爆発
「ん…」
目が覚めた。時計を見ると目覚ましの鳴る10分前。
「……」
朝は大して強くはないのだが、今日は何故か目覚めは悪くない。二度寝しても10分しか眠れないので、さっさと布団から這い出てベッドから降りる。
…これで10年か。
壁にかけてあるカレンダーを見る。今日は11月16日、一年のうち、最も特別な意味を持つ日である。
特別…といってもやることはいつもと同じである。学校に行き、部活をして帰る。ただ、家に帰る前に用事が一つあるだけだ。
「…ふぁあ」
欠伸を一つして、伸びをして身体を目覚めさせた後、学校に行く準備を始めた。
施設の玄関にはいつものように瑞音がいた。
「おはよう」
「おはよ」
「あれ?」
瑞音は首を傾げている。
「何か?」
「慧くん、何か普段よりピリピリしていない?」
「全然」
「どこか悪いの? いつもあんなに眠そうにしているのに…」
瑞音はさらりと酷い事を言う。
「…別に」
「あ、ごめんなさい。ちょっと意外だったから…」
瑞音は笑って誤魔化す。
「何か複雑だね…」
「まあそう怒らないで。はい、これ」
瑞音は手に持っていた包みを差し出す。
「何これ?」
「今日、誕生日でしょ?」
…何で知ってるんだ? 自分は教えた覚えはない。自分以外に知っているとしたら…サッカー部の部員か?
「誰に聞いたの?」
「山名君」
「そっか。ありがとう…嬉しいよ」
プレゼントの入った袋を受け取る。中にはラッピングされた大きめの箱が入っている。
中身が気になるところだが、これから登校するのであとで確認しよう。
「……」
瑞音は何故か怪訝な目を向けてくる。
「どうかした?」
「慧くん、やっぱり変よ。何かあったの?」
今度は心配そうな顔をする。
「…別に何もないよ。じゃ、ちょっとこれ置いてくる」
もらったプレゼントの入った袋を自室へ置いてきて、施設を出た。
「……」
登校している間中、瑞音は心配そうな顔のまま横を歩いていた。
教室に入り、瑞音と別れて自分の席へと真っ直ぐに向かう。まだ正明は来ていないらしい。愁一や夕希は朝練から戻ってきていないのだろう。鞄だけが机の脇にかけてある。
椅子に座り、今日も外を眺めて過ごす。天気は快晴。雲一つ無い青空である。窓の下に広がる光景に目をやると真っ赤に染まった紅葉の木、真っ黄色になった銀杏の木が目に入る。美しい秋の風景…だが今日ばかりは淋しさばかりを感じる。
そこに鞄を置いてきた瑞音がやって来た。
「今日もいい天気ね」
「そうだね」
「…誰かさんの天気はよろしくないみたいだけど」
「何言ってるの。私の天気はいつでも南国の太陽ですよ」
「……」
瑞音は窓の外を眺めたまま、寂しげな表情で小さく溜息をつく。…何かあったのだろうか?
「お二人さん。おはよう」
何となく、沈んだ雰囲気の所に、正明が登校してきた。
「おはよう」
瑞音はいつの間にかいつもの明るい顔に戻っている。
「おはよ」
「お、今日は珍しく朝からシャキッとしてるな」
「まあ、たまにはね」
「どういう心境の変化だ?」
正明は笑みを浮かべて聞いてくる。
「別にどうもしないさ」
「そんなわけないだろ。いつもこんなになってて、あれだけ言っても直らなかったのに」
正明は眠たそうな顔になる、要はこれが普段の僕だと言いたいらしい。
いつもなら冗談の一つか、一発殴っておくところだが、生憎今日はそんな気分ではない。
「……」
「どうした?黙って」
「…別に」
「何か今日は気味が悪いな」
正明はそう言って怪訝そうな目を向けてくる。
「山名君もそう思う? やっぱり変よね?」
…みんなして、お節介というか何というか。
「そんなに普段と違うかな?」
「「違う」」
……。
放課後になり、部活動に参加するためグラウンドに行くと、僕を除く部員全員が揃っていた。
遅れただろうか?時計を確認すると4時5分前。いつもなら、掃除を終えて部員がぼちぼち集まってくる時間のはずだ。
今日は何か…あ!
