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   Ⅰ 二千五十二年 冬 (3)

『疲れているところ悪いが、まだ今日は予定があるんだろう?』

 突如、声が飛び込む。オフにしていたはずの擬似視界に、着信を告げるアイコンが浮かんでいた。

 発信者情報には、容姿画像もなにもない。ただ、「ナビゲーター」というネームだけがぽつんと示されていた。

「……お前か」

『五時間後にソフィアが接触する。それまでには切り上げろ』

 自動的に立体地図が展開され、ラノベシティの一点が赤いアイコンでポイントされる。

「言われずとも、それほど向こうに長居するつもりは無い」

『それならいい。渡したデータは?』

「変換がようやく終わったが……あれは――一体なんだ?」

 シュルデンは、補助脳のログに検索をかける。十日前に所在不明のサーバーからダウンロードされたデータ――全く持って意味の取れない、文字列の塊。

「容量はそれなりに大きいが、プログラムとしては何の機能も持たない。変換前も後も、有意なデータは一欠片も検出されていない。そもそも変換作業自体が、そちらの指示に則ったものだが、必要だったのかどうか……」

『放流は?』

 ログには、該当データをネット上に流した記述も残っていた。

「終わっている。指示されたことは全て終えた」

『ならいい』

 話しながら、シュルデンは神経を尖らせ、自身の補助脳を精査していた。

 閉じていたはずの補助脳を勝手にこじ開け、ネットに接続し、メッセージを入れてきたこの『ナビゲーター』を逆探知できたことは一度もない。それどころか、こうして補助脳を強制的に励起され一部操作されているような状態でも、その手段や存在を感知することが出来ない。

 十全、異常な話ではあった。だが、シュルデンにとっては今に始まったことではない。驚嘆は消えないが、今更臆するほどのことでもなかった。

『渡したデータは、それ単体では意味の無い字列に過ぎない。だが複数の時空構造において複数の同じようなデータが所定の方法で展開されることにより、メタ的な時空におけるメタ的な立体構造を形成する』

 黙りこんだシュルデンを哀れに思ったのか、「ナビゲーター」は淡々と語りだした。

『一般的なプログラムが二次元平面状の図で表されるとすれば、このプログラムは三次元立体でしか表すことが出来ない。一つの時空ではただの屑データに見えるのが当然だ』

 そこまですらすらと教科書でも読み上げるかのように言ってみせ、それから軽く笑う。

『理解できなくて当然だと言っている』

「お前の存在を俺はその最初から一摘みほどだって理解してはいない」

『そのことに不満が?』

「今更だ」

『そのこと以外に不満は?』

「それこそあるわけも無い。俺はあんたがいなければとうに何もかも失っている」

 感謝しているさ、と先を続けようとしたが、ナビゲーターはそれを遮った。

『感謝の必要は無い。渡したデータのネットへの展開で、こっちはこっちの目的を大きく達している』

「五年以上も俺の世話をした、その対価がそんなもので?」

『あれはそちらが考える以上に重要なものだよ。それに、それだけでもない。あんたの行く末もまた、重要な関心事だ。もっともこちらには、さして期待しちゃいないが……勝手な期待だ、そちらも借りだと考えず、勝手に利用すればいい』

「乾いた取引関係だと考えればいい、か」

『その通りだ』

 ナビゲーターの言うことは、その多くが理解の切れ端も見つけられない。全く無意味な、適当な言葉を並べているだけではないかと疑うこともシュルデンにはあった。

『あんたの人生が上手くことを願っているよ、シュルデン』

 一言残し、通信が切れる。同時に擬似視界が消え失せ、沈黙の音が戻る。暗い室内に、自身の呼吸の音が低く響いている。

 落下して衝突する。繰り返し。繰り返し。

(上手くいくことを?)

 胸中で毒づく。

 何もかもが、既に錆付き欠け落ち異音を立てて煙を吹いている。それが、シュルデンの生のあらましだった。

 上手くいくところを想像するのは、困難この上ない。


   *


 シュルデンとナビゲーターとの出会いは五年以上前にまで遡る。

 窮地――唯一の絶対性を失う危険。行き詰まり。

 窮地――有数の大企業と、それが生み出す利益に依存する国家組織の双方が刃を向ける先。

 窮地――既に死んだ者たち。一組の夫婦と、若い成人女性一人。

 残された者――エルザ。一人の少女。シュルデンとは旧知の仲であり、彼にとっての絶対性でもある。

 何もかもがどうにもならない状況にあって、突然、シュルデンの補助脳に響いた声――啓示。

 ナビゲーターと名乗る誰か。恐ろしいほどの情報網を持つらしい彼――?――は、シュルデンに協力を申し出る。当時一警察官に過ぎなかったシュルデンは、彼の指示に従い、信じがたいほどの功績を残し、または精密に偽造し、のし上がった。手に入れた実績を武器に、エルザたちを磨り潰しにかかっていた大企業――N文庫と、取引を行った。

 違法ノベル調査官、ドラグーンは、それまでの功績から考えれば、シュルデンにうってつけの職だった。莫大な利益を上げ、世界中の多くの人間が身を浸す娯楽を守護し、その聖域を侵す者共を察知し調べ上げ捕らえ捻り上げる尖兵。

 一企業でありながら、根元ではがっちりと国と結びつく組織が、権益を守るために雇う血みどろの騎士。表向きは企業利益を守る正当な調査活動に従事するとされているが、それを信じる者はいない。

 ライトノベル関連事案となれば、殺人事件であろうが亡命騒ぎであろうが、関係各所から各種権限を剥ぎ取り強制的に調査に乗り出す。秩序を乱すどころか串刺しにして動き回る犬。

 違法データをラノベロイドやラノベエンジンに流し込むことを防ぐという、正当な企業保護活動を行う一方で、その倍の量、さしたる違法性も無い人間たちを拘束する。

 画期的な自動ノベルプログラムの趣味的研究家。現状の文学界に異を唱える団体。意に沿わない動きばかりするネットノベル販売者。組織的にラノベを批判するレビュアー集団。ラノベに匹敵する娯楽を生み出そうとする、ゲーム・ホビー・その他娯楽関連企業の傑出した技術者・アイディアマンたち。

 ドラグーンは、彼らの背後にそっと立ち、耳元に囁く。たっぷりの警句と、暴力性を滲ませた自分たちの本性について。

 そして時には、どうにもならない頑固者を一番簡単で困難な方法を使って、処理することになる。変質者の犯行を装い細切れにしたり、拘束して、需要のある海外に「輸出」したりと様々な方法で、姿を消してもらう。

 シュルデンの場合、最初の一人は、警官時代に行うことになった。その行為によって、自らをドラグーンにする価値を、N文庫へと示した。

 呼び出したのは、警官になってすぐの頃に偶然小さな事件で助けた少女の、父親だった。彼は愛娘を助けたシュルデンをこの上なく信頼していた。うってつけというわけだった。

「ありがとう、本当に、ありがとう」

 会う度に頭を下げる彼に、シュルデンはその日もいつもと同じように言葉を返した。

「いいえ、いいんですよ、仕事ですから」

 言って、橋の上から彼を突き落とした。

 九十メートル以上を落下し着水した男は、それ以後町を歩き回ることも、娘について語ることも無かった。

 彼が「不幸にも」亡くなり、シュルデンはドラグーンとなった。自分の元々の皮膚の色を忘れるまで手を汚し続ける職に就いた。エルザはその対価として、N文庫の「リスト」から一旦外された。彼女を狙っていたドラグーンは、別の仕事へと身を向けた。

 そうしてシュルデンは、自分に適した方法というものを、その時悟ったのだった。


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