体育祭だ!
今日は体育祭。優勝を目指して我がクラスは殺気だって…、いややる気になっている。
「野郎ども!! 目指すは優勝のみ!!! 行くぞー!!!!」
しーん。
委員長が燃えている。っていつもこいつはこんな調子だ。誰も相手にしない。
「お前らあ、怪我しない程度にしとけよ。体育祭くらい負けたってかまわねえからさ」
いつもの調子の担任。
「じゃあ皆さん、勝つために全力を尽くしましょう。でも先生の言うとおり、無茶は厳禁よ」
「オー」
副委員長の一言でクラスのテンションは一気に跳ね上がる。これもいつもの調子だ。
そして体育祭の会場であるグラウンドに皆集合する。
「100m走に出場する選手はスタート地点に集まってください」
開会式と準備体操が終了後、いきなり出番である。今年は何だかよくわからないうちに多数の種目にエントリーさせられたため忙しい。
「慧、行くぞ」
「…出番だぞ」
正明は気合いが入っているようだ。薫にいいところでも見せようと張り切っているようだ。それに対して愁一は普段通りといったところか。
「ふぇーい」
面白そうなので正明のやる気をそぐような真似をしてみる。
「気の抜けた声を出すな!」
予想通りの反応をする正明。
「別にいいじゃないの」
「良くない。大体お前は…」
正明はあくまでも真剣である。
「…正明、いい加減目くじらをたててもしょうがないだろう?」
愁一が見かねたのか、説教を始めようとする正明を制止する。
「こういう奴には耳にタコができるくらいいわないとダメなんだよ」
正明はそう言ってまた説教を始めようとする。
「だってねえ、君のように誰かさんに良い所見せようなんて思わないしねえ」
「ほう…そうなのか」
愁一はそれを聞いて正明の方を見る。
「な、ななな何言ってんだ!」
正明はこちらの切り返しと愁一の視線に激しく動揺する。
「嫌だなあ、とぼけなくても…」
「そ、それ以上言うな!行くぞ」
正明は怒ってさっさとスタートラインへ行ってしまった。
「あーあ、行っちゃった」
「…慧、からかいすぎだ」
愁一にたしなめられる。
「ま、いいじゃないの。さーて、行きますか」
「ああ」
愁一と正明を追いかけてスタートラインに向かおうとすると
「二人は良い所見せようと思う人いないの?」
「いないんですか?」
花丘さんと仁科さんに話しかけられた。
「聞いてたの?」
「雪村くん。彼女に良い所見せようとか思わないの?」
花丘さんはわざとらしく泣くフリをしている。
「あらこれはごめんなさい。では良い所をお見せしましょう」
こちらもわざとらしい演技で応戦する。
「では私のために一位になってくださいな」
「良いでしょういいでしょう。おまかせくださいまし」
寒い芝居の応酬は続く。その脇では、
「景浦さん、がんばってくださいね。応援してます!」
「…ああ、ありがとう」
愁一が仁科さんの激励を受けていた。
愁一は相変わらずの素っ気ない態度だが、僅かながら口元が緩んでいる。内心は嬉しいのだろう。
「さて芝居はこの辺にして…じゃあ行ってきまーす」
「ええ、期待しているわ」
「1位になって下さいね」
ひょんな事から二人の応援を受け、スタートラインへと向かった。
スタートラインに着くと妙な睨み合いが発生していた。
発信源はあのバカだ。
「山名ぁ! 今年こそは負けねえぞ!!」
早速味方に喧嘩を売るバカ。
「負けないって、同じクラスだから同じ組で走らないじゃないか」
正明は困惑気味だ。
「だからタイムで勝負だ! いいな!!」
言うだけ言ってバカは1組目なのでスタートラインへ行ってしまった。1人残された正明に声をかける
「毎度の事ながら大変だねえ、お前も」
「ああ、もうどうでもいいけどな」
正明は火影のしつこさに呆れている。
「いい加減、無視すればいいんじゃないのか?」
愁一は静かに提案する。
「そう言ってもなあ。無視すればまたやかましいし…」
正明はうーんと唸る。
「まあ多分またお前が勝つだろうしな」
「ああ、でも油断はしない」
正明は唸るのをやめて、気合いを入れ直しているようだ。
「燃えてるなあ」
「…そうだな」
「もちろんだ。今年はお前達に勝つ」
正明はバカと同じような事を言う。
「…望むところだ」
愁一も何だかんだで燃えているらしい。クールなようで負けん気は相当強い愁一らしい反応である。
「あのー、僕去年出てないんだけど…」
「そんなことはどうでもいい」
「慧、お前にも負けるつもりはない」
二人とも自分があのバカと同じであることに気がついていないのだろうか?
