不満?3
部活が完全休養となって1週間。今日も監督やコーチの横で練習風景を見学している。監督には別に部活に出なくても良いとは言われたが、家に帰ってもしょうがないので、こうして練習に参加している。外から見るのも勉強なので、今はサッカーノートに練習や外から見ていて感じるチーム状態なんかを書いて、それに対する意見を書いてもらっている。
それから、マネージャーの仕事も手伝っている。最初は断られたが、何もしていないと落ち着かないので無理言って手伝わせてもらうことにした。マネージャーの主な仕事は、飲み物の準備、ビブスの洗濯、そして様々な雑用が主だ。あとは練習中に選手に檄を飛ばしたり(これ御神楽先輩の役目)、激励したり(これ1年生2人の役目)、たまに部室の掃除があるくらいだ。試合の時にスコアブックをつけたもする。うちの部の場合3人のマネージャーがいるが、結構仕事量はあるらしい。
「雪村ー。あたしはドリンク作るから、火影とビブスとユニフォームの洗濯してー」
「はーい」
御神楽先輩に代わって、ビブスとユニフォームの洗濯をする。洗濯といっても洗濯機があるので、洗い終わったものを干すだけである。
「雪村先輩はユニフォームお願いします。私はビブスを干しますから」
「はいはい」
洗い上がったユニフォームをハンガーにかけて干していく。今日は天気も良いので絶好の洗濯日和である。
御神楽先輩と古城さんはもうすぐミニゲームが終了するので、大急ぎでドリンクを作る準備に入っている。空のボトルが人数分並べられ、材料の入った箱がおかれ、作業開始である。
「あたしは3年のを作るから、古城は1年の。2年のぶんは手分けして作るわよ」
「はい」
2人は手分けしてドリンクを作り出す。慣れた手つきで、テキパキと作っている。
ドリンクは基本的にスポーツ飲料の粉末を水に溶かして作るのだが、人によっては細かい注文もあるため、今では部員一人ずつに専用のドリンクができてしまった。何でもそれぞれ粉末の分量が違ったり、他に様々なもの入れたりと多種多様らしい。
…こうして見ると、うちのマネージャーって働き者だな。3人の仕事を手伝ってみて、改めてそう思う。とにかく3人とも良く動く。洗濯を済ませたかと思うと、今度はタオルの準備して、脱いだ上着を畳んで最後はドリンク作りである。怪我人が出ればテーピングや薬を準備するなど、実に様々なことを手早くやっている。しかもどの仕事も手は抜いていない。ビブスやユニフォームは洗濯機で洗っているとはいえ綺麗だし、タオルはどれが誰のものか完璧に把握している、そして上着は学年毎に固めて置いておくため自分のがどこにあるか分かり易い。
ドリンクだって本来は全員同じでもいいはずだ。それをわざわざ1人1人専用に作るのだから、本当に頭が下がる。
僕達って、恵まれてるな。
「こら!雪村。美人3人に見とれてないで、手を動かせ!」
ドリンク作りに集中しているはずの御神楽先輩に怒鳴られた。その横では古城さんがクスクス笑いながらドリンクを作っている。
「あ、すいません」
慌てて洗濯を再開した。それにしても、いつこちらを見たんだろう?
