学園祭だよ全員○○4
今日は文化祭当日。我が教室も活気にあふれ…何か様子がおかしい。教卓の周りにキャスト連中が集まっており、その中心では監督(副委員長)が頭を抱えている。r何かトラブルでもあったのだろうか?疑問を解決すべく、教卓に行き、監督(副委員長)に聞いてみる。
「どうしたの? なんか騒々しいけど?」
「あ、雪村君。大変なのよ」
監督(副委員長)は慌てている。
「何が大変なの?」
「さ、先程、木塚先生から、瑞音ちゃんが熱を出したって連絡があったんです」
仁科さんは落ち着き無く言う。
「何だそんな事…って、ええ!」
「もうだからどうしたらいいのか…」
うろたえる監督(副委員長)。さすがの彼女もこれは予想外の事態らしい。
「代役立てるしかないんじゃないの?」
「代役っていっても、主役だから台詞も多いし、今からじゃ全部の台詞覚えるなんて無理よ」
「確かにね。どうしたものかな」
「困りましたねえ…」
解決策を考えていると
「…おはよう」
いつものように花丘さんが登校して来た。
「瑞音ちゃん!」
「え? 瑞音、あなた熱出して寝てるんじゃ…」
驚く監督(副委員長)と仁科さん。
「大丈夫よ、微熱だから。熱があるってお母さんに言ったら、大げさに取られちゃったのよ」
花丘さんはそう言って苦笑する。
監督(副委員長)は訝しげに花丘さんを見る。
「本当に大丈夫なの?」
「熱だけで、咳も鼻水もそんなに出てないし、喉もそんなに腫れてないから」
「本当に?」
「疑り深いわね。大丈夫よ」
花丘さんはいつものようにニッコリ微笑む。
「そう。じゃあちょっと辛いかもしれないけど頑張ってね」
「ええ」
花丘さんは監督(副委員長)に肩をポンと叩かれ、頷く。
確かに声は風邪声になっていないし、鼻づまりを起こしているわけでもなさそうだ。役を演じるのに支障はないだろう。
でも、何か変だ…。微熱という割には、呼吸が荒い気がする。それに、普段から良く笑っているとはいえ、その笑い方に何か違和感を感じる。何かこう…苦しいのに無理矢理笑っているような…。
確信は無い。でも確かめた方がよい気がして、花丘さんに近寄る。
「花丘さん」
「あ、雪村くん。どうかしたの?」
「ちょっと失礼」
花丘さんの首に手の甲を当てる。
「きゃ!な、何?」
花丘さんは突然手を首に当てられて驚く。周囲の連中も奇異な行動に驚きの声をあげる。
「やっぱり…」
手の甲からは微熱とは思えないほどの、高い熱が伝わってくる。
「……」
花丘さんは目を背ける。
「花丘さん、これ微熱って言うのかな?」
「……」
「本当は何度あるの?」
「…39度」
花丘さんはポツリと呟く。その一言に周囲の連中がどよめく。
「駄目じゃない! 寝てなきゃ!」
監督(副委員長)は叱りつける。
「でも、本当に大丈夫だから」
「39度でどこが大丈夫なのよ! さ、早く保健室でも行って寝てなさい」
「そうですよ。行きましょう、瑞音ちゃん」
監督(副委員長)と仁科さんは花丘さんを保健室へ連れて行こうとする。
「ふう…、さつき、典子、私が休んだら劇はどうするの?」
花丘さんはそれを振り払い、真剣な顔で二人を見る。
「それは私達で何とかするわ。だからあなたは…」
「…だから、大丈夫よ」
花丘さんは二人の言うことを聞こうとしない。それどころかフラフラと自分の席に置いてある衣装を取りに行こうとする。
「駄目よ!」
監督(副委員長)は腕を掴んで止めようとする。
「無理はいけません! これ以上酷くなったらどうするんですか?」
仁科さんも止める。
「二人の言うとおりだよ。休んだ方がいい」
「…雪村くんまで。私が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫よ」
どうしてそこまで意地を張る? 本当は立っているだけでも辛いのに。
普段の花丘さんからは考えられない、頑なに意地を通す姿を見ていてつい怒鳴り声をあげる。
「いい加減にしなよ!」
「!」
花丘さんは驚いて目を見開いて、ビクリと肩を竦める。
「無理をしてどうなる? そんな状態で劇に出て、途中で倒れられたら迷惑だ」
「……」
「どうするかは残りの人で考える。だから、休んでてくれない?」
「……」
花丘さんは俯いたまま黙っている。
