118話 英雄への領域
ミュラーが空間殺法の伝授を受けてから、三年の月日が流れていた。
今日もカインの屋敷の上空には雷鳴が轟いている。
雲一つない晴天の青空に稲光が走っていた
。
地上は平和そのものだ。
小春日和の天気で小鳥達が心地良く囀り、美しい雪景色が彩っていた。
だが戯れる小鳥達を眺めながら、ルカとヒルダは天空から響く不穏な音に不安を隠せなかった。
上空8000メートルの世界では死闘が繰り広げられていた。
閃光と閃光がぶつかり合っている。
単純に、高速で飛行したカインの右回し蹴りをミュラーが左手で受け流し、すかさず放つカウンターの右掌底を、カインが右拳で合わせる。
ただそれだけの攻防が瞬く星のような光が放たれた。
二人は上下左右に高速移動し、刹那の瞬間で、相手の出方を探る。
それは高度な読み合いだった。
筋肉の僅かな動きをしっかりと鼓膜で聞き取る。
互いの動きの癖、以前までの挙動から相手の思考を予測する。
ミュラーは感嘆する。
見事な神業だ。
カインの戦闘スタイルはヒルダのような直線的なものではない。
緩急を織り交ぜ、曲線的な動き。
そこには一切の無駄が無く、隙を作らせない。
蹴り技が繰り出されると思えば、その脚から魔法が放たれる。
魔法が手から放たれるものというものは、ミュラーの固定観念だった。
距離を開いたところで、指を鳴らしてカインは魔法を放つ。
カインの一挙手一投足がミュラーにとって命取りになる。
対するカインもミュラーがここまで空間殺法を習熟し得ることに驚嘆していた。
あの泣き虫が、今じゃ無詠唱で飛行魔法と高速移動魔法を同時発動しながら、俺とドッグファイトしやがる。
しかし可愛げがねぇ。
俺の放つ魔術を尽く捌き流し、俺に牙を向けてきやがる。
この攻防をカインは優位に攻めていたが、ミュラーの極めた流し技で決定打に欠けていた。
カインは思わず舌打ちする。
仕方ねぇ。
こいつを見せるつもりは無かったんだがな。
「仙真論典」
突如、カインの手から本が浮かび上がる。
それはカインが創世の賢者と言わしめた切り札たる魔法であった。
魔法で具現化した本。
その本の中身には今までカインが読み解いた魔法が全て網羅されている。
そしてカインはそれを自在に操る。
カインはこの自身が創り出した本の能力で、今まで読んだ魔導書に書かれた魔法をこの能力で自在に操れたのだ。
しかし、その間隙をミュラーは逃さない。
あっという間にカインに肉薄し、稲妻のような飛び膝蹴りを繰り出す。
周到に両手はカインの放つ魔法のために、いつでも対処できるように構えていた。
しかしカインの放つ魔法の方が早かった。
「疾れ、飯綱」
するとカインの周囲が光に包まれ、その光が真紅の稲妻に変貌し、その紅い光線がミュラーに襲いかかる。
寸前で躱すミュラーであったが、真紅の稲妻は獣のような形へと変化し、ミュラーに光の牙が次々に迫る。
完全にミュラーは捉えられていた。
今、まさに真紅の稲妻の獣の顎がミュラーの身体を食いちぎろうとしていた。
「縮退葬法、弐式」
ミュラーが放った魔法は師であるカインにすら見せたことがない。
それは聖杯の儀式で生まれ、百年の孤独で習熟したミュラーの先天魔法術式であり、自身の力魔法の正体である。
空間に圧力を発生させ、それを自在に操る。
それがミュラーの魔法術式だ。
今ミュラーは周囲の圧力を、大気の分子レベルまで圧縮、反発させた。
その威力の前に真紅の光の獣は霧散する。
その光景に呆気に取られたカイン。
自身の奥の手が破られたことに驚きを隠せない。
背後からミュラーの警告が聞こえた。
「どうした、隙だらけだぞ。積年の恨み、今晴らす」
カインは忌々しい目でミュラーの方へ振り返る。
ミュラーは両手で構え、容赦なく術式をカインに叩き込だ。
「縮退葬法、参式、『粒滅砲』」
極限まで圧縮された空間の圧力がカインの動きを封じる。
そして空を歪ませるほどの圧力の球体が、蒼く輝き、放たれた砲弾のようにカインの身体を吹き飛ばした。
その余りの威力に、不覚にもカインの意識は遠く。
ホントに可愛げがねぇ……。
大地は落下していくカインを眺めながら、ミュラーは口角を上げた。
「安心しろ。手加減しておいた。しばらくは養生していろ」
長い修行の時を経て、ついにミュラーはカインに勝利することができた。
勝利の余韻に浸るミュラーは気付いていなかった。
すでに自身が超越者という、英雄の領域に踏み込んだことを。