「はいはい。僕は適当にやるので頑張ってください」
「その手には乗らん」
「それで油断させられるとでも思ったか?」
二人とも隙がない。さすがに普段からよくつるんでいるだけあって、こちらの考えも読めているらしい。
「あらら、さすがに通用しないか」
困ったふりをする。
「当たり前だ。お前はいつもそんな感じだからな」
「特にこういう時のお前は警戒しなくてはならないからな」
二人ともあくまで真剣だ。
「へえ、さすがに良くわかってるね。お二人さん」
「とにかく、本気でやれよ」
「手を抜いて勝てると思わないことだ」
正明と愁一は捨て台詞を残し、自分の組の列に並んだ。
言われなくても、最初から本気でやるつもりなのにねえ
自分の組の列に並んだ。
100m走は正明、愁一、僕はそれぞれの組で1位となり、火影は3位だった。
多数の種目にエントリーさせられたとはいえ、100m走の後は次の出番まで多少間があるのでテントでくつろぐ。
「負けたあー」
「……」
横で今だに悔しがっている我が友二人。
「残念だったねえ」
「ちくしょう…。やっぱ気合い入ってやがったな」
「……」
二人とも相当悔しいようだ。愁一は顔にこそ出さないがその拳は固く握られている。
「悔しがるのは結構だけど、あそこのバカみたいだよ?お二人さん」
バカを指さす。
「な、何故だ! 何故勝てないんだぁぁぁぁぁ!!」
あちらも悔しさは相当のものらしい。拳を地面にドカドカと叩きつけている。そんな委員長のご乱心ぶりを周囲の人間は冷たい視線で見つめている。
「……あれと一緒にしないでくれよ」
「……」
正明は先程の悔しさはどこへやら、寒い光景を見て呆れている。しかし愁一は相変わらずだ。
「だいたい、二人とも1位だったんだから良いじゃないか。ほら、あそこの方のように喜びなさい」
あそこの方を指さす。
「ふふふふ…、予定通り1位だったでござる。これで小島先輩に…」
不気味な笑いを浮かべて喜ぶあそこの方。こちらの方は周囲が敢えて見ようとしないにしている。
「……ああなりたくはない」
正明は不気味そうにあそこの方を見る。しかし
「……」
愁一は見ようともせず、自分の固く握りしめた手を見ている
「あ、あのー、愁一さん?」
「……」
答えない。そのうえ、話しかけるなという意志がひしひしと伝わってくる。こうなった愁一は手に負えない。
「慧、そっとしておこう」
正明もそれを感じ取ったようだ。撤退を促す。
「そうだね」
二人して愁一から少しだけ離れた。すると
「おめでとう、雪村君」
「おめでとうございます」
先程の二人が祝福に来た。
「二人に言った通り、頑張ってきましたよ」
明るく答える。
「ええ、応援したかいがあったわ」
「私、感動しました!」
二人とも喜んでくれている。
「喜んでもらえて何よりだね」
「? どういうことだ、慧」
正明は事の成り行きがつかめていない。
「我々を応援してくださった皆様への感謝だ」
事情を知らない正明に解説してやる。
「ん? 我々ということは?」
「そう。あそこの方も同様だ」
「……」
黙って自分の手を見つめたままの愁一を指さす。
「景浦君、どうしたんですか?」
仁科さんは愁一の様子がおかしいことに首を傾げている。
「…そうだ、仁科さん。愁一を労ってやってくれないかな?」
「ええ。いいですよ」
仁科さんは頷くとすたすたと愁一の方に近づいていく。彼女は愁一から放たれている近寄りがたい雰囲気を感じないのだろうか?
