Ⅰ 二千五十二年 冬
Ⅰ 二千五十二年 冬
違法ノベル調査官・シュルデンは、静かに眼を閉じていた。他にすることがなかった。
瞼を閉じ、川沿いに置かれた粗末なベンチの上で身じろぎ一つせず――しかし意識はめまぐるしく動き続けている。辺りは夜闇と赤色灯と旧式の電光広告の明かりで薄暗さと猥雑な明るさが入り混じっている。
補助脳が活発に活動――データを再収集し整理し、擬似視界上に整理して並べていく。
生態脳の意志と補助機械脳の変換した信号とによって作り出される擬似視界は目を開こうが閉じようが見える。頭の中の出来事であるが故に。
それでもシュルデンはじっと目を閉じ、眺める。
蓋然性が一定の値を超える自殺者――百二十六名。
蓋然性が一定の値を超える傷害・脅迫・心中その他重犯罪――無数。
有力な情報――無し。関係者の共通点――ライトノベルの読者であるということ。
(意味が無い)
ライトノベルは今や、世界的娯楽でしかない。読んでいない人間のほうが少ない。
進展しない調査。抱える最後の大きなヤマ。情報は多いが、有益な繋がりは見つかっていない。
と、擬似視界上にアイコンが点滅する。着信音が頭の中でだけ鳴り響く。メッセージ。差出人の名を確認し、シュルデンはすぐさま開封する。
『娘は撃て』――ナビゲーター
目を開く。蠢く人々の向こうに聳える、古い高層マンション。
メッセージの意味は、すぐに分かる。当たりをつける――恐らく、今から自分がやろうとしていることに対しての、ちょっとした注意。そう判断して、彼は立ち上がる。
タイミングよく、アラームが鳴る。権限委譲が受理された旨が、行動の開始を命じる信号と共に、シュルデンの頭に飛び込む。
歩み始める。高い身長と、引き締まった体躯が、無駄の無い足運びと合わさってどこか無機的なものを連想させる。直立した合金の束。針金の軸索。ワイヤーロープの筋。水銀の脳みそ。そんなものを。
マンションの入り口へと直進する。エントランス付近にいた数人の警官のうちの一人が駆け寄って警句を発しようとするが、周りの同僚に止められる。
共同玄関をくぐり、何の工夫もなしにエレベーターで目的階へと到着する。十三階分の上昇。腰に下げた拳銃を引き抜き、素早くコッキングする。
目的の部屋――扉は施錠済み。補助脳が視覚情報と生態脳の活動を監視し、シュルデンの意志を汲み取る。検索されたデータ=扉はひどく旧式の代物。内部構造を現実の視界に重ねて表示させる。
撃つ。
貫通性の高い、ライフル弾に似た形状の特殊な弾丸が、易々と扉に突き刺さり抜けていく。弾丸に続いてシュルデンもまた、部屋の中へと入り込む。軽く蹴飛ばされたドアが、抵抗無く開く。
単身者用のこれと言って特徴の無い間取り。入り口付近にキッチン、バス、洗面台。奥にリビング。更にその奥に、寝室。
リビングへと踏み込む。辺りには多量の書籍が散乱していた。一つを拾い上げる――『長いお別れ』。
「ドラグーンか」
寝室へと通じるドアが細く開き、中から中年の男が歩み出てくる。疲弊の色の濃い顔がシュルデンに向いていた。乱れた髪、色の悪い肌、粗末な服――自宅に相応の身なり。
「……ティム・オークレイ。十二の権利侵害とその他諸々――破壊活動とその幇助、器物損壊、営業妨害等々……で、調査行為の請求が来ている。現在警察機構における捜査権及びその他本件に関わる活動に対しての基礎権限のほとんどが、俺に委譲されている」
「何一つとっても、身に覚えが無い」
ある意味では真実だろう――シュルデンは僅かに顔をしかめた。
「分かっているはずだ」
「ああ、分かっているとも。こんな馬鹿げた冤罪ゲームがそういつまでも続かないってことはな。それに弁明する意味が無いことも。あんた、俺を本気で拘束しに来たわけじゃないだろう?」
彼はほんの一瞬、シュルデンの手元に視線を落とした。太くマッシブなシルエットのダブルカラム・グリップを握る指が、僅かに緊張している。
シュルデン――サッシに目をやる。リビングの南側一面を覆うガラス戸。
「権利侵害だと? これは何かの冗談か? なあ、あんた、あんたは一体俺が誰だか、事前にデータに目を通していないのか」
「知っているさ」
疲れたような声音で答える。視線を戻す。
「だろうな、そのはずだ。ドラグーンは厚顔無恥だ。糞厚顔野郎の群れの飼う、糞厚顔な猟犬だ。分かっていて、俺の元に来て、権利侵害だとぬかしやがる」
「法的な問題だ。ここで議論する余地は無い」
「ついでに、裁判によって戦う権利も無い。だろう?」
