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第15話 血の谷への一歩 ―グラナート谷突入―

今回は《投石》スキルの検証シーンから続き、ついに「グラナート谷」へ突入します。

笑いのあるやり取りのあとに、じわじわと不気味な緊張が広がる――物語の転調を描く章です。

商隊全体が一枚岩になろうとする雰囲気や、谷の圧迫感を意識して膨らませました。

アイリスが顔を真っ赤にしてしっぽをぶんぶん振っているのを横目に、陽介は石を手放して息を整えた。

「……よし、遊んでばっかりじゃなくて進もうか」


「だ、誰が遊んでるってのよっ! これは大事な検証だったんだからね!」

 ツンとした態度で言い返すが、耳の赤さは隠しきれていない。


 そんな夫婦漫才のようなやり取りに、近くの護衛たちから小さな笑い声が漏れた。

 だが、行軍は確実に続いている。


 道は次第に狭く、荒れ始めていた。

 両側を切り立った岩壁に挟まれた細い道へと続いていく。


 やがて、目の前にそびえる巨大な岩の門が現れた。

 自然が削り出したその形は、人間を拒むかのように威圧的で、空は細い帯のようにしか見えない。


「ここが……」陽介はごくりと唾を飲み込む。

 圧迫感と不気味さが、ひしひしと胸に迫ってくる。


 そのとき、フィオラが馬を止め、振り返って声をかけた。

「そう。ここが――グラナート谷。オルフェンへ向かう街道で一番の難所よ」


「そんなに危険なのか?」

 陽介が思わず問い返す。


 フィオラは険しい表情でうなずいた。

「魔物だけじゃない。盗賊もよく出る。谷が深くて逃げ場がないから、一度襲われれば……隊ごと全滅する例もある」


「っ……」

 陽介の背筋に冷たいものが走った。


 その横で、アイリスの耳がぴくりと動く。

「探知範囲に……まだ魔物は入ってきてない。でも嫌な気配がする」


「気配?」陽介は息を詰めた。

「うん……レーダーに数値は出てない。でも……谷そのものが何かを隠してるような……そんな嫌な感じ」


 フィオラが小さくため息をつき、馬上から声を投げた。

「女の勘か、AIの感覚か……どっちにしても、侮れないわね」


 ガルドも馬を進め、低く力強い声で告げる。

「ここからが本番だ。全員、気を抜くな。……気を引き締めろ!」


 その声は岩壁に反響し、まるで谷そのものが応じているかのように重く響いた。


 商隊の一行は整列を整え、ゆっくりと谷へと足を踏み入れていく。

 馬の蹄の音がカンカンと岩に反響し、耳障りなほど大きく響いた。


 頭上には赤みを帯びた岩肌。夕陽が差し込めば血のように染まるため、人々は畏怖を込めて「グラナート」と呼んできた。


 谷に入った途端、空気が変わった。

 ひんやりとした冷気が肌を刺し、昼間の太陽の温もりはすっかり消え去る。

 湿った風が岩の隙間から吹き抜け、馬たちが鼻を鳴らして落ち着かない様子を見せる。


 陽介は剣の柄に無意識に手を置いていた。

(ここから先が……本当の“死地”か)