「さ、保健室に行って、親御さんに迎えに来てもらお」
「…じゃあ」
花丘さんが俯いたまま何か言葉を発する。
「ん?」
「じゃあ、途中で倒れないで最後までやればいいのね?」
花丘さんは顔を上げ、強い意志を込めた眼でこちらを見る。その姿は、とても39℃の熱がある病人には見えない。やれやれ…本気らしい。これなら止めることはできないな。
「あのね…そういう事じゃ」
監督(副委員長)が呆れたように言う。
「いい加減にして下さい!」
仁科さんも怒鳴る。
「花丘さん、本当に大丈夫なんだね?」
「な…、雪村君!」
監督(副委員長)はこちらを睨みつける。
「…ええ、もちろんよ」
花丘さんは真っ直ぐにこちら見て力強く言い切る。
「OK。じゃあやろうか」
「ちょっと雪村君。どういうつもりよ!」
「そうです! 瑞音ちゃん、あんなに苦しそうなんですよ!」
二人は当然反対する。
「本人がやるって言うんだからいいだろ?」
「何を言ってるのよ! そんな事許すわけないでしょ!」
監督(副委員長)は烈火のごとく怒る。
「本気だよ、花丘さんは。それはわかるだろ?」
「そ、それは…」
監督(副委員長)は勢いが無くなる。
「なーに、やってみればやれるものさ。上手くいかない部分は僕たちでフォローすれば大丈夫だよ。ね、仁科さん」
「……わかりました。やりましょう」
仁科さんを説得成功。
「ちょっと仁科さん!」
監督(副委員長)はまだ納得しない。
「確かに心配ですけど、瑞音ちゃんがやるって聞きませんから」
「……わかったわよ! やりましょう。みんな、しっかりフォローしてあげてね」
監督(副委員長)はようやく決断。
「もちろん、やってやるぞ!」
「任せてくれ!」
「バッチリ決めて小島先輩に頼れるところを見せるでござる!」
「瑞音がそこまで頑張るなら、やって見せるわ!」
「そうね。私達がやらないとね」
皆の心は一つになったようだ。
「みんな…、ありがとう」
花丘さんは嬉しそうな顔をする。
「さあ準備よ」
「はい!」
一斉に準備に取りかかった。
準備に忙しく皆が動いている中、衣装に着替えている正明を見つけて声をかける。
「正明」
「どうした?」
「お前が一番花丘さんと一緒に出るシーンが多い。花丘さんのフォローは頼む」
「任せとけ」
「じゃ、頼む」
「おう」
正明と別れ、準備を開始した。
うまくやるさ…
本番に備え、舞台脇に集合する我がクラス。
「今日まで皆さんご苦労様。でもまだ何も成していません! 今日は最高の劇にしましょう!」
「オー!」
監督(副委員長)の訓辞により、気合いが入るクラスの皆さん。ここら辺はさすがだ。
「では、配置について下さい」
監督(副委員長)の指示に従い、配置につく。
いよいよか…
舞台袖で出番と待っていると
「…雪村くん」
花丘さんが話しかけてきた。
「どうしたの?」
「迷惑かけると思うけど、よろしくね」
苦しいはずなのに、花丘さんは苦しい素振りを見せようとしない。
「それじゃ困るね。やるって言ったんだからやってもらわないと」
「確かにそうね」
花丘さんは苦笑する。
「それでは、頑張りましょうか」
「はい」
開演のベルが鳴り、本番が始まった。花丘さんの動きは緩慢だが、もともと激しい動きはないからそれほど目立ちはしない。台詞もしっかりと言えてる所を見ると、最後まで何とかなりそうかな?
……
劇は大きな破綻もなく進み、僕の見せ場、正明演じる近衛騎士、クラウディウスとの対決シーンだ。練習の成果が試される。
『ラファエル、アウレリア様はどこだ?』
『心配せずとも王女は無事だ。この先の階段を登った先の部屋にいる。しかし、私はお前をそこに行かせるつもりはない』
2本の剣を構える。正明もそれに合わせて構えを取る。
『ラファエル、もう一度だけ言う。剣を納め、裁きを受けろ』
『…ならば貴様が裁け!』
左足を踏み出し、2本の剣で正明に斬りかかる。
『く…』
打ち合わせ通り、正明をどんどんと追い込んでいく。それに対し、正明は下がりながら渾身の一撃を決める隙を窺う。この部分はほぼアドリブのため、それほど問題はない。互いに剣に当たらないように仕掛ければいいだけだ。しかし、ここからは練習通りの動きをしなければならない。ここからは失敗は許されない。
舞台のやや左よりバミリを打っておいたところ!
