修学旅行2~おさそい
一夜明けて修学旅行2日目
今日は全体行動で奈良の東大寺へ行くことになっている。移動中のバスはバスガイドによる東大寺などの説明が行われている。
「…すかー」
隣に座っている正明は死んだように眠っている。それもそのはず。正明は前日まったく寝ていないらしい。
「…相当疲れたようだな」
愁一は正明の幸せそうな寝顔を見て、口の端をわずかにつり上げる(笑っている)。
「まあ、寝ていないらしいからね」
正明の話によると、昨夜は火影の鼾+本村の歯ぎしりに襲われたそうだ。
その攻撃は相当に激しかったようで、何と隣近所の部屋の連中からも苦情が来たらしい。正明は二人を起こそうとしたが、蹴り飛ばそうがなにをしようが起きなかった。で、結局苦情を言いに来た連中も諦めて帰り正明も寝ようとしたが、うるさくて眠れるはずもなく、結局一睡もしないで昨夜を過ごしたとのことだ。
「…雪村、お前の持ってきた耳栓のおかげで助かった。礼を言う」
「どういたしまして」
「すー。龍崎さん…」
「気持ち悪い」
寝惚けてこちらに抱きついてきた正明の後頭部を殴った後、窓に寄りかからせておいた。
東大寺の見学については概ね問題なく進行した。まあ火影が大仏によじ登ろうとしたり、本村が鹿を土産にしようとしたり、仁科さんが鹿の集団に拉致されたりと多少の問題は発生したが大きな事件にもならなかった。
その夜の我が班の部屋は平和だった。
火影はどこかへ行き、本村も星を見ると旅立ったためである。
しかし、茶をすすりながらのんびり…とはいかないのである。
「コンコン」
「はい」
「あ、あの…山名君、いますか?」
「ああ、いますよ。正明、お前にお客人だよ」
「あ、はいはい」
正明を呼んでから、部屋の奥へと引っ込む。出入り口前では正明が客人と二言三言言葉を交わすと、客人はがっかりした様子で部屋を去る。そして正明は小さく溜息をついて再び携帯型音楽プレーヤーで音楽を聞き出す。
しばらくして
「コンコン」
再びドアがノックされたので、ドアの前へ行き、ドアを開ける。
「はい」
「景浦君います?」
「いますよ。景浦君、お客さん」
「……」
今度は愁一を呼んでから、部屋の奥へと引っ込む。出入り口前では愁一が客人と一言だけ言葉を交わすと、客人はがっかりした様子で部屋を去る。
…さきほどから、この繰り返しである。部屋について最初は三人でカードゲームなどしながら過ごしていたのだが、あまりにもひっきりなしに客人が来るため、結局それぞれがそれぞれのやり方で時間を過ごすことになった。
「お二人とも大人気だねえ」
「ああ…もう嫌になってきた」
「…まったくだ」
正明はうんざりした顔で座椅子に寄りかかり、愁一も小さく溜息をついて本を読んでいる。
「どっかに逃げれば?」
「外に出たら一人に捕まって、でまた一人と増えてきて大変だった」
「はは…大変だねこりゃ」
「そうだな…」
正明はふうと溜息をつく。
「コンコン」
またか…。
ドアの方に行き、ドアを開ける。
「はい」
そこに立っていたのは見知った顔だった。
「あ、雪村くん」
「花丘さん、どうしたの?」
「雪村くんに聞きたい事があるの」
「何?」
「明日の自由行動の予定は?」
「…1人でふらふらとしてこようかなと」
「じゃあ、私もついてっていい?」
そう言う花丘さんは目を輝かせている。つまり、一緒に行動しようかと誘っているのである。
「え?」
「ダメ?」
上目遣いでこちらを見る花丘さん
「いや、別に構わないけど」
「本当。良かった。じゃあ明日ね」
「うん。明日」
花丘さんは要件を伝えると足早に去って行った。
わざわざ誘いに来るなんてどういうつもりなんだろう?
ま、自由行動で一緒に行動していないと、別れたのかと疑われるからなのかな?
そんなことを考えていると、再びドアがノックされる
ドアを開けると夕希が立っていた。
「よう」
「…まさか夕希も?」
夕希はこちらの質問の意味がわからないのか首を傾げる。
「ん? 何のこと?」
「ああ、何でもない。で、何の用かな?」
「えーと…ちょ、ちょっと部屋に来てくれないかな?」
「ここじゃ話せないのかい?」
「ま、まあそんなところ…」
夕希は何故かずっと目を泳がせている。
一体どうしたというのだろう?
