修学旅行1~とっておき
「では…修学旅行中の注意事項を伝える」
空港のロビーに集合させられ、権田原が拡声器片手に注意事項を伝えている。その内容はこういったイベントでは必ずといっていいほど注意される常套句ばかりである。中にはそんなこと当然だろうと思わせるものもあり、信頼されていないのかとも思う。
…まあそうは言っても注意事項を無視するようなバカがいるのは事実だが。特にウチのクラスはそういうのが多そうだ。権田原がウチのクラスの副坦となったのもそんな理由だろう。
「……注意事項は以上だ」
「では30分後ここに再集合してください。解散」
学年主任の一言に、皆思い思いの方向へ散っていく。いきなりお土産を買いに行こうとする者、暇つぶしにウインドウショッピングをしに行く者、ベンチの方へ行って雑談をする者、目的は様々だが皆足取りは軽い。
「慧、俺達は空港内見て回ってくるけど、お前はどうする?」
正明と愁一から早速誘われた。
「暇だから、僕も行こうかな」
「よし、じゃあ行こうぜ」
こうして三人で空港内の土産物屋などを見て歩いた。
そうしているうちに時間は過ぎ、集合時間の5分前になった。
班ごとに元の場所に集合を始める。が、ウチの班員が2名まだ姿を見せない。
「どこいったんだあいつらは?」
「まああと5分あるし戻ってくるだろう」
ところが
集合時間を過ぎても結局班員はもどらず、三人で手分けして探す羽目になった。
土産物の売り場を探していると、見慣れたショートボブの娘を見つけた。
ん?あれは…仁科さん。
人だかりの中にキョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回している。
また迷ったかな?
人混みをすり抜けて仁科さんに近寄って声をかける。
「もうすぐ集合時間だよ」
「あ、雪村さん。探しに来てくれたんですか?」
仁科さんはこちらを見て安堵の表情を浮かべる。
「まあそんなところかな」
「助かりました。一人で歩いていたら迷ってしまって…お恥ずかしい限りです」
仁科さんはそういってはにかんだ笑みを浮かべる。
「じゃあ僕はまだ二人程探しに行くから先に戻ってて」
「はい、失礼します」
仁科さんはペコリとお辞儀をすると集合場所に向かって歩き出す。
「…仁科さんそっちは反対!」
結局仁科さんも一緒に連れてバカ二人を探すことにした。
10分後、レストラン街にある定食屋で食事中だった火影を正明が発見し確保。そして愛しの先輩へのお土産に悩んでいた本村を僕が無理矢理引きずって集合場所に戻ってきた。
「てめえ、喰っている途中に連れて来やがって!」
「まだお土産を買ってないでござる!」
2人ともここまで来ても文句ばかりを言っている。
「飛行機は待ってくれないよ?」
「へっ! それなら次の便にでも乗ってくらあ」
「小島先輩のいない修学旅行なんてどうでもいいでござる!」
「……」
何故こんなメンツの班長となってしまったのだろう。最初からわかっていたことだが、先行き不安な旅立ちとなった。
飛行機の離陸が完了し、シートベルトのサインが消灯されるなり、皆席を移動したり、トランプやらで遊びだして機内はにわかに騒がしくなる。こんなひとときも楽しくてしょうがない…まあわからなくもないけどね。
「……」
しかし、こちらはまったく楽しむ気になどなれない。椅子を僅かに後ろに傾けて、目を瞑ってさっきから襲ってくる目眩と吐き気に抵抗し続ける。
「雪村ぁ。大丈夫?」
隣に座っている養護教諭、小日向先生が心配そうに声をかけてくる。この席には先程吐きに行ったときに先生に捕まって連れてこられた。旅行中の生徒の健康管理を担当する先生としては、近くに置いておく方が処置がしやすいのだろう。
「…大人しくしてれば大丈夫でーす」
「薬飲む?」
「…飲んだら吐きます」
「そうよねえ。困ったわあ」
先生は解決策が見いだせず、うーんと唸る。
「…心配しないでください」
「そうは言ってもねえ…あ、そうだ」
先生は何か思いついたのか席から立ち上がり
「ちょっと待っててね。良い治療法を思いついたから」
そう言い残してどこかへ行ってしまった。
何を思いついたんだ?ま、ロクな事じゃないと思うけど。それにしても…気持ち悪い
小日向先生がいなくなってしばらく経つと、隣の席に誰かが座る音がした。どうやら戻ってきたらしい。
「…何を思いついたんです?」
「とっておきの治療法」
そう言って小日向先生は何故か僕の右手を自分の両手で包み込むようにして握る。
「……何を?」
「だからとっておきの治療法って言ってるでしょ」
「…どこがとっておき?」
握られている手を少し上げる。
「効果はバッチリよ。だから安心なさい」
「…はあ」
そろそろまた気持ち悪くなってきたので大人しく従うことにした。
「じゃ、あとはよろしくね」
小日向先生は妙なことを言う。が、もう気にしている余裕はない。
…うー
抑え込んでいた吐き気と目眩が再び襲ってくる。
「……」
隣で小日向先生が何か言ってる…。どうやら様子が変わって心配しているらしい。しかし、反応する余裕もない。目を瞑っていても、目の前がグルグル回るような感覚に支配される。
ん?
