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112話 聖杯の儀式

 

 失神して倒れ伏しているミュラー。


 完全に意識を失っている。

 それほどまでにヒルダの一撃は強烈であった。

 それほどまでに二人の力量差は離れていた。


 体術の技術。


 タオの総量。


 そしてタオのコントロール。


 タオ操作について、ミュラーは基本はできていたが、その技量には圧倒的なまでの差があった。


 その華奢で細く、透き通った色艶をしたヒルダの腕が失神しているミュラーの元へと伸びていく。

 ヒルダはまるで赤子を持ち上げるように、ミュラーの鍛え抜かれた体躯を容易く扱った。

 ミュラーの後頭部を片手で掴み、ヒョイっと造作も無く掲げ上げている。

 そこに苔がついた埃まみれの杯をカインがミュラーの口元へと運ぶ。


 杯の中の液体は金色に輝いていた。


 それは決して人が飲む液体の色とは言えなかった。

 まるで金色の塗料で染まった獣脂のような液体だ。

 その臭いに、ミュラーを持ち上げていたヒルダが眉を顰める。


 しかしカインはミュラーの鼻を摘み、容赦なくその液体をミュラーの喉に流し込んだ。

 カインが愉快に笑う。

「ベガス産の蒸留酒よりキマるぜ。たっぷり味わえ」

 ミュラーの口に注ぎ込まれた液体は、杯の中が空になるまで一滴も残さず、ミュラー体内に満たされていった。


 刹那、完全に飛んでいたミュラーの意識が蘇る。

 体内に侵入した液体が瞬く間に吸収されていき、血管を通して、まず脳へと到達する。

 まるで頭の中へ氷水がぶちまけられたような感覚。

 脳が覚醒した衝動で、ミュラーの両目が思わず見開く。

 次に起こったのは、突然の筋肉の収縮。

 ミュラーの身体がガクガクと痙攣を起こし、無意識に四肢が動きだす。

 そして全身の血液が沸騰するかのような感覚。

 臓腑が燃えたぎる。

 ミュラーは全身が焼き尽くされるような感覚に陥った。

 脳が覚醒し、全身の神経が研ぎ澄まされ、そこに今まで味わったことのない激痛が襲いかかる。

 ミュラーは痛みに堪らず、絶叫を上げようとした。

 そこにカインが胸の、心臓部に強烈な拳打を打ち込む。

 まるで心臓を鉄槌で叩かれたかのような衝撃がミュラーを襲う。

 血液のポンプを無理矢理押し上げられ、ミュラーの全身に溶岩のような血液が流れていく。

 ミュラーはあまりの激痛と衝撃に失神しそうになるが、覚醒した脳が眠ることを許さない。

 そしてカインは無慈悲にミュラーの胸へ拳の連撃を繰り出し続けた。


 これが聖杯の儀式だ。


 意識に隠された潜在能力の覚醒。

 そして眠っていた魂を呼び起こすための施術。


 しかし、カインの重い拳の一撃は魂を揺さぶるどころではない。

 このまま連撃を浴び続ければミュラーの魂は確実に砕け散る。

 覚醒した脳でミュラーもそれを知覚し、理解した。

 この拷問とも呼べる所業から逃れるには自身の力の覚醒が必要だと。

 しかし激痛の余り思考が定まらない。

 カインが大声を上げて拳打を繰り出す。

「考えるな! 感じ取れ! 心の猛りに耳を研ぎ澄ませ!」

 ミュラーは思わず言い返したくなった。

 心の声なぞ耳で聞こえるわけがあるか。

 すると、パキンと嫌な音が心臓から感じ取れた。

 肋骨が折れた音ではない。

 ミュラーの魂がひび割れたのだ。

 カインの重い拳打にミュラーの魂が確実に壊されていく。

 その一撃はミュラーの深層意識を呼び起こした。


 走馬灯が過ぎる中、ミュラーは何故、力を欲していたのか思い出していく。


 力があれば仲間を失うことはなかったのか?

 ブシュロン、フェンディ、アーペルを失わずに済んだのか?


 かけがえのない友を失うことはなかったのか?

 ジラールを奪われることはなかったのか?


 何故、力を欲するのか。

 全てが否と答えた。


 もっと心の根底に力への憧れと無念があったのだ。


 それは自分の無力さを植え付けた記憶。

 父、アジムートの存在だった。


 圧倒的なまでの父の膂力。

 幼かったミュラーは羨望すら覚えた。

 しかし理性が、自身には無理だと諦めさせた。

 別の強さを見つければいいと自分に嘘を吐き、偽りの強さを手に入れたのだ。


 本来は父のような力を欲していたのだ。


 それが本心であり、心の根底にあった願望。


 そしてミュラーが本来持っているはずの魂の形なのだ。


 認めたくなかったが、父に憧れていたのだ。

 力を司る父のようにありたい。


 純然たる力、それがミュラーの本能であり、本来の魂のあるべきものなのだ。


 そして眠っていた力をミュラーは今解き放った。



 突如、カインの連撃が止まる。


 いや、止められた。


 見えない何かにカインの右拳が弾け飛ぶ。


 カインは右手が吹き飛んだにも関わらず、屈託無く笑った。

「ようやく檻から飛び出したな、飢えた狼みたいな目をしてやがる! いい目だ。深呼吸をしろ。そうすれば激痛も収まる」


 ミュラーは肩で息をしながら深く息を吸った。


 カインの言う通りにしたら、全身の痛みも消えていった。

 頭がスッキリしたような気分に浸った。

 そして自身の力の再確認をした。


 力を解き放つ。


 すると、ミュラーの頭を握っていたヒルダが、ミュラーの放った力で、なすすべ無く吹き飛ばされた。

 カインが口笛を吹きながら、それを満足気に眺める。

「力魔法か、詳しい性質はもう少し見てみないとわからないが。やはり原石だったな。格別にレアな魔法を引いたな。次は魔法の操作、指向といきたいが、今日は休め。オレも向こうの馬鹿も治療せにゃならん」


 ミュラーは息も絶え絶えになりながらも頷くと、その場で崩れるように倒れ伏した。

 

 地面に倒れこんだミュラーは、まるで祈りのように両手の指を絡ませていた。


 そして静かに呟く。


「強くなってやる……」


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