接続が切れ、溜め込んだ情報だけが残滓として残った――予言は、その情報がもたらす計算結果としての啓示で――」
そこまですらすらと何かの台詞を暗唱するかのように呟き、それから何か違和感を覚えたように声をすぼめ、首をかしげた。
「私は、何を言ってるんだろうか」
「いや、知るわけないけれども」
化かされたような心地で、ユルゲンは自分も首をかしげた。
奇妙な人間だった。
ソフィアは鬼神の如き戦いぶりを見せていた。
ウェルニクの死に動揺しつつも、再び攻撃を開始した敵を相手に、剣を振るい、死を与え続けた。
しかし、もともと農民でしかない彼女には、体力の面で弱みがあった。三十近い敵を切り倒すという凄まじい活躍を見せつつも、その動きは次第に鈍り、『見えている』はずの未来の攻撃の回避を、重くなった動作が邪魔し始める。
ユルゲンのほうはもっと悲惨だった。胸からだらだらと血をこぼし続けながら、よろよろとふらつき、それでも何とか敵を止め、倒しているのだからそれはそれで脅威だったが、いつ死んでもおかしくない状態だった。
泥のように濁った時間感覚が、耐え難い苦痛の時間を、戦いのときを、引き延ばしていく。たった二月前に訓練に参加したばかりだった混沌騎士団の若い男が三方から切りつけられ絶命し、その男の兄は彼の死に気づくより先に槍に腹を貫かれ血で喉を詰まらせる。
剣と剣をぶつかる甲高い音が次第に減っていく。金属のようには鍛えようのない肉を、金属が容赦なく叩き、潰し、貫き、斬る音ばかりが増えていく。
気がつけば、ユルゲンの目の前には、自分の盾となるために身を差し出したソフィアの姿があった。
脇腹から刺さり鎖骨近くから飛び出た剣を見て、ソフィアは一瞬、おかしくて仕方ないといったような笑みを見せた。
「結局、ここも駄目なわけ?」
とわけのわからない言葉を最後に、彼女は骸の一員に加わった。
ユルゲンは彼女の死体を押しのけて、再び立ち上がった。ソフィアの剣を彼女の手から引き剥がし、自分のものとする。
犠牲。行き詰まり。行き着くところ。
ユルゲンは駆ける。剣を手に、両軍の死体を乗り越えて。
空の色が変化し、混沌騎士が壊滅の二字にふさわしい損耗を出し、荒い呼吸と痛みにうめく声だけが場を支配し始めたとき、その戦場の大地に、リズミカルな振動が走っていることに、ユルゲンは気づいた。
ランヴィエの旗を掲げた騎兵たちが、ユルゲンたちの後方に控えるエリーズを始めとした非戦闘員の間をかいくぐり、教会騎士へと迫っていく。
圧倒的な装備と、大群だった。土埃を盛大に上げ、ユルゲンたちのすぐ傍を抜けて、教会騎士に襲い掛かる。
あちこちから情けない悲鳴が上がった。長くざらついた戦いが、あっけないほどに一方的に、収束していった。