手が強く握られているを感じる。どうやら先生もこちらの状態が悪いことに気がついたようだ。
…先生の手って以外に華奢だな
自分の手と違う、柔らかい感触を感じる。
しかも暖かいし。
手から心地よい温もりが伝わってくる。それはとても落ち着いた気分にさせてくれる。
気分が落ち着いてくると同時に、だんだん意識が遠くなってきた。
……
ん?
目を開ける。どうやら眠ってしまっていたらしい。
あれだけ気持ち悪かったのに眠れるなんて…。確かにこれはとっておきだな
多少はまともに動くようになった頭で治療法の効果の程に感心する。
「先生、確かにこれはとっておきですね」
「雪村ぁ、よく見てみなさいよ」
小日向先生は呆れたように言う。
「見るって、先生が僕の手を…」
言われた通り目を開けて隣を見ると
「顔色も少し良くなったわね」
先生じゃない人がいた。
「!」
予想外の事態に、折角元通りに働きだした頭がパニックを起こす。
「なーにそんなに驚いてるのよ? じゃ、私は行くから」
そう言って小日向先生は空いている席(おそらく花丘さんが座っていた場所)へと行ってしまった。
「少しは落ち着いた?」
花丘さんはそう言って手を握り続けている。
「…もしかして、ずっとこうしてたの花丘さん?」
一応確認。
「ええ、そうよ」
あっさり肯定。
「……」
言葉が出ない。今更ながら「とっておき」の意味を知り、恥ずかしさで全身から汗が噴き出る。ひょっとしたら顔も赤くなったかもしれない。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「…大丈夫だけど。…どういうこと?」
花丘さんにいきさつを尋ねる。
「小日向先生が来て、連れてこられたの。愛する彼のピンチだーとか何とか言われて」
「……」
とっておきの治療法の正体を知り、目眩が酷くなった気がする。再び目を瞑りそのまま椅子にもたれる。
「だ、大丈夫?」
花丘さんは心配そうにこちらの顔をのぞき込んでくる。
「…だ、大丈夫だから。ありがとう、おかげで落ち着いたよ」
眼前に迫る花丘さんの顔から視線を逸らしながら礼を言う。
「そう、良かった」
花丘さんは嬉しそうに微笑む。
「でも、つきっきりにさせちゃってゴメン」
「いいわよ、別に。ちょっと嬉しいし」
そう言って花丘さんは握った手を見ながらまた嬉しそうに微笑む。何故嬉しいのかは、理解できなかった。
「? もう落ち着いたから、席に戻ってもいいよ」
「……」
花丘さんはジト目でこちらを見る
「何?」
「私がいたら迷惑?」
「いや、迷惑じゃないけど」
「じゃあ、ここにいるわ。あ、辛いなら寝てもいいから」
「はーい」
結局花丘さんにつきっきりで看病されながら機内で過ごした。
「ではこれからバスに乗るから、バス乗り場へと移動するぞー」
到着口へ出るなり担任の指示の声が響き、木塚先生を先頭に1列になってぞろぞろと空港内を移動する。
…何とか歩けるくらいにはなったかな。しかし荷物がチト重い。
まだ多少目眩が残るなか、ふらつきながら列の中を移動する。
「慧、荷物持つか?」
横を歩いていた正明が心配そうな顔でこちらを見る。
「んー…大丈夫だよ。バスに乗れば寝れるし」
「あんま大丈夫そうに見えないんだけどな」
「そうかな?…っとと」
言ってる先からバランスを崩す。
「無理するなって」
正明が手からボストンバックを奪い取る。
「大丈夫だって」
取り返す。
「気にするなって」
また奪われる。
「そっちこそ気を遣わなくても良いって」
また取り返す。
「無理するなって」
またまた奪われる。
「してないって」
またまた取り返す。
「…本人が大丈夫だと言うのだから問題ないだろう」
その様子を見ていた愁一がやれやれと溜息をつく。
「…確かにそうだな」
「そーそー。ご奉仕したいのなら他の人にでもしなさい」
