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 3 ・二千十四年七月(3)

 ソフィアの話は、客観的且つ常識的に判断すれば、下らない小娘の作り話であり、戯言でしかない。自意識過剰な若者にありがちな他愛ない妄想だ。

 それは、僕の『別宇宙が見える』という体質(だか素養だかなんだか)にも、同じ事が言える。僕が「こことは別の世界が見えるんです」と主張すれば、妄想か白昼夢の烙印を押されて終わりだ。

 そんなわけで、僕にはソフィアの話を即時に虚言だと決め付けることは出来ない。付け加えて言うなら、彼女は不可思議にも僕の心を読んだかのように言葉を先取りしたこともある。

 だからといって、「可能性的宇宙におけるビッグクランチを僕が引き起こす」なんて話をすぐに信じるのも、また頭のおかしい話だ。

 信じるか、信じないか。現実的判断と、僕やソフィアの不思議な部分を、どう折り合いつけて認識するか。

 普通なら、そのことに懊悩するのかもしれない。

 僕にはそんな必要は無かった。

 僕の母、瑞穂・ザ・グレート・クソッタレ・綾香様は、とうとう恵理紗の父へ手を出したのだ。理性的な恵理紗の父は、そうした汚泥に嵌らないと僕は思い込んでいた。しかし、失意の底にいる人間は時に非常に不安定な面を見せる。早く気づくべきだった。

 恵理紗は、更にひどいものを見てしまったわけだ。人間の行き着く先の。屍の道を延々歩んで行った先を。彼女は何を考えただろう? 僕と違って恵理紗は心優しい。慈悲深さが過ぎるせいで自己を傷つけるような人間だ。

 僕に縋ろうとして、しかし彼女は、僕を気遣った。だから、泊まりに来なかった。未だに距離を置いている。このまま一生かもしれない。

 彼女は更にひどい「結果」を見た。同時に僕は、更にひどい「経過」を見た。

 宇宙がどうなろうが知ったことじゃない。

 僕らは最初から欠けている。今更時空構造に欠けがあろうが無かろうが、知ったことか。


   *


 梅雨の雨が懐かしかった。霧の色が、身体を冷やす雨粒の感触が、毒々しい濡れた緑色が懐かしかった。

 何もかもが暴力的な白色光に照らされた炎天下の屋外は、梅雨の時期と比べて単調で面白みの無い景色に見える。まるで、センスも何もなしにとにかく蛍光灯で明るく照らすことばかり考えた日本のオフィスビルや店舗の内部のようだ。白々しくて色気が無い。

 僕と恵理紗は、主に飲料水の買出しのために、コンビニへと向かっていた。学校は既に夏休みに入っており、演劇部は大会まで残すところ半月を切っていた。休みを利用しての連日の丸一日部活は、暑さとの戦いでもあり、大抵家から持ってきた飲み水は昼すぎには切れる。

 そのため毎回、持ち回りで買出し部隊が休憩時間にコンビニへと出かける。今日は僕と恵理紗が当番というわけだった。

 無言で歩く恵理紗の背後に僕がつき、その更に背後には、なぜかソフィアがいた。「気分転換に私も行ってくる」と言って、着いてきたのだ。この炎天下に、正気じゃないなとは思ったが、追求はしなかった。

 とにもかくにも日光だ。肌を焼き視界を漂白し、脳髄をじわじわと熱で締め上げる日光。どんどん意識が朦朧としてくる。

 意識活動がそのレベルを低下させれば、僕は自然と見ることになる。別宇宙の景色を、だ。

 騎乗兵が大群で駆けていた。空を大きなエイが飛びまわり、地上の狼を捕食していた。水底にへばりつく珊瑚が身振りと発光と振動で多重言語を話していた。

 どこにも行き着けない。

 深い寂しさが、僕の眼前を何度も行きかった。いろいろなものが見える。いろいろな道が見える。

 でも、結果は見えない。

 強い風が吹いた。一瞬、別宇宙でのことかと思ったが、僕の身体は大きく揺らいでいた。現実の出来事だと認識したときには、僕のすぐ傍を――肩に触れるか触れないかのすれすれを、制限速度オーバーのワゴン車が通り過ぎていった。危険運転だ。

 驚き、よろめいた僕は、心の中でその車を痛罵した。馬鹿野郎、こっちは歩道内だぞ、配慮しやがれ。

 それがいけなかった。もっと意識を、ほかの事に使うべきだった。よろめいた僕の身体は、全く持って鈍重な反応しか出来なくなっていた。強い日差しのせいだろうか、元々この日は体調が良くなかったのか、原因は不明だが、体勢を立て直そうとする僕の意思は、上手く筋肉に伝わらなかった。

 派手な音を立てて、肩が地面に――馬鹿みたいに熱い車道のアスファルトにぶつかった。

 音に反応してか、恵理紗が振り返った。血の気の引いた顔で、こちらを見ている。

 大丈夫、と言おうとした矢先、視界がめちゃくちゃになった。浮遊感と痛みと大きな音が身体を包んだ。

 人生ではじめて車に撥ね飛ばされた僕は、多分バンパーであろう部分にぶつかり、宙に投げ出された。

 落ちる。叩きつけられる。何かが見える。空飛ぶ六枚羽の鳥。スーツを着込んだ人魚。

 それから、ぐるぐる回る視界の端に、僕は、ソフィアの顔も見た。

 口元には、小さく笑みが浮かんでいた。

 元々朦朧としていた意識が、更にぐちゃぐちゃにかき乱され、混沌に叩き落される。

 もう少ししたら、嫌でも事態は進展する。

 大した予言だった。これは『進展』なのか? ソフィア。

 僕はそのまま、目を閉じた。ほかにすることがなかった。


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