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第八話 蛇塚、襲来

玄道の言葉が終わるか終わらないかのうちに、書斎の重厚な扉が荒々しく蹴破られた。

「久しぶりだな相沢玄道! 今日こそその首、いただきにきた!」

甲高い、しかし妙に粘りつくような声と共に、派手な柄シャツを着た、見るからに悪趣味な男が数人の手下を引き連れて踏み込んできた。手下たちは、それぞれ手に鈍く光る刃物や鉄パイプを握りしめている。なるほど、これが「お客様」というわけか。

「…これはこれは、蛇塚へびづか組の若頭、蛇塚へびづかさん。わざわざご足労とは、感心しませんな。我が家のセキュリティも、随分と甘くなったものだ」

玄道は、葉巻を燻らせながら、まるで招かれざる客を応対するかのように平然と言ってのける。その表情は冷徹そのものだったが、その視線が一瞬、俺の背後にいる凛に向けられた際、ごく僅かに揺らいだのを俺は見逃さなかった。それは、計算とは別の、何か個人的な感情のようにも見えた。

凛は小さく息を呑み、俺の腕を掴むようにして身を寄せた。無理もない。いきなりこんな修羅場に放り込まれれば、普通の女子高生なら腰を抜かしていてもおかしくない。

「ほざけ! お前が俺たちのシマを荒らした落とし前、きっちりつけさせてもらうぜ!」

蛇塚と呼ばれた男が、下卑た笑みを浮かべて叫ぶ。その目は血走り、明らかにまともではない。

「田中一郎、聞こえたな。奴らを片付けろ。ただし、殺すな。情報を引き出す必要がある。…そして、凛を巻き込むな。あの娘に何かあれば、お前にも責任の一端は取ってもらうぞ」

玄道が俺に静かに命じる。その言葉はあくまで冷静だったが、最後の部分には、娘の安全を確保するという強い意志が、どこか棘のように感じられた。

「殺すな、か。それはまた、俺にとっては一番面倒な注文だな。手加減というのは、どうも苦手でね。だが、お嬢さんを巻き込むな、というなら、まあ、善処しよう」

俺は肩を軽く回しながら答えた。本音を言えば、こいつら全員をミンチにして、ついでに俺も流れ弾でも食らって死ねれば最高なのだが。

「なんだテメェは? 相沢の新しい番犬か? 見慣れねえ顔だな!」

蛇塚の視線が、初めて俺に向けられた。

「番犬ではない。しがない、死にたがりの一般人だ。お前らみたいな雑魚を何人殺そうが、俺の魂は満たされん。だが、まあ、ウォーミングアップにはなるかもしれんな」

「…ハッ、面白いことを言うじゃねえか! やれ、お前ら! そいつから血祭りにあげろ!」

蛇塚の号令一下、手下たちが雄叫びを上げながら俺に襲いかかってきた。

一番槍は、鉄パイプを振りかぶってきた大柄な男だった。その一撃は、常人ならば頭蓋骨を砕かれてもおかしくない威力だろう。だが、俺にとっては、そよ風にも等しい。

俺は、振り下ろされる鉄パイプを、左手で軽く掴んで止めた。

「なっ!?」

男の顔が驚愕に歪む。俺はそのまま鉄パイプを握り潰し、ひしゃげた鉄塊を男の顔面に叩き込んだ。

ゴシャッ、という鈍い音と共に、男は白目を剥いて床に崩れ落ちる。もちろん、殺してはいない。鼻の骨を砕き、前歯を数本折った程度だ。手加減というのは、本当に難しい。

「な、なんだと…!?」

他の手下たちが一瞬怯んだが、すぐに数の利を頼んで次々と襲いかかってくる。ナイフが煌めき、鉄パイプが唸りを上げる。

俺は、それらを全て紙一重で避け、あるいは素手で受け止め、的確に急所(殺さない程度に痛めつける場所)を打ち抜いていく。その際、俺は常に凛が俺の背後にいることを意識し、彼女に危険が及ばないように立ち回った。別に彼女のためではない。玄道との契約、そして何より、俺が「死ねるかもしれない状況」を継続させるための、ただの業務だ。