「景浦君。お疲れさまです」
仁科さんは愁一の目の前に行き声をかける。
「……」
突然の僅かに眉をつり上げて、愁一は無言で顔を上げる。
「景浦君、1位だったのに落ち込んでいるんですか?」
「…ん、ああ…」
相変わらず無愛想で無表情だが、明らかに動揺している愁一。普段から動揺することが表に出ない(まあ僕から見ればバレバレだが)愁一としては珍しい光景である。
「確かに雪村君には敵わなかったですけど、充分速かったですよ」
「……」
「胸を張れる結果なんですから、そんなに落ち込まないでください」
仁科さんはにっこりと微笑む。
「…ありがとう。仁科さん」
愁一は恥ずかしいのか、小さな声で礼を言う。
「お礼なんていいですよ。じゃあ次の種目も頑張ってくださいね」
「ああ」
どうやら愁一の悔しさもおさまったらしい。先程までの近寄りがたい雰囲気はすっかり消えてしまった。
「仁科さん、すごいな」
「ああ、ここまで上手くやるとはね」
「やるわねー、さつき」
3人で感心して見ていると
「…まったく、何をしてるのかしらねえ」
いつの間にか背後に薫が現れた。しかも呆れている。
「りゅ、龍崎さん!」
「ど、どうなされたのですか?」
二人して慌てて振りかえる。しかも何故か正座で。
「あら、一応1位になったんだから、二人におめでとうと言いに来ただけよ」
どう見ても祝福に来たような感じがしない。何となく言葉にトゲがある。
「それはありがとうございます」
「あ、ありがとう…」
正明は顔が赤い。この薫を前にして何故こんなリアクションが出来るのだろう?
「次は女子100m走です。出場する生徒は…」
本部からのアナウンスが流れる。
「じゃあ私は次出番だから」
薫は100m走のスタートラインに向かっていった。
「あ、私も出番だから行くね。雪村くんには負けないわよ」
花丘さんも立ち上がる。
「はは、まあ頑張ってね」
「瑞音ちゃん、しっかりね」
いつの間にか戻って来た仁科さんが花丘さんに声援を送る。
「ええ。じゃあ行って来るわ」
花丘さんもスタートラインへと向かっていった。
まったく、何だったんだ…
とりあえず嵐が過ぎ去った。
女子の100mが始まり、薫、花丘さんは両方共1位という見事な成績で終わった。
そして100mの次は綱引きである。
「次は綱引きです。生徒はグラウンド中央に集合してください」
アナウンスが流れる。
「よおし! 行くぞぉ!! 野郎ども!!!」
委員長は一人ハイテンションでダッシュ。その他(僕も含む)は後ろをだらだらとついて行く。
わが2-Eの初戦の相手は3-Bである。相手はラグビー部または柔道部所属とおぼしき体格の方が多い武闘派のクラスだ。
うーむ、こりゃ分が悪い
綱の前に互いに一列に並ぶ。
「初戦はお前のクラスが相手か」
相手のクラスの委員長らしき人がウチの委員長に話しかけている。
「簡単には負けないっスよ。金剛キャプテン」
どうやら相手のクラスの委員長はラグビー部のキャプテンらしい。
「ほう。言っておくが、ウチにはラグビー部が7人、柔道部が4人いるぞ」
自信満々な金剛さんと呼ばれた人。
「やってみなけりゃわからないッス。行くぞぉ! お前ら!!」
委員長の気合いの雄叫び。が、
「……」
皆答える気は全くなし。
「お前、本当に勝つつもりか?」
明らかにナメられている。
「……うう、もちろんッス」
珍しく勢いが無くなる委員長。
「それでは綱を持って」
審判の声がかかり、一斉に綱を持つ。
「がんばろうね。雪村くん」
すぐ後ろで綱を持っている花丘さんがこちらを振り返る。
「やるだけやってみますか」
「よーい…」
一斉に腰を落とし、綱を引く体勢を取る。
「パァン」
合図と共に一斉に綱を引く。
「オーエス!オーエス!」
相手は体格のいい人が多い上に、見事なまでに統制がとれている。これに対し
「てめぇら、しっかり引っ張れ! オーエス!」
全くバラバラな我がクラス。そもそも委員長が皆に合わせる気がない。完全にスタンドプレーである。
