私じゃダメですか?
夏休みも中盤に入った頃、突然仁科さんに水族館に行かないかと誘われた。
待ち合わせ場所の駅前に付いたが、まだ彼女は来ていないようだ。
ま、そのうち来るだろう。
待ち合わせの時間から10分後、リムジンが目の前にやって来た。
「ごめんなさい。私から誘ったのに遅刻して…」
車から降りてきて早々謝る仁科さん。
「ああいいよ。気にしなくても」
「そうですか?次は遅刻しないようにしますね」
彼女には言えないが、それは無理だと思う。
「では雪村様、お嬢様をよろしくお願いします」
リムジンを運転してきた執事の方が深々と頭を下げる。彼は支倉さん。何でも仁科さんが生まれる前から仁科家に仕えていたらしい。
「は、はい…」
「ではお嬢様、後ほどお迎えにあがりますので」
「はい」
「では失礼いたします」
支倉さんは再び深々と礼をし、リムジンを運転して帰っていった。
「じゃあ雪村さん、行きましょう」
「ああ」
仁科さんと歩き始める。
ん?
立ち止まり、周りを見る。
「どうかしましたか?」
「……いや、また、誰かに見られている」
また父親か?
こうなったら徹底的に探してやる。
周囲を見やると、一人だけ、サングラスにマスク姿の明らかに不審な人物が目に入った。
隠れているつもりだろうが、逃がさない。
「捕まえましたよ」
お父様の腕を取る。
「!」
逃げようとするお父様。
「大人しくしてください」
肘関節を極める。
「痛たた、き、貴様。私をどうするつもりだ?」
もの凄い眼でこちらを睨むお父様。
「どうもしませんよ。ただ、もう尾行するような真似はして欲しくないだけです」
「……」
お父様は黙ってこちらを睨み続け、
「…わかった。もうこれっきりにしよう」
あっさりと承諾した。
「そうですか。ではもうお引き取り頂けますか?」
「あ、ああ。今まで済まなかったな。では失礼させてもらうよ」
ずいぶんと素直にお父様は撤退。
「またお父様が迷惑を…ごめんなさい」
仁科さんは深々と頭を下げる
「いや、いいよ。さあ、行こうか」
歩く事15分。やっと水族館に到着した。
「着きましたね。じゃあ、中に入りましょう」
仁科さんはもう待ちきれないといった感じだ。
「……」
「どうかしましたか?」
「ああ、ごめん、何でもない」
「そうですか?じゃあ、行きましょう」
「ああ、行こうか」
仁科さんに促され、中に入る事にした。
おかしいな。やっぱり尾けられている。
お父様は撤退したみたいだし、誰だろう?
館内に入るなり、仁科さんは大きな水槽の底にいる魚に目を奪われている。
「仁科さん、何見てるの?」
「ああ雪村さん。アンコウって可愛いですよね?」
仁科さんは水槽の底にいる醜悪な魚を嬉しそうに指差す。
「……どこら辺が?」
「あの提灯が何ともいえないじゃないですか」
「……そう?」
「そうですよ。わかりませんか?あの愛らしさが」
「……ま、まあそうだね」
「そうでしょう?可愛いなあ…アンコウ」
仁科さんは食い入るようにアンコウを見つめている。
アンコウが好きとはこれまた変わった趣味だな…。ん?
また視線を感じ、辺りを見回す。
やっぱり誰かに見られている…。
「雪村さん、どうかしましたか?」
「仁科さん、今日はステージでイルカのショーやってるらしいよ。見に行かないかな?」
「イルカですか? ええ、行きましょう! イルカもアンコウと同じくらい可愛いですよね?」
「あ、ああ」
仁科さんはすごく乗り気で、喜び勇んでステージへと向かって行った。。
アンコウとイルカを同列にしなくても…。しかし、まだ尾いて来ているみたいだな。
尾行者に注意を払いつつ、イルカショーの会場へと向かった。
イルカショーの会場につくと、すでにショーは開始されていた。
「おおー」
イルカの統制の取れた動きに歓声が上がる。
まだ誰かが見ている。どこだ、どこにいる?
「雪村さん! 今の見ました! すごいですよ、あのイルカさん達」
仁科さんはイルカの動きを見て大はしゃぎだ。
「ああ、よく訓練されているね」
「そうですよね! すごいなあ…」
仁科さんは感嘆の声を上げながらイルカショーを楽しんでいる。
……どこだ。
僕はこちらを見ている人間を探す。
「すごいすごい!」
仁科さんはイルカに夢中だ。
……あいつだ!
