「———についての記録」
この記録には、
英雄はいない。
悪も、
明確には存在しない。
あるのは、
判断が行われなかった過程だけだ。
当初、この題名は
鷹宮の思想を指していると
読まれていた。
国家。
民族。
決断。
覚悟。
彼の言葉は
強く、
一貫しており、
危険だった。
だから、
この物語の題名は
「彼についての記録」
だと
思われていた。
だが、
それは
半分しか
正しくない。
もう半分の意味は、
どこにも
書かれていない。
なぜなら、
誰も
自分が
当事者だと
思っていないからだ。
この物語の題名が
指している「それ」とは、
鷹宮ではない
三浦でもない
相沢でもない
支援者でもない
国家ですらない
「判断を
引き受けないまま
進行する意思決定」
そのものだ。
鷹宮は、
それを
「腐敗」と
呼んだ。
三浦は、
「構造」と
呼んだ。
相沢は、
「書けない事実」と
呼んだ。
だが、
どの呼び名も
正確ではない。
なぜなら、
それは
誰かが
作ったものでは
ないからだ。
それは、
全員が
少しずつ
何もしなかった結果だ。
決断を
一段
先送りする
責任を
分散する
極端な人物に
集約する
そして、
その人物が
崩れたら
「解決」と
呼ぶ
その繰り返し。
だから、
この題名は
二重になっている。
一つは、
ある男の
思想と行動についての記録。
もう一つは、
その男を
必要とし、
同時に
不要とした
世界についての記録。
読者が
最後に
気づくのは、
この一点だ。
この題名は、
人物を
指していない
“状況”を
指している
そして、
状況には
終わりがない。
名前が変わり、
役割が変わり、
時代が変わっても、
題名だけは
更新されない。
この物語が
閉じても、
題名は
現実の中で
生き続ける。
次に
同じ構造が
動き出したとき、
また
別の名前で
同じ題名が
付けられる。
それだけだ。
———についての記録
それは、
過去の物語ではない。
今も
書き足され続けている
未完の記録だ。