最初のわずかな時間こそ互角だったものの、統制の取れた相手に勝てるはずもなくズルズルと引きずられ
「オーエス!」
一気に引っ張られた。
「うぉぉぉ!!」
委員長の断末魔の叫びと共に
「パァン」
我がクラス敗北。あまりに強く引っ張られたため、半数以上が転んでいる。
あいたたた…。ここまでやるかぁ…
体を起こそうとすると背中に何か妙な感触がすること気が付いた。
何かが乗っかってる。それに何だ、この匂い…
乗っかっているのは
「いたた…」
花丘さんだった。彼女はまだ僕に乗っかっている事に気が付いていない。
「あの、花丘さん」
「いたた…、何?」
「よけてもらわないと、起き上がれないんだけど」
「え!あ…ごめんなさい!」
花丘さんは慌てて飛び退く。
「ふう。よいっしょっと」
起き上がる。すると
「………」
何やら男子の皆さんが殺気立って僕の周りを囲んでいる。
「あ、あれ?どうしました?みなさん」
とりあえず様子をうかがう。
「ゴルァァァ! 雪村ぁ!」
「てめえ、みんなが痛い思いしてる中、なに一人だけおいしい思いしてやがるんだ!」
「貴様ぁ! 花丘さんに何て事を!」
「お前の罪は俺が裁く!」
「天誅を下すでござる!」
「この敗北の悔しさ、てめえにまとめてぶつけてやる」
「…覚悟しろ」
「日頃のお返しだ」
敗北の悔しさと痛さも相まって、皆さん激怒中。うち2名は明らかに便乗。
「あのー、ただの事故…」
「問答無用!」
弁解の余地無く一度に襲いかかってきた。
負けた上に味方同士でしょうもない乱闘と散々な綱引きとなってしまった。
テントに戻るなり花丘さんが手を合わせて謝ってきた。
「ごめんなさい! 私のせいで!」
「…気にしなくても良いよ」
擦り傷の治療をしながら答える。
「でも本当にごめんなさい!」
花丘さんは必死に謝っている。
「別に花丘さんがそこまで謝らなくてもいいよ」
「でも…」
「悪いのはあの野獣どもだって。まったく、味方の戦力削ってどうするんだか…」
「大丈夫?」
花丘さんは心配そうに見ている。
「大丈夫だって」
二人で話していると
「まもなく、借り物競争が始まります。参加者はスタート前に集合してください」
まもなく自分の出る種目が回ってくる。
「慧、お前なんで借り物競争なんかにエントリーしたんだ?」
正明は不思議そうに聞いてくる。
「じゃんけんに負けたから」
正明と他愛もない話をしていからスタートラインへと向かった。
「じゃ、行ってくる」
「おう、1位とって来いよ」
「それは借り物次第」
アナウンス通りスタートラインに集まる。見たところそれほど足の速いやつはいない模様。当たり前の事だが、足の速い連中はもっぱら100m走にエントリーしてるためである。両方出ているのは僕くらいなものだ。
これなら、借り物の書いた封筒まで一番乗りか。
「スタートラインに並んで」
スターターから声がかかり、出場者はスタートラインの前に並ぶ。
「では、位置について」
少しだけ緊張。
「よーい」
片足を一歩引き、スタンディングスタートの体勢をとる。
「パァン」
音と共に一斉にスタート。予想通り楽に先頭に立ち、借り物の書いた封筒を取る。
「さて、借り物は…」
封筒の中に入った紙を見た。
「夜叉」
暫し呆然。
誰だ?こんなものを書いたのは?これは明らかに物ではないだろう。
取ってしまった物は仕方ないので考えを巡らせる。
夜叉なんているわけが………待てよ、たった1人だけいるな。
一直線に自分のクラスのテントへ。
「薫、いる?」
「何よ」
「さ、行くよ」
薫の手を引く。
「ちょ、ちょっとなによ突然」
薫は少し困惑気味。
「僕の借り物は薫なの。さ、急ぐよ」
「え、ええ」
薫の手を引いてゴールへ急ぐ。他の連中はまだ借り物を探している。見事にゴールテープを切ることが出来た。
「ふう、よかった」
どうなるかと思ったが、結果を出す事はできた。
「慧」
「何でしょう?」
「借り物が私ってどういうこと?」
薫は訝しげにこちらを見る。