観客席の中からこちらを見ている人物を見つけた。
背広を着ているが、サングラスにアフロヘア?? と明らかに怪しい格好の男がこちらを見ている。
「……」
男はこちらの視線に気がつき、目を背けた。
何者だろう?まさかお父様じゃないよね
「パチパチパチ…」
そうこうしているうちにイルカショーは幕を閉じたようだ。拍手が起こっている。
「面白かったですね。雪村さん」
「…そうだね。じゃあそろそろ帰ろうか?」
「そうですね。帰りましょう」
僕は仁科さんを連れ、水族館を出た。
まだ尾いてくる気だな…。外に出たら捕まえるか…。
水族館を出た。
「雪村さん、今日は付き合ってくれてありがとうございました」
深々と頭を下げる仁科さん。
「仁科さん、ちょっとここで待ってて」
柱の影のアフロヘアの人物の腕を取る
「捕まえましたよ」
「!」
逃げようとする男を捕まえてアフロのズラとサングラスを取ると最近良く見かけた顔が出てきた。お父様である。
お父様は必死で抵抗する。
「大人しくしてください」
肘関節を極める。
「痛たた、き、貴様。私をどうするつもりだ?」
もの凄い眼でこちらを睨むお父様。
「どうもしませんよ。もう三度目ですよ。いいかげんにしてください」
「……」
お父様は黙ってこちらを睨み続け、
「…わかった。本当にこれっきりにしよう」
「そうですか。ではもうお引き取り頂けますか?」
「あ、ああ。今まで済まなかったな。では失礼させてもらうよ」
こんどこそと素直にお父様は撤退した。
さっきいた場所に戻り、仁科さんを待つ。
「おまたせ、仁科さん」
「雪村さん、父が迷惑をかけて申し訳ありません」
深々と頭を下げる仁科さん
「心配症なんだね。でもまあこれで懲りてもうつけ回すような真似はしないんじゃないかな?」
「はい。あの、雪村さん、お腹が減りませんか?」
「じゃあ、シエロにでも行ってケーキでも食べようか?」
「はい! そうしましょう」
大はしゃぎする仁科さんと共に、シエロへと向かった。
カランカラン
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
店に入るとマスターとウェイトレスさんとが笑顔で迎えてくれた。
「こんにちは、今日もケーキをいただきに来ました」
「はは、本当にさつきちゃんはウチのケーキを気に入ってくれてるみたいだね」
「はい、とっても美味しいですから」
元気良く答える仁科さん。
「ありがとう。でも今日は瑞音ちゃんじゃなくて、雪村君と一緒か。仲が良くていいことだね」
「え? は、はい」
慌てる仁科さん。
「恥ずかしがる事はないじゃないか。さつきちゃんももう年頃なんだし」
マスターは笑っている。
「あの、マスター…」
ウェイトレスさんが話を遮る。
「あ、ああごめん。またお喋りが過ぎたね。じゃあ綾乃ちゃん、案内してあげて」
「はい。ではこちらへどうぞ」
綾乃ちゃんと呼ばれたウエイトレスに案内され、席へと座る。
「ご注文はいかが致しましょう?」
「あ、私は紅茶とチョコレートケーキを」
「僕はコーヒーを」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
注文を受け、ウェイトレスさんはカウンターの方へと戻っていった。
「ふう、今日は楽しかったです」
満足そうな仁科さん。
「ああ、そうだね」
お父様も帰ってくれたし、やっとこれで安心して…あれ?
また寒気がする。
ま、まさか…。
お父様を探す。すると
「……」
カウンターに座ってこちらを見ていた。
どおりで素直に引き上げたと思ったら…。
「どうかしましたか?雪村さん」
「いや、何でもないよ」
「そういえば雪村さん、前から聞きたい事があるんですけど」
真剣な顔でこちらを見る仁科さん。
「何かな?」
「雪村さんって、私といる時キョロキョロしたりして、落ち着きがありませんよね?」
「え、そう見えるかな?」
「はい。それに、何か緊張してます」
本当にこういう事だけは鋭い娘だ。
「ま、まあ男だったら、女の子と一緒に歩く時は緊張するんじゃないかな?」
適当な事を行って誤魔化す。
「それだけではないと思います」
うーむ、本当に鋭い。
「そうかな?」
「そうです」
だんだん仁科さんの機嫌が悪くなってきたようだ。
「気のせいだよ。多分」
また誤魔化す。
「……雪村さん」
「どうしたの?」
「やっぱり、私と一緒にいるのってつまらないですか?」
悲しそうな仁科さんの声。
「そんなことないよ」
「私よりも、瑞音ちゃんの方がいいですか?」
さらに落ち込む仁科さん。
「何言ってるの。そんなこと…」
「貴様ぁー!」
突然大声を上げてお父様が乱入してきた。
「貴様、どういうつもりだ! うちの娘とは遊びなのか!」
もの凄い剣幕で人の胸ぐらをつかむお父様。
「お父様!」
突然の父乱入により、仁科さんは目を白黒させている。
「さつき、この男はいったい何なんだ? この前の買い物の時といい今日といい…」
