デート・終編
ラファシアンには確信があった。
神寵者の一族には、『魔力を読む』という特殊な感応能力が備わっている。それも、悪意を孕んだ黒く淀む魔力を、だ。
それは性格の善悪の問題ではない。犯罪行為に手を染める者や、人を傷つける事を厭わぬ者の魔力は、例外なくどろりと濁る。
神から寵愛を受け、世界を正しい道に導く神寵者の血筋は、その不浄な気配を察知する術に長けていた。
(彼女が強盗団を追っているのだとすれば、奴らの淀みを辿れば、必ず見つけ出せるはず……!)
ラファシアンは、裏路地に霧散する黒い魔力の位置を正確に捕捉した。数人が密集しているため正確な数は判然としないが、彼らは途中で二手に分かれたようだ。大きな淀みが、南西と南東の双方から北へと向かって移動している。
ラファシアンはそのうち、より濃密な淀みが集まる南西側へと狙いを定めた。複雑に入り組んだ路地を縫うように進む彼らの先を回るべく、予測される逃走経路の只中で、静かに足を止める。
おそらく、強盗団の一味は目前に追手が先回りしていようとは、微塵も思ってはいなかったのだろう。腕に抱えた戦利品に満足げな視線を落とし、警戒するのは後方のみ。
何の疑いもなく裏路地の角を曲がった刹那、唐突に季節外れの鋭い冷気が吹き抜けた。
「!? 気をつけろっ!!」
叫んだのは、一行の最後尾を走っていた痩身の男だ。その男だけがかろうじて魔力の胎動を察知したが、もはや後の祭りだった。
一瞬の間に、痩身の男以外の団員が氷の牙に絡め取られる。急所を突かれ、声を上げる暇もなく意識を刈り取られた彼らの口からは、白い吐息が冷気とともに力なく漏れた。
その正確無比、かつ一分の無駄もない攻撃に、痩身の男は驚愕を孕んだ瞳で裏路地の先へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、この世のものとは思えぬほど整った美貌を持つ、フードを深く被った一人の男だった。
(……なぜ、俺たちがここを通ると判った!?)
いや、そんな事は今はどうでもいい。何より恐るべきは、この精密さと無慈悲なまでの神速を誇る魔法だ。
通常、魔法の発動には相応の工程と時間を要する。だからこそ、魔導師は前衛に頼らざるを得ない。
だが、目前の男は違う。魔力を感知してから放つまでの間隔が、常軌を逸して短い。そしてその速度でありながら、これほど正確に標的を仕留める──魔導の腕。
痩身の男の背中に、拭い去れない戦慄が走った。
「……お前たちが強盗団か?」
清廉なその声には、底冷えするような激昂が滲んでいた。
人外の領域まで整った美貌だからだろうか。眉間に深く皺を刻み、鋭い眼光を投げるラファシアンの表情は、どこまでも冷酷で、そして残酷なまでに美しい。
「一つ訊ねる。お前たちを追っていた女性がいたはずだ。────彼女をどうした?」
「! ……な、何の話だ?」
「隠し立てするならば、容赦はしない」
「ま、待て……! 何か誤解があるようだ……!」
「誤解?」
ラファシアンの視線が、男の腕に抱えられた袋へと落ちる。
「……では、その手に抱えた袋の中身は何だ?」
「!」
「お前たちが強盗団であることに変わりはない」
静かに言い捨て、ラファシアンは痩身の男へと掌をかざした。唇が微かに詠唱を刻み、足元に幾何学的な魔法陣が浮かび上がる──その、刹那。
「!」
ラファシアンは、怒りに気を取られて気配を見損なっていた。
いや──正確には、焦りだろう。
あのリュシエリアーナであれば、頭目と思しき痩身の男がいるこちら側を追うはずだ。彼女ほどの者が、獲物を見誤るはずがない──そう信じて待ち伏せをしていたのに、一向に彼女の姿が現れない。
その事実に思考を乱され、迫る気配を完全に看過していた。
至近の角から、唐突に四つの影が躍り出る。揃いの金属面で顔を隠した男たち──間違いなく南東側に分かれた強盗団の残党だ。
彼らが現れたのは、目と鼻の先。すでに剣を振りかざし、肉薄している。この間合いでは、もはや大規模な魔法の発動は間に合わない。
ラファシアンは瞬時に魔法を断念し、腰の剣帯へと手を伸ばした。
──だが。
そこにあるはずの柄に、指が触れない。
その瞬間、絶望的な『不覚』を悟る。
────この装いは、自分のものではない。リュシエリアーナの兄フォルドエルから借り受けたものだ。
(しま────!)