「可愛い女の子でございます」
「本当?」
薫はさらに疑いのまなざしを強める。
「嘘など言うはずがないでしょう」
「そう、まあ信じてあげましょう」
薫はまんざらでもないらしい。
…意外におだてに弱いのか?何はともあれ、紙を見せろと言われずに済んだか。
話しているうちに借り物競争も終了し、テントへ戻る。
「ささ、戻りましょう」
「ええ」
薫と共に帰還。1位ということで、クラスの皆さんから祝福。
「雪村ー、よくやったな」
「これでトップをキープよ」
「ありがとう」
礼を言い、正明の所へ行く。
「いやー、お前借り物探すのえらい速かったな。他の連中苦戦してたぜ」
「まあ、簡単だったからね」
「で、何だったんだよ?お前の借り物」
「実はね…」
借り物の書いた紙を差し出そうとポケットに手を入れる。
「あれ?あらら?」
「どうしたんだ?」
「借り物の書いた紙落とした」
「別にいいだろ。もう必要ないんだし」
「確かにね」
確かに正明の言うとおりである。もう競技が終わった以上あれは必要ない。
でも何故だろう?落としてはいけないものを落とした気がする…。
気にしてもしょうがない。次だ次。
「次は障害物競走です。エントリーしている生徒はスタートラインに集合してください」
「お、次は障害物競走か。うちのクラスから誰が出るんだ?」
正明が聞いてくる。
「悪い、忘れた。夕希、知ってる?」
仕方ないので夕希に聞いた。
「ああ、障害物競走は確か朝倉に、杉原に、本村に、仁科だったよ」
「ちょっと待て。何故仁科さんが入っているの?」
「彼女が出たいって希望したそうだよ」
「彼女、運動は得意なのか?」
「いえ、全くダメよ」
薫が話に入って来た。
「どのくらいダメなんですか?」
今度は薫に聞く。
「100m走のタイムは30秒くらいだったし、バレーボールじゃいつも顔面レシーブだし、マット運動じゃ前転一回しただけで目を回してたわよ」
「……それはすごいですね」
「ええ、狙っても出来ないわね」
薫と共に何故か感心してしまった。
「おい、始まるみたいだぞ」
話をやめ、レースを見る事にした。
「僕達に出来るのは見てるだけ…だね」
「ああ」
「そうね」
仁科さんはどうやら1組目らしい。スタートラインに立っている。
大丈夫なのか?
「パァン」
合図と共に1組目が一斉にスタートした。仁科さんは大出遅れをかましている。当人は真面目に走っているのだが、すでに他の連中は第一障害の平均台にたどり着いている。
「おい、大丈夫なのか?」
正明は不安げに見ている。
「…もう我々にはどうする事も出来ない」
「…そうだね」
「…そうね」
どうやら不安なのは僕と正明だけではないようだ。
「さつきー。頑張ってー」
皆が不安がる中、花丘さんだけは声援を送っている。
遅れる事20秒くらい、仁科さんもやっと平均台に到着。他の皆さんはもう第2障害の網くぐりをクリアして、すでに第3障害に向かっている者もいる。彼女は真剣な顔で平均台の上を歩いているのだが、いかんせん遅い。
「もう諦めた方が…」
正明はもう見ていられないといった感じだ。
「……途中棄権ってわけにはいかないよなあ」
「……確かにそうだな」
「……まあ、本人は真剣にやっているしな」
失望感が我がクラスのテントを覆っている。
「さつきー。まだこれからよー」
花丘さんは相変わらず声援を送っている。
平均台をクリアし、第2障害の網くぐりに入る仁科さん。順調にくぐり抜け…と思ったら真ん中辺りで突然止まる。本人は必死になって前に進もうとするのだが、もがけばもがくほど網がからまって動けなくなる。
「ああ、どうしてからまるんですかぁ?」
彼女の悲痛な叫び。
「………」
「………」
「………」
「………」
もう言葉が出ない。
「………」
さすがに花丘さんも彼女な壮絶な戦いを見て、声を失っている。
そうこうしているうちに他の連中は既にゴール。結局仁科さんは網の中で動けなくなりギブアップとなった。
終了後、仁科さんはがっくりと肩を落としテントへと戻って来た。
