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   Ⅱ セントラ暦二百九十二年 淡紅飾り紐の月 (3)

 シルヴィウスまでの道のりは、屍の道だった。

 自らのドラゴンスレイヤーをユルゲンは白亜の塔の前に捨てて、王都から離れた。

 王妃がユルゲンにつけた私兵の一団はそのほとんどが追っ手の攻撃によって命を落とした。国内で王に反旗を翻すという暴挙を実行に移した王妃は、同調者を率い、教会と衝突を繰り返した。多くの民が巻き込まれて死に、また、漏洩した機密を守るため口封じに遭ってその姿を消した。

 教会騎士やアナンダミド正規軍の一部に追われながらも、ユルゲンは逃走を続け、かつての仲間を屠り、地を駆けた。

 数ヶ月が経過した頃、ユルゲンは自らの中に残っていた信仰心の欠片が全て残らず消えていることに気がついた。

 仲間が消え、シルヴィウスを前にとうとうエリーズと二人だけになった時、追っ手を二人切り倒したユルゲンは、気がつけばその場に座り込んでいた。

「ユルゲン……」

 戦いの終わりを察して木の陰から姿を現したエリーズは、彼の元に歩み寄る。粗末な平民用のシャツに身を包んではいたが、美しく気高い相貌は未だに彼女が高貴な血を引いていることを窺わせた。

「エリーズ様」

「私は最早王族でも何でもありません。昔のように、エリと呼んでください」

 かつて、ユルゲンが騎士見習いになったばかりの頃、二人は王城内で何度か言葉を交わしていた。エリーズはいたずら半分にユルゲンに友人のように振舞って欲しいとねだり、ユルゲンは生真面目にそれに応えた。十歳の時だった。

 後になってユルゲンは師に激怒されることになったのだが。

「どこか痛みますか、ユルゲン。立てそうになければ、言ってください。手当てをします」

「いえ、大丈夫です、私なら、お気になさらず――」

 言って、立ち上がろうとしたユルゲンは、すぐにふらつき、無様にも膝をついた。

「どうしたのです、ユルゲン」

 ユルゲンは、今度は剣を杖代わりに、立ち上がった。足も心も、萎え切っていることをようやく、自覚する。

「……エリーズ様。私は、あなたと同じ、混沌の力を持った人間を、何人も捕らえ、時には殺してきた」

 彼は足元の草地に倒れ、血溜まりを作っている追っ手たちの姿に視線を落とす。

「そこに倒れているのは、私が教導を担当した教会騎士です。二人とも、真面目な騎士見習いだった」

 エリーズが、ユルゲンの腕をそっと掴んだ。

「最早、教会に寄せるべき心はない。かつての仲間を斬り、国と教会に背を向け、騎士ではなくなり、よって立つべき名誉もなくなった。既に、この世には、私には――」

 行き着くべき場所など、ない。それをはっきり理解してしまい、急激に、自分が世界で最後の一人の生き残りのような気分になった。

 それと同時に、ひどく恥ずかしくもなった。自身以上に過酷な状況を生き延びているエリーズが、目の前にいた故に。

「……申し訳ありません、取り乱しました。すぐに、移動しましょう。シルヴィウスは目の前です」

 彼女に背を向けて、歩き出そうとする。この上更に恥を重ねて、それを背負って生きていく自信はなかった。

 だが、何か細いものが彼の腰に巻きつき、彼の動きを止めた。エリーズが彼の背後から両腕を回し、その背に身を寄せていた。

「ユルゲン。教会は、善なる場所から失墜しました――いいえ、遥か過去から、既に失墜していました」

 王女としての力強さ、自信と鋭さを多分に含んだ声を、彼女は発していた。

「民は教会の教えを妄信し、王は教会と結託して皆を騙し続けています。彼らの配下の兵は皆、知らず、あるいは自覚の上で、無知と怠惰によって教会の堕落に力を貸しています」

「私もついこの間までは、そうした人間の一人でした」

「そうかもしれません。しかしユルゲン、あなたは、今こうして私を助けてくれています。アナンダミドの王都では母が『教会の真実』を広く皆に告白しましたが、それを信じず、母に石を投げ、王の命のままに戦う者がほとんどです」

 そこで、エリーズは深く息を吐いて、ユルゲンに回した腕に込めた力を僅かに強くした。よく聞いてみれば、彼女の声は、強く堂々としていながらしかし、微かに震えてもいた。

「分かりますか、ユルゲン。あなたは、名誉を全て失った者などではありません。数少ない、高貴な意志を持とうとしている、真の騎士なのです。ユルゲン――」

 彼女は、自らを必死で律しようとしていた。他人に自らを信じさせ、その信頼でもって、自分の言葉の力を最大限相手に届かせる。そのために、エリーズは声の震えをぎりぎりまで押し隠していた。

「私を助けてみせなさい。名誉ならば――この世の寄る辺となるべき価値ならば、世界と、私が授けます」

 遥かな高みから降らせるように、彼女は言った。王族から偽りの言葉でもって除外され、実の父に種違いの子とされ、何もかもをユルゲンと同じく失った少女の言葉でありながら、それはユルゲンを貫き、怯え固まった全身の筋や骨を再び軋ませながらも動かすだけの力を持っていた。

