Ⅰ 二千五十二年 冬 (5)
このところ立て続けに起きた連続自殺事件は、N文庫にとって最大の関心事の一つだった。社の経済的繁栄を脅かす黒い影。許してはおけない瑕疵。
この三ヶ月の間に、国内で確認できるだけで、一万八千名の自殺者が――前年比較で三倍の数字――出ていた。そのうち三分の二以上が、投身自殺。この日だけでも、百二十六名が飛び降りている。
投身自殺者のうち、補助脳が無事だったものからデータを抜き出し――九割以上から、大量の――百作以上のライトノベルを確認済み。
共通点――それら自殺者の最近読んでいた作品――すべて、ここ数ヶ月の間にリリースされた新作。
N文庫――一時的に供給をストップ。旧バージョンのラノベエンジンを復旧して営業。
原因究明――警察ではなくドラグーンに。
シュルデンを含むドラグーンたち――血眼で調査。死者の頭からあらゆるデータを抜き出し精査する。異常なウィルス・これまでに危険視されたバージョンのラノベは検出されず。
最新バージョンのラノベ――調査中。今のところ、分析プログラムは異常を検出できず。シュルデン自身も数作読了済み――異常は起こらず。
進捗の無い調査行動に焦りを覚えつつ、シュルデンは車を完全手動に切り替え、素早く町を横切る。都市の北端から深く陸側に食い込んだ海を、横切るように建設された大型橋へ。
橋の袂の駐車スペースに停車し、徒歩で橋の上へと上がる。
巨大な都市の、無意味にきらびやかな情景が一望できる。無数のオーグ・フィギュア、恋人アンドロイド、ラノベロイド、おびただしい量の広告の群……それらを背に、シュルデンは橋の中ほどまで数百メートルを歩く。
そこは、ソフィアとの密会に頻繁に使われる場所だった。同時に、初めてシュルデンが自覚的に自らの手を腐った悪事の血に浸した場所でもある。
足を止め、しばし待つ。すると、正面から人影が現れる。深夜の大型橋に、他に人の姿は無い。
「ハイ、シュルデン」
濡れた緑の色をした両眼。癖一つ無い、いやらしいほどに完璧なプラチナブロンドの髪。
「ソフィア」
「時間通りだね。感心感心」
誰もが溜息をつきそうな肢体と驚異的な造作の顔面を持ち合わせた彼女は、クスリと笑う。
彼女は、やや奇妙な格好をしていた。白いブラウスに紺のベスト。朱のリボンタイに、ベストと同色のスカート。紺の靴下に、ローファー。
かなりレトロな、女学生風の服装だった。
「なんだ? その奇妙なの」
「失礼なことを言うね。こういうのが好きな人、多いんだよ、今でも結構ね」
「分からない趣味だな」
シュルデンは目の前の美貌に対し、さして驚いてもたじろいでもいなかった。その必要が無かった。
「ライトノベルロイドがそんな目立つ格好で夜中に出歩いて、無用心じゃないのか? お前らはN文庫の擬似作家兼アイドルだろ?」
「普通はだめだろうけど。でも私は、普通じゃない、でしょ? 普通のラノベロイドはあなたなんかと密会を繰り返したりしない」
「そうだな……」
ソフィアは、ナビゲーターと同じような存在だった。ここ数年間、シュルデンに協力するように、様々な情報を提供し、時にはナビゲーターと手を結んでいるかのような動きをしてきた。
「お前は、一体何なんだ? ソフィア」
そろそろドラグーンとしての任期を終え、地獄から逃れようとしていることを自覚して、シュルデンは今それを問い直しておくこととした。
「ライトノベルロイドを自称しているし、あんたがアンドロイド――それもラノベロイド級だってことは確認済みだ。作家として登録もされてる。だが――」
「私の行動はN文庫の規範から外れている。あなたや、あなたの大切なエルザを庇うような行動を何度も繰り返している」
「そう、それだ」
言葉を横取りされて、やや憮然としながらもシュルデンは頷いた。