「したくねえよ!」
「ああそうだった。キミはされたい方だったかな?」
「違えよ!」
「『ご主人様ぁ、お荷物をお持ちいたしますぅ』」
裏声で2次元メイドの真似をする。
「変な声を出すんじゃねえ! 気持ち悪い!」
「…うーん、やはりメイドの物真似は不可能か」
「…ったく、飛行機から降りたと思ったらすっかり元に戻りやがって」
「…だから問題ないと言ったろう?」
愁一がそんなやりとりを見て口の端を上げて笑う。
「ったくなっさけねえ野郎だぜ! 飛行機が苦手なんてよ!!」
「まったくでござるな」
「…あーまた目眩がしてきた。やかましいなあ」
ボストンバックのポケットの中にあるタオルを手に取り、火影の後ろに回り込む。
「ん? どうした雪村?」
「……」
そして長方形に折り重ねたタオルで火影の口を縛る。
「な、て、てめ雪村!何しやが…モゴモゴ」
「やかましいから黙っててくれないかな?」
火影の抵抗をかわしながらタオルをしっかりと結んでほどけないようにする。
「ふぇへぇ!ふぉふぉきふぁはれ(てめえ!ほどきやがれ)」
「ゴメン、固結びにしちゃった」
「ふぁ、ふぁんふぁふぉ(な、なんだと!)」
火影は立ち止まってタオルの結び目に手をやってほどこうとするが、きつく結んだ結び目はビクともしない。
「おい火影! こんな所で止まるなよ!」
「さっさと歩けよ!」
「ふ、ふるふぇ! ふぃふぃふらー! ふぇふぇー(う、うるせえ! 雪村ー! てめえー!)」
火影は後ろを歩いている皆様からブーイングを受けながら必死にタオルをほどこうとしている。
「さて、行こうか」
「いいのか?放っておいて」
「…そのうち観念して追ってくるだろう」
「まあそうだな」
「ふぉふぁー! ふぉいふぇふんふぁふぇー! (こらー! 置いてくんじゃねえ!)」
空港に着くなり、すぐにクラスごとにバスに乗りホテルへと移動。
バス内はバスガイドの声とエンジン音が響く。
…気分が良くなったのと地獄のフライトから帰還した安堵感と開放感が加わって、バスに乗るなりすぐ眠りへと誘われる。
お休みなさーい…。
意識も大分遠くなり、心地よい世界への扉が開かれようとする。しかし…。
「い…慧! 起きろ!」
目を閉じて眠りについたのも束の間、正明に起こされた。
「ん…もう着いたの?」
「違う。火影を止めてくれ!」
正明はそう言ってバスの乗車口の方を指さす。そこには何故かバスガイドのマイクを持って立っている火影がいた。どうやら
タオルも外れたらしい。…外れないように雁字搦めにしたんだけどな。
「…雪村、今から貴様の裁判を始める!」
そしてマイク越しに何やらとんでもないことを言っている。そして何故か火影の一言に低い歓声が上がる。
「…どういうこと?」
「さっきの仕返しじゃないのか?」
「ああ…放っておけばいいでしょ」
「罪状は仮病で小日向先生と花丘さんを独り占めにしたことだ!」
火影の大声に呼応するように再び低い歓声が上がる。
「……何がどうなったの? これ?」
「俺にもわからねえよ。何かバスに乗ってしばらくたったら殺気だってよ」
「ふーん…愁一は何か知ってる?」
前の席に座る愁一に声をかける。
「…どうやらお前が飛行機内で小日向先生と花丘さんに看病されていた事に男子連中が不満を持っていたらしくてな」
「で、意趣返しのしたい火影が『奴は仮病を使った』と嘘付いて人心をまとめたと」
「多分そんな所だろう」
「なるほどねえ…。ま、どうせ権田原か木塚センセが止めるよ。じゃ、お休み」
寝ようとすると正明は人の頭を両手で掴んで前後に振り始めた。
「当事者のくせに寝るなー!」
「わかったわかった! わかったからやめてくれない?」
正明は頭から手を離す。
「雪村、とっとと出てこいや!」
「出てこいや!」
男子の皆さんからシュプレヒコールが発生する。そこまで殺気立つことなのだろうか?