「みなさん、ごめんなさい。お役に立てなくて」
深々と頭を下げる仁科さん。
「……まあ、頑張っていたよ」
「……ご苦労様」
「……誰でも苦手なものはあるって」
皆、衝撃を受けて言葉を搾り出すのに苦労しているようだ。
「え、えーと…さつき、お疲れ様」
友人である花丘さんすらかける言葉に苦慮している。
「仁科さん、他の種目も頑張ってね」
激励する指揮官(副委員長)。
「……みなさん、ありがとうございます」
仁科さんは感動している。
「…………すごかったな」
正明が重い口を開く。
「…………何故、希望したんだ?」
「…………面白そうだから、らしいよ」
「…………やっぱりすごかったわね」
我々はその戦いぶりに衝撃を受けると共に、呆然とした。
『次は男女混合二人三脚です。出場選手はスタートラインに集まってください』
また出番が回ってきた。
相方の夕希に声をかける
「夕希、行くよー」
「わかったー」
夕希と共にスタートラインへ向かう。当然そこには正明と薫もいた。
「お、慧。お互いに頑張ろうぜ」
「ま、せいぜい頑張りなさい」
正明は薫と組むとあってやる気に満ちている。薫はいつも通り冷静である。
「はは…頑張ります、はい」
「なんだよ、もっと気合入れろよ」
「そうね。ふざけるのも大概にしたほうがいいわね」
こいつらも夕希と同じ事を言う。ワーッと叫ぶ事が気合だというのなら、うちのバカ委員長と同じだろう。
「はは…僕は君のように愛の力が働かないからなあ」
「ば、何言ってんだ」
「?」
動揺する正明と言葉の意味を理解していない薫。道のりは遠いようだな、我が友。
このまま動揺しっぱなしじゃ困るからな。少しハッパかけてやるかな。
僕は正明の肩に腕をかけ、
「願ってもないチャンスだろ。ストライカーなんだから、一発で決めろよ」
正明に耳打ちする。
「お、おう」
「あんた達何やってんの?」
「男二人で内緒話?」
どうも女性陣には不思議な光景に移ってしまったようだ。二人とも訝しげな目を向ける。
「あはは…ごめんごめん。こいつは空回りしやすいから、緊張をほぐしてただけだよ。なあ、正明」
笑って誤魔化す。
「あ、ああ」
「それでコソコソ二人で話すのかい?」
「そうね。わざわざ秘密にする事もないでしょう。怪しいわね」
「お、もうすぐ1組目がスタートするみたいだ。無駄話はここまでのようだね」
「そうだね。あたし達も準備に入るか」
「そうね」
話を打ち切る事に成功。
「じゃ、あたし達は4組だから。行くよ、慧」
「がんばってねー。お二人さん」
僕と夕希は4組なので後ろへ並んだ。薫と正明は2組である。
「パァン」
スターターの合図と共に1組目が一斉にスタートする。続いて2組目がスタート位置に入る。
さ、頑張ってくれよ。正明ちゃん。
「パァン」
2組目がスタートした。正明・薫組は見事なスタートダッシュを決め、終始先頭のままゴールイン。見事に息の合ったコンビだった。
「へええ、あいつらもやるもんだね」
感心する夕希。
「真面目と負けず嫌いの組み合わせだからなあ。さぞ一生懸命練習したんだろうね」
「あたし達も負けてられないね」
燃える夕希。
「そうですねえ。こっちも練習の成果を見せますか」
練習では夕希のペースに合わせて走るようにしていた。そのリズムを思い出す。
「じゃあ、初めは右足から行くよ」
「OK」
「4組目はスタートラインに並んで」
スターターの声がかかり、4組目の連中が一斉にスタートラインに並ぶ。ざっと見た所、勝てない相手ではなさそうだ。
「位置についてー」
「よーい」
全員が片足を一歩引く。僕達は縛ってある方の足を一歩引いた。
「パァン」
合図と共に一斉にスタートする。正明たちと同様、僕達もスタートから先手を取った。
よし、ピッタリ合った。
とにかく夕希の走るピッチに合わせて足を運ぶことに専念する。
もともと二人共足が速いこともあり一気にトップになりぐんぐんと差を広げる。
これなら勝ったも同然だろう……ん?