今日が何の日かを思いだして、慌てて逃げる。
「奴を逃がすな!」
「はい!」
「はい!」
堂嶋キャプテンの命令により、チームトップの俊足コンビが追いかけてきた。
……
ただでさえ相手の方が速いのに、オーバートレーニングが治っていない身体では逃げ切れるはずもなかった。ものの数十秒で拉致され、部員全員の輪の中に引きずられてきた。部員の皆さんは生卵と、小麦粉の袋、そして水が入っているであろうボトルを持っている。
堂嶋キャプテンが両手に生卵を持って輪から一歩出る。
「では雪村、誕生日おめでとう!」
「おめでとー!」
生卵と小麦粉と水の一斉砲撃を受けた。
サッカー部では誕生日の人間をこうして祝う。生卵と小麦粉をぶつけるのはブラジル流のお祝いらしい。水もかけるのは、卵と小麦粉を人数分用意するとお金がかかるからだ。
一通り攻撃を受けて、もう全身が卵と小麦粉にまみれてしかもびしょ濡れである。
「早く治せよ!」
「選手権本番への切符は必ず用意するからよ!」
「お前はチームの大切な軸なんだからな!」
手荒い祝福の後、暖かい励ましを受ける。
「…みんな、ありがとう。じゃ、着替えてくる」
生卵と小麦粉を落とすべく、部室へと戻った。
…みんなが心から祝ってくれるのは嬉しい。が、複雑な気分だ。
今日も部活は見学だった。
月が輝く空の下、肌寒さを感じさせる風に吹かれて瑞音と帰り道を歩く。
「サッカー部のお祝いって凄いのね」
瑞音は生卵と小麦粉まみれになった僕の姿でも思いだしているのか、クスクスと笑っている。
「ああ。だから、部員の誕生日はみんな知ってるよ。祝う方はああやって早めに集まらなきゃいけないし、遅れると誤爆と称して巻き添え食らうしね」
「でもごめんなさい。思い切り顔面にぶつけちゃって」
瑞音は悪びれようともせず、謝る。
今回はキャプテンの粋なはからい(?)で瑞音も手荒い祝福に参加し、生卵をぶつけてきた。投げた卵が見事に鼻に直撃し、涙が出た。
「別にいいよ。祝ってくれたんだからさ」
「…いつもそうよね」
瑞音は妙なことを言う。
「いつも?どういう事?」
「……」
瑞音は答えない。
「どうかしたの?」
「……」
…またヘソを曲げたかな?でも、何か怒らせるような真似したかな?
瑞音が機嫌を損ねた理由を考えているといつの間にか瑞音の家の前に来ていた。
「あら雪村君、こんばんわ」
店終いの準備をしていた瑞音の母親がこちらに気がついて店の奥から出てきた。
「こんばんは」
「ただいま、お母さん」
「おかえり、瑞音」
瑞音の母親は穏やかな笑顔で娘を迎える。
「じゃ、また明日ね」
「ええ…」
瑞音と別れ、施設へと向かった。
自室に戻ってすぐ着替え
必要なものを持って、自転車に跨る。
さて、行くか…
ペダルを漕いで、真っ暗な町へと走り出した。
丘の上にある墓地は風が強く、この季節になるとやはり寒い。
上着の襟元をきつく閉めながら、空を見上げる。
街灯程度しか明かりがないので、ここでは星がよく見える。夕日が綺麗なことは知っていたが、星空も悪くはないと思う。街の明かりが作るちょっとした夜景も見渡せる。眠りにつくには良い場所と言えるだろう。
…さて
星と夜景の鑑賞を終え、墓地の中を歩いて両親の眠る墓石の前に立つ。
線香を上げようとすると妙なことに気がついた。
…誰か先に来たのか?
墓前には燃え尽きた線香と、供物が捧げてある。先客がいたようだ。戸倉先生か、梶山先生だろうか?
さて、こっちも
買っておいた花と供物を供え、手を合わせる。
父さん、母さん…一人息子は何とかやってます
祈りを終え、墓前から踵を返して自転車のもとへと向かった。
街灯に照らされた坂を愛車で下る。
あれから9年…いや10年か。いい加減忘れた方がいいのかねえ?