「…何で先生方止めないの?」
「木塚先生は完全に面白がっちゃって止めないし、権田原は何故か寝てるんだよ」
「じゃあ、副委員長が止めるんじゃないの?」
そう言っていると、副委員長が席から立ち上がり、ツカツカと火影に歩み寄っていく。
「ちょっと火影君。いい加減にしなさい」
「止めるんじゃねえ笹倉! 俺達は男として…」
「『男として』? ただの醜いジェラシーじゃない」
副委員長の的を射た発言に、火影がたじろぐ。しかし、マイクを離そうとせずに抵抗を続ける。
「ぐ…し、しかしだな…あんな事を許したら…」
「小日向先生も瑞音も病人の看病していただけじゃないの。それが何か問題があるの?」
「奴が仮病を使ったことに問題がある!」
火影の一言に、副委員長は口の端を歪めて笑う。まずい…あれは副委員長が何か企んでいる時に出る笑いだ。絶対に何か企んでいる。
「…へえ、貴方達男子は小日向先生の目が仮病も見抜けない程節穴だと言うのね?」
副委員長の一言に火影の顔色が変わる。そして男子連中もざわつきはじめる。
「そ、それは…いや違う!奴の演技が上手すぎるから…」
「ふーん…。それはそれで小日向先生のプライドが傷つくわねえ…」
「ぐ…」
「小日向先生にそう言ったら、何て言うかしらね? 人をヤブ呼ばわりするあなた達は、保健室入室禁止になるかもしれないわね」
副委員長の一言に男子連中がにわかに騒ぎ出す。
「やめとけ火影! もう撤退だ!」
「このままでは傷口を広げるだけだ!」
火影は味方の撤退指示に明らかに不満な表情を浮かべる。
「て、てめえら、ここまで来て引っ込めって言うのか!」
「保健室入室禁止には変えられん!」
「どうしてもというのなら、お前一人で罪を背負ってくれ!」
誰かが発した一言に、副委員長は再び悪魔の笑みを浮かべる。
「あら…そうはいかないわ。連帯責任よ」
副委員長の一言に一部を除く男子連中(15名)は一斉に立ち上がり、大将である火影を取り押さえた。
「こ、こら! てめえら離しやがれ!」
暴れた所でどうなるものではない。火影はあっさりと最後尾の席に連れて行かれ、どこから出したのかロープで座席に縛り付けれれた。もちろん騒がしいので猿ぐつわ付きで。
大将の始末を終えると、皆副委員長に一斉に頭を下げる。
「…不埒者の始末をしました。どうか許していただきたい」
「許していただきたい」
副委員長は満足そうな笑みを浮かべる。
「よろしい。では席に戻りなさい」
副委員長の指示に従い、皆素早く席に戻る。さすがは影の支配者。他人の動かし方をよくわかっている。
「…さすがだな、副委員長」
「まったく」
ウチのクラスの男子連中は、一部を除き皆小日向先生のファンである。そしてファンの間では鉄の掟が存在する。”小日向先生を貶めるような言動、行動をしてはならない”と。今回は、その掟を逆手に取った副委員長の作戦勝ちである。
「…では皆さん、裁判なんて乱暴な真似はせずに、楽しい旅を続けましょう」
副委員長はマイクで一言だけ皆に指示を出し、席へと戻っていった。
バス内には、何事もなかったかのように、先程とは別の騒々しさに包まれる。
「では…お休みなさい」
その、再び平穏が訪れた光景を見届けた後、眠りの世界へと旅立った。
宿舎となるホテルは本当に高校生が泊まってもいいのかと思うほど立派な佇まいだった。事前の説明で素晴らしいホテルとは聞いていたが、ここまでとは予想外だった。
部屋の中はベッドが5つに化粧台が一つと特に変わった構造ではなかったが、その内装は高級感に溢れている。これなら快適に過ごせる…わけもなかった。
「くー、いい部屋じゃねえか!」
部屋に入るなり、火影はベッドの一つに陣取ってはしゃいでる。折角の高級そうなベッドも奴の手にかかればそこら辺のベッドと一緒らしい。子供のようにベッドの上で跳ねている。しかも馬鹿でかい声でヒャッホー!! とか何とか奇声を上げているのでうるさいことこの上ない。
「…拙者だけこのような立派な部屋に泊まって申し分けないでござる。……こうなったら今からでも遅くはないでござる! 先輩を呼ぶでござる!」
そう言ってフロントに電話をかけ出す本村。フロントの人間相手にギャアギャアと無理難題を押しつけている。成敗するだの何だの物騒な言葉も時々飛び出している。
そんな二人の様子を見て正明は深い溜息をつく。
「…何で、こいつらと同じグループなんだ?」
「さあ?」
「知らん」
かくして、修学旅行1日目は終わりを告げた。