舞台に貼ってある十字のガムテープの位置まで来たら正明の本気の一撃が来る。
正明がそこに移動した。
来る!
『せぁ!』
正明が両手で持った剣を思い切り振り回す。これを片手の剣で受け止める。
観客席からどよめきが起こる。
『どうした…近衛騎士といってもこの程度か?』
『ぐ…』
『もう少し手ごたえがあるかと思ったが…残念だよ!』
正明の左胸目がけて剣を伸ばす。
『!』
正明は半身になり、自分の左腕を剣がかすめるようにかわす。こちらが伸ばした剣は正明の左腕の衣装を切り裂き、そこからは血(ただの赤い絵の具)が飛び散る。
絵の具が飛び散った瞬間観客席から再びどよめきが起こる。
今度は正明が右手一本でこちらの脇腹目がけて剣を振るう。これを左腕だけをかすめるようにして後ろに飛び退いてかわす。
剣がかすめた左腕の衣装が裂け、そこから血がわりの赤い絵の具が飛び散る。
また観客席がどよめく。
『く…これで互いに左腕はつかえんな』
『…続けるのか?』
『当然だ!』
再び斬り合う。ここもほぼアドリブだが、今度は僕の方がわざと緩慢な動きをして互角の勝負をする。
そして
『せぁ!』
正明が思い切り剣を払い、それに合わせて観客に分からないよう剣を持つ手の力を緩める。
僕の持っていた剣ははじき飛ばされて舞台を転がる。これも予定通りの動きだ。
『ぐ…』
正明はこちらに剣を突きつける。
この時、左手に手をやり、左手の袖に隠しておいたパックを潰してさらに赤い絵の具を出し、手袋を絵の具でベタベタにする。
『お前の負けだ』
『それはどうかな』
(上手くいってくれよ)
正明の目に向かって左手から外した手袋を投げつける。練習では3回に2回しか成功しなかったが、今回は上手く正明の目元に飛び、正明は目を閉じる。
『く!』
正明がひるんだ隙に剣を拾い、正明の剣をはじく。
『もらった!』
そして、大きく振りかぶって斬りかかる。
『!』
正明は背中の鞘に入れてある刃先以外が引っ込むナイフを取り出して、僕の左胸に突き立てる。突き立てられた部分には赤い絵の具の入ったパックが仕込まれおり、ナイフの刃先(もちろん本当に刃は付いていない)によりパックが潰れ、赤い絵の具がダラダラと流れる。
『…そうだ、これでいい』
『何?』
僕はそのまま崩れ落ちる。
『……アウレリア様!』
正明が去りこれで僕の出番は終了。最大の見せ場は成功に終わった。
舞台が暗転し、低い姿勢で目立たないように正明と同じ方向に去る。正明が去った反対側の舞台脇からベッドに座った花丘さんが出てスポットを浴びる。そして再び舞台脇から出てきた正明と再会する。
『クラウディウス!』
『アウレリア様、ご無事で…!』
『クラウディウス、よくぞ…、よくぞ…』
『アウレリア様、助けるのが遅れ、申し訳ありません』
『よいのです。こうして助けに来てくれたこと、感謝します』
『では…シェネアーデに帰りましょう』
『はい!』
再び舞台は暗転しナレーションが入り、いよいよクライマックス。舞台は花丘さん役の姫が城のバルコニーから海を見るシーンだ。クライマックスとは言え、ここからは結構長いので少し心配になりながら舞台袖で見守る。
花丘さんはこちらの心配をよそに、淡々と演技をこなす。しかし、その顔からは疲労の色が濃い。
そしていよいよ告白のシーンである。ここでは花丘さんは喚かなくてはいけない部分がある。そこも削除しようかと皆で話し合ったが、話の構成上はそれはできなかったため、結局残ってしまった。
疲労も既にピークに達しているはずの花丘さんが出来るのだろうか?