「私は、間違いなく、ライトノベルロイドよ。ただまあ、中身にちょぉっと、不純物は混じってるかもしれないけど」
「不純物だって?」
「ええ。まあ。例えば、平行宇宙のとある超絶美人女性の分裂意識の一部とか」
「……聞いた俺が馬鹿だったか?」
「その通り。明かせない謎は明かせないし、意味の無い問いは意味の無い答えしか生まない」
諦めて、嘆息する。白く濁った吐息が、切れるような寒気の中に紛れて消えていく。疑問に思おうが思うまいが、自分はナビゲーターやソフィアといった意味不明な怪しい奴らの支えなしにはここにいないし、エルザを守れてもいない。
「それで? 今日は何の用だ?」
ナビゲーターに呼び出しを受けたから来たんだが、と続けると、ソフィアは上目遣いにからかうように目を細めて呟く。
「用があるのは、そっちじゃない? 例えば、行き詰った事件についてヒントが欲しいとか」
「ああ――なるほど、それが用か」
幾度と無く、シュルデンはナビゲーターからの助言で難事件を解決――あるいは解体――に導いてきた。そしてその『助言』は、度々、このソフィアから伝えられることもあった。『ナビゲーター』とソフィアは、時に別々に情報を蓄えるらしかった。
「自殺だ。多発的投身自殺。そっちも事件の概要は知っているだろう? N文庫内部には調査資料も蓄えられている」
「ええ。すべて目を通している」
本来そんなことはドラグーンでも難しい。一介の、人権も糞もないラノベロイドに出来ることではない。が、ソフィアが例外中の例外であることは、シュルデンにとっては既に常識となっていた。
「今のところ、それらしい原因が全く見つかっていない。何度探そうが、違法な、ラノベエンジンに危険な文章やメタデータを構成させる業務妨害・文書作成機能改変プログラムの類は見つかっていない」
既にソフィアも知っているかもしれない調査状況を、ざっと語って聞かせる。
「自殺者の読んでいたライトノベルは?」
「調べてないとでも思うか? こっちも、ヘンなものは検出されてない」
「そうじゃなくて。だれかそれを、読んではみた?」
ふと奇妙な感覚を覚えて、シュルデンはソフィアの表情をまじまじと観察する。人間らしさという言葉が馬鹿馬鹿しくなるような美貌はラノベロイドとしては標準だが、ソフィアの場合、ちょくちょくその顔にどこか機械らしくない色が浮かぶ。優れた対人コミュニケーション機能を持つラノベロイドとしてみても、いやに心に訴えかけてくるような、なにか深いものが。
今のソフィアも、そうしたものを顔に浮かべていた。あるいはそれはシュルデンの幻想に過ぎないのかもしれなかったが……。
「何人かが確認として隔離環境で読んではみたさ。俺も数作、読んだ。だが何も起こらなかった」
「投身自殺者は、その怪しい最新バージョンのエンジンで書かれたラノベを、百以上所有していたんだよね?」
「ああ」
「少なくとも数十作品は、読んでみるべきね。少なすぎる」
「そんな――百以上だぞ? 自殺者はそれらの大半に目を通してたって?」
「補助脳を使えば、短時間で多くの情報を処理できる。四桁同士の掛け算にすら惑う生態脳に比べて単純な情報処理は圧倒的。長編小説なんて一本五分で味わえる」
常識でしょう? とソフィアは呆れ顔をみせる。ころころ変わる表情は愛らしいが、シュルデンにはそれどころではなかった。
「それは――いや、ちょっと待て」
補助脳を使い、他のドラグーンやN文庫本社の研究員の情報を、今一度集める。駄目元で自殺者のラノベを読み続けている人間がいると考えて。
結果、本社研究員に数名の死者・行方不明者が見つかる。
愕然――事態がどこか仄暗く恐ろしい場所に向かって転げ落ちる気配。
「これは……だが、おかしなデータは検出されていない――」
