表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/46

第四話 ふたつの約束。





時が経つのは早いもので、加瀬に宣戦布告されてから一週間が過ぎた。

わたしは手に持ったプリントを見てため息をつく。

今日はスポーツテストだ。

反復横とび、持久走、シャトルラン、ハンドボール投げ……などなど。頭痛の種がいっぱい。


「ねー玲菜。ひとつ聞いていい? なんで電話かけてこないの?」

「は?」


ジャージに着替えて体育館に集合した後、加瀬に肩を叩かれた。

意味不明な問いかけに返事をすると、いかにも不満げに眉を寄せる。


「だーかーら。この前メモ渡したじゃん。あれからずっと楽しみにしてたのに」


メモ。そう言われて電話番号をもらったことを思い出す。

帰宅してからぞんざいに引き出しへ仕舞って以来、取りだしていない。


「メモは受け取りました。でもかけるとは言ってません」

「うわっ、なんだよそれー! なんかずるいー!」

「事実を言ったまでです。それよりお願いがあるのですが」

「えっ、なになに!? 玲菜が俺に頼ってくれるなんて超嬉しー!」

「教室では話し掛けないで下さい」

「ちぇ、そういうオチかよー。少しくらい夢見させてよ」


顔を覗き込まれそうになってそっぽを向く。

加瀬は「冷たいなぁ」と言いながらもなんだか嬉しそうで苛々する。


「あ、そうだ。玲菜、勝負しよう」

「却下します」

「えぇ? まだ何も言ってないのに」

「どうせロクでもないことでしょう。付き合いきれません」

「つきまとうのやめてもいいって言っても?」

「乗ります」


これまでにない俊敏な反応。高校生活の平和を確保できるかもしれないのだから当然だ。

わずかな希望にすがろうと真面目に向き合えば、加瀬は苦笑いを浮かべた。


「うあー、地味に傷付くな。玲菜マジで容赦ないねー」


女の子についてくるな、なんて怒られたことがないのだろう。

周りの反応を見れば明らかだった。だって加瀬はみんなの王子様だから。


「今日これからスポーツテストあるじゃん。それで俺がオールAだったら玲菜の電話番号教えて。もしひとつでも落としたら玲菜の言う通りにする」


立ち直りの早い加瀬はにっこり提案した。

わたしは手元のプリントを確認し、たくさん項目がある中で勝機があるか考える。

オールAなんてなかなか取れるものじゃない。

おまけに加瀬は長身なものの、線が細くてモデル体型だ。

とても体力がありそうには見えない。 


「わかったわ。終わったら結果報告ということでどう?」

「やった! 約束だからなー!」


男子の輪に戻って行った加瀬はかなり上機嫌だ。そんなに自信があるのだろうか。

しばらくしてその理由が分かる。


「おい加瀬、お前どんな体力してんだよ。異常だぞ!」

「えー? まだまだいけるよー」


スポーツテスト開始後。

反復横とびで一部の男子が息をあげているというのに、加瀬は涼しい顔でブイサインしていた。

走ってもダントツで早い。立ち幅とびも軽々飛んで記録を伸ばしている。しかもフォームがきれいで正確。鮮やかとしか言いようがない。


「やばい。ちょっと本気でかっこよくない?」

「中学の時から色んな運動部で助っ人頼まれてたらしいよ。しかも個人戦では全勝」


通り過ぎるクラスメイトからそんな会話が聞こえて、わたしは落胆した。

これはどう見ても不利だ。


「うあ、悲惨」

「!!」

「オールEって全滅じゃん。玲菜って運動ニガテなんだ?」


一通りのテストを終えて水飲み場へ行くと、加瀬に声を掛けられた。

いつのまに移動してきたのか、ときどき本当に心臓が飛びあがる。


「わ、わたしにだって苦手なものはあるわ」

「へー。なんか一気に親近感湧いた。学年一の秀才が運動オンチなんて可愛いじゃん」

「それより、騙したわね」

「え?」


鋭い目で睨みつけると、加瀬はきょとんと目を丸くした。


「あなたがスポーツ万能とは知りませんでした。そういうの隠してるのはずるいと思います」

「運動ニガテか聞かれてないし」

「なっ!」

「玲菜って上杉謙信がタイプなんだろー? さっそくネットで検索したらなんか納得したわ。つまり、義理人情に厚いってことだよね。玲菜を含めて」

「ど、どういう意味」

「一度した約束を破ったりしないってこと」

「……っ」

「ね? ここは男らしく電話番号教えてよ」

「仕方ありませんね。負けは負けです。何か書くものを下さい」

「やったぁ! 玲菜の番号ゲットだぜ!」


スポーツテストの結果を書き込もうと持参したペンを取りだす。

加瀬は左手の甲を差しだしてきた。まさかここに書けというのか。


「他に何かないの?」

「ない。プリントは後で提出すっから無理だし」

「わたしはかまわないけど」


そっと差しだされた手を取り、ペンを走らせた。

書き終えた後、加瀬はそれを嬉しそうに眺めた。

何がそんなに嬉しいのか。

でも、家族以外で電話番号を教えたのはこれで二人目だ。


「あなたは……」