悔恨が脳裏をよぎった時には、すべてが遅かった。
賊との間合いは、もはや呼吸が触れるほど。振り下ろされる刃の残像が、網膜に焼き付く。
その瞬間。
遥か上方から、一筋の閃光が降ってきた。
ばさりと風を切ったのは、長い外套だった。
靭やかでありながら鋭い軌跡を描き、それはラファシアンと賊との間へ凛として降り立つ。地に降りるまでの刹那、目にも留まらぬ神速で一閃し、着地の間際にはすでに刀を鞘へ納めるまでを終えて────。
低く蹲るような姿勢で着地したリュシエリアーナは、親指で刀をゆっくりと鞘の奥へ押し込む。鍔と鯉口が噛み合う澄んだ音が場に響き渡った瞬間、彼らが手にしていた剣が、ものの見事に一刀両断され、からんと地に落ちた。
「……!?」
驚愕に目を見開く賊など歯牙にもかけず、リュシエリアーナは緩やかに立ち上がり、ラファシアンを振り返った。
「すまぬな、ラファ様。すっかり遅くなった。……怪我はないか?」
「……!? リュシエリアーナ嬢……!? 一体どこから……!?」
見上げても、足場になるような突起もなければ、飛び降りられそうな窓さえない。この閉ざされた裏路地に、一体どこから現れたのか。
目を丸くするラファシアンに、彼女はわずかに決まり悪そうな苦笑を漏らした。
「あー……。実は連中の後を追っていたのだが、途中で見失ってな。屋根を伝って捜索していたところ、ラファ様の放った魔法の光が見えたのだ」
「………………なんて無茶なことを……!」
彼女の身体能力が並外れていることは承知しているが、魔法も使わず屋根から屋根へ飛び移るなど、無謀が過ぎる。
ラファシアンが頭を抱えて嘆息したところで、ようやく状況を理解し始めた賊たちが、あんぐりと開けた口から震える声を漏らした。
「……な、何が起きた……!? いつの間に剣が叩き割られたんだ……っ!!」
「叩き割ったのではない。『斬った』のだ」
侮辱にも等しい言葉に、リュシエリアーナの眉はピクリと動く。
賊たちはその静かな怒りに、いっそう顔を歪めた。動きを捉えられなかった屈辱もさることながら、自分たちを赤子同然にあしらったのが、これほど小柄な女であるという事実がまた許せない。
剣と共に矜持を折られた彼らは、折れた剣を投げ捨て、獣のような咆哮と共に襲いかかった。
標的はもはやラファシアンではなく、目の前の小柄な女。
だが、リュシエリアーナが反応するより早く、彼らを一掃したのは──ラファシアンだった。
「!」
ラファシアンは彼女の腕を引き寄せ、自身の背後へ庇うと同時に、鋭い詠唱と共に手を振り払う。その動きに呼応し、瞬く間に賊たちの手足は氷の枷に捕らわれ、壁や地面へと縫い留められた。
「ほお……! さすがはラファ様だ……!」
感嘆の吐息を落とすリュシエリアーナの視界に、一人残された頭領らしき痩身の男が身を翻す姿が飛び込んでくる。
「くそ……!」
「逃がすか!」
「! お待ちください、リュシエリアーナ嬢!! 彼は魔導師です!! 深追いは────」
制止しようとする彼に、リュシエリアーナは地を蹴ると同時に、静かに告げた。
「私を護ってくれ、ラファ様」
「!」
その言葉に応じるように、ラファシアンの身体が思考よりも早く動いた。
追いすがるリュシエリアーナに対し、逃げ腰の頭領は走りながら矢継ぎ早に詠唱を唱え、魔法を放つ。幾重にも襲い来る炎の追撃は、だがラファシアンが瞬時に展開する氷の障壁によって、ことごとく霧散した。
何度狙おうと、どれほど不規則で奇策に満ちた攻撃を繰り出そうと、透き通る氷の壁は一点の隙もなく彼女を護り抜く。
「な、なぜだ……!? なぜオレの攻撃が当たらない……っっ!!?」
リュシエリアーナと頭領の間合いは、すでに一歩。
魂の悲鳴にも似た男の絶叫に、リュシエリアーナは氷のように冷たく言い放った。
「当たり前だ。お前とラファ様では、格が違う」
リュシエリアーナは吸い込まれるような動作で抜刀すると、瞬きの間に男の太腿を斬り伏せた。
魔導師の男は、短いうめきと共にその場に崩れ落ち、溢れ出す血を必死に押さえながら悶絶する。
「安心しろ、峰は返した。手加減したから死ぬことはない。……男のくせに、少々斬られた程度で喚くな、見苦しい」
心底呆れたように吐き捨てて、リュシエリアーナは背後のラファシアンへと振り返った。
「助かった、ラファ様。怪我は────」
「怪我はありませんか!? リュシエリアーナ嬢!!」