 ユルゲンは剣を握りなおした。その後彼は、何度も何度も、剣の柄を握る。

 それ以外に、出来ることを知らなかったがために……。


   *


 シルヴィウスには、とりあえずの平穏と、小さくはあるが希望と呼べる何かの種があった。

 この地へ辿り着いた二人は、それまでの悲惨さを運命が詫びたかのように、いくらかの良い出来事に出会うこととなった。

 一つ目は、シルヴィウスの民が二人を――特に、エリーズを大歓迎したことだった。アナンダミドは大陸全土に、エリーズが王権を簒奪しようとした悪人であり背教者であると知らせていたが、シルヴィウスの民衆は、権力も家も失ったエリーズをそれでも『姫様』と呼んで敬った。シルヴィウスの民衆の多くは、迫害から逃れた混沌の娘とその家族や友人や婚約者であり、エリーズに同情的だった。

 エリーズは並外れた「混沌の力」の使い手であり、その制御においても若くして既に熟練者だった。彼女は自分を受け入れてくれた民に報いるために、力の暴走に悩む混沌の娘たちを集め、秘術の指導を行った。シルヴィウスの小さな街はこれによって、混沌の力による事故が激減し、元々『混沌の使徒を擁護する立場から王に歯向かった王妃の娘』として人気だったエリーズは、更に好意を多く寄せられることとなった。

 一方でユルゲンは、街の男たちに請われ、彼らに戦いの術を教えた。家族に混沌の巫女を持つ男たちは、彼女らを守るための力を欲しており、「混沌の姫君を守ってアナンダミドを脱出した名誉の背教騎士」であるユルゲンに頭を下げた。ユルゲンは誠意を持って彼らに自分の力と知識を授け、シルヴィウスは「混沌騎士団」を自称する自衛部隊を組織するまでに至った。

 二つ目の幸運は、西の文明国ランヴィエが、一連の出来事に関して、疑義を唱えたことだった。

 彼の国は、エリーズが正統な血筋を持つ後継者であり、それをアナンダミドが偽ってシュワンと入れ替えた、と主張した。王妃の「真実の告白」は厳重な情報封鎖によってランヴィエにまでは届いていなかったから、彼らはエリーズの混沌の力も教会の嘘も知らないはずだった。しかし元々ランヴィエはアナンダミドと古い時代に枝分かれした姉妹国であり、最近の仲の悪さを考えれば、間者を忍ばせていてもおかしくはなかった。

 ランヴィエは元来、血筋を重要視する国だった。「始まりの血」に連なることを名誉とし、重んじていた。だからこそ、諍いを繰り返しながらも、「本家」であるアナンダミドとこれまで全面戦争だけはしてこなかった。しかし、その本家が血を蔑ろにしたとなれば、話は別というわけだった。

 ユルゲンたちシルヴィウスにとっては、願ってもない展開だった。エリーズは事の真実と、シルヴィウスへの庇護と協力を求め、その旨を書をしたためて、ランヴィエへと送った。

 しばらく、平和な日々が続いた。

 シルヴィウスの街は、川と森林に挟まれた小さな平野に作られた、外壁も不完全な小さな街だった。

 エリーズはユルゲンと共に、街の北端に近い一角の、小さな家に住むことになった。ユルゲンは彼女にもっと大きな、豪奢な家を勧めたが、聞き入れられはしなかった。

 エリーズは、ほのかに頬を赤くしながらもきっぱりと、

「最も信用できる騎士はあなたです、ユルゲン。私は不安に怯えながら日々を過ごしたくありません。私が傍にいることを、だから、許してはもらえませんか」

 と言ってのけた。ユルゲンは碌な反論も出来ずに従うことになった。シルヴィウスの街の民は、ユルゲンを騎士として崇めると共に、「尻にしかれるタイプ」だと冗談交じりに、親しみの篭もった笑いとともに評した。

 そうして、夏が終わり、秋が緩やかに過ぎ去り、冬が訪れた。

 初めて雪が降った日、北の大国ダイノルフィンは内乱による消耗から、シルヴィウスを手放した。

 正統な所有権を主張し、アナンダミドはシルヴィウスを自らの元に『奪還』すると、宣言した。

 それより少し遅れて、ランヴィエはアナンダミドの蛮行を非難し、今やより「始まりの血」に忠実な自分たちこそが、シルヴィウスを――しいては王都も含めたアナンダミド領の全てを所有すべきだと声を上げた。

 両者は軍を編成し、シルヴィウスに向けて出兵した。

 街の人間は皆急ぎ、移動の準備を行った。家を捨て、街を捨て、ひと時の安住の地を目指すために。

 ランヴィエはシルヴィウスのエリーズからの要請を快諾した。正統な血をランヴィエに向かえ、彼女の民であるシルヴィウスの民もまた迎え入れると。そして、一旦は民をランヴィエで保護し、アナンダミドとの戦争に勝利した暁には、再びシルヴィウスに街を築き住まわせる、と。

 白梯子の月の初日に、ユルゲンたちは、住み慣れた街を旅立った。再び帰ることを夢見て、祈りながら、ランヴィエの部隊に保護してもらうために、西を目指した。

 それから半月後、アナンダミドから先行して送り込まれた教会騎士の軍勢に、追いつかれることになった――。

 

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