10歳以前の記憶で唯一残っているもの。
あの日、僕はまだ目的地にも着かないのに、身体はシートベルトで座席に固定されていた。両隣に座る両親も同じ体勢だった。
「大丈夫よ」
母親はやさしい笑みを浮かべながら、俺の背中に手を回すと、強く抱きしめた。
「そうだ。きっと大丈夫さ」
父親も同じ事を言って、俺の頭をやさしく撫でていた。俺には、正直何を言っているのかわからなかった。でも、今自分のいる場所が、異様な空気に包まれていることがわかった。
嗚咽、怒号、叫び声、鳴き声、ひたすら落ち着いてくださいと連呼する機内放送。バタバタと誰かが駆け回る足音。
それが突然の大きな衝撃と音でかき消され、目の前が真っ白になった。
…気がつくと母親に抱かれていたはずの自分は何かの下敷きになっていた。油の焼ける匂いと肉の焦げる匂いとが入り混じった臭気が鼻を突く。周囲を見ると、真っ二つに割れた自分達の乗っていた飛行機。そしてその脇には血にまみれた何か。
どこからか呻き声のような、不気味な声も聞こえてくる。
「…ぁぁ」
声にもならないようなかすれた声で呻く。腕や足を動かそうとするが、自分の身体にのしかかっているものがそれを許さない。それでも無理矢理動かそうとすると、体中が軋み、焼けるような痛みがした。身体のあちこちで、何か熱い液体が流れているのを感じる。
「……」
程なくして痛みも薄れ、同時に意識も遠くなった。
「……」
それからどのくらい時間が経ったか、微かに人の声が聞こえてきた。
「…こ…にもい…!手を…く…!」
「わ…た」
何を言っていたかはその時ははっきりしなかった。
「……」
それから、目を開けるとそこは病院のベッドの上だった。医者の話では一週間ほど昏睡状態だったらしい。命には別状はないということで、あと1ヶ月くらいで退院できるとのことだった。そして、1か月後、叔父と叔母から両親が死んだことを告げられ、叔父に引き取られることになった。
その後のことは覚えていない。
正直な話、死んだといわれても実感が湧かなかった。遺体を見たわけでもなかった。叔父達は何も言わなかったが、おそらくは事故の衝撃でバラバラにでもなって、どこにいったかわからなくなったんだろう。そして遺体もないまま葬儀が行われ、形だけ墓に入れられた。しかし、それでも両親が死んだことを信じられなかった。いつかひょっこり顔を見せるんじゃないかと思っていた。でも、二人は2度と自分の前に現れることがなかった。今考えると当たり前のことだが、当時はどうして自分を放っておくのかと泣いたこともあった。
…これしか覚えていないからなあ
ふうっと大きな溜息をつく。
施設に預けられることになった理由も思い出せなかった。結局、残った記憶は事故当時のものだけだった。
両親を失ったことは悲しかったが、別に今までの生活に大きな不満があるわけじゃない。親代わりになってくれた戸倉先生や梶山先生には感謝もしているし、今は本当の親だと思っている。しかし、そう思うほど両親のことが薄れてゆくのが怖くなってきた。それからは、誕生日の日に両親の事を思い出すことにした。思い出とも言えない、最後に残った両親との思い出を忘れないために…。
いつまでも…こうやって死んだ人間に引きずられるのもまずいのかな
そんなことを思いながら、ゆっくりと愛車を進めていると進行方向の方から、誰かが歩いてきた。散歩…するにはあまり良い場所とは言えないし、時間が時間だ。一体誰だ?
街灯に照らされている人は、瑞音だった。彼女はこちらの姿を確認すると、ゆっくりと近付いてきた。
今は人と話したい気分じゃない。無視しようかとも思ったが、そうもいかないので仕方なく愛車を止める。
「どうかしたの?」
「……」
瑞音はいつもの明るい表情とは違う、どこか悲しげな顔をしてこちらを見つめる。
恋しくなって会いに来たの?…なんて冗談言える状況じゃないな。彼女の顔を見ていてそんなことを考える。
「黙っていても、わからないよ」
瑞音はゆっくりと口を開く。
「あの後、あなたの様子が気になってあなたの家に行ったの。でも誰もいなくて、家の前で待っていたら戸倉先生に会って、ここだって言うから。来てみたの」
「そう、どうやら心配かけたみたいだね。わざわざここまで来てくれてありがとう」
「……」
瑞音は僕の言葉に余計に悲しそうな顔になる。
「一体どうしたの?」
「…どうして、教えてくれなかったの?」
瑞音は静かに問いかける。
「何を?」
「今日、あなたの御両親の命日だったんでしょう?」
「…家の人から聞いたの?」
「ええ」
瑞音は小さく首を縦に振る。
「そう。…別に言う必要はないだろ? 僕の両親の事は、僕達の間には関係ないしさ」