完全休養となって10日。今ではもうすっかりマネージャーの仕事に慣れて、3人の仕事の速さについていけるようにもなった。今まではまかせてもらえなかったドリンク作りまで手伝っている。
「はい、これで担当分はできたよ」
「え?もうできたんですか?」
「先輩、凄いですね。もう私達と同じくらいの速さで作れるようになるなんて…」
後輩のマネージャー2人が驚いた声を上げる。
「ホント、サッカーと同じで何でもできるのね」
御神楽先輩は感心している。
「…別にそんなことないですよ」
「別に謙遜しなくてもいいじゃない。それとも何?毎日練習を見ているあたしの目が信用できないって?」
御神楽先輩は詰め寄ってくる。
「いや、別にそんなことは…」
「雪村先輩、御神楽先輩の見る目を信用してないんですか?」
「してないんですかー?」
後輩二人の見事な援護射撃。素晴らしい連携です、はい。
「…お褒めにあずかり光栄でございます」
3対1では勝ち目もないので降参。御神楽先輩は胸を張って勝ち誇っている。
「素直でよろしい。で、雪村、あんたマネージャーになる気ない?」
「は?」
「いやー、あんたみたいに使えるのがもう1人欲しいなって思ってたところなのよ」
「そうなんですよ。やっぱりもう少し人手が欲しくて」
「御神楽先輩ももうすぐ引退だから、もう1人確保したかったところなんです」
3人はそう言ってこちらに迫ってくる。
「い、いや…ちょっと」
「これは切実な問題なの。あたしは今年でいなくなるわけだから、戦力は確保しないと」
「あ、僕部室の掃除してきます」
慌てて逃げようとしたら、御神楽先輩に思い切り肩を掴まれた。
「で、どうなの?」
「どうなんですか?」
「やってくれるんですか?」
さらに迫り来る3人。
「いや…だから」
返答に困っていると、3人は上目遣いになり、悲しそうな顔をする。
「断るの?」
「断るんですか?」
「助けてくれないんですか?」
思わずハイと言いそうに…ってちょっと待て。ここは心を鬼にして断らねば。
「評価してくれるのはありがたいんだけど、やっぱり選手の方がいいから…」
できるだけやんわりと断る。
「ま、そりゃそうよね」
「そうですね。やっぱり雪村さんは選手の方がいいです」
「早く復帰できると良いですね」
3人はからかうように笑ってあっさり引き下がった。
「…もしかして、からかってた?」
「ええ」
「はい」
「そうです」
…お見事な連携です。まったく。
完全休養から2週間。もうすっかりマネージャー仕事も板に付いてきた。今では全員のタオルも把握したし、ドリンクだって全員のをレシピ無しで作れる。サッカーノートの方でも、よく見ていると褒められた。
洗濯を終えて、紅白戦を見学する。
「ほら、中盤、もっとしっかり走れー!」
「もう少しで終了ですから、頑張ってくださーい!」
「へばっていると、ドリンク当たりませんよー!」
マネージャーの3人は選手に声援を送っている。結構励みになるんだよね、こういうの。
それにしても…練習したい。
そう思っていると落ち着かなくなったのか、無意識のうちにストレッチを始めたりしていた。
すると
「雪村先輩!」
こんどは古城さんに怒鳴られた。
「は、はい」
「焦っちゃダメです!」
「はい…」
「わかったなら、大人しくしていてください」
古城さんはそう言うと、選手達に声援を送り始めた。
言われたとおり、大人しく座って練習を見る。が、相変わらず落ち着かない。
…出たい。
最初の頃は、練習を外から冷静に見ることができたが、ここ数日はこのことばかり頭に浮かぶ。正直、もう我慢は限界だった。
身体の方も、もう筋肉痛も大分収まり、倦怠感も無くなってきた。しかし、医者に言わせればまだまだらしい。昨日も病院に行って来たが、まだ休養が必要と言われた。
…それでも、出たい。
この2週間でマネージャーの仕事もすっかり馴染んだ。しかし、慣れていくと同時に怖くなってきた。このまま…選手に戻れなくなるのではないか、と。そういった不安と、身体の回復具合も手伝って、以前より焦りが強くなってきた。
…試してみようかな?