 アイリスは黙って探知を続けていたが、その耳としっぽは落ち着きなく揺れていた。

「……まだ何もいない。でも、油断しないで」


「わかってる」陽介は息を飲んだ。


 護衛たちも誰一人として言葉を発さず、ただ谷の中の静寂に身を委ねる。

 岩壁に跳ね返る音は、自分たちの動きだけ――それがかえって、不安を増幅させた。


 ガルドが立ち止まり、鋭い声で言った。

「……周りを探索してこい。こんな場所は盗賊にはもってこいの場所だからな」


 数人の冒険者が即座に反応し、左右の谷の斜面へ散っていった。岩を登り、影を探り、耳を澄ます。

 陽介はごくりと唾を飲み込み、隣のアイリスを見た。


「……感じるか?」


 アイリスは目を閉じ、耳をぴんと立てる。尾がふるふると揺れ、空気を嗅ぎ分けるように鼻を震わせた。やがて瞳を開き、短く答える。

「この気配……人間。魔物じゃない。――盗賊ね」


 その瞬間、背中を冷たいものが走った。魔物ならば理解できる。生きるために襲ってくる。だが、人間は違う。欲望や悪意で人を襲う。そこに容赦はない。


 ほどなくして、探索に出た冒険者たちが戻ってきた。顔は険しい。

「ガルドさん! 谷の向こうに複数の武装した人影を確認。待ち伏せです!」


 ガルドは低く唸り、決断した。

「……潰しておかないと厄介だ。二手に分かれる。俺と半数は右へ。残りは左を叩け。――陽介、お前はアイリス、フィオラと組め」


「えっ、俺も!?」

 声が裏返る。だがフィオラが陽介の肩を叩いた。

「当然だろ。戦場に立ってこそ一人前だ。安心しろ、私が隣にいる」


 アイリスも腰のナイフを構え、陽介に向かって小さく囁く。

「絶対に離れないで」


 ガルドが剣を掲げ、全員に号令をかける。

「気を引き締めて、いくぞ!」



 三人は影を縫うように谷の奥へ進んでいった。岩陰の向こう、盗賊たちはまだこちらに気づいていない。油断して木の陰で談笑している声が聞こえる。


 フィオラが低く囁いた。

「陽介、試してみるか? 投石を」


「投石……?」

 陽介は喉が渇くのを感じながらも、足元に落ちていた丸石を拾い上げた。


 アイリスが耳を澄まし、風を読む。

「追い風、右から一メートル。問題ない」


 陽介はうなずき、石を振りかぶった。呼吸を整え、力を抜き、ただ狙う。

 ひゅ、と石が飛んだ。――乾いた音。木陰にいた盗賊の頭に直撃し、男はその場に崩れ落ちた。


「当たった……!」

 息を呑む間もなく、残りの盗賊たちが叫び声を上げた。


「何だっ!? 敵襲だ!」


 次の瞬間、激突が始まった。



 盗賊は四人。こちらも三人。数では劣らない。

 フィオラが最前線で刃を交え、アイリスが俊敏に横をすり抜けて相手の腕を切り払う。

 陽介も必死に剣を振る。盾に打ち込まれる衝撃が骨に響き、腕が痺れる。それでも倒れない。倒れれば仲間を危険に晒す。


「陽介、右だ!」

 フィオラの声に反応して剣を突き出す。刃先が盗賊の腕を掠め、相手が怯んだ。すかさずアイリスが追撃し、男は地に倒れ込む。


 戦いは数分に満たなかった。こちら側は全員無事。息は荒いが立っている。倒れた盗賊たちは呻き声を上げて動けない。


 陽介は剣を見下ろした。刃にこびりつく血に胃がねじれる。だがアイリスが静かに言った。

「生き延びるためだよ」


 彼女の目も震えていた。仲間を守るために刃を振るった――それだけが支えだった。



 ふと視線を谷の向こうに向けると、ガルドたちの一団が苦戦しているのが見えた。敵の数は多く、十人近い。ガルドは囲まれ、剣を振るうたびに汗を飛ばしている。


「まずい……!」

 陽介の口から思わず声が漏れた。


 アイリスがすぐに指示を出す。

「当てられる? 今なら狙える」


「……当てる!」

 恐怖と覚悟を同時に飲み込み、陽介はうなずいた。


 アイリスが素早く足元から石を拾い、手渡す。

「風は追い風。右から一メートル。問題ない」


「いくぞ!」


 陽介は次々と石を投げた。命中するものもあれば外れるものもある。だが岩を弾く鋭い音と石の軌跡は、盗賊たちの注意を引きつけるのに十分だった。


「なんだ!? 上から石が!」

「ぐあっ!」


 一人の額に石が命中し、男が崩れ落ちた。ガルドの剣がその隙を突き、別の盗賊を斬り払う。


「助かる!」

 ガルドが吠えるように叫び、囲みを突破した。仲間たちも奮起し、戦線が崩れ始める。


 陽介は腕が痺れても石を投げ続けた。アイリスが渡し続ける。投げ、拾い、また投げる。二人は必死だった。

 やがて、盗賊たちは次々と倒れていき、最後の一人が逃げようと背を向けたところをフィオラが追いつき、短剣で制した。



 谷に再び静けさが戻ったとき、そこには荒い息と血の匂いだけが残っていた。盗賊たちは全滅。

 しかし代償もあった。商隊を守っていた冒険者数人が傷を負い、ガルド自身も腕に深い傷を受けていた。


「大丈夫ですか!」

 陽介が駆け寄ると、ガルドは笑みを浮かべた。

「このくらいどうということはねえ。だが……坊主、お前の投石、効いたぞ」


 陽介は息を詰めた。自分の小さな石が、仲間の命を繋いだ――。

 恐怖はまだ胸に残っている。だが同時に、不思議な自信が芽生え始めていた。

盗賊との初めての激突は、陽介にとって大きな転機となった。

剣は未熟でも、彼には仲間と共に戦う知恵と勇気がある。

小さな石が仲間を救い、戦況を変えた。

だが、この勝利は序章にすぎない。谷の奥には、さらに深い闇が待ち受けている――。

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