「そうね。でも、知っていればあんなにはしゃぐような真似はしなかったわ。…それに、祝うなと言うなら、祝わなかった」
瑞音は自戒を込めるように言う。
「ああそのことか。別に気にしていないよ。祝ってくれるのは嬉しいしさ」
「…もうやめて!」
突然、瑞音は大声をあげる。
「!」
「どうして? ねえ、どうしてなの? どうして私には、何も言わないの?」
瑞音の絶叫が夜の静かな並木道に響く。瑞音はいつの間にか大粒の涙を流している。
「ちょっと、落ち着きなって」
瑞音の頬に手をやるが、瑞音はそれを振り払う。
「あなたはいつもそう! 私の前でもそうやって笑っている顔しか見せない!」
「だから…落ち着きなって」
「オーバートレーニングになってからサッカーができなくて、本当は辛いんでしょう? それだって私には何も言わない! 今回のことだってそう! 本当は、誕生日を祝って欲しくなんかないんでしょう? この前病院に行った時だって、嘘をついた! 本当は、良くなってなんかいないんでしょう?」
瑞音は涙を浮かべながら、僕に掴みかかる。
まいったな…。そういうことは顔に出さない自信があったのにな。しっかりバレてたとは。
「…心配かけたのと、嘘をついたのは謝るよ、ごめん」
「……」
「今度からは瑞音に心配かけないようにするからさ」
「…もういい、わかったわ」
瑞音は僕の服から手を離すとそのまま踵を返す。
「あ、ちょっと」
「あなたは何もわかってない!」
「!」
瑞音は振り返らずにそう怒鳴ると、そのまま来た道の方へ駆けだして行く。
「あ…」
彼女の言葉に当惑しているうちに、瑞音はもう夜の闇に消えていた。
…何か怒ってる所にますます火に油を注いじゃったみたいだな。しかし、何か怒らせるようなことを言っただろうか?
ぐらついた思考を巡らせて、彼女が怒った理由を考える。
……
しかし、まったくわからない。そもそも心配かけないようにすると言うのはそんなにおかしなことだろうか?
……いつまでもここで考えていてもしょうがない。とりあえず帰ろう。
未だに現実を受け入れられないまま、家へと戻った。
施設に帰ると、優子が共用スペースでテレビを見ていた。
「ただいま」
「あ、慧兄おかえりー。彼女からプレゼント貰えた」
「貰えたよ。で、お前らは無しか」
「ソーンなわけ無いじゃん。はい」
優子はプレゼントを投げて渡す
中身はトレーニングウェアだった
「お、ちょうどボロくなってたから、ありがとう」
「はいはーい」
ひらひらと優子が手を振り、テレビに食いついている。
そんな優子を共用スペースに置いたまま自室へ戻った。
自室に入るなり、シャワーを浴びに行き、浴びた後はそのままベッドに転がり込む。
もう今日は何もする気がない。ただ、ぼんやりと天井を見る。
…
涙を流しながら訴える彼女の姿が目に焼き付いて離れない。彼女の言葉が耳から離れない。
そして、どうしてこんな事になったのかがわからない。
…これだけ考えてもわからないのだから、彼女の言うとおり、僕は彼女の事を何もわかっていなかったのだろうか?
このまま…別れるのか?
見慣れた白い天井を虚ろな目で見つめながら、最悪の事態を想像する。
そんなのは嫌だ。
最悪の事態を回避するべく、どうするか考える。
とりあえず、謝るか? だが、こちらに非があるのかどうかもわからない状態で謝るというのは何というか…釈然としない。
理由を問いただすか? 瑞音の様子からして朝が来たら収まっている程度の怒りではない。話が出来る状況にはない。
じゃあ放っておくか? それでは何の解決にもならない。それ以上に、今の彼女を放っておくのはまずい気がする。
やっぱり謝るか? でも何か釈然としないし。謝らなくてはならないことなどしていないはずだ。
問いただすか? とりつく島も無さそうだ。そもそも、どうやって瑞音に接触を図る? あの様子では相手にされなさそうだ。
放っておくか?…最悪の事態に繋がる確率大だな。それだけはまずい。
ここはやはり謝る…
ああ、もう!
堂々巡りを始めてしまった考えを振り払うように、頭から布団を被る。
謝る…問い質す…ん?
3巡目に入ってある事実に気が付いた。
そうだ。朝一緒に登校しているんだからその時に問い質せばいいんじゃないか。
なんだ簡単な事じゃないの。こんな簡単なことに気が付かなかったとは。
安心して寝ようとしたところ
ブルルルル
携帯が震える。どうやらメールらしい。送信者は…瑞音。
彼女からのメールには短く一言だけ書いてあった
『明日の朝は用事があるので先に登校してください』
……世の中そんなに甘くない。
結局他の手を考えて一睡も出来なかった。