心配することしかできない事を歯痒く思いながらも、固唾を呑んで見守る。
『クラウディウス…貴方は私の傍にいてくれますよね?』
『もちろんです。私はあなたに忠誠を誓った騎士ですから』
『そうではありません』
『では…どういうことですか』
『私の臣下としてではなく、私は貴方に…一人の男性として…傍にいて欲しいのです』
『……』
『貴方にとっては、ただ剣を捧げた相手に対する忠誠を貫いているに過ぎないのかもしれません。でも…私は…』
『アウレリア様…』
『私は…そんな貴方を…貴方を…愛しています』
『アウレリア様、私は貴方の想いに答えることはできません』
『…どうして?』
『貴方はこの国の王となられる方だ。そして私はただの平民出身の騎士です。あなたのような人間に私は相応しくない。皆、反対するでしょう』
『…お父様は、わかって……くれます』
ここに来て、花丘さんの台詞がだんだん間延びしてきた。まずい、そろそろ限界か?
「まずいわね、もう少し頑張ってもらわないと」
いつの間にか横に来ていた監督(副委員長)が呟く。実は、花丘さんが限界を迎えた場合を考えて、別の台詞の流れも用意して置いた。しかし、それはもう少し先で、この時点ではまだそちらに切り替えることが出来ない。
こちらの心配をよそに劇は止まらずに続く。
『国は陛下だけで動いているものではありません。今は統一王国の船出として大事な時期。皆が一つになって動かねばならないときに、いらぬ混乱を招くだけです』
『……』
『貴方は一人の人間である前に王なのです』
『…わかっています!』
『!』
『これが私の我が侭でしかないことくらい、わかっています! でも私は嫌です…。国のためでも、愛してもいない男と結婚するのは!』
花丘さんは先程まで台詞が間延びしていたのが嘘のように、一際大きな声で台詞を言う。
『アウレリア様…』
そのまま花丘さんは正明にすがりつく。
『クラウディウス、お願いです…』
ここで正明が花丘さんを突き放すはずだが、正明は何故か突き放そうとしない。
正明は困ったように舞台袖の方を見ながら、花丘さんの影で舞台からは死角になる左手を振る。どうやらさっきので花丘さんに限界が訪れたらしい。
監督(副委員長)が慌てて正明にサインを送る。急遽用意したシナリオへの変更のサインだ。それは反対側の舞台袖で待つ王様役の愁一にも伝達される。
サインに気付いた正明が花丘さんを支えるように手をやり、台詞を変える。変えた場合はしばらく正明の台詞だけで王様登場まで繋ぐことになるため、花丘さんの異変は観客からは気付かれないだろう。
『アウレリア様…私は騎士失格です』
『……』
『近衛騎士になり2年。私は騎士としてあなたに仕えることに誇りを感じる一方で、どこかでそれを拒んでいました』
『……』
『そして私はあなたに剣を捧げた騎士であることを口実に、あなたに近くあろうとした』
『……』
『私は騎士としての責務を、自分の欲望のために利用していたのです。それであなたをこうして苦しめることになった』
『……』
『私はもうあなたに騎士として仕える資格はありません。そして、騎士ではない私があなたの傍にいることは許されません。…私はこの国を去ろうかと思います』
一人で喋るため間を取るのが難しいのだが、正明は急仕上げとは思えないスムーズさで台詞をつないでいく。
「どうやらうまくいきそうね」
「そうだね」
ここまで来れば安心である。後は愁一が出てきて台本の流れに戻るだけだ。
幕の影で監督(副委員長)と安堵していると
『!』
突然花丘さんから正明を突き放した。台本には無い、そして急仕上げで作ったシナリオにも無い動きである。
「ちょ、ちょっと瑞音何やってるのよ」
「さ、さあ?」
幕の影で二人で顔を見合わせる。
『……』
舞台の上では正明が花丘さんの突然の行動に呆然としている。
突き放した方の花丘さんは多少ふらついている。そして
『何故そんなことを言うのですか…』
アドリブで喋りだした。
『……』
正明はどうしていいのかわからないまま突っ立っている。
『私は…あなたからそんな言葉を聞きたいわけではありません』
思わぬ事態に監督(副委員長)と再び顔を見合わせる。
「どうしますかね? 監督」
「どうもこうも、後は野となれ山となれ、よ」
