最終話 朝、いつもが欠けていた
夜は静かに終わり、朝は変わらずやってくる。
空は晴れ、街は動き、昨日の続きが始まる――はずだった。
だが、ほんの一つだけ。
当たり前だったものが、そこにはなかった。
朝の光が、窓から差し込んでいた。
薄いカーテンを通して、柔らかく室内を照らす。
陽介は、ゆっくりと目を開けた。
(……朝か)
窓の外では、すでに街が目を覚ましている。人の声、荷車の音、遠くで鳴る鐘。
陽介は、いつもの時間に目を覚ました。
身体の調子も悪くない。昨日の疲れも残っていない。
よく眠れた。そう感じた。
「……行くか」
そう呟いて、部屋を出る。
隣の部屋――アイリスの部屋の前で、足が止まった。
ノックをするつもりで、手を上げる。
だが、なぜかそのまま止まった。
「アイリス、おはよう」
声をかける。
返事はない。
「起きてるだろ。そろそろ集合だぞ」
いつもなら、ここで何かしら返ってくる。
文句か、皮肉か、寝起きの不機嫌な声か。
――何もない。
「開けるぞ」
陽介は、もう一度だけ呼んだあと、扉に手をかけた。
◆
部屋の中は、夜の名残をそのまま残していた。
カーテンは半分閉じられ、朝の光が斜めに差し込んでいる。
空気は冷えすぎてもおらず、暖かすぎもしない。
ベッドに、布団があった。
きちんと畳まれていない。
片側が沈み、寝返りを打ったような皺が残っている。
――寝ていた。
そうとしか思えない形だった。
「……?」
陽介は、ゆっくりと近づいた。
枕の位置は変わっていない。
布団は、途中で起き上がった様子もない。
それなのに。
床に、衣服が落ちていた。
上着。
インナー。
飾り紐。
順序はなく、畳まれてもいない。
脱いだというより、その場に落ちたような形。
まるで――
中身だけが、静かに抜け落ちたように。
陽介は、その場から動けなかった。
「……アイリス?」
声に出してみる。
返事はない。
部屋を見回す。
靴は、入口に揃ったまま。
弓の矢筒も、壁に立てかけたまま。
窓は閉じられている。
外へ出た痕跡は、どこにもない。
それでも。
ベッドには“誰かがいた形”があり、
床には“誰かが着ていたもの”が残っている。
なのに――
本人だけが、いない。
◆
陽介は部屋を出た。
廊下を歩き、階段を下りる。
一階では、ガルドとフィオラがすでに準備をしていた。
「おう」
ガルドが顔を上げる。
「今日は早いな」
「……はい」
それだけ答えて、陽介は一瞬、言葉を探した。
「今日は――」
ガルドが言いかけて、止まった。
数秒の間。
それだけで、空気が変わる。
「……アイリスは?」
陽介は、少しだけ息を吸った。
「……いません」
ガルドは、すぐには何も言わなかった。
視線を落とし、指で顎をなぞる。
フィオラが一歩近づき、何も聞かずに頷く。
「今日は、動かない」
ガルドが言う。
「了解」
フィオラは短く返した。
それで決まった。
◆
宿の外に出ると、空はよく晴れていた。
雲一つない、いつもの朝。
街は動いている。
人は笑い、店は開き、依頼書は張り替えられていく。
陽介は、無意識に隣を見た。
そこに、いつもいるアイリスがいる前提で、視線だけが動く。
……何もない。
それでも、街は今日の予定を進めていく。
昨日まで、当たり前にあったもの。
声。
気配。
索敵の報告。
それらが、確かに欠けている。
世界は変わらない。
ただ一つだけ、戻らないものがある。
陽介は空を見上げた。
晴れている。
どこまでも。
その下で、彼はしばらく立ち尽くしていた……
最後まで読んでいただきありがとうございました。
途中更新が止まってしまいましたが、何とか再開することができました。
また別の作品で、皆様とお会いできることを楽しみにしております。




