第六話 王子様の願い事。(前編)
遠足も終わり、まもなく五月に突入した。
教室のカレンダーには大きな赤マルがついている。
そう、もうすぐ中間テストだ。
わたしは丁寧に整理したノートを見直し、席を立つ。
個人ロッカーに仕舞った荷物を取りに廊下へ向かった。
「加瀬くんてほんとに王子様だよね。スポーツ万能で顔もよくて、おまけにフォーコンチネンタルホテルの御曹司だもん!」
二人組でロッカーに寄りかかり、興奮した様子で話すクラスメイトの女の子たち。
わたしは耳を疑い、反射的に聞き返していた。
「フォーコンチネンタルホテル加瀬の御曹司?」
目を丸くすれば、彼女たちは一瞬驚いたような表情を浮かべて笑いだす。
何かおかしなことでも言っただろうか。
「やだー、芦田さん知らなかったの? 加瀬くんは入学する前からずっと有名人だったよ」
「すみません。テレビや新聞は時事ニュースしか見ないもので」
フォーコンチネンタルホテル加瀬。
その名のとおり全四大陸に展開し、世界のVIPを迎える超高級5つ星ホテル。
まさか加瀬が? でも――――
『俺、米も炊けないし。てか台所立ったことないかも』
言われてみれば、初対面のときから少し浮世離れした雰囲気があると思った。
だけど見た目が派手なうえ服装もだらしないし、とても優等生には見えない。
特に気取った様子もなく、頭の中でイメージしていた良家の子息とはかけ離れている。
「なーに話してるの? 俺もまぜてー」
「きゃっ!?」
突然、肩に重みを感じて振り向くと、腕を回してきた加瀬がいた。
いつもの屈託がない笑みで愛想を振りまく。
「加瀬くん! いまちょうど加瀬くんの話をしてたんだよ」
「俺の? なになにー!」
「加瀬くんの家があのフォーコンチネンタルホテルグループだって!」
そのとき、一瞬だけ違和感を覚えた。
変わらず微笑んでいるのに、加瀬の纏う空気が若干変わったのだ。
どうやら話している女の子たちは気付いていない。
「で、感想は?」
「はい?」
加瀬はにこにこしながらわたしの顔を覗き込んでくる。
少し考える間、黙って加瀬を見つめ返す。
「あれー? たいていの奴は家が金持ちって分かると何かしらリアクションあるんだけどなー」
ふざけた調子で絡んでくるので頭にきた。
わたしは肩に乗せられた加瀬の腕を振り落とし、厳しい視線で碧い瞳を射抜く。
「自惚れないで下さい」
「え?」
「ご両親の財産はあなたが築いたものではありません。親が裕福であるからといって大きな態度に出るのはただの勘違いです」
毅然と言い放ち、同時に訪れた静寂に身を委ねた。
言葉を失っていたのは加瀬だけじゃない。
一緒にいた二人組の女の子たちもポカンと口を開けていた。
まただ。そんなに変なことを言っているのだろうか?
「それに、そんな肩書がなくたってあなたは十分……」
呆気に取られた三人を前にだんだん汗をかいてきた。
わたしが口ごもると、はっと我に返った加瀬が嬉々として距離を詰めてくる。
「えーなになに!? もしかして褒めてくれるの?」
「なっ! べ、別にそういう訳じゃっ」
「素直になれよー。俺がなんだって?」
「そういうところを直せば素敵です」
「うあ、言われちゃった」
にやにやする加瀬から顔を背ければ、たしなめられたと反省したフリをする。
全く、調子にさえ乗らなければ文句なしにかっこいいのに。
「えっと、じゃあわたしたち行くね」
「あ」
気まずそうに苦笑いした女の子たちは足早に教室へ戻って行く。
せっかく話せるチャンスだったのに、なんて残念がる自分がいて信じられない。
「ん? どした?」
これはきっと加瀬の影響だ。遠足のとき、みんなの前で泣いてしまったのも、加瀬がいたから。
加瀬と出逢ってから少しずつ色々なことが変わり始めている。
「そうそう。実は玲菜に頼みがあるんだ」
「え?」
「困った時はお互いさまってね」
「わたしで力になれることなら」
「マジ!? いきなり『お断りします』ってつーんとされると思った」
「助けてもらってばかりは性に合いません。時には敵に塩を送ります。武士の情けです」
「あ、そゆことね」
納得して頷いた加瀬は神妙な顔つきになる。
いつになく真剣でわたしはごくんと唾を飲み込んだ。
「もうすぐ中間テストじゃん? 玲菜に勉強教えてほしいんだ」
「勉強?」
「今年の夏休みにだいじな用事があってさ。絶対補講になるなって兄貴に釘刺されてて」
「だいじな用事、ですか」
「うん。だから頼むっ! 人助けと思って勉強教えて下さいっ!」
なんだ、勉強か。
意外とまともなお願いにほっとした。
「もちろんタダとは言わないよ。もし赤点取ったとしても、しっかりお礼するから」
「アルバイトということですか?」
「まーそんなとこ。どう?」
「分かりました、引き受けましょう。ただし」
「ただし?」
わたしは加瀬の前で仁王立ちになり、両方の腰に手を当てた。
教えると決めたからにはプライドというものがある。
中途半端な結果など残させはしない。
「教えるからには必ず合格していただきます」
「うあ、キビシー」
「当然です。私は時間を無駄にしたくありません。さっそく今日の放課後から始めましょう」
「りょーかい!」
「図書館や自習室だと他のひとの邪魔になりますから、空いた教室を借りるべきですね」
「げっ! それって職員室に行く系?」
「安心して下さい。わたしが鍵を取りに行きますから」
明らかに安堵して胸を撫で下ろし、「玲菜先生、神すぎ!」と両手を合わせて拝んでくる。
ほんとうに調子がいいんだから。
わたしはチャイムを合図に気持ちを切り替え、ロッカーの荷物を取り出し加瀬と共に教室へ戻った。
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前回を含め、一つのお話が長くなりそうな時は前編・後編に分けて
更新したいと思います。読みやすさの観点から見直しました。
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