ある殺し屋
とあるオフィス街の超高層ビル群。
その中の一つの屋上で俺はレミントンを構えた。
標的は与党の大物政治家。現在ここから1キロ以上離れた場所で護衛たちに囲まれて歩いている。
恐らく狙撃を警戒しているのだろう、護衛たちは全員政治家よりずっと背が高く、隙は銃弾1発分ほどしかない。
しかし俺にとっては充分だった。
標的がこちらに接近してくる。
後、10歩の距離。
──そろそろか。
9、8、7……読み通り風が出てきた。
風に銃弾を乗せる、エアーショットが使える。
3、2、1……俺は静かに引き金をひいた。
標的が倒れこむ。
ざわめきが起こったのを研ぎ澄ました感覚で把握した。
──任務完了。
俺は手早くライフルを分解してビジネスバッグしまい、現場を立ち去る。
今の俺はただのサラリーマンにしか見えないだろう。
硝煙反応など、疑われなければ調べられないのだ。
事実、俺は誰にも見咎められずにビルを出て、帰路についた。
俺は荷物を置き、シャワーを浴びると熱いコーヒーを淹れた。
──うん、まずい。
まだ業界に入ったばかりだった頃、仕事の後に旨いコーヒーを飲んだら次の仕事で命に関わるヘマをしたことがある。
それ以降、仕事の後にはまずいコーヒーしか飲まないことを心がけている。
コーヒーを飲み干すと同時に仕事用携帯が震えだした。
「もしもし」
『もしもし。ジェイです』
今回の仕事を依頼してきた男だった。
「依頼なら果たしたぜ」
『先ほど確認いたしました。もう、大騒ぎです。明日の一面は間違いなしですね』
淡々と無機質な声で褒められても嬉しくはない。
「報酬は?」
『明日の正午、舘浜港の第三倉庫で』
「了解」
ジェイの言葉に不穏なものを感じ取ったが、何も言わずに電話を切った。
報酬の支払いは口座への振込みが一般的だ。
人気のない場所で現金の手渡しなんざ、時代遅れにも程がある。
もちろん、次の仕事を依頼したいだけって場合もありえるが、修羅場をくぐることによって培った勘が危険を告げていた。
翌朝、届いてた新聞を見ると、昨日の仕事の件が取り上げられていた。
『大物政治家、射殺される』
そういう見出しで扇情的に書き立てている。
鑑識が割り出した推定狙撃地点は1,3キロ先の高層ビルの屋上。
あまりにもどんぴしゃな鑑定結果に、俺もさすがにコーヒーを吹きそうになった。
だが、続きを読んで一気に白けた。
自称専門家のコメントが載っていて、「1,3キロは遠すぎる」「鑑識はライフルの射程距離を知らないのか」というものだ。
プロの仕事に素人が専門家を気取ってケチをつけるなんて最悪だ。
奴らはプロという人種がどれだけ非常識なことをやれるのか、想像すらできないというのに。
もっとも、こんな馬鹿のおかげで仕事がやりやすいのは事実だから、その点だけは感謝せねばなるまい。
新聞を読み終え、自分につながりそうな情報が全く出てないことを確認すると、今日の準備を始める。
──嫌な予感がとまらない。
経験による勘は馬鹿できないもので、ないがしろにしたばかりに死んだ奴を何人も知っている。
用心はどれだけしても、しすぎにはならないものだ。
防弾チョッキとスーツを着て、鉄板入りの靴を履く。
目潰し対策にサングラスをかけておこう。
得物は……特注品の拳銃と使い慣れたナイフにするか。
俺は少し早めにアジトを後にした。
目的地に着いた時、周囲には人影がなかった。
しかし、複数の視線を感じる。
案の定、待ち伏せか。
こうもあっさり探れたところをみると、全員大した腕ではなさそうだが。
取り越し苦労、という言葉が頭を掠めたものの、すぐに打ち消した。
俺が探知できない距離に伏兵を用意してるかもしれないからな。
軍隊には「流れ弾は臆病者に当たる」という言葉があるそうだが、この世界は「馬鹿と勇者は早死にする」だ。
おっと、ジェイの奴が来たようだ。
俺を見ていた複数の気配はジェイの後をついてきている。