「そうですね」
もうこうなったら見ていることしかできない我々には何も出来ない。舞台の二人に任せよう。
『貴方は私を苦しめたと言いました。でも貴方は何もわかっていません』
『……』
『貴方は私に近くあろうとしたと言いながら、私が近付こうとすればいつもそうやって逃げます。それが、私にとってどんなに苦しいか…』
『……』
『今もそうです。立場や身分、騎士としての心得、そんなものを振りかざしてまで、何故逃げようとするのです?そんなのは…卑怯です』
最後は涙声になる花丘さん。…元々泣く演技をする予定だったが、よくアドリブでここまでやるものだ。何か…抑圧されたものを吐き出す姫の心情が痛いほど良く出ている。
「やるわね…瑞音。私が考えた台詞よりずっといいわ」
監督(副委員長)も感嘆の声をあげる。
「そうですね」
二人して感心していると、舞台に異変が起こった。
『……』
『……』
舞台の上の二人は黙ったまま見つめ合う。体育館は静けさに包まれる。
「これもアドリブかしらね?」
「そうかもしれないですね」
「…効果的ね」
「はい」
二人で再び感心。しかし…
『……』
『……』
まだ舞台の上の二人は黙ったまま見つめ合っている。
監督(副委員長)は首を傾げる。
「長すぎないかしら?」
「そうですね」
「何か…変ね」
「そうですね」
段々心配になってくる。
『……』
『……』
まだ二人で見つめ合う舞台の上の二人。
あれ…まさか。
嫌な予感が頭をよぎり、監督(副委員長)の方を見る。監督(副委員長)もどうやら同じ事を考えているらしい。不安げな表情になっている。
「監督、あれ、もしかして…」
舞台の方を指差しながら言う。
「これからどうしていいかわからなくて、黙っている…のよね?」
「おそらく」
「…ま、まずいわ」
監督(副委員長)の顔色が変わり、落ち着きが無くなってきた。
『……』
『……』
舞台の上の二人はまったく動かない。その様子に、異変に気が付いた観客席がざわつき始める。
「ど、どうするのよ!このままじゃ、私の傑作が台無しになるじゃない!」
監督(副委員長)は動揺して、こちらの襟を掴んでもの凄い力で首を絞めてくる。
「…く、苦しい、落ち着いてください。大丈夫ですって」
「どこが大丈夫なのよ!」
「…見てください。愁一が…異変を…察知…ステージ…出てます」
ステージの方を指さす。ステージでは愁一が二人の方に近寄って行く。
「あ、本当。これで大丈夫ね」
監督(副委員長)もステージの方を見て安堵し、襟からぱっと手を離す。
あー死ぬかと思った
生命の危機と演劇の危機はどうやら愁一によって救われたようだ。
劇は愁一の登場で通常通りの流れに戻り、何とか成功に終わった。
劇が終わると監督(副委員長)は慌てて舞台から引き上げてくる花丘さんに駆け寄る。
「瑞音、大丈夫?」
「だ、大丈夫…あ」
花丘さんは力尽きるように、その場に座り込んでしまう。
「まったく…どこが大丈夫なのよ。…でも、よく頑張ったわ」
監督(副委員長)は呆れたように溜息をつくと、花丘さんの頭をくしゃくしゃと撫でる。花丘さんも嬉しそうに笑う。
「…ありがとう」
「じゃあみんな、撤収準備!急いで」
監督(副委員長)は指示に従い、皆が演劇に使用した様々なものを片づけ始める。
男子は総出で大道具の片づけだ。最後まで舞台にいた正明と愁一は既に片づけを手伝っている。
僕も手伝いに行こうとすると
「雪村君、ちょっと待って。頼みたいことがあるの」
監督(副委員長)呼び止められる。
「あ、はいはい。何でしょう?」
「瑞音を保健室へ連れて行ってあげて」
「は?」
「瑞音、歩けないみたいだし、私じゃ瑞音を運ぶのは無理だからお願いね」
「まさか頼みたい事ってそれ?」
「そうよ」
監督(副委員長)はしれっと言う。
「…わかった。じゃあ花丘さん、行こうか」
「え、ええ…」
花丘さんに手を貸して立たせ、肩を貸す。
その様子を見ていた監督(副委員長)は呆れたように溜息をつく。
「何やってるの? 雪村君」
「は?」
「瑞音は歩けないって言ったでしょう? だから…こうするのよ」
監督(副委員長)は両手でものを抱えるような構えを取る。
その構えから連想されるものは一つ。…マジですか? それは…いわゆる…あれですか?