「エルザの家族のこと、忘れたわけじゃないでしょう?」
薄く細い刃のように、ソフィアの言葉がシュルデンに滑り込む。
エルザの家族は、ラノベエンジンが『過剰に読者を感動させる物語』を作成したことで悲劇に見舞われた。
あからさまなウィルスがなくとも、事故が起こる可能性はある。それがライトノベルエンジン――自己身体情報同期型ノベルだった。
「一体、何が原因で、そんなことが……?」
「私たちラノベロイドは――その大元のライトノベルエンジンは、パブリック・リソースからテキストデータを収集し、執筆能力を高め、維持し、時代の変化に、それに沿った顧客のニーズの変化に、合わせる」
「ああ」
「過去に出版されたライトノベル。アニメ。ゲーム。ネット上の日記。趣味人が書いたアマチュア小説。ニュース記事。何もかもを収集し、役立てる」
「……ああ」
「現代ライトノベルは基本的に、読者の願望を充足させることを最優先する。もともとユーザーを意識したがためにひどく単純な、定型化した旧時代のライトノベルを揶揄するためのプログラムから始まったものだから。
ライトノベルは、人の短絡的な欲を満たすためにあるといっても過言ではない。……シュルデン、今までに、死にたいと思ったことは?」
無言で、シュルデンは頭を振った。そんなもの、『誰にでも』あるに決まっている。特にシュルデンは、ドラグーンである。企業の尖兵として次々に人を落としいれ消してきた人間に自殺願望を抱いた経験を訊くなど、愚かしいことだった。
「自殺願望は、人が人生の中で一度や二度は味わう普遍的な『欲求』よ。ライトノベルは通常、その機能から逸脱するほどの文学性を作品に反映させたりはしないし、人を誘導したり思想洗脳したりする文章構造も使わない。けれど、本来の機能に則って、欲求を満たすための作品を――短絡的に、願望充足するためのものを追及するとしたら――」
主人公が、わけもなく異性に好かれまくり、自己を改革もせずにあらゆるキャラクターから全肯定され、どんな強敵も馬鹿みたいな異能でなぎ倒す。そんな作品は、現代ライトノベルには溢れるほどに存在する。
それは、そうした願望を持つ人間が大勢いるからだ。ひたすら怠惰に、自己を肯定してもらい、精神的摩擦の全く存在しない異性といちゃつき、困難など想像もしたくないという人間が。
自殺願望が普遍的欲求ならば。そうした怠惰さを欲求する人間と同じく、『自身の自殺を肯定し後押しすること』を望む人間がいたなら。
需要には供給を。ライトノベルは願望を、充足する――。
「しかし、これまで、そんなことは――今回の事件のようなことは、起こらなかった」
精一杯の反論を、しかしソフィアは一刀で切り伏せる。
「ラノベエンジンは日々情報を収集し進化する。補助脳が存在しない時代のラノベは補助脳を扱った物語を作成できなかった。けれど補助脳に関するテキストデータがネットに溢れるようになり、それを収集して『補助脳』という要素を含む物語を作成できるだけの機能をエンジンは持つこととなった」
「パブリックリソース……」
恐ろしい予感が、急速に膨れていた。今や、喉の辺りにまで競りあがってきていた。
「ここ最近になって、そうした『新しい作品』を実現できるようなリソースとしてのテキストが、ネット上に放たれたのだとしたら……?」
そしてそのデータがラノベエンジンに蓄えられ、新しい小説の源泉となったなら?
新しい、人の自殺を……ビルの屋上に立つ誰かの背中を優しく押す作品になったなら?
「それは――」
自身の言葉を遮るように、彼の耳にだけ甲高い音が鳴り響いた。擬似視界上にアイコンが明滅する。メッセージ着信。「ナビゲーター」から。
恐る恐る開く。
『エルザ』
顔を上げる。ソフィアは、どこか諦観したような顔をシュルデンに向けていた。




