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第五話 近くて遠いキミ。(後編)





このままここにいるわけにはいかない。

わたしは痛む足首をさすり、立ちあがろうとした。


「っ!」


意思に反してバランスを崩し、尻もちをつく。

どんどん暗くなっていく空。それに肌寒い。


こんなとき、いつもみじめな気持ちになる。

元気なときはいいのだ。ひとりでいることにも慣れた。

だけど困ったとき、手を差し伸べてくれるひとがいない。


自業自得。

そんな言葉が脳裏によぎり、落胆した。

みんなと壁を作っているのはわたしの方だ。

もし誰も気付いてくれなくたって仕方ない。

ひとりでがんばるしかないんだ。

ずっと、ひとりで。


『それっていつまで? いつまでひとりでがんばるの?』


聞こえないはずの声がする。

いやだ。こわい。誰か助けて。誰か……


「加瀬」


ほとんど無意識に呟いた。自分でも情けないくらい、声が掠れている。

こんな姿を本人に見られたら、笑われてしまうかもしれない。


それでも、どうしてか加瀬の名前を聞くと勇気が湧いてくる。

ひとりじゃないなんて、淡い幻想を抱いてしまうほど――――


「玲菜!」


まさに涙が零れそうになった瞬間、わたしを呼ぶ声がした。

草の上を駆け抜ける足音が、スピードをあげて近付いてくる。


「玲菜! どこ? いたら返事して!」


これは夢?