言葉を被せるようにして、血相を変えたラファシアンが駆け寄ってくる。自分よりも先に相手の身を案じる彼の額には、一筋の汗が滲んでいた。それが、彼が自分のためにどれほど必死に奔走してくれたかの証に見えて、リュシエリアーナは思わずくすりと喉を鳴らした。
「私は大丈夫だ。それよりもよくここが判ったな?」
「あ、ああ……ええ。その、何となくこちらに気配が動いているような気がして……」
言葉尻を濁し、ぎこちなく視線を泳がせるラファシアンに、だがリュシエリアーナは再び感嘆の息を漏らす。
「さすがだな、ラファ様!」
瞳を爛々と輝かせて称賛する彼女に、ラファシアンはこれ以上ないほど面映ゆそうにはにかんだ。
照れくさそうに視線を落とす今の姿と、先ほどの戦場で見せた凛々しい姿──そのあまりの落差に、リュシエリアーナは思わず目を瞬いた。
これほどまでに『静』 と『動』の乖離が激しい者は、前世を含めてもそうはいないだろう。
リュシエリアーナは仄かに微笑み、刀の露を払って鞘に納める。
「どうやら私たちは、どこまでも相性がいいらしいな」
「え……?」
「剣の私と、魔法のラファ様。互いの得手不得手を補い合える────これほど頼もしい相手はいないだろう」
「!」
近接戦闘を極める前衛の剣と、遠距離を支配する後衛の魔法。
互いが背中を預け合えば、もはやこの世界に隙など存在しない。
(……できれば男の私が、彼女の前に立ちたかったが)
ラファシアンは残念そうに小さく息を吐きながら、それでも満足そうに太陽のような笑みを返した。
**
「よりにもよって、リュシーがいる時に強盗を働くとはな。呆れた運の無さだ」
愉しげに肩を揺らしたのは、神殿騎士でありリュシエリアーナの兄でもある、フォルドエルだった。
店主の通報を受けて駆けつけた騎士団の手により、二人が組み伏せた強盗団はすでに次々と引き立てられていく。
「おまけに氷の辺境伯殿まで居合わせたとあっては、さすがに連中に同情する」
「…………申し訳ございません」
「謝らなくていい、ラファ様。これは兄上なりの賛辞の言葉だ」
いたたまれなそうに頭を下げるラファシアンを宥め、場をとりなしてから、リュシエリアーナは兄に向き直った。
「それで、その……連中が奪った装飾品の類は無事だろうか……?」
妹の、どこか落ち着かぬたどたどしい問いかけに、察しのいい兄はすぐさま口端を上げた。
「ああ、安心しろ。すべて無事に取り返してある。検分を終え次第、店に返却する手はずだ」
「そうか……!」
兄の言葉に安堵の吐息を漏らし、リュシエリアーナは背後のラファシアンを振り返った。
「すまぬな、ラファ様。せっかくのデートだというのに、このような騒動に巻き込んでしまって……」
誘ったのは自分だ。
それなのに、結末が強盗の討伐にすり替わってしまうとは。
正直、『デート』というものが具体的に何を指すものかは判らない。だが少なくとも、途中で戦闘に移行するものではないはずだ。
そんな罪悪感を吐き出すように、リュシエリアーナは重く深い溜息とともに肩を落とした。
それを見て、ラファシアンは努めて明るい声音を作る。
「いいえ、お気になさらず。リュシエリアーナ嬢の所為ではありませんし……」
柔らかな笑みを浮かべ、ラファシアンは続ける。
「何より私は、とても楽しめましたよ」
「! 本当か? ではまた────」
挽回の機を得たとばかりに、期待に瞳を輝かせて彼へ顔を向けた──その、瞬間。
リュシエリアーナの頭を覆っていたフードが、はらりと背に落ちた。
露わになったのは、夜の闇をそのまま溶かし込んだような、艶やかな漆黒の長い髪。
「!? しまっ……!!」
慌ててフードを被り直したが、時はすでに遅い。
事件の推移を見守っていた周囲の野次馬たちは、騎士たちの中心に突如現れた『黒髪の少女』に、一瞬で視線を釘付けにされる。
「お、おい……! 今の、見たか……?」
「ああ……! 間違いない、黒髪だ……! なんて美しいんだ……!!」
波紋のように広がるどよめきに、だがその場でただ一人、ラファシアンだけは、何が起きたのか判らずに小首を傾げていた。
リュシエリアーナは、そんな戸惑うラファシアンの手をひっ掴む。
「逃げるぞ、ラファ様……!」
「え、え……っ!? 逃げるって何から────」
その問いの答えを、彼は間髪入れずに思い知ることとなる。
引っ越し作業のため、しばらくお休みです。
4月からまた執筆いたしますので、どうぞ続きを楽しみにお待ちくださいませ。




