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第一話 鍛えすぎた男

ゴォォォンッッ!!!


けたたましい衝突音と、何かが砕け散るような派手な音が鼓膜を揺さぶった。しかし、衝撃に備え奥歯を食いしばっていた俺は想像していた全身を襲う激痛も、意識がブラックアウトする感覚も訪れないことに気づく。


(…あれ?痛くない…だと?)


いや、それどころか、まるで柔らかなクッションに軽く肩をぶつけた程度の、本当に微かな感触しかなかった。


恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。俺の目の前で、大型トラックのフロント部分は見るも無残にひしゃげ、ボンネットはあらぬ方向を向き、ラジエーターからは白い煙がもうもうと立ち上っている。フロントガラスには蜘蛛の巣状のヒビが入り、運転席の男はぐったりとエアバッグに顔を埋めていた。


そして、肝心の俺は――なぜか、立っていた。


「……は?」


思わず間抜けな声が出た。愛用のワイシャツの肩の部分が、ほんの少しだけ擦れて破れている。だが、それだけだ。痛みもなければ、出血もない。ピンピンしているどころか、むしろ先ほどまでの山での修行の疲労感がいくらかマシになっている気すらする。


「なんで…? 俺……生きてる?」


呆然と立ち尽くす俺の周囲で、先ほどまでの悲鳴が今度は驚愕と困惑の声へと変わっていくのが聞こえた。鍛えに鍛え抜いた俺の肉体は、異世界転生へのプラチナチケットたるトラックとの衝突を、こともなげに、まるで蚊をはたき落とすかのように無力化してしまったのだ。俺の3年間の努力は、転生を拒否するという、最も望まない形で結実してしまったらしい。


その時、けたたましいサイレンの音と共に、パトカーと救急車が到着し始めた。野次馬が遠巻きに俺と大破したトラックを交互に見比べている。その群衆の中に、やけに鋭い目つきをした初老の男がいた。くたびれたスーツを着こなしたその男――警視庁捜査一課のベテラン、後藤誠ごとう まこと警部は、非番でたまたま近くの喫茶店でモーニングを摂っていたところ、この騒ぎに遭遇したのだ。


「…なんだ、ありゃあ」


後藤は、大破したトラックと、その前に平然と佇むワイシャツ姿の男(俺だ)を認め、長年の刑事の勘が警鐘を鳴らすのを感じていた。明らかに尋常ではない。これは単なる交通事故なのか、それとも何か裏があるのか…。


同じく、事故の衝撃的な瞬間を道の反対側から一部始終目撃していた女子高生が、小さく息をのんだ。「…うそ…ありえない…」黒髪の女子高生――相沢凛あいざわ りんは非現実的な光景を目の当たりにし、ただ立ち尽くすばかりだった。


結局、俺は「事故の被害者(?)」として救急車に乗せられた。もちろん、「俺は大丈夫だ!死なせてくれ!いや、もう死ねないのか!?」などと抵抗したが、救急隊員には興奮して錯乱していると判断されたらしく、あっさりとストレッチャーに固定された。無念だ。


搬送された最寄りの総合病院。診察室で俺を担当したのは、やけに細身で、神経質そうな印象の白衣の男だった。名札には「骨川」とある。


Dr.骨川は、事故の状況を淡々と聞きながら、俺の全身のレントゲン写真やCTスキャン画像、血液検査のデータに非常に熱心に見入っていた。時折「ふむ…」「これは…実に興味深い反応だ…」などと小さな声を漏らし、看護師に何度も細かい指示を出しながら、様々な角度から俺の体を調べたり、検査機器の数値を繰り返し確認したりしていた。


「田中さん、あなたの体は…本当に頑丈ですね。これほどの事故で全くの無傷というのは、医学的に見ても極めて稀なケースと言えるでしょう。今後の医療発展のための貴重なデータとなるかもしれませんので、少々時間をかけて、詳細に検査させていただきました。ご協力、感謝します」


Dr.骨川は穏やかな笑みを浮かべていたが、その眼鏡の奥の瞳が、やけに探るような、あるいは何かを見定めるような光を宿していたのが、なぜか少しだけ気になった。それにしても、だ。擦り傷一つない、ただの(?)交通事故の被害者に対して、あんなに念入りに、それこそ全身くまなく調べるような精密検査をするものだろうか。何度も採血されたし、皮膚や髪の毛まで「念のため、詳細な検査に回しますので」と言って採取された気がする。まあ、大病院の医者の言うことだから、そういうものなのかもしれないが、それにしても長かった。おかげで、俺の貴重な「次の死に場所を探す時間」が大幅に削られてしまった。


一方、後藤警部は部下を率いて事故現場の検証と、目撃者の聴取を進めていた。何人かの目撃者の話は概ね一致していたが、特にあの黒髪の女子高生、相沢凛の証言は具体的だった。


「…あの人が、トラックと正面からぶつかったんです。でも、トラックの方がグシャッてなって…その人は、本当に平気そうに立ってました。信じられないですけど…」


淡々と、しかし確信に満ちた凛の言葉に、後藤はますます眉間の皺を深くする。「…超人か何かか?馬鹿馬鹿しいが、これだけの物証と証言が揃っていてはな…」


後藤は、この不可解極まりない事故の鍵を握る男、田中一郎に対して、刑事としての強い関心と、説明のつかない一種の不気味さを感じ始めていた。この男は、一体何者なんだ…?


病院の個室。やたらと長かった精密検査(と俺が感じただけかもしれないが)を終え、ようやく一人きりになれたベッドの上で、俺はただひたすらに絶望に打ちひしがれていた。


(こんなはずじゃなかった…!俺の完璧な異世界転生計画が…!最強の肉体を手に入れた結果、最強に死ねない体になってどうするんだよぉぉぉぉッ!!)


俺の悲痛な心の叫びは、誰に聞かれることもなく、ただ虚しく、純白のシーツに吸い込まれていくのであった。

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