「わかったよ。じゃあ、正明に愁一、ちょっと行って来るね」
「わかった」
「…死ぬなよ」
愁一に不吉なことを言われたが、気にせず夕希に連れられて、夕希達の部屋へと向かった。
部屋の前に着くと、夕希が静かにドアを開ける。
「さ、入って」
「お邪魔します」
夕希に促され部屋に入る。
…入った瞬間、背筋が凍るような感覚を覚え、部屋の中の空気が廊下のそれとは明らかに異質なものであることに気がついた。
「来たわね」
部屋のテーブル脇の座椅子に、獲物を見つけた猛禽類のような目で薫が佇んでいる。
な…お、怒っている。ヤバイ…これは逃げた方が良い。
本能的に危機を察知して、ドアの方に進路をかえる。
バタン
大きな音を立ててドアが閉められた。ドアが閉まる瞬間、夕希がゴメンと謝ったように見えた。
「どうしたの?そんな所に突っ立ってないで上がりなさいよ」
部屋の奥から猛禽類が手招きをする。ま、まずい…喰われる。
「えと…夕希に呼ばれて来たんだけど、お邪魔みたいだから帰るね」
背後にあるドアに左手を伸ばし、ドアノブを掴んで回す。しかし…
ガチャガチャ
何故かドアが開かない。
ガチャガチャ
どういうことだ?まさか…嵌められた?
「折角来たんだから、帰ることもないでしょう?」
ドアと格闘しているうちに、猛禽類が目の前に来て、鋭い爪の着いた足…もとい手を肩に食い込ませる。
「はい…」
もう逃げられないことを悟り、大人しく従うことにした。
奥へと入り、薫と向き合うようにして座る。
「……」
座ってから早速何か言われるものかと思ったのだが、何故か薫は口を開かない。
「あ、あのー…」
「何よ」
薫は不機嫌そうに答えるとまた睨みつけてくる。
「何でもないです…」
や、やばいマジで怒っている。
「……」
「……」
重苦しい沈黙が辺りを包む。
……
「ふぅ…」
しばらくして薫が意を決したように大きく息をつくと口を開く。
「慧、あなたは明日どうするの?」
「え、えーと…一人でフラフラとしようかなと」
本当のことを言うと殺されそうな気がしたので、嘘をつく。
こちらの返答に、薫の目に一瞬光が宿る。
「じゃあ私と一緒に行きましょう」
「…は?」
思わず素っ頓狂な声をあげる。
「ちょうど、私も自由行動を誰と行くか決めていなかったのよ。だから、一緒にどうかなと思っただけよ」
「お、怒っていらしたのでは?」
「怒る?どうしてよ?」
薫は首を傾げる。
い、一体何なんだ?
「いや…まあこちらの勘違いのようなので気になさらずに」
「…まあいいわ。で、どうなの?」
薫はそう言ってまた鋭い視線を向けてくる。
「……」
どうしよう?
本当の事を言うか?それはきっと死を意味するだろう。
しかし、先約がある以上行くとは言えない。
「…申し訳ありません」
「そう…わかったわ。用はそれだけよ。じゃ、もう出ていってくれるかしら」
「え?」
「どうかしたのかしら?」
「い、いえ…失礼します」
慌てて立ち上がりドアの方へと歩いていき、部屋を出た。
…てっきりその場で殴られるかと思ったんだけどな。
薫の行動に腑に落ちない点を感じながら部屋へと戻った
部屋に戻ると、正明と愁一は2人ともぐったりしていた。
「ただいま」
「…慧ぃ。もう俺は疲れた」
「…俺もだ」
二人して深い溜息をつく。
「あれから何があったの?」
「それはな-」
……
何でも僕が出ていった後も客人は多数来客し、対応に追われ続けたそうだ。あっさりと引き下がる者が大半だったが、中には泣き出したり、怒り出したり、しつこく食い下がる者までいたため、非常に大変だったらしい。
「特に食い下がられるのと、泣き出すのは辛かった」
「…お前の手を初めて借りたくなった」
「ご苦労様です」
「ところで、高平さん、お前に何の用だったんだ?」
「ん…ちょっと手を貸してくれっていうから、手を貸してきた」
正明はこちらの答えにつまらなそうな顔をする。
「何だよー。てっきり自由行動のお誘いが来たんじゃないかと思ったんだけどなぁ」
「そんなわけないだろ? あいつはバスケ部の連中と行くって言ってたじゃないの」
正明の言葉に苦笑する。
「愁一とからかってやろうって話してたのにな」
「…残念だ」
愁一はそう言って口の端をわずかに緩めている(笑っている)。
「ところで、多くの女性を泣かせた君達はどうするのかな?」
「俺は、バスケ部の連中に誘われている」
「俺はサッカー部の連中と一緒に行こうかと思ってる」
正明の答えを聞いて、大きな溜息をつく。
「…正明君、まさかこの期に及んで友達と楽しく…なんて考えていたのかい?」