今自分がどれだけやれるのか試してみたい。もちろん、元のようにとはいかなくても、それなりにやれる自信はある。
よし…今夜実行しよう。
通常練習が終わった後、着替えてグラウンドに行くと、怪訝そうな顔をした正明が1人で立っていた。
「おい、慧。お前何で練習着に着替えてるんだ?」
「いいから。正明、ちょっと勝負してくれない?」
「勝負?」
「そ、1対1で。お前がオフェンスで僕がディフェンス」
「お前、確か運動禁止だろ?」
「そうだけど、ちょっとでいいから、な?」
両手を合わせて頼み込む。
「…まあ、ちょっとだけなら。だけど、今のお前じゃ無理だと思うぞ」
正明は承諾し、ボールを自分の足下に置く。
「じゃあ、いつでもどうぞ」
構えを取る。
「行くぞ!」
……
結果は惨敗。大して上手くないフェイントにもついていけず、身体で止めようとすれば吹っ飛ばされ、ボールを取ろうと足を伸ばせば足を引っかけてしまう始末。まったくと言っていいほど歯が立たなかった。何より、たった10回1対1をやっただけで息が上がってしまった。これでは試合に出られるはずもない。
「だから、無理だって言ったろ?」
正明は呆れたように溜息をつく。
「ハァハァ…そうみたい」
座り込んで、肩で息をしながら答える。
「焦る気持ちもわかるけどな。今は休まないと」
「ハァ…これで痛いほどわかったよ。正明、我が侭を聞いてくれてありがとう」
まだ息が整わない。我ながら情けない。
「いや、別にいいけどよ。それにしても、選手権本番なら、間に合うかもしれないだろ?」
「ふぅ…あのね、本番に行けるかどうかわからないだろ?」
「だったら約束する。必ず出場権を勝ち取る」
正明は真剣な目でこちらを真っ直ぐに見据えながら言う。
「…正明」
「だから、お前は必ず治して戻ってこい」
「わかったよ」
「じゃあ、帰ろうぜ」
正明はそう言って手を伸ばしてくる。正明の心遣いはありがたいが、今は一人になりたかった。
「…悪い、もう少しここで休んでから帰る」
「こんなとこで休んでないで帰らな…いや、何でもない。じゃあな」
正明は何かを言いかけたまま、そそくさと帰ってしまった。どうやら、こちらの一人にしてくれという意図を理解してくれたらしい。正明が帰ったのを見計らって大きな溜息をつく。
「やっぱ、ダメかぁ…」
こうなることは予想できた…いや、わかっていた。それでも、認めたくなくて、僅かな希望にすがっていた。それも、完膚無きまでに叩きつぶされ、これでもう諦めるしか無くなったわけだ。
「…あーあ、どうしてこうなるかねぇ」
一人で愚痴っていると
「慧くん」
「!」
背後から声をかけられ、慌てて振りかえる。
「…瑞音」
「隣、いい?」
「あ、ああ」
瑞音は芝生に座る。
「最近は早かったけど、今日は居残り練習?」
「そうだけど。瑞音は?」
「私は、ちょっと用があって残ってたの。それにしても随分と、調子が悪いようね?」
「…まあ、ちょっとしたスランプかな?」
「オーバートレーニング症候群って、スランプって言うのかしら?」
瑞音はそう言って笑っている。見た目はいつもと変わりないように見える…がしかし目がまったく笑ってない。まずい…怒ってる。
「何だ…知ってたのか」
気がつかないフリをする。
「ええ。居残り練習もしないですぐに帰るし、部活中もグラウンドの脇で見ているだけだったから。不思議に思って監督に聞いたの」「…そう」
「ねえ…」
「ん?」
「……」
瑞音は何も言わずに、ただじっとこちらを見つめている。どうしたの?と問いかけても、何も答えない。ただ、じっとこちらを見つめている。
……
沈黙が辺りを包む。風に揺れる木々の音が、サワサワと辺りに響く。
「……」
瑞音は相変わらず何も言わずにこっちを見ている。
こちらが何か言うのを待っているんだろうか?
「え、えと…帰ろうか?」
「え? う、うん…」
結局、それ以降は特に会話をすることもなく、施設へと帰った。




