ホンモノ
玄関を出ると灰色の空と、降り注ぐ大粒の雨に出迎えられた。
…せっかく勝負すると決めたらこれですか。今から泣いとけと?
ただでさえ大きな不安を更に増幅させるような天気を恨めしく思いながら、学校へと向かった。
もう文化祭から3日経ち、以前ほど指を指されることもなくなった。しかし…相変わらず一部始終を見ていた皆さんの間では旬のネタらしい。今日も周囲から僕の名が聞こえてくる。…聞こうと思えば話の内容も聞こえるが、聞くと精神衛生上よろしくなさそうなので、無視する。そもそも、今日は呆けている場合ではない。
さて…勝負するとは決めたものの、どうしたよいものか?まさかこんな周囲の注目を集める場所でやらかすわけにはいかない。それこそ卒業まで語り継がれる伝説ができてしまうだろう。
何とか二人きりにならねば…。しかしどうする?まず学校ではそんな状況が訪れる確率は0に近い。…そもそも、絶対に嗅ぎ付けられそうな気がする。だとすると学校外で会うしかない。
なら…あそこが一番いいか。一番嗅ぎ付けられそうもないし。
考えがまとまった所で正明が登校して来た
「よう」
「おはよ」
「…ん!」
正明は驚いた後、こちらの顔をまじまじと見つめる。
「…そんなに見つめられたら、困るわ~」
「……」
あら? 正明の表情は変わらない。いつもなら『気持ち悪い声出すな!』とかすかさずツッコミが来るはずなのに。
「どうかした?」
「どうやら、やっといつものお前に戻ったみたいだな」
正明は安堵の溜息を漏らす。
「大げさだねえ。たかが3日くらいなのに」
「お前は普段が普段だからな。少し驚いたんだよ」
「これでもわたしは繊細なのよ。正明君」
「…本当に元通りだな」
正明は呆れたように溜息をついた。
「愛の力は偉大なのです」
「な…」
正明はその言葉に唖然とする。
「ん? 面白くなかった?」
「い、いや…」
正明の顔色がどんどん悪くなる。あれ?何だこの反応。
「お前、どうかしたの?」
「あの時、何かいつもと違うと思ったら、やはりあれは…。そうか…遅かったんだな。俺は」
「なに言ってるの?お前」
「…慧、俺は別にお前を恨んだりはしない。だから、気にするな」
正明はこちらの言うことを聞かずにフラフラと自分の席へと戻って行った。そして、椅子に座るなり机の上に力無く崩れ落ちた。
一体何なんだ?
正明の妙な行動に首を傾げていると花丘さんが登校してくるが見えた。
行くか。
花丘さんの席へと向かう
「おはよう」
「あ、おはよう。雪村くん」
「突然だけど、今日の放課後付き合ってもらえるかな?」
「え? ええ、いいわよ」
花丘さんは心なしか嬉しそうだ。
あれ? なにか変な気がする。
が、とりあえず気にしないでおく。
それにしても
「ああ…俺の馬鹿馬鹿…」
あれはどうしたらいいんだろう?
4時限目の授業を終えて昼休みに入る。
休みに入るなり正明に平身低頭である。
「正明くーん、もういい加減に機嫌直せよー」
「……」
正明はこちらの言葉に耳を貸そうともせず、黙って弁当を食べている。
「冗談が過ぎたのは謝るよ」
「……」
とりつく島もない。
「……」
愁一は愁一で我々のやりとりを見ながら、黙々と弁当を食べている。
先程、正明に変調をきたした理由を聞いたところ、正明は僕と薫が付き合い始めたと考えて落ち込んでいたそうだ。正明は昨日僕と薫が二人で帰るところを目撃していて、ただならぬ雰囲気を感じたらしい。で、今日学校へ来ると昨日まで死んでいた僕が復活している。そこに『愛の力』なんて言葉が出た。そこから導かれる答えは…とまあ正明は珍しく察しの良さを発揮した。…残念ながら大事な手がかりに重大な間違いが存在したため、推測は大間違いなものとなったが。
で、それが間違いであることを告げると、正明は機嫌を損ねてしまったというわけだ。
「そりゃあ落ち込むのもわからないわけではないけど、お前のその推理は間違いだったんだから良かったじゃないの」
「……」
「…もう放っておけ」
「そうしましょ…」
説得を諦めて食事に戻ることにした。
……
周囲の騒々しさの中、三人のいる場所だけが沈黙に包まれる。三人の中で一番喋るのが正明が黙ると、誰も喋らないためこうなる。
「…雪村」
その沈黙を破ったのは、普段一番沈黙している愁一だった。
「何?」
「…昨日、一体何があった?」
「ちょっとね」
「些細なことで、昨日まで死んでいたお前が復活するのか?」
愁一はそう言って僅かに口の端を歪める。どうやら、正明が落ち込んだことより、こちらが復活したことに興味があるらしい。
「…やることが決まったという所かな?」
「やること?」
愁一が首を傾げる。
「そ。ちょっとばかり回り道したけど、やっと覚悟が決まってね」
「そうか。しかし、何があった?」
「昨日、誰かさんに背中を押されたと言うか、崖から突き落とされれたというか…イタタ!」
昨日というフレーズを出した瞬間正面から正明の手が伸びてきて僕の肩を思い切り掴んだ。
「…詳しく聞かせてもらおうか」
そういう正明きの目は血走っている。