俺の死角を移動し続けてるってことは、仲良くする気はないようだな。
「どうも、お待たせしました」
ジェイはアタッシュケースを両手に持ったまま慇懃に一礼した。
「構わんさ。さっさと用件に入ってくれ」
「かしこまりました。それでは報酬の一億円です。お確かめ下さい」
「ああ」
俺は頷きながらもケースは受け取らず、さりげなさを装って質問した。
「俺の死角にいる連中はお前の護衛か?」
「! さすがですね」
ジェイはピクリ、と繭を動かしたものの、すぐに無表情に戻ってあっさりと認めた。
「あなた相手ではごまかそうとするだけ無駄でしょう」
ジェイが指を鳴らすと黒服に身を固めた男が三人、現れた。
どいつもどこかで見た覚えがあるな。
「実はあなたの始末を依頼されましてね。苦労して一億超えを集めたんですよ」
ジェイは若干芝居がかった口調で述べた。
一億超え──文字通り裏社会で一億を超す賞金を懸けられた奴ら。
つまるところ、俺と同格と見なされている連中のことである。
気配からはそれほどの存在だとは思えなかったが、声を出さず銃やナイフを構える姿は立派なプロだ。
「では死んでいただきましょう」
ジェイがそう言うと銃を構えていた奴が引き金を引く。
──律儀なのは立派だが、この場合はただの間抜けだ。
銃口から銃弾が飛来する軌道を予測し、その上に俺は素早く特注ナイフを取り出して重ねた。
間一髪の差で銃弾は跳ね返り、アスファルトにめりこんだ。
「な!? は、跳ね返した!?」
驚きの声を発したのはジェイだったが、他の三人も硬直していた。
こういう防御法も用意しておくのがプロってものだろうに。
何にせよ、殺し合いの最中に〇.二秒も硬直する間抜けたちで俺としては助かった。
その隙に銃を持った男との間合いを詰める。
「は、速い!?」
ジェイがまたしても叫んだ。
断っておくが、別に瞬間移動したわけではない。
ただ、一歩目で最高速度に到達できるだけだ。
男が慌てて銃口を向けた時には既にナイフで男の喉を裂いていた。
弱い、弱すぎる。
──この程度で一億超えだと?
かすかな疑問がよぎるが、今は敵の始末が先だ。
俺はナイフを構えて挟み撃ちにしてくる男たちの、左側に突っ込んだ。
そして繰り出されたナイフを紙一重で避け、カウンターで喉を裂く。
血飛沫を浴びないように体を反転させ、迫ってきていた男の喉も裂いた。
人が同時に戦えるのは二人が限界だという。
間違ってはいないが、それは実力に差がない場合の話だ。
果たして生まれたての赤ん坊2人が健全な大人と互角に戦えるだろうか。
つまり、俺にとってこいつらはその程度の存在だった。
「あ、あ、あ……」
ジェイは逃げもせず、その場にへたり込んで震えていた。
殺し屋三人があっという間に全滅したのが衝撃的だったらしい。
「ば、馬鹿な……接近戦をこなすなんてきいてない……」
なるほどな、俺を狩ろうとした割には弱い奴らだった訳だ。
俺はそもそも、接近戦が得意なのにな。
大体、狙撃しかできないなら殺し屋じゃなくて狙撃手じゃないか。
まあ、そんなことをいちいち話してやる必要はない。
さりげなく周囲を探ってみたが、新手が現れる気配はない。
ジェイの情けない姿はどうやら演技ではないようだ。
そう確信すると、ジェイの方へ歩いていく。
「ひとつ疑問なんだが」
後ずさりするジェイに問いを発する。
「俺を最強とおだてる割には何故、常識で俺を測ろうとするんだ?」
ジェイは目と口を最大限に開いているばかりで答えようとしない。
思ったよりも情けない男だ。
俺は虚しくなってジェイの喉にナイフを突き立てた。
体から力が抜け崩れおちる。
アンモニア臭が鼻をつく。
ジェイの奴、どうやら失禁してたらしい。
弱い者イジメをしたようで釈然としなかった。
俺は鼻を鳴らすと、足早に立ち去った。
──そろそろ、アジトを変えよう。
頭を空っぽにして読めるようなモノを書いてみたかった。