第5話 トウモロコシを拾いながら
酒との出会いから、数日が経った。
俺はまだ体の節々に残る痛みを感じながら、あのとき訪れた市場の路面に這いつくばり、雑踏の中でトウモロコシの粒を拾っていた。
斜め後ろには、いかつい顔をしたおっさん――父の部下らしき男が、お目付け役としてぴったり張り付いている。まるで一挙手一投足を監視しているようだ。
あのとき父が説教の合間に漏らした酒の名、「プルケ」を俺は聞き逃さなかった。
だが今、その壺に近づくのはまず不可能だろう。仮に次のチャンスがあったとしても、その後で五体満足でいられるかどうかはかなり怪しい。
あれ以来、父の視線はさらに鋭くなり、おばちゃんや他の家族、召使いにまで警戒されている気がする。
特にキッチンや食料の近くには近づきづらくなった。完全に「酒飲みに酒を与えるな」モードに入っている。
だが、俺の酒への愛はそんなことで諦めるような薄っぺらいものじゃない。
プルケはあくまで入口だ。目指すのは、その先にある蒸留酒――テキーラだ。
まずは原料を特定する必要がある。リュウゼツラン(アガベ)なら話が早いが、まだ確信はない。
砂糖も見かけない。おそらくこの文明には存在していないか、非常に限られているのだろう。
となれば、発酵に使える酵母を探さねばならない。
蒸留は、それが済んでからだ。
とりあえず今は目立たず、地道に準備する時期だ。
警戒が緩むまで、アステカの子どもらしく、真面目に学び、鍛錬し、遊んでいるふりをしよう。
それにまだこの国の即死フラグがどこにあるのか、十分には分かっていない。妙な言動をすれば、父に殴り殺されるか、行き過ぎた体罰が原因で傷病死するか、あるいは神殿の最上段で心臓を捧げることになってもおかしくない。
もうひとつ、気がかりなことがある。
ここが本当にアステカ帝国であるならば――いずれスペイン人が来る。
テキーラの本来の製法や道具を持ち込むのは、彼らスペイン人のはずだ。だがそれまでに俺が死んでしまっていたら意味がない。
仮に生きていたとしても、奴らがこの都市を陥とす時に殺されるか、奴隷になるか、奴らが持ち込んだ天然痘などで病死する可能性が高い。
もしその「時」が近いのだとしたら、急がなければならない。
酒の製造法を自力で確立しておかないと、テキーラにありつくまえに死んでしまう。
まず、今がいったい何年なのか、正確に知るべきだ。
スペインから来るのはコルテスだ。迎える王はモクテスマだったか? 何世かいたんだったか?
どれだけの猶予があるのか、それが分からないと、行動の優先順位が定まらない。
――などと考え込んでいたところ、背後から尻を蹴飛ばされた。
拾う手が止まっていたから、「ちゃんと働け」ということだろう。
やれやれ。
この社会は、現在進行中の罰ゲームも含めて、子供にとっても実に厳しく暴力的だ。
俺の知識で無双するターンは、まだ遠い。