「悪いかよ? お前にこの前言われて散々考えたんだよ。で、やっぱ友達同士で楽しくやるのが一番だという結論に達した」
こいつは真面目だから、本当に真剣に考えたのだろう。しかし、それでこの結論とは…。
「…はあ、予想通りまったくわかってないな」
「何だよ! 人がまじめに考えたんだぞ!」
正明は声を荒げる。
「愁一、ここはひとつ…」
「…そうだな。ここまで来てわからない以上、手を下すか」
正明は自分の考えを否定された上に、僕らの会話の意味が掴めず、だんだんと不機嫌になる。
「さっきから何なんだよ?」
小さく咳払いをして正明の方に向き直る。
「正明、お前は誘う相手を完全に間違えている」
「は?」
「こんな所まで来て友達と一緒にいてどうするんだ?」
「別におかしくないだろ?」
正明は強い口調で反論する。僕が何を言わんとしているのかわかっていないようだ。
「…わかっていないな。こういう時こそ、薫を誘うんだよ」
「ええ! い、いや…だって…龍崎さんきっと友達と行くだろうし…。そもそも俺なんかが誘ったってOKするはずないし…。それに…」
正明は先程までの強気な態度から一変。途端に弱気になり、何かブツブツと言い出す。
「そこは大丈夫。さっき部屋に行った時、僕を誘ってきたから」
正明の顔色が変わり、突然人の胸ぐらを掴み、締め上げてくる。
「何! まさかお前、明日は龍崎さんと一緒に行動するのか?」
「く、苦しいって…。あのね、薫と僕が一緒行くならこんな事言わないだろう?」
「あ、そ、そうか。悪い」
正明は我に帰って、手を離した。
「と、いうわけで恐らく薫はフリーだ。誘ってみるといい」
「でもなあ…」
こいつはこんなに女々しい奴だっただろうか? 恋とは恐ろしいものだ。
「お前…、さっきの人を殺さんばかりの勢いはどこに行ったんだ?」
ゆっくりと正明の方に詰め寄る。そして正明に気付かれないように愁一に目で合図を送る。愁一は黙って頷く。
「う、うるさいな」
正明はこちらの予想外の行動に慌てている。そんな様子を気にも留めず、正明の胸ぐらを掴み、額がくっつく程の距離で正明を睨みつける。
「お前…、そんなのでいいのか?」
「ど、どうしたんだ? お前、変だぞ」
正明はこちらの威嚇行動により、完全に飲まれている。今がチャンスだ。
…頼むよ、愁一
背後に回った愁一が、正明のポケットから携帯を盗む。
「そうやって何もしないでいると、後悔するよ?」
「そ、そんなの言われなくても…」
正明を威嚇し続けながら、背後にいる愁一の様子を見る。愁一は正明の携帯を操作している。
「『言われなくてもわかっている。』と言うのなら、何故迷う?」
「そ、それは…」
再び愁一の様子を見る。愁一が右手でOKサインを出している。どうやら完了したようだ。
愁一の作業が完了したことを確認して、正明を離してやる。
「悪い。少し意地悪な言い方だったね」
「いや、お前の言う通りだ。何をビビってたんだか」
どうやらハッパをかけることにも成功したらしい。嬉しい誤算といったところか。
「そうそう。まずは当たらないと」
「ああ、ありがとうな」
「礼を言うのはこちらの方だよ。なあ愁一?」
「…ああ」
正明は目が点になる。
「…どういう事だ?」
「愁一君の方を見てみなさい」
正明はこちらの言うとおり、自分の背後にいる愁一を見る。
「…返すぞ」
愁一は手に持っていた携帯を差し出す。
「あ! 俺の携帯。どうしたんだよ、これ」
正明はポケットに入れておいたはずの自分の携帯を見て驚いている。
「…貸してもらった」
「いつの間に…。で、何をしたんだ?」
正明は愁一をジロリと睨む。正明の質問に愁一に代わって答える。
「まあちょっとしたいたずらを…」
「何!」
正明は慌ててリダイヤルとメールの送信履歴をチェックする。そしていたずらの内容に気が付き、携帯の持つ手を震わせている。
「な? ちょっとしたいたずらだろ?」
「お、お前ら…」
「はいはい、お説教は後でじっくり聞くからとっととロビーに行きなさい」
「…後はお前次第だ」
「く…」
正明はまんまと一杯食わされたことに腹を立て、歯をギリギリと食いしばっている。
「それとも、せっかくのチャンスを棒に振る?」
「…わかったよ!」
正明はまったくお前らはとか何とかブツブツ文句を言いながら、部屋を出ていった。
「悪い奴だねえ、愁一君」
「…どっちがだ」
愁一は口の端をわずかに緩めて笑う。
「はい、これ貸しとくよ」
「…すまないな」
この後しばらくして、怒りながらもにやけて戻ってきた正明に、愁一と僕はたっぷりと説教された。もちろん、二人とも耳栓をして。




