偽物生活スタート
契約成立の次の日。
偽物の彼氏ねえ。はたして良かったのか悪かったのか。
そんなことを考えながら今日もうつらうつらしている。
「雪村くん、おはよう」
そこに花丘さんが登校してきた。
「おはようございます…」
「今日も眠そうね」
花丘さんは呆れたような笑いを浮かべる。すると、まわりから鋭い視線が向けられる。
ただ挨拶しただけだよ。みなさん。
「はい、相変わらずです」
「今日は、山名君と景浦君はまだ来てないの?」
「正明はまだ来ていないし、愁一は今頃朝練の真っ最中」
「そう。残念」
瑞音は残念がる。刺すような視線は収まるどころか、ますます強くなる。
雑談もNGですか?皆々様。
そこに女生徒が一人目の前にやってきた。副委員長の笹倉さんだ。
「二人共。一つ確認させてもらっていいかしら?」
眼鏡をくいと持ち上げながらこちらに鋭い視線を送ってくる。
有無を言わさない迫力である。
「何? 典子」
「なんでございましょう?」
「二人が付き合ってるって、本当なの?」
副委員長の一言に教室中がざわめきだす。
「ええそうよ」
花丘さんは事も無げに言う。
その一言におおー、と歓声が上がり、おめでとーやら、口笛やら爆発しろやら囃し立てられる。
「瑞音~。やるわね。二人共仲良くね」
そう言って微笑みを浮かべると副委員長は席に戻っていった。
「ずいぶんと堂々としてるね」
「そのための契約でしょう?」
花丘さんはそう言ってにんまりと笑う。
「まあ確かに。実害もない…」
「ちょーっとまったーーーーーーーー! 」
突然教室に怒号が響き、目の前に男子生徒が一人立ちはだかる。昨日フラれた火影 正剛だ。
「そんなシステムは無いぞ火影」
相手にはしたくないが、一応制止しておく。
「うるせえ! 俺は絶対に認めねえ!」
「…好きにしなさいな。もう撃墜されちゃったのにしぶといねぇ」
「く、くぅぅぅ。お、覚えてやがれ!」
どこぞの小悪党のような捨て台詞を残して教室を出て行ってしまった。
「火影くん、まだ諦めてくれないのかしら」
ふぅ、とため息をつく花丘さん。
「執念は超一流だけに困りましたな。せっかくの偽…」
「ストップ」
花丘さんは口に人差し指を当てる
「あ、ごめん」
「気をつけてね」
花丘さんは微笑む。
「瑞音ちゃん、おはようございます」
喧騒が収まると小柄な女生徒がトテトテとやってきて花丘さんに挨拶する。
「ああさつき、おはよう」
花丘さんは笑顔で挨拶する。
「仁科さん、おはよう」
僕も挨拶をする。
「あ、雪村さん。おはようございます」
さつきはショートボブの頭をペコリと下げて丁寧に挨拶する。
「あれ?二人共知り合いだったの?」
瑞音は意外そうな顔をする。
「はい、去年も同じクラスだったんです」
「そういう事」
「そうだったの」
花丘さんは首肯する。
「それで、瑞音ちゃんに聞きたい事があるんですけど…」
さつきは瑞音と二人で話したいのか、こちらをしきりに見てくる。
「わかったわ。じゃあ雪村くん、そういう事だから」
花丘さんは席を立とうとする。そのとき、僕は正明が教室に入ってくるのが目に入れていた。
ナイスタイミングだ…相棒
そう心のなかで呟きながら席を立つ。
「ちょうど良かった。正明の所に行って来るので、良ければどうぞ」
「すみません。雪村さん」
さつきは申し訳なさそうにしている
「別に気にしなくても結構。では…」
ようやく席を逃れることができた。
偽物とは言っても、あの視線は避けられんのかね
僕はそんな事を考えながら正明のところへと向かった。が、
「慧」
女生徒に呼び止められる。
「え?はい」
呼ばれた方を向く。そして向いたことを激しく後悔した。
そこには黒髪ロングと切れ長の目が印象的な女生徒が殺意のこもった目で僕を見つめていた。龍崎 薫。僕の天敵である。
「おはよう」
「か、薫。来ていたのですか?」
「ええ。さっきね」
「な、何かご用でしょうか?」
僕は条件反射で直立不動になり、恐る恐る要件を伺う。
「数学のノート、貸しなさい」
「少々お待ち下さい…」
僕は慌てて机に戻るとさつきにちょっと失礼と言いながら、机の中を探ってノートを取り出す。
「はい、どうぞ」
「じゃああとで返すわね」
「は、はい」
「それと、一つ聞きたいのだけど」
そう言うと薫の目つきが鋭くなる。
「な、何でしょう」
刺すような視線にたじろぐ。
「あそこで騒いでいる馬鹿の言うことは本当なの?」
そう言って薫は馬鹿を指さす。
見るとそこにはいつのまにやら教室に戻ってきて頭を抱えた火影がいた
「な、なぜなんだ…。なぜ、雪村が花丘さんと恋人なんだ…。俺は認めん! 認めんぞぉォォ!」
