第7話 接近
ある日、市場でのトウモロコシの粒拾いを終えて家に戻ったときのことだった。
裏庭に面した塀の脇に、ふと目を引く薄緑色の草が生えているのを見つけた。
まわりに誰もいないことを確かめてから、そっと近づいてみる。
先端が鋭くとがった中厚の葉が、地面から放射状に広がっている。葉の縁には、針のように細かい棘がずらりと並んでいた。
まるで自分に近づくなという緊張感を持って生えているような、硬質な草?だった。
―これは、まさか。なぜ今まで気づかなかった?
試しに一本、根元からちぎってみる。
パキン、という乾いた音とともに、弾力のある葉が手に取れた。切り口をそっと舐めてみると、わずかに甘みがある。
視線を落とすと、葉の下からは松ぼっくりのように節のある、丸くて太い茎が顔をのぞかせている。
――当たりだ。これは、アガベじゃないのか!
プルケの原料、アガベ。樹液を発酵させれば酒になることは前世の知識で知っている。
けれど、具体的な樹液の採取法までは知らなかった。こんなことなら文明があるうちに動画サイトでも見ておけばよかった。もう遅いが。
その日ちぎった葉をこっそり部屋へ持ち帰り、折ってみたり絞ってみたりと四苦八苦したが、まともに液は出てこない。
棘で手は傷だらけになり、繊維は固く、5歳児の力ではどうにもならない。
数日後、同じ草のところにやってきた。
拾ってきた薄めの石を太い茎の根元にぶつけて、削るようにして試してみた。すると、ごく少量ながら、透明な液体がじわじわとにじみ出てきた。
それを小さな貝の器ですくって集めた。
その後も、おばちゃんに見つかって怒鳴られたり、父に殴られたりで何度かゲームオーバーとコンティニューを繰り返しながら、月がいくつも変わった。
ようやく、小さな古い壊れた壺の底に、ハーフショット分くらいの樹液を集めることに成功した。
プルケの酵母が何なのか、俺は知らないし、誰にも聞くわけにはいかない。
だが俺は一つ知っているし、それは身近に手に入るものだ。
遠い東洋の島国で乙女が米を噛んで作る濁り酒のことを思い浮かべながら、唾をかけておいた。
数日後。
壺を覗いてみると、そこにはあの特徴的な発酵の香り……ではなく、やや乾いた唾液のような臭いが漂っていた。
さらに小さな羽虫たちが壺の縁を飛び回り、いくつかは中に落ちていた。大変に鬱陶しい。とても人様には見せられない。
羽虫を指でつまみ出して、まずは一口啜ってみた。
酸っぱい。けれどこの酸味は知っている。雑菌が混入して台無しになった、かつての自家製ビールの酸味だ。
つまりビールの酸味なら、発酵は起きていたということだ。
ようやく、ようやく俺は酒造りの入り口に立ったのだ。
ここから先は、雑菌をどう排除するか、適切な酵母をどう見つけるか、そしてどう味を整えていくか。
熱源も道具も時間も限られるし、前世の幼児よりは逞しくても、普通の子供並みの体力しかない今の俺にできることはまだ少ない。
前世でやったことがある自家製ビールよりも、はるかに難易度が高い。
だが、絶望することはない。
どこかの映画みたいに、監獄の壁を少しずつ削って脱獄するよりも未来は開けていると思う。
俺は心の中で誓った。
しばらくは空き時間のすべてを、この試行錯誤に捧げよう。
そのずっと先にある、あの無色透明の液体のために。