ティムは笑って見せた。乾ききった笑み――末路を知ったものの笑み。虚無の笑み。際限なくその笑みを深くしながら、ティムは口を動かす。せわしなく。
「……ライトノベルエンジンは、欠陥品のゴミだ。俺が頒布しているのは、修正パッチのようなものだ。もともと自分の作ったものだ、その欠点を補正するのも責任のうちだ」
「ライトノベルは、全世界で莫大な収益を上げる一大娯楽だ。発展途上ではあるかもしれないが、この国を支える経済基盤の一つであり、欠陥は存在しない」
「そう言う様にと、習ったのか? まるで小学生だな。『お父さんお母さん、私たちは今日このすばらしき学び舎を巣立ちます!』。娘の卒業式で見たことがあるよ」
ヒステリックに肩を震わせる。ぼさぼさの髪が揺れる。
「今やラノベは完全な願望充足装置だ。信じられるか? 億単位の人間が、自分自身を慰める短絡的な妄想すら、ライトノベルエンジンに頼っているんだ。……妄想すら外部に仮託して、それで一体人間に何が残る? 何に満足する? 何のために何をしている?」
「データを引き渡せ、ティム」
「俺は……最初は、皮肉だったんだ。当時既に、文化的創造物としての価値を失いかけていたものへの警句のつもりだったんだ。物語の価値は、麻薬中毒や酒浸りの生活や延々と続く自慰行為のようなものとは異なるはずだ」
手を上げる。額にポイントする。無意味な警告を続ける。
「ティム。従え」
「短絡的な快楽にも、確かに価値はある……だが人間は、より深く、大きく、輝かしいものを求めるものだ。いつまでも穴倉で毎日明日の食事と生殖のことだけを考えていた動物紛いの状態から、価値を求め、変化を続けた。今更逆行してどうする?」
トリガーに指をかける。
「人は様々な快楽によってその存在をコントロールされる……生存とその方向性を規定される。物語においてもそれは変わらない……ストレスをコントロールしようと酒におぼれた人間がアルコールによってその存在を逆に規定されコントロールされてしまうように、人は物語によっても、コントロールされ、規定される」
撃つ。肩に当たる。弾丸が、肉を貫通しつつも、同時に大きなダメージを与える。
うめき声と悲鳴のミックスが反響する。ティムが膝を折ってその場にへたり込む。
「ティム……」
シュルデンが近寄ろうとすると、開いたままの、ティムの背後の扉から、小さな影が飛び出てくる。
「パパ……?」
甘く湿った声――小学校を出たばかりの小娘の声。
白い額と鳶色の瞳が美しかった。細く、これからの成長に悩ましげな色を見せる手足がティムに絡みつく。事態に対して理解の追いついていない表情。父の身を案じる表情。ころころ入れ替わる。
「物語は、願望充足の道具じゃない」
ティムのその呟き一言だけが、どこか悲しげに揺れていた。
撃つ。
ティムに身を寄せていた少女の頭に金属弾が吸い込まれる。穴が開き、僅かな時間、傷口が盛り上がり、次瞬には破裂する。
続けざまに発砲する――次々に着弾し、少女をえぐる。ものの数秒で、下顎を残して頭部が消える。辺りに、破片が撒き散らされる。暗い色の液体が壁を濡らす。
生の血の臭いは、しなかった。人工血液の淡白な香りだけが、シュルデンの鼻腔を通り抜けている。
残った下顎――むき出しになった喉の奥に、明滅するものがあった。それも撃ち抜く。
「自爆用か」
活動を止めた装置を確かめ、シュルデンは呟いた。
「娘を愛していないのか?」
問う。自分が撃ち、破壊したもの――ティムの娘の姿を模した機械に、目をやりながら。擬似視界上には、データが表示され続けている。彼の娘は二十年ほど前に亡くなっていた。
「愛しているさ」
恥じるところ無く、毅然とした口調でティムは答える。肩が振動していた。喉の奥で笑い声が震えている。
「既に死んだ。帰ってこないと知っていることこそ、愛だ」
出し抜けに銃口をガラスサッシへと向けて、残っている弾を叩き込む。何の特殊処理もなされていないガラスが砕け、ベランダとリビングの両方に欠片の山を築く。夜気が室内に吹き込み、倒れた『娘』の残骸を優しく撫でた。
シュルデンは、ホルスターに銃を戻した。つかつかと歩み寄り、ティムに手を伸ばした。
「お前は何も悪くない、ティム」
告げて、その首元を右手で掴んだ。反対の手を腰の辺りに回し、痩せた中年男の身体を軽々と持ち上げる。
そのまま勢い良く、ベランダのほうへと放り投げる。低い柵にぶつかり、引っかかりそうになるその身体を、間髪入れずに蹴りつける。
体重を乗せた踵が、背骨の辺りを押しやり、ティムの身体は、ベランダの柵を乗り越える。
悲鳴は聞こえなかった。小さな衝突音だけがシュルデンに届いた。




