第七話 そばにいてよ。(前編)
中間テストまでの残りわずかな時間。
わたしは自分の勉強時間を削って加瀬に全てを叩きこんだ。
『鬼の特訓』
まもなくそう呼ばれるようになったわたしの個人授業は瞬く間にクラスメイトの噂になり、毎日空き教室に連れ込まれる加瀬に向かって拝む人まで出てきた。
そして中間テスト本番。
三日間におよぶ試験は教室の空気に緊張感を与えた。
いつもなら騒いでいるグループも、休み時間には教科書やノートに夢中。
高校生になってはじめての中間テストがおわる頃、みんなは解放感に浸っていた。
これから遊びに行こう! と誘われた加瀬の首を引っ張り、反省会へ強制参加させたのはわたし。
「ぶわぁぁ、マジで死ぬかと思った」
「大げさです」
「だって毎日勉強するとかありえないし!」
「勉強を教えてほしいと頼んだのはあなたの方ですよ」
「そーだけどさー、玲菜ってば超スパルタなんだもん」
空き教室を借りるのも今日で最後。
わたしは問題用紙を手に加瀬の解答を口頭で確認した。
「そんなの全部覚えてないよー!」と悲鳴をあげたので、そこそこで勘弁する。
「玲菜先生キビシすぎ」
深くため息を吐き、肩を回す加瀬はずいぶん疲れているようだ。
普段から予習、復習を欠かさないわたしはあまり夜更かしすることもなかった。
「加瀬は飲み込みが早いから、コツを掴めばすぐに成績が上がるわ」
「マジ? 玲菜にそう言われると嬉しー!」
「これから期末テストに向けて準備しますか?」
「えぇー!? いまさっき中間テスト終わったばっかじゃん」
「時間には限りがあります。ベストを尽くすために準備は怠れません」
「まいったなぁ」
「勉強は特に日頃の努力が――――」
「いいんだ、そういうの」
「え?」
「努力とか、そういうのはいいんだ」
最低限できれば十分だから、と表情を曇らせる加瀬。
微笑んでいるはずなのに、どこか諦めたような空気を漂わせている。
「加瀬……?」
「それよりなんだおー。これじゃいつもと逆じゃないかおー」
「は?」
「ネガティブ男を励ますポジティブ子さん」
「そんなんじゃありませんよ。単にわたしが真面目なだけ」
「ぐさっ! 否定された上に釘刺されたー!」
「まったく、それだけ才能を持ちながら磨かないなんて宝の持ち腐れです」
「んー? 玲菜は俺のこと、そんなふうに思ってくれるの?」
「深い意味はありません」
「うあ、冷てー」
「あなたの真似です。反省会もこのくらいにして帰りましょうか」
わたしが問題用紙と筆記用具を鞄に仕舞うのを、加瀬は黙って見ていた。
椅子から立ちあがり、鞄に手を伸ばした瞬間ぽつりと呟く。
「ねぇ、玲菜。側にいてよ」
「え?」
「俺の側にいてよ。これからもずっと」
「な、なにを……」
「何もいらないから、ただ側にいて笑っててよ」
道に迷った子供が家族を探すような、心細い瞳で訴える。
わたしを見つめる加瀬の雰囲気から、いつもと違う何かを感じた。
「何かあったの?」
「へ?」
「あなたが弱気になるなんてらしくない」
「らしくない、かぁ。はは。そうかも」
いきなりごめんな、と明るい笑顔を作る加瀬。
その様子が心配になり、わたしは肩に鞄を下げて加瀬の前に立った。
「なんでか自分でもよく分かんねーんだけどさ。玲菜と一緒にいたら、ずっと探してた答えが見つかりそうな気がするんだ」
「ずっと探してた答え?」
「うん」
こちらに向けられた碧い眼差しは澄んで、純粋な好奇に満ちている。
加瀬の言う、『ずっと探していた答え』が気にならない訳じゃないけれど……
「あれ、突っ込まないの?」
「詮索は趣味じゃありません」
「うわぁ、男らしー!」
「バカにしてるんですか? 中間テストお疲れさまでした。さようなら」
なんだ、やっぱりからかわれただけ。
加瀬に背中を向けて教室の出口へ急ぐ。だけど扉に手を掛けた瞬間――――
「行くなよ」
ガタン、と大きな音がした直後に背中へ衝撃を感じた。
たちまち加瀬の腕に捉えられたわたしは、すっぽりと後ろから抱きしめられてしまう。
「か、かかか加瀬!?」
あまりに驚いて声が裏返る。
加瀬はわたしの左肩に顔を埋め、そのまま動きを止めた。
逃れようと足掻くもびくともしない。
「ふざけるのもいい加減にっ」
怒ろうと腕の中で振り向くと、ふいに顔をあげた加瀬と目が合う。
心臓が凍りついてしまうほどさびしげな表情に言葉を失った。
一体どうしたというのか。今日の加瀬はヘンだ。
ゆっくり深呼吸した後、わたしは控え目に加瀬の頭へ手を伸ばした。
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