息を切らしながらわたしを探してくれるひとがいるなんて。

しかもこの声は――――


「……っ」


返事をしたいのに言葉にならない。このままじゃ気付かれないまま通り過ぎてしまう。

わたしはここです、たったひとことが出てこない。


「加瀬」


震える肩をなだめ、声を振り絞った。

もっと大きな声じゃなきゃだめだ。どうか間に合って。


「葵!」

「玲菜? そこか!」


木陰に座り込んだわたしの前に現れた加瀬。その姿を見た途端、涙が溢れた。

すぐ側にしゃがんで顔を覗き込んでくる。


「よかった。心配、って……え?」


わたしは差しだされた加瀬の手を両手で掴み、そのまま自分の額に寄せてうつむいた。

次々零れる涙を止める術はなかった。


「ごめん。ちょっと来るのが遅かったな」


小刻みに震えるわたしの背中を、加瀬は空いた方の腕で抱きしめる。

心臓がトクンと鳴った。とてもあたたかい。わたしは加瀬の肩に顎を乗せ、声を殺して泣いた。


「もう大丈夫。絶対こわい思いさせないから」


わたしが落ち着くまでの間、加瀬はずっと背中をさすってくれた。

子供をあやすように、辛抱強い優しさで。




**************************************************************




しばらく経ったあと、わたしは加瀬の手を離して涙を拭った。

加瀬は自分から「行こう」とは言わない。わたしを待ってくれている。


「正直に言います。もう一歩も歩けません」


ひとつ深呼吸して白状した。

驚いたように息を呑んだ加瀬は、前のめりになってわたしに迫る。


「怪我したの!? どこ、見せて!」

「ち、近すぎです! 離れて下さい!」

「足くじいたとか? それとも――――」

「ちょっと疲れて動けないだけです!」


押し倒されかねない勢いで問い詰められ、焦りから嘘をついた。

お互いの前髪が触れそうなくらい顔が近付き、一気に体温があがる。


薄暗くなければ真っ赤な顔を見られていたに違いない。

わたしは恥ずかしさに耐えながら、せめてもの幸運に感謝した。


ほんとうは足が痛いけれど、ひねったと言えば余計な心配を掛けてしまう。

ここは我慢して、なんとか気付かれずに下山したい。


加瀬はじっとわたしを見つめるだけで何も言わなかった。

だけど呆れたように息を吐き、髪を掻きあげた。


「なんだ、そゆこと。電池切れね」


そう言うのと同時に背中を向け、両手を腰の後ろで組む。

わたしは嫌な予感がして意図を尋ねた。


「な、なんのつもり」

「見れば分かるだろー? 早く乗って」

「イヤです」


年々増えていく体重。おしゃれに興味がなかった手前、ダイエットとは無縁だった。

しかし誰かに抱えられるというなら話は別だ。


「わがまま言うなよ。なんならお姫様だっこでもいいけどー?」

「なっ!?」

「三秒以内におんぶされなきゃ強制的にだっこします」

「そんな一方的な!」

「はーいカウントダウン開始。三、二……」

「分かりましたおんぶして下さいお願いします!」


今回の勝負もわたしの負け。

控え目に首へ手を回し、加瀬の背中に体重を預けた。


「あなたは毎回むちゃくちゃです」

「そういう玲菜はもうちょい素直になった方がいいよー」

「大きなお世話です」

「この山道さ、女の子にはちょっときついコースだよね」


いくら加瀬でもつらくないはずがない。

それなのに、文句ひとつ言わずに下山してくれる。

細いと思っていた体は密着するとたくましいことに気付く。

やっぱり男の子なんだ。意識すると急に恥ずかしくなってしまう。


「どうして」

「んー?」

「どうして戻ってきたの」

「玲菜がいなかったから」

「わたしなんて……」

「ほうっておけばいいのにって? 玲菜が俺を無視するのも、俺が玲菜を構うのも自由だろ」

「加瀬はずるいです。いつも助けてもらってばかりで不快です」

「約束しただろ。玲菜が困ったときはいちばんに頼れって。絶対に駆けつけるって」


軽く息を弾ませながら、当たり前のように言う。

わたしは胸が熱くなって自分の二の腕に顔を埋めた。


「ところでなんで頂上にいたの? 点呼のときはいたから、何か忘れ物でも取りにきた?」

「そんなところです」


どうしてだろう。加瀬にお守りのことを知られたくない。

ポケットに滑り込ませたお守りは別の男の子にもらったものだ。


「ふーん、別にいいけどさ。で、あったの?」

「はい」

「よかったな。わざわざ戻るってことは、だいじなもんなんだろ?」

「……はい」

「じゃあ今度は絶対なくすなよ。なくしてから後悔しても遅いからな」


語尾にかけて声が低くなる。

静かな囁きに近かったけど、わたしはちいさく頷いた。


「ハイ。じゃーぺナルティね」

「え? お仕置き?」

「そうでーす。いちばんに頼れって言ったのにひとりで解決しようとした罰」

「パン買って来いとか宿題見せろとか掃除当番代われとかですか?」

「違うし! てか何その発想、いつの時代の不良だよ」

「だ、だってそれくらいしか思いつきません」

「じゃー教えてあげる。お仕置きはこうするんだよ」


加瀬は言い終わると同時に、首に回されたわたしの腕にキスをした。

ちゅっと音を立てて離れていく柔らかな唇。


「な、ななな何をするんですかあなたはっ!」

「イヤならポジっコになりましょう」

「ポジっコ!?」

「ポジティブな子。略してポジっコ」

「!!」


つまりネガティブを直せというのか、日陰者のわたしに。

なんて横暴で強引なやり方。


「加瀬はいつも前向きですね。ウザイです」

「うあ、ウザイって言われたー」


大げさにショックを受けるふりをして、加瀬はよっとわたしを背負い直した。

歩くたびに振動が伝わってきてくすぐったい。


「たまたまだよ」

「え?」

「俺がこんな性格になったのはたまたま」

「嘘ですね」

「えー! ほんとだって!」

「何もしないひとにたまたまは起きません。がんばってるひとにたまたまが起きるんです」


勉強も同じだ。たまたまヤマが当たった、と言ってもそれなりに準備をしている証拠だ。

がんばり方は人それぞれでも、何か抜きんでるものがあるひとはそれを欠かさない。

たとえ加瀬が周りの人を惹き付ける天才であっても、必ず理由があるのだ。


「あなたはきっと、周りを悲しませないように生きてきたんですね。だから相手のことによく気がつく。欲しい言葉をくれる。さり気ない優しさも、明るい笑顔も、それが貴重だって知ってるから」

「玲菜……」


しまった。何を言ってるんだろう。つい、感じたままを口にしてしまった。

あまりの恥ずかしさに顔から火が出そう。


「と、とにかく自分の価値観を押し付けないで下さい! わたしは雑草のように生きていきます!」


苦し紛れに腕の力を込めた。

だけど苦しむどころか、とても嬉しそうな声が返ってくる。


「サンキュ。そんなふうに言ってくれるひと、他にもいたんだな」

「え?」

「あ、もうみんなが見えてきた。ここから歩ける?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございました」


他にもってどういう意味だろう。以前も同じようなことを言われたのだろうか?

少し引っ掛かるものの、わたしは無事に下山できた安心感に満たされていた。


「玲菜。手かして」

「は?」

「向こうまで手つないでこー。恋人みたいにー、こう指を絡ませ――――痛っ!」

「調子にのるなっ」

「うわーん、玲菜のいじめっこー!」


みんなのところへ戻る前に降ろして、何事もなかったように輪の中へ導いてくれる。

加瀬の背に隠れながら歩くと、わたしたちを見つけたクラスメイトが声をあげた。


「あ、戻ってきた! 加瀬くん、芦田さん見つけたんだね!」

「芦田さん大丈夫? もう暗いし、ひとりで怖かったよね」


みんなが待っていたのは加瀬だけだと思っていたのに。

いつのまにか囲まれたわたしは動揺する間もなく絶句した。


「今度はみんなで一緒に下ろう。そしたらはぐれたりしないもんね!」


嘘。信じられない。なにこれ、どうして?

どうして涙なんか。


「わわ、芦田さん泣いちゃった!」

「そんなに怖かった? もう大丈夫だよ」


ぽんぽん、と肩を叩かれますます涙腺が緩む。

今日のわたしは変だ。人前で泣くなんていつぶりだろう。


「違うよ。みんなが心配してくれて嬉しんだよな、玲菜」


加瀬は囲まれたわたしの側で頭を撫でてくれた。

いつもならこんなふうに目立つのは居心地が悪いのに、加瀬が一緒だとあたたかい。


「玲菜ってほんとは泣き虫だよね。帰ったらちゃんと足冷やしとけよ」 


帰り際に囁かれた一言に、全てが詰まっていた。

はじめから気付いていたんだ。足を痛めてしまったことも、強がって隠していることも。

だけどわたしが疲れただけだと主張したから気付かないふりをしてくれた。


そんな都合の良い解釈、ありえない。

だけど――――


『あのとき、気付かないふりをしたのは……玲菜が気付いてほしくないって顔してたから』


バイト先で鉢合わせた加瀬が、クラスメイトを追い払ってくれた時のように。

きっと勘のいい彼は嘘を見抜いたに違いない。


「加瀬……葵」


誰にも聞こえないように呟いた。性懲りもなく胸がときめく。

同情でもいい。気まぐれでもいい。優しくされたら嬉しいよ。

加瀬の側にいたい。同じものを同じ温度で、速さで感じたい。加瀬の見ている世界を分け合いたい。


それはとてもささやかで、ぜいたくな願い事。叶うはずもない願い事。

わたしは不意に振り向き、手を振ってくれた加瀬に微笑み返した。


いま君が、いちばん近くて遠いひと。






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