「……」
絶句。
なぜこのタイミングなんだ
と、心のなかで地団駄を踏む。
「で、どうなの?」
睨みつけてくる薫。
「ほ、ほんとうだよー♪」
精一杯フランクに答えた。が、
「……」
薫の目つきは更に鋭くなった。もはやこちらを視殺せんばかりである。
「あ、あのー、ノートは3時限までに返してね」
「…わかったわ。それじゃ」
薫はノートを受け取ると、自分の席へと戻っていった。
「お前、何でそんなに龍崎さんのこと恐れてるんだ?」
薫とのやりとりを見ていた正明が不思議そうに聞いてくる。
「お前は薫の恐ろしさを知らないから、そんな事が言えるんだよ」
「恐ろしさって?」
「仕方ないね。薫の事が大好きな正明君に、彼女の真実の姿というものを教えますか」
「な、ななな何言ってんだよ! 俺がいつ龍崎さんのことを好きだなんて言った?」
真っ赤になって慌てふためく正明。
わかりやすいやつ。
「まあ、君が薫の事をどう思っているかはよいとして、本題に入りますか」
「……」
正明は我に帰ってじっと見つめる。
「そう、あれは‐」
あれは1年前。
入学式のあと教室に戻った時だった。私立高に入ったため周りにいるのは知らない奴ばかりだと思っていたら、突然一人の女子が声をかけてきた。
「久しぶりね」
どこかで見た事はある気がする。が、誰か思い出せなかった。
「えーと、どちら様でしたっけ?」
今にして思えば迂闊だったと後悔している。
「龍崎よ、龍崎薫。小さい頃よく一緒に遊んだでしょう?」
龍崎薫…、薫…。頭のなかで名前を反芻するも、どうしても思い出せなかった。でも何故か背筋が凍るような悪寒を感じる。
「ご、ごめん。小さいころのことは曖昧で…」
「…まさか私の事を忘れているとは思わなかったわ」
薫の目は怒りに満ちている。
「いや、色々ありまして…」
「まあいいわ、許してあげる。これからよろしくね。」
彼女は手を差し出した。
「こちらこそよろしく。」
僕が差し出された手を握った瞬間、
「?!」
手の骨の軋む音がし、激痛が走る。彼女は僕の手を砕かんばかりの力で握り締めてきた。
「じゃあ、また放課後にね」
僕の手を離した彼女は表情一つ変えずに自分の席に戻っていった。
僕の手は真っ赤になっている。
怒ってるじゃないか。
「…と、言うわけで再会していきなり僕は彼女に手を砕かれかけたわけ」
「それはお前が龍崎さんの事を忘れていたのが悪いんだろ? だったら自業自得じゃないか」
「…あのね、どこの世界に自分の事を忘れていたからって、人の手を砕こうとする女性がいる?」
「それだけ彼女が怒っていたって事じゃないか。まったく、ひどい奴だなお前は」
「……」
確かに薫の事を忘れていた自分に非があるとはいえ、ここまで薫のした事を肯定するとは…。
「はいはい…。この件は僕に非があるという事にしておきますよ」
「ずいぶんと不満そうだな。で、話はそれだけなのか?」
「いや、まだある。その後も薫はやれノート貸せだの、遊びに連れてけだの、購買行ってジュース買って来いだのと人を引っ張りまわして今日に至るんだよ」
「それは単にお前が幼馴染だから頼み事をしやすいだけじゃないのか?」
「そうしていつも僕に頼み事をしておきながら、気に入らない点があれば僕を殴る蹴るだよ」
ほらここに痣があるだろうと正明に腕の痣を見せつける。
「それはお前がいつも龍崎さんを怒らせるような真似したからだろ?」
何を言っても無駄なような気がしてきた。が、敗北を認めるわけにはいかないと意地になる。
「他にもこんな事があったな。日曜日に突然商店街に呼び出され、服を選ばさせられてね」
「選んだって、彼女の服をか?」
「そうだよ。私に似合う服を選べと。それで選んだんだけど、薫の怒りが爆発して後でボロ雑巾にされたよ」
「お前の服のセンスは最悪だからなあ。どうせ酷いコーディネイトしたんだろ?」
「確かに僕のファッションセンスが最悪なのは認めるよ。だが自分で頼んでおいて、酷かったからと人をボロ雑巾にしたんだよ、薫は。恐ろしい女だと思わないかい?」
「龍崎さんはお前に選んで欲しかったからわざわざ呼んだんだろ? だったらきちんと選んでやらないお前が悪い」
どうやらこちらの負けのようだ。
「はあ、何を言っても無駄だね、これは。恋は盲目とよく言うけど、まさかここまでお前が薫に入れ込んでいるとは」
「だから何でそうなるんだよ! 俺は別に…。」
「ああ、もうわかったからいいよ。さて、そろそろ授業が始まる頃だから、席に戻れば?」
「…わかったよ。」
正明はまだ何か言いたそうだったが、しぶしぶ席に戻って行った。