「お姫様だっこ…」
「そ。ちょうど瑞音もお姫様の格好だし」
「そういう問題では…」
「そ、そうよ、典子。大丈夫よ、歩いていけるから…」
花丘さんも熱で赤い顔をさらに赤くして反論する。
「瑞音…無理はしなくていいわよ」
監督(副委員長)は悪い笑みを浮かべる。
僕達のやりとりを見ていた周囲にいる女子連中も同調する。
「瑞音、大人しく抱っこされちゃいなさい」
「雪村君、きっと上手よー」
「お姫様の格好でお姫様抱っこされるなんて、きっと一生ものの思い出よ」
皆勝手なことばかり言ってキャアキャア騒いでいる。
「あの…ひょっとして楽しんでません?」
監督(副委員長)はこちらの発言に眉をつり上げながらも、笑みを崩さない。
「そんなことはないわ…私は瑞音を気遣っているだけよ。…いろんな意味でね」
「そうよ。あくまで瑞音のためよ」
「雪村君こそ、病人を引きずっていくつもり?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
「そーそー。病人をダシに楽しもうなんてねえ…」
女子連中もワーワーと反論する。
…嘘だ。絶対に嘘だ。だってみんな後の展開を期待している眼差しなんだもの。
「さいですか」
「じゃ、わかったらさっさと行ってきなさい」
監督(副委員長)手をパタパタと振り、さっさと行くように促す。女子の皆さんも今か今かと期待に胸を弾ませている。
逃げようとしても無駄か…覚悟を決めよう。…それにちょっとやってみてもいいかなとも思うし。
「…では花丘さん、ちょっと失礼」
「え? ちょ、ちょっと!」
花丘さんの両膝の裏に左腕を回し、右腕で背中を支えて花丘さんを横抱えにする。
お姫様だっこが完成した瞬間、周囲から歓声が上がる。
「……」
花丘さんは恥ずかしさのあまり、真っ赤になって小さく縮こまっている。
「じゃ、保健室へ姫を連れて参ります」
「ええ、いってらっしゃい」
「いってらっしゃーい!」
女子の皆様の満面の笑みに見送られ、花丘さんを抱きかかえたまま保健室へと向かった。
…とまあ周囲の勢いに押されて保健室まで移動したのだが、ここまで来る途中ははっきり言って地獄だった。何せ”血まみれの服を着た男がお姫様の格好をした女を抱きかかえて歩いている”という、仮装行列にでも入っていない限り明らかに浮いた姿でここまで来たのだ。当然の事ながら、目撃した人間に驚かれ、指を差されて何かヒソヒソと話されたり、笑われた。これでもう明日から人気者だ…色々な意味で。体育館から保健室までが、こんなに遠いと感じたのは初めてだ。
そして保健室に入れば、おそらく小日向先生にもからかわれるだろう。しかし、もう失うものなど何もない。
半ば自暴自棄になりながら、保健室のドアを足で開ける。
「小日向センセ…あれ?」
鍵は開いているのに、保健室には誰もいない。
あの人…職務ほったらかしでどっか行ったな。毎度のことだが、今回ばかりはそれに助けられた。失うものは無いなんていってもやっぱりからかわれない方がいい。
ふう…
足でドアを閉めて、ベッドの方へ向かう。
「じゃ、降ろすね」
ベッドの上に花丘さんを降ろして寝かせ、布団を掛ける。
「……」
花丘さんはまだ恥ずかしいのか、布団を引っ張って顔にまでかぶせて押し黙ってしまう。
「いま氷枕用意するからちょっと待ってね」
ベッドから離れて薬や治療具の入った棚その他が入った棚の方へ向かう。
日頃部活で怪我することが多いため、保健室のどこに何があるかは大体知っている。
確か…ここかな?