「えーと…何があったかは大体お前の想像通りだよ」
声を潜めて話す。
「……」
ああやはりかといった表情で正明はがっくりした顔をする。
「…そうか。誰かさんには感謝しないとな」
そう言って愁一はいつもの笑っているか良くわからない笑みを浮かべる。
「そうだね。ま…いきなり恩を仇で返してるんだけどね」
「違いないな」
それっきり会話は途切れ、黙々と昼食を食べた。
放課後、校門前で花丘さんと合流し一緒に帰る途中で公園に寄った。
公園のベンチに二人並んで座る。
「で、何の話かしら?」
「一昨日言ったことなんだけど…」
「偽物関係の解消のこと?」
「そう。それにもう一言だけ付け加えさせてほしい」
「なに?」
「『偽物』じゃなくて、『本物』になりたい。僕は、あなたの事が好きです。付き合ってください」
「…」
花丘さんは目を丸くして驚いた表情を浮かべる
「花丘さんに好きな人がいることはわかっている。でも、僕は本気です。そいつのことは忘れてほしい」
花丘さんは少し考えるような仕草を見せて、静かに返答する。
「…雪村くん、残念だけど私は忘れられない」
「そっか…」
一つ大きな溜息をつく。
こうなる事なんて最初からわかってはいた。最初から勝てない勝負だと覚悟して望んだはずだった。でも…やっぱりどこかでもしかしたらと甘い考えに浸っていた。だから、痛い。自分の行動を少し後悔するくらいに。
敗北した現実を受け入れようとしている時、花丘さんから意外な言葉が飛び出した。
「だって、そうしたら、雪村くんの事忘れなきゃいけないもの」
「は、はいぃ?」
彼女の意外な返答に思わず素っ頓狂な声を上げる。
「雪村くん、私も『本物』になりたい」
…なんてこった。どっちも同じ気持だったのか。
安堵感からか、全身の力が抜ける
「それじゃあ、僕達ってとっくに」
「ええ。『偽物』は卒業してたのよ。きっと」
「ははは…」
思わず、笑いが零れた。花丘さんも笑っている。
「それにしても雪村くんも鈍感よね。私が雪村くん以外の人が好き、だなんて思うんだから」
「面目ない」
「…大体、落ち込んだのは私の方なのよ」
「え?」
「あのとき、こっちがあれだけ思わせぶりな事言ったのに、雪村くん逃げちゃったじゃない」
「…勘違いしたもので」
「それで、『ああ、ふられた』と思って、あの後布団被って泣いていたのよ」
「申し訳ない」
「家に帰れば帰ったで部屋中のものを投げたし、その後は暗ーい部屋の中で1人で泣いてたわ」
「…誠に申し訳ない」
「そうしたら、こうやって呼び出されて、告白されて…やっぱり雪村くんってずるいわ」
花丘さんは拗ねたような口調で言う。
「すみません」
「本当に申し訳ないと思うのなら、行動で示して」
「行動?」
「そう」
花丘さんは顔をこちらに向けて、目を瞑る。
えーと、これは…『キスして』だったっけ?でも、していいのか?
その行為を想像して、動悸がしてきた。
「……」
花丘さんは一向に目を開けようとせず、ただじっと待っている。
…いいらしい。
じゃ、じゃあ、行こう。
恐る恐る、花丘さんの頬に手をやり、自分の顔を近づける。
「……」
もう互いの息がかかるくらいの距離になっても、花丘さんは目を開けようともしない。
…ええい!
恥ずかしさを振り切って、唇に自分の唇を重ねた。
唇の柔らかい感触がする。
「ん…」
「……」
唇が触れるだけの、時間にして数秒程度のキスをして、唇を離した。
「……」
唇を離すと、花丘さんは目を開けて、また赤くなった顔と僅かに潤んだ目でこちらを見つめる。
先程までの行為による興奮と、見つめられる恥ずかしさで、まだ動悸は収まらない。体中が熱い。
と、とにかく、このまま黙って見つめられるのは、もの凄く恥ずかしい。
何か言おうと、慌てて言葉を紡ぎ出そうとするが、血の昇った頭では何も考えられない。
「雪村くん」
「は、はい!」
戸惑っているうちに、花丘さんの方が先に口を開き、思わず声が裏返る。
「私は、あなたにやっと逃げられずに済んで、とっても嬉しい」
花丘さんは、あの時と同じ、満ち足りた笑顔を浮かべる。
「……」
普段は絶対に見せない、その綺麗な笑顔に思わず見とれる。
「どうしたの?惚けて」
「あ…ごめん。その…花丘さんの嬉しそうな笑顔、とっても綺麗だから」
「え…」
「僕は、そんな花丘さんの笑顔を独り占めできて嬉しい」
「……」
花丘さんの顔は、これ以上ないくらい赤く染まった顔をする。
「あれ?また何かマズい事言ったかな?」
「…本当に、雪村くんってずるい」
花丘さんは何かを小声で呟く。
「え?」
「何でもないわ。じゃあ、私そろそろ帰らないと」
「あ、じゃあ送るよ」
「別にいいわよ」
もう今までの二人ではないのに、何故か遠慮する花丘さん。
「彼女を一人で帰らせるわけにもいかないでしょ」
「あ、そうね。じゃあ、お願いしようかしら」
「了解。じゃ、行きますか、私の愛しい彼女さん」
「ええ、行きましょう、私の大切な彼氏さん」
公園を後にして、花丘さんの家へと向かった。