ゴール直前になり突然夕希がペースを落とした。大差がついたため、流しに入ったのだろう。僕は突然のペース変化に対応できず、二人のリズムは完璧なまでにズレて派手に転倒。そして最下位に終わった。
ゴール後、夕希に謝る。夕希は、転んだ際に膝を擦りむいて膝が真っ赤だった。
「…すまない、僕のミスだ。夕希、膝大丈夫?」
「このくらい平気だよ。つぅ…」
痛みに顔をゆがめる夕希。
「やっぱり痛むみたいだな。保健室へ行こう」
僕は夕希に肩を貸し、一度テントに戻った。
「雪村、お前何やってんだ! 最下位だぞ最下位!! 点数を稼ぐチャンスを逸しやがってぇ!!!」
「雪村、てめえよくも高平に怪我させやがったな」
「高平さんが可哀相だろ」
「しっかりしてよ。雪村君」
「いつも適当な事やってるからこうなるのよ」
クラスの皆さんも怒り心頭である。本当に申し訳ない。
「全く、格好悪いわね」
薫も呆れている。
「まあ気を落とすなよ。まだ他の競技もあるんだ」
こんな時でも優しい我が友人。だがその優しさが今の僕には辛い。
「ははは…ごめん」
今は謝るしかない。
「高平さん、大丈夫?」
副委員長が心配そうに声をかけてくる。
「ああ、大丈夫だよ。このくらい」
「無理はしない方がいいわ。雪村君、高平さんをテントまで連れて行ってくれる?」
「はい。じゃ、夕希、行くよ」
「ああ」
僕は夕希に肩を貸して、養護教諭の小日向先生のいるテントまで連れて行った。
あの程度の変化を読めないとは、僕もまだまだ甘い…。
自分の不甲斐なさに対する怒りを覚えながら、テントまでの道をゆく。
テントに着くなり、傷口を見た小日向先生が処置を始める
「あー、派手に擦りむいたわね。ちょっとしみるわよ」
小日向先生が消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口の血を拭き取る。
「痛…!」
傷は結構酷いようだ。膝の広範囲が擦りむけている。消毒を終え、傷口にガーゼをかぶせ、テープで固定したあと包帯を巻かれている。
「夕希、本当にすまない」
「もういいよ。怪我したのはあたしがドジッただけだからさ」
夕希は痛みを我慢するように、無理に平気そうな顔をする。
「よし、これでいいわ。打撲もしてそうだから、残りの種目は欠場しないと駄目そうね」
「わかりました。ありがとうございます」
先生に夕希がお礼を言った後、二人でテントを後にした。
「……」
クラスのテントに戻る道すがら、夕希は黙ってこちらを見つめている。
「ん?どうかしたか?」
「い、いや…何でもない」
夕希は慌てて目をそらす。
「?そうか」
「な、なあ」
夕希は何故かおどおどとしながら話しかけてくる。
「ん?」
「あ、あたしが出られなくても、その分あんたが頑張ってくれるんだろ?」
夕希は何故か目を合わせずに窓の外を見たまま言う。
「もちろん」
小さく笑う。
「そ、そうか。じゃ、じゃあ頑張ってね」
「おーけー」
テントに戻ると、ちょうど出番のようだった。
「さて、次は俺らの出番だぞ」
正明が立ち上がる。
「あれ?そうだっけ?」
「お前個人種目のエントリー3000m走残ってるだろ」
そうだった。3000m走もサッカー部だからということで、正明と共にエントリーさせられたんだった。
「何か今回は貧乏くじばかり」
「ぼやくなぼやくな。さあ、ワンツーフィニッシュと行こうぜ」
こいつの真面目さにはいつも感心する。
「へいへい」
またスタートラインへ。
体育祭も無事に終了。その後我がクラスは騎馬戦こそ振るわなかったものの、正明と僕の3000m走ワンツーと、最終種目のリレーを女子が制し(男子はアンカーの火影がゴール直前で転倒+バトン消失により、最下位に終わった)たことで見事総合優勝。表彰式の後、教室に戻りみんなで勝利の喜びを分かち合う。
「うおお! みんなよく俺のミスをカバーしてくれた!! 俺は今、このクラスの友情の輝きに猛烈に感動している!!!!」
しーん。
委員長勝利の雄たけびがむなしく響く。この瞬間クラスの心は一つであったはずだ。『別にお前のためではない』と。
「いやー、お前らもやるもんだな。おかげで俺も勝たせてもらったぜ。しかも大もうけよ」
自分のクラスが優勝した事に喜んでいる…のではなくて、明らかに賭けに勝った事で喜ぶ担任。この時もクラスの心は一つ『別にお前が賭けに勝つために頑張ったのではない』と。