棚の引き出しから氷枕を取り出し、冷蔵庫から取ってきた氷を入れる。そして窓際にかけてあるタオルで包む。
「じゃ、枕変えるね」
「……」
氷枕を片手にベッドへ行き、枕を変えようとするが、花丘さんは相変わらず顔を出さない。
「あの、枕変えられないんだけど…」
「……」
「もしもーし」
「え? あ? は、はい!」
花丘さんは慌てて布団から顔を出す。
「どうかした?」
「い、いえ。ごめんなさい。ちょっと熱で頭がボーっとしてたから」
「ああ、39度あるものね。じゃあ頭を上げて」
「え、ええ」
花丘さんが頭を上げる。下にあった枕を取り、手に持った氷枕を置く。
「ありがとう」
花丘さんは気持ちよさそうに目を細める。
「じゃあ、先生探してくるから待っててね」
「あ、ま、待って」
花丘さんは慌てて布団から手を出し、ベッドから離れようとする僕の服の袖を引っ張る。
「どうかした?」
「あ、あの…寝てれば大丈夫だから。それから…雪村くんに言いたいことがあるの」
「何? あ、もしかして怒ってるのかな? ここまでお姫様抱っこしたこと」
「そ、そうじゃなくて…その…」
花丘さんは布団の中で落ち着き無く手を動かしている。
「?」
「えと…ごめんなさい」
花丘さんは突然謝る。
「別に謝られる覚えはないんだけど…」
「あ、ほ、ほら私、最後までやるって言ったのに…、最後の最後で…」
花丘さんは何故か早口で喋る。
「ああ、その事か。僕の方こそごめん、無理をさせたね」
「べ、別に雪村くんが謝る事はないわ。私が意地張って、それで雪村くんが説得してくれたから、演劇に出れたし」
花丘さんは今度は何故かしどろもどろになる。
「さっきから落ち着きがないけど、どうかしたの?」
「え? べ、別に。ね、雪村くん、最初は反対したのに、どうしてやろうって言ってくれたの?」
「あの時の花丘さんの顔見たら、怖くて逆らえなくなって…」
花丘さんは驚いて目を見開く。
「そ、そんなに怖い顔してた?」
「ああ。もうそれこそここで止めるなら一生呪うぞと言わんばかりの…」
わざとブルブルと震える。
「ああ…」
花丘さんはまたただでさえ赤い顔を赤くする。
「…何てね。冗談だよ」
「雪村くん! 真面目な話なんだから、ふざけないで!」
花丘さんは赤い顔のまま怒鳴る。
「悪かったって。…本当はさ、花丘さんに悔しさというかやりきれなさを抱えて欲しくなくてね」
「え?」
「花丘さん、出なかったらきっと上手くいってもいかなくても後悔したでしょ? みんなに申し訳ないって思うだろうし」
「え、ええ」
「だったら自分が出て失敗しちゃった方が良いじゃないの。…まあ我が侭な考えなんだけどさ」
「……」
「これが反対していたのに、賛成した理由。どう? 満足した?」
「ええ…ありがとう」
「じゃ、今度は僕から質問だ」
花丘さんはキョトンとする。
「え? な、何?」
「どうして、あんな勝手なことしたの?」
「…あー」
花丘さんはばつが悪そうに目を逸らす。
「あ、別に怒ってるわけじゃないよ。ただ…アドリブの割には姫さんが募らせた想いが良く出ていたと思ってね」
「……」
何故か花丘さんはまた黙って赤くなる。
「ん? 何か恥ずかしくなるようなこと言ったかな?」
「…雪村くん」
「はい?」
「あれはね、姫の台詞じゃないの」
花丘さんは顔を赤くしたまま、こちらを真っ直ぐに見たまま言う。
「…そりゃ、アドリブだから」
「違うの」
「違う?」
「あれは、私の言葉。私が……誰かさんに…伝えたかった言葉なの」
「…どういう事?」
「その人は、私からは本音を聞き出すくせに、自分の本音は絶対に漏らさない…とってもずるい人なの」
それはあの近衛騎士と同じでは? そして…それに不満を感じているのか? つまり…それって…。
「まさか…花丘さん…その人のこと、好きなの?」
「え…うん」
花丘さんは恥ずかしそうにしながらも、笑いながら首を縦に振る。
その…今までに見たこともない、嬉しそうな、それでいて恥ずかしそうな笑顔は、彼女がどれほどそいつのことを好きなのかを如実に物語っていた。
…何だ、遅かったのか。身体から一気に力が抜け、頭の血が引いていくような感覚を覚える。そのまま椅子にもたれかかり、死んだような眼で天井を見上げる。
「ふーん…ねえ」
「何?」
「それは誰?」
「え、え…えーと…」
「なーんて答えられるはずもないよね? じゃ、ゆっくり休んでてね」
パイプ椅子から立ち上がり、保健室の出入り口のドアの方へ歩いていく。
「ま、待って!」
「ああ、心配しなくても大丈夫。すぐに先生見つけてくるから。それと…」
保健室の扉の前まで行ったところで花丘さんの方に向き直り
「偽物の関係はこれっきりにしよう」
それだけ告げて保健室の戸を開けようとしてふと手を止める。
…人の気配がする。
耳を澄ませてみると、ドアの向こうにいるとおぼしき人物、数名の声が聞こえてくる。
(あのー、こんなことするのはまずいのではないでしょうか?)
