不満?1
「おはよう。慧くん」
「……」
「ん?どうかしたの?」
「昨日、僕の方が迎えに行くって言ったよね?」
「そうだったかしら?」
花丘さんはわざとらしくとぼける。
…付き合い始めてから二週間、ずっとこの調子である。『遠回りだから僕の方が迎えに行く』と前から言い続けているのに、毎朝迎えに来る。
最初、来た時は僕の彼女が来たと大騒ぎしていた同じ施設の住人ももう特に騒がなくなった。
それどころか、普通に朝の挨拶を交わす間柄になっている。
「…まあいいか。じゃ、ちょっと待っててね」
「ええ」
自室で慌ただしく準備を終えた後、花丘さんと施設を出た。
今日も二人で仲良く登校。二週間も続けばこうして二人で登校する方が自然な感じがする。
しかし、今日は新しい『変わらない日常』とは違った。
花丘さんが何故か不機嫌なのだ。別に何か怒らせるような真似をした覚えもないし、昨日の下校時間まではいつもと変わらなかった。変わったのは…下校の時だ。
あのときは、偶然校門で会った夕希にからかわれた。散々色々な人にからかわれたから、花丘さんも大して気にしないだろうと思っていたが、その時は何故か機嫌が悪くなり、それでどうかしたのかと聞いたら何故か余計にヘソを曲げて、結局二人とも黙って足早に歩いて帰った。
…今日もそれが続いているわけだ。花丘さんは迎えに行くといつもと同じように出てきたものの、挨拶しただけでそれ以外は何も言わない。
今もこちらを無視するように、早足で歩いている。
「聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
花丘さんは振り返らずに答える。
「昨日から機嫌が悪いみたいだけど、どうかしたの?」
「別に、何でもないわ」
「何もなければ、そうはならないでしょ?」
「……」
花丘さんは一行にこちらを向こうとはしない。
「夕希に悪気はなかったと思うよ。あいつはいつもあんな感じだから」
「知ってるわ」
「じゃ、どうして機嫌が悪いのかな?」
花丘さんは少し間を置くと、こちらを振りかえる。
「私達、付き合うことにしたのよね?」
「そうだね」
「もう二週間は経つわよね?」
「そうだね」
「その割には…何かこう、余所余所しくない?」
「そうかな?」
首を傾げる。
「いまだに花丘さんだし」
花丘さんの一言に、何故機嫌が悪いのかがようやく理解できた。
何だ、夕希のことは名前で呼ぶのに自分の事は名前で呼んでくれないから拗ねてるのか。
「夕希にはそう呼べって言われただけで、別に特別な意味はないよ」
「じゃあ、どうして私は彼女なのに花丘さん?」
花丘さんはこちらの顔をのぞき込む。
「いや、その…ごめん。それはもう少し待ってくれないかな」
「もう少しってどのくらい?」
「…あと2年後くらい」
「……長すぎね」
花丘さんは溜息をつく。
「いや、大分皆様にも認知されてきたとはいえ、まだ敵は多いわけで。だから、皆様の前でそんな風に呼んだら余計に殺気立つじゃないの」
「今更何を言ってるのよ? ただ恥ずかしいだけでしょう?」
「…まったくその通りです」
「何というか、慧くんって本当に奥手ね。…典子の言うとおりだわ」
「ん? 笹倉さんがどうかした?」
「何でもないわ。じゃあ練習」
「わかった。……み、いや花丘さん」
「……変える気あるのかしら?」
花丘さんが白けた目を向けてくる。
「…許してください」
「慧くんはすぐ逃げるから駄目」
「…まいったな」
「はい、どうぞ」
「…はな…じゃない、みず痛っ!」
緊張しすぎて舌噛んだ。
「………」
花丘さんの視線が痛い。
「…ごめん」
「そのうち慣れてね」
結局、彼女の機嫌は余計に悪くなってしまった。




