勝者が存在しないという、最悪の結末
事件は、
未然に防がれた。
それが、
公式記録に残った
唯一の事実だった。
核は使用されなかった。
大量殺戮も起きなかった。
国家は存続した。
だが――
誰も救われなかった。
表の結末(公式発表)
「危険思想を持つ個人による未遂事件」
「関係者はすでに拘束」
「背後関係は確認されなかった」
それで、
終わった。
世論は、
数日だけ騒ぎ、
次の話題へ移る。
国家は、
「機能した」と
自画自賛した。
鷹宮の結末
彼は、
生きている。
だが、
彼の思想は
裁かれなかった。
なぜなら、
裁かれるほど
“体系だったもの”では
なくなったからだ。
裁判で語られるのは、
危険性
過激性
異常性
だけ。
彼が見抜いた
構造の話は、
一切出てこない。
彼の思想は、
誤りとしても
敗北としても
処理されなかった。
ただ、
「無意味」になった。
それが、
彼にとっての
完全な敗北だった。
三浦の結末
彼の「余計なこと」は、
確かに
事態を動かした。
だが、
その行為は
記録から消された。
功績としても、
罪としても
残らない。
内部的には、
想定外要素
処理完了
その一行で終わる。
三浦は、
守られもしないが、
罰せられもしない。
存在ごと
曖昧に処理された。
彼が望んだ
「責任の集中」は、
どこにも
生まれなかった。
相沢の結末
彼女は、
記事を書かない。
書けなかったのではない。
書いても、
世界が変わらないことを
理解した。
代わりに、
彼女は
記録を残す。
公開されない。
評価もされない。
ただ、
未来の誰かが
「同じ構造」に
気づいたときのための
証拠として。
真のどんでん返し
ここで、
読者は気づく。
この物語には、
勝者がいない
敗者もいない
正義も悪も
完結していない
あるのは、
構造が
何事もなかったかのように
存続したという事実だけ。
つまり――
この物語の“敵”は、
最後まで
無傷だった
それが、
最も恐ろしい。
最後の反転(読後に残る問い)
鷹宮は、
間違っていた。
三浦も、
正しくはなかった。
相沢も、
何も変えられなかった。
それでも、
彼らは
「何かをしようとした」。
だが、
世界はこう答える。
何かをしようとする個人は、
いくらでも
代替できる
だから、
勝者はいない。
なぜなら、
戦いそのものが
成立していなかったからだ。