書斎の中は、あっという間に地獄絵図と化した。物が壊れる音、男たちの苦悶の声、そして、時折響く俺の不満げなため息。

「ちっ、手応えがなさすぎる。これでは、擦り傷一つ…」

俺のワイシャツは、確かに少し埃っぽくはなったが、破れ一つない。

わずか数十秒後。

蛇塚の前に立っているのは、俺一人だけだった。彼の足元には、無様に転がる手下たちの山。


「ひ…ひぃぃぃぃっ! ば、化け物か、テメェは…!?」

蛇塚は、先ほどまでの威勢はどこへやら、腰を抜かしてへたり込み、ガタガタと震えていた。その顔は恐怖で引きつり、情けないことに、ズボンの股間部分がみるみる濡れていくのが見えた。どこかで見た光景だ。

「さて、と。ウォーミングアップは終わりだ。蛇塚さんとやら、あんたの親玉は誰だ? なぜ相沢家を狙う? 正直に話せば、五体満足で帰してやらんでもないぞ。まあ、精神的なダメージまでは保証できんがな」

俺がゆっくりと一歩踏み出すと、蛇塚は「うわあああああん!」と甲高い悲鳴を上げた。その声は途中でカエルが潰れたような音に変わり、次の瞬間にはカクンと首の力が抜け、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。白目を剥き、だらしなく開いた口からは、小さく泡が漏れている。完全に意識を飛ばしているようだ。

「…おいおい、尋問する前に落ちるとはな。耐久力が紙すぎるだろ。これじゃ拷問の楽しみもないじゃないか」

俺は、気絶した蛇塚の襟首を掴み、玄道の方へ向き直った。


「旦那、こいつはどうする? 拷問でもして情報を吐かせるか? それとも、もっと効率よく『死ねる』方法で情報を引き出すか?」

俺の提案に、玄道は冷ややかに口の端を上げた。

「…ふむ。凛が連れてきただけのことはある、か。田中一郎、貴様の力は確かに規格外のようだ」その言葉は、俺の規格外の力を再確認し、その利用価値を冷静に値踏みするような響きだった。「蛇塚は別室へ。専門の者に任せる。奴が簡単に口を割るとは思えんがな」

「は、はい…お父様…」

凛は、まだ少し震えながらも、父親の言葉に小さく頷いた。彼女の表情からは、父親への畏怖と、目の前の惨状への混乱が読み取れた。

「それよりも、田中一郎」

玄道は、俺に鋭い視線を向けた。その瞳には、計算高い支配者のそれが浮かんでいたが、その奥に一瞬だけ、何か別の感情がよぎったような気がした。気のせいかもしれんが。

「貴様のその力、そしてその『死にたがり』という歪んだ願望。我が相沢家にとって、諸刃の剣だ。せいぜい役に立ってもらおう。だが、覚えておけ。その力が制御できず、結果として凛を危険に晒すようなことがあれば…その時は俺が直々にお前を処分する。我が家の問題に、これ以上あの子を巻き込むわけにはいかんのでな」

最後の言葉は、低い声だったが、明確な警告だった。それは、俺という危険な駒を手に入れたことへの高揚感と、それを制御しきれなかった場合の断固たる処置を予告する、冷徹な支配者の言葉であると同時に、ほんの僅かだが、娘を案じる親としての響きが混じっているようにも、俺には聞こえた。

俺は、気絶した蛇塚を執事に引き渡し、窓の外を見た。屋敷の周囲は、すでに新たな黒服の男たちによって完全に制圧されているようだった。

(なるほどな…この家は、常にこういう危険と隣り合わせなのか。そして、ここの主は、その危険の中で何かを守ろうとしている、と。面白い。実に、面白いじゃないか…!)

俺の心は、新たな「死ねるかもしれない日常」への期待と、この底知れない男に対する複雑な興味に、静かに、しかし確実に高鳴っていた。

この男の駒として踊らされるのは癪だが、その過程で俺が望む「最高の死」にたどり着けるのなら、それもまた一興だ。

新たな日常。危険な取引。そして、まだ見ぬ『最高の死』へのカウントダウン。俺の魂は歓喜していた。

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