「ぶっぶー。名前で呼ばなきゃ返事しないよー」


わたしははじめに言おうとした言葉を飲み込み、別のことを考えた。

加瀬の苦手なものってなんだろう。うちは有名進学校ではないものの、それなりのレベルだ。

きちんと合格しているということは、勉強もできるのだろうか。


「加瀬はなんでもできてすごいね」

「えーすごくないよ。俺、勉強は全然だし。全教科赤点取った時はさすがに担任がブチキレた」

「そうなの?」

「うん。補講の常習犯で、中学ん時は夏休みもほとんど学校だったなー」

「よくうちの学校に入れたね」

「あー、受験のときは死ぬ気で勉強させられたからなぁ。それでもようやく補欠合格。俺、家では落ちこぼれなんだよねー。デキのいい兄貴がいると、弟は辛いぜ」

「加瀬が落ちこぼれ? まさか」


一体どんな家庭で育ったの。

わたしは想像を膨らませようとしてやめた。他人の事情を詮索するのは趣味じゃない。

黙っていると、加瀬は柔らかく微笑む。


「俺さ。なんでもできるって、なんにもできないのと同じじゃないかと思うんだ」

「え?」

「だってつまんないじゃん。なんでもできたら勝った時に喜んだり、負けた時に悔しがったりできないだろ?」


心に風が吹きぬける。

わたしはたったいま加瀬に言われたことで目が覚めた。

そんなふうに考えたことはなかった。いつも上を見て焦っていたのだ。

勉強だけが自分の居場所を支えてくれる。それを失うわけにはいかないと。


「俺は基本飽きっぽいし、気分屋だからこれといって打ち込めるものがないんだよね。だからひとつでも熱くなれるものがある奴がうらやましい。その点、玲菜は俺の憧れ」

「私が?」

「うん。ずっと勉強してきたんだろ。打ち込めるものがあって、しかも長く続けられるなんて偉いよ。俺はヘタレだからみんなに頼ってここまで来たけど、玲菜は自分の力でがんばってきたんだよな。新入生代表挨拶のとき、なんとなくそんな気がしたんだ」

「……っ」


どうして。どうしてこのひとはこうなんだろう。

簡単に心の中に入ってきてしまう。何重にも鍵をかけた奥深いところまでするりと。


「背筋を伸ばして、凛と前だけを見つめてる。ほんとにかっこよかったよ」


自分のことのように誇らしげに笑って、照れくさそうに頬を掻く。

ああ、そうか。どうしてこのひとが人を惹きつけるのか。

加瀬は本人さえ意識していなかった、欲しい言葉をくれる。それも絶妙なタイミングで。

誰も気付いてはくれないだろうと思うことさえ見透かして、包み込んでくれる。


「あ、でもあれだね。俺らお互い補い合えるかも」

「苦手なものが違うから?」

「はい、ネガティブ発言禁止ー。そうじゃなくて、得意なものが違うから」


どうしよう。どうすれば止められる? どんどん気持ちが傾いてしまいそう。

動揺するわたしと反対に、加瀬はとてもリラックスしているようだった。

そっか。これが自然体なんだ……。


「約束」


顔の前に突きだされた加瀬の拳。

視線をあげると、まっすぐにわたしを見つめる碧い瞳と視線が重なる。

あまりに真剣な表情に心臓が音を立てて鳴った。


「これから先、俺が困ったら玲菜を頼る。だから玲菜が困ったら、いちばんに俺を頼って。呼んだら絶対駆けつけるから」


映画のワンシーンみたい。

水飲み場の側に植えられた桜が、はらはらと花びらを舞わせる。

淡いピンクの雨に降られた加瀬は端麗な立ち姿をわたしの瞼に焼き付けた。


『僕が玲を守るから』


フラッシュバックする記憶。

昔、似たようなことを言われたことがある。

懐かしくなってつい気が緩み、笑みが零れた。


「加瀬、なんだか子供みたい」


胸にあたたかさが溢れ、涙がにじんでいく。

この人は周りに元気をくれる。勇気をくれる。そっと背中を押してくれる。


「きゃっ!? な、なにを――――」


お礼を言おうとして、頭からジャージを被せられた。

突然のことに慌てるも、服の上から頭を押さえられて前が見えない。


「だめだよ」

「え?」

「そんな笑顔見せられたらブレーキ壊れそう」


聞き取れないくらいの小さな呟き。

これまでの加瀬らしくない、自信のなさそうな声だった。


「ついでにもういっこ約束して。俺以外の前でその笑顔禁止」


付け足すように早口で囁かれ、答えられないでいるうちに加瀬は離れて行く。

遠ざかる足音。まるでわたしの意思なんて関係ないみたい。

そうしないといけないような口ぶりに、反論しようとしてやめた。

ジャージから加瀬のにおいがする。春と夏の間みたいな、優しくて爽やかな香り。


『そんな笑顔見せられたらブレーキ壊れそう』


あのとき加瀬はどんな顔してた? 視界を奪われ確かめることができなかった。

だけど……


加瀬のジャージを手に取り、体育館を見つめた。

たくさんのひとの中にいても、すぐに見つけられる。目が追ってしまう。探してしまう。

わたしは胸がくるしくなって、頭に浮かんだ可能性を急いで削除した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