「みんなー、お疲れ様。本当に優勝するなんてね。いやーびっくりしたわ」
「誰かさんを除く全員の勝利でーす」
「花丘さんのお陰でーす」
「副委員長の見事な統率のおかげでーす」
「女子がリレーを勝ってくれたおかげでーす」
「男子が個人種目で稼いだおかげでーす」
男女とも互いの働きぶりに感謝する。こういうときだけはよくまとまるクラスである。これも副委員長の統率力のおかげか。
「では、みなさん。帰ってゆっくりと体を休めてください。解散」
「お疲れっしたー」
副委員長の号令と共に皆が帰路につきだす。
僕は一人で家路につくことにしたが
「慧、一緒に帰るわよ」
捕まった。しかもどことなく殺気を感じる。
「はい、行きましょう。で、一つよろしいでしょうか?」
「何?」
今日は…絶対に二人きりで帰ってはならない! 直感がそう告げていた。
「正明君も一緒でよろしいでしょうか?」
「わりい。俺体育委員だから後片付けしてかないと」
頼れる友は、肝心なときに助けてくれない。
「では、夕希さんも一緒で…」
「あたしも体育委員だからダメだよ」
こちらもか。
「じゃあ花丘さん…」
「花丘さんなら用事があるからってもう帰ったわよ」
「では、仁科さん…」
「仁科さんは車で帰宅でしょう? あなた、私と二人きりでは帰れないとでも?」
薫の機嫌は更に悪くなる。
もう覚悟を決めるしかない。このままではこの場で始末される…。
「そんなことはございません。では、行きましょうか」
「ええ」
神様、もしおられるのでしたら、哀れなマトンをお助けください…
そう祈りながら帰路についた。
下校前はどうなるかと思ったが、今の所生命の危機もなく薫と共に家路を行く。ただ、薫は一言も話さず、こちらを見ようともせず前を歩く。やはり機嫌が悪いようだ。そして、いつも別れる場所へとやって来たが、薫は何故かいつもと違う道を行く。
「あのー、薫?」
「何?」
「薫の家はあちらの方かと思うのですが、どこへ行かれるのですか?」
「黙ってついてきなさい」
「はい」
今はこう答えるしかない。間違っても今逆らってはならない。仕方ないので黙って付いていく。
このまま行くと森林公園だな。
薫に従ってしばらく歩くと、森林公園へとたどり着いた。公園内に入ると薫が突然立ち止まる。
「さて、ここならいいわね」
薫がこちらに振り返る。
「さて、理由を聞かせてもらおうかしらねぇ」
今の薫は怒りに満ちている。まさに夜叉だ。
「何の理由でございましょうか?」
あくまで平静を装う。
「とぼけなくてもいいのよ」
殺る気満々の目。本当に夜叉そのものだ。
「ですから、何の事だかさっぱり…」
「これを見てもシラをきり通せるかしら?」
薫は紙切れを差し出す。それは借り物の書いた紙だった。神はマトンを見捨てたらしい。
「え、えーとですね。これはその…」
「だ・れ・が夜叉ですって? 誰が?」
今にも襲いかかってきそうな目の前の夜叉。
「い、いえですね。その紙を見たときに最初に浮かんだのが薫でしてね。それで…」
「そう。良くわかったわ。やっぱりあの時言った事は嘘だったのね?」
「ええ、そうです」
あえなく犯行を自供。
「あの場で正直に言えばこうはならなかったでしょうに」
薫はそう言って哀れみの視線を向ける。
その通りにしたら、その場で殺られていた…。
「あ、あのこれは本心ではありませんから。その…どうか怒りをお静めになってくださいません?」
「収まるわけないでしょ!」
ついに爆発。
やはり失敗するときはこういうものか…。
今日はフルコース、切れも抜群です。彼女の怒りがうかがえます。
「まったく、あなたの嘘にコロッと騙されて浮かれてた自分が情けないわ」
薫はパンパンと手を払っている。
だったら、自分にこの怒りを向けてくれ…。
「まあ、これに懲りて二度と私を騙そうなんて思わない事ね」
「は、はい」
「よろしい。じゃ、私は帰るわ。あなたもいつまでもこんな所で寝てないでさっさと帰りなさい」
怒りが鎮まった夜叉は住処へと帰っていった。夜叉がいなくなってから上半身を起こし、立ち上がる。
…しかし、全て急所を狙って攻撃してくるとは。本気で殺す気か?あいつは。それだけ怒りも大きかったという事か。
背中についた土埃を払い、家へと帰った。