(何言っているのよ? 楽しいじゃない。それにしても、何でこんな展開になるの?)
(さ、さあ? そんなことより…)
(ちょっと、どうなってるの? 教えてよ)
(押さないで。早く、逃げないと)
…やれやれ。こういう事か。
小さく溜息をついて保健室のドアを開ける。すると
「きゃ!」
ドアの前に仁科さんが驚いた顔で立っていた。
「……」
左右を見るが仁科さん以外の人影はない。…逃げ足の早いことで。
仁科さんは怯えた様子でこちらを見る。
「あ、あの…」
「仁科さん、花丘さんの様子見に来たの?」
「え? あ、…いえ、はい…ご、ごめんなさいー!」
仁科さんは今にも泣きそうな顔で脱兎のごとく逃げ出した。
…まったく、油断も隙もない。
教室へと戻った。
教室では男子連中が大道具の解体を行っている。
「あ、慧。お前どこに行ってたんだよ?」
「悪い。ちょっと副委員長に頼まれ事されてて」
「そうか。じゃ、ちょっと手を貸してくれ」
「わかった」
男子連中に混じって大道具の解体とゴミ集めを行った。
片付けがひとしきり終わると、後夜祭の時間が迫っていた。
片付けが終わったのを確認すると、後夜祭に参加するために一人、また一人と教室を出て行く。
そうして一人教室に残された。
後夜祭ねえ。
あまり参加する気もなかったので、盛り上がるグラウンドを窓から見下ろす。
窓の外では火を囲んでフォークダンスが行われている。
お、正明のやつ、薫にアタックしている。
フォークダンスのお相手をして欲しいと頼んでいるみたいだが、どうやら苦戦している模様だ。
…散々からかったけど、あいつの方が立派かもな
ふと、正明と薫のやりとりを見ながらそんなことを考える。あいつは今何とかチャンスを掴もうと必死だ。それに比べて自分は…チャンスはあったのに一歩踏み出そうとしなかった。
気が付けば、正明は薫の手を取り、火を囲むダンスの輪に加わっている。あいつはチャンスをものにしたわけだ。
…ま、仕方ないよね。自分で放り投げたんだから
嬉しそうに踊る正明を見ながら、一人教室にたたずんでいると
「…こんなところで一人、何をしてる?」
愁一が教室に入ってきた。
「…高みの見物。お前こそ、一人で戻ってきてどうしたんだい?」
「俺は練習があるから帰るだけだ」
そう言って愁一は帰り支度を始める。もう既に練習用のジャージ姿だ。
「こんな時まで練習とは、よくやるねえ」
「…時間は惜しいからな」
「あーあ…僕も練習でもしようかなー…。でもやる気でないや」
「…お前がそんなことを言うのは珍しいな」
愁一は意外そうな顔(ただ片方の眉をわずかに動かすだけ)をする。
「たまにはそんな日もあるって事」
「…そうか。何があったかは知らないが、雪村」
「何?」
「やってみれば、やれるものだぞ」
「は?」
「じゃあな」
愁一は、教室から出ていった。
あいつが人を励ますなんて珍しい。
それだけこっちが腑抜けているということか。まあいいや、帰ろう。
椅子から立ち上がり、こちらも帰り支度をして教室を出た。
その夜
……眠れない。
布団の中で右を向き、左を向き、上を向く。
……やっぱり眠れない。
正直な所、自分ではそんなにショックだという意識はない。
偽物の恋人役を作っておきながら、その陰で別の人を好きになる。十分にありえたことだ。そもそも、『偽物』の自分に文句をいう資格はない。ただ、何か裏切られたような気がした。
目を瞑りながら右を向く。
目の裏に浮かぶのは、あの時の花丘さんの顔。恥ずかしさと熱のせいで真っ赤になりながらも、その笑顔は今まで見たものとは明らかに違った。何というか…満ち足りたような顔だった。
あの顔を見せられた時、もはや自分は『偽物』としての存在意義を失ったように感じた。そいつのことを思うだけであれだけ嬉しそうな顔をするんだ…ベタ惚れじゃないの。とてもじゃないが、そんな奴がいるのに今までどおりの関係など続ける気にはなれない。
時計の秒針が動く音がやけに耳障りだった。