「お父様、まだつきまとってたんですか!」
「う! そ、それはだな…」
一気に旗色が悪くなったお父様。
「それに、今日は出張で九州の方に行かれていたはずでは…」
さらに攻勢をかける娘。
「う、うむ。それはだな…」
もうしどろもどろなお父様。
「お父様。もしかして仕事を放り出して、私たちを尾行していたのですか?」
「そ、そんなわけないだろう?」
容疑を否認するお父様。
「じゃあ今日は何故ここにいるんですか?」
「…ああそうだ! 私は今まで仕事を放り出して、お前達を尾行していた! これもお前が心配だからだ!」
とうとう犯行を認めたお父様。
「…」
呆然とする娘。
「お前ならわかってくれるだろう? 私がどんなにお前の事を心配しているのかが…」
そして泣き落としに走りだすお父様。
「お父様…」
仁科さんの声が変わる。
「さつき…」
「もういい加減にして下さい!」
とうとう娘の怒りが爆発した。
「さつき。何故わかってくれない? 私は…」
「私の事が心配だからって、尾行するなんてやりすぎです!」
「し、しかしこの男がだな…」
「雪村さんは何も悪くありません! 責任転嫁までするなんて、お父様を見損ないました!」
娘から痛い一言が。
「さ、さつき…」
お父様は僕の胸ぐらを掴んでいた手を離し、力無くその場に座り込む。
「本当に、信じられません! 1度ならず2度も…」
娘の怒りはまだ収まらない。
珍しいな。いつもにこにこしている仁科さんがこんな剣幕で怒るなんて。
「全くその通りですわね」
入り口の方から新たな人物の声が。全員の視線が声のした方に集まる。
「わ、わあああ! れ、玲子! な、何故ここに?お前は九州に…」
焦るお父様。
「ええ、今戻って来ましたわ。まったく…、珍しく一人で先に出発したと思ったら、まさかこんな所にいるとは思いませんでしたわ
どうやら娘に負けず劣らずこちらもお怒りのようだ。
「ゆ、許してくれ! どうしてもさつきの事が…」
「黙りなさい!」
お父様を一喝するお母様。
「ひ、ひいっ!」
萎縮するお父様。
「以前も言った通り、少しは見守ると言う事をしなさい!」
「は、はい」
「さ、急いで出発しますわよ。皆さん、お騒がせして、申し訳ありません。では…」
「……」
お母様は呆然とするお父様を引きずって店を出ていった。
「は、はは。すごいね。さつきちゃんのご両親」
「え、ええ。そうですね…」
呆気にとられる喫茶シエロの2人。
「……」
「……」
我々も呆然。
「あ、マスター。注文を…」
ウェイトレスが最初に我に帰った。
「あ?ああ、そうだね」
「マスター、注文はいいです。今日はこれで失礼します。お騒がせしました」
仁科さんはマスターに深々と頭を下げる。
「あ、ああ。また来てね…」
「はい。雪村さん、行きましょう」
「…ああ」
仁科さんと共にシエロを出た。
「雪村さん、今まですみません。父がご迷惑をおかけして…」
今度は僕に頭を下げる仁科さん。
「ああ、気にしなくていいよ。それにしても相変わらず凄いねえ…」
「お恥ずかしいです」
仁科さんは小さくなっている。
「まあ、今度こそは尾行されないし、まだ時間もあるからどこか行こうか?」
「じゃあ、森林公園に行きましょう」
「オーケー。じゃあ行こうか」
喫茶店から歩くこと20分。目的地に到着した。
「あそこのベンチに座りましょう」
仁科さんに促されてベンチに座る
「雪村さん、さっきの喫茶店の話ですけど…」
「ん? ああ、別に仁科さんといるのはつまらなくないよ」
「本当ですか! 良かったあ」
仁科さんは胸をなで下ろす
「どうしてそんなことを聞くの?」
「…雪村さん」
仁科さんが真剣な眼差しをこちらに向けてくる
「ど、どしたの真剣な顔して?」
「私、雪村さんの事が好きです」
え? 好き? 好きってあれだよね。異性まあ同性もあるけど、あの好きのことだよね?
仁科さんの一言に頭が混乱する。
「…やっぱり、私じゃダメでしょうか?」
「そんなこと…」
言いかけて、何故か花丘さんの顔が浮かんだ。
おいおい、彼女は偽の彼女だよ。もう2ヶ月以上も偽物役をやってるんだ。
もう別に彼女つくたっていいだろう?
だが、どうしても心に引っかかる。そうすることが裏切りのように感じられる。
「仁科さん、気持ちは嬉しいんだけど、ごめんなさい」
「そうですか…。やっぱりダメでしたか」
仁科さんはガックリと項垂れる。
その後顔をすくっとあげる
「雪村さん、恥ずかしいですから今日の事は忘れください」
仁科さんは笑顔でそう言う
「わ、わかった」
「じゃあ、私帰りますね。また学校で」
「あ、ああ…」
仁科さんの背を見送りながら、何故断ったのか改めて考えた。
僕は一体、何故花丘さんのことを気にしたんだろう。
偽物の恋人。名前だけの恋人。今までだって数回遊びに言った程度で、特別彼氏らしいこともしてない。
なのに、何故彼女のことを?
そんな事を考えながらしばらくベンチを立てずにいた。




