106話 戦友たち
クバート防衛ラインの攻防は苛烈を極めた。
三重に張った要壁も、一つが突破され、トワレ兵の死体の山が築かれていった。
このままだと、この防衛は破られる。
苦境に陥られた状況を打開するために、テトは同じトワレ連合の同盟国、アムリッツに援軍の要請をした。
ミュラー達は今、その伝令としてクバート防衛ラインから抜け出し、西の隣国アムリッツの国境へとウマを走らせる。
風を裂くような速さでミュラー達は草原を駆け抜けていた。
急がねば防衛ラインが崩壊する。
グラスランド軍がトワレ最後の都市トゥールに雪崩れ込む。
仲間の死を悼む暇など無かった。
デルヴォーの死を無駄にしてはならない。
必死にウマを走らせた。
この地平線の、西陽の先に希望がある。
そう信じて果てしない草原を駆け抜けた。
そこでミュラー達が見たのは信じられないものだった。
国境の先が焦土と化していたのだ。
あるはずだった国境の関所は焼き焦げ、崩れ落ちていた。
そこを守っているはずのアムリッツの兵士達が物言わぬ骸となって炭化していた。
アムリッツの国土が見渡す限り燃やし尽くされていた。
ミュラー達には嫌な予感が走っていた。
まさかすでに隣国のアムリッツはグラスランド軍に攻められていたのか?
焼け野原の中で、なんとかウマを走らせる道を探している一同に異変が起こる。
急に空が漆黒に染まる。
太陽の光が消え、その場は闇に包まれる。
大地が燃えているおかげで視界だけは確保できた。
薄気味悪い光景にミュラー達に悪寒が走る。
今何か起きている……!!
用心のために、全員がウマから降りて、ミュラーとアーペルが結界魔法を唱えようとした矢先、不気味な声が空から響き渡る。
『なんだ、まだ生き残りがいるじゃないか……』
その声と同時に、その主が空から姿を現した。
七人いた。
その七人がミュラー達の前へと、ゆっくりと空から降りてくる。
ミュラーはその一人に見覚えがあった。
白銀の髪の女、額に生えた角が印象的であった。
以前遭遇した七大聖魔だ。
ミュラーは身構え、呟く。
「無間のエストレア……」
ミュラーの声が聞こえたのか、エストレアは不気味な笑みを浮かべていた。
不機嫌そうなハイエルフの男が囁く。
「殺す前に自己紹介しよう。俺は焦熱のバリオス」
すると、ダークエルフの女がだるそうな声で話しかける。
「あたいは衆合のデイトナ」
次に龍族の男が優雅に一礼する。
「私は青蓮のゼファー」
隣にいた背中から翼が生えた女が機嫌よさそうに鼻歌を歌う。
「ふふん、私は鳥族の長、フェザーよ、叫喚のフェザー」
ハイエルフの傍らにいた少女が臆病そうな声で挨拶する。
「えっと、黒縄のホーネットです。ヴァンパイアです」
最後に一番殺気を撒き散らしていた白髪の長身の男が低い声で溜息をしていた。
「くだらん、もう死ぬ奴らに我らの名なぞ。ふん、紅蓮のドラッグスターだ。これでいいかバリオス」
ドラッグスターの言葉にバリオスは頷く。
「ああ、挨拶は大切だ。人間はそういうのを大事にする。では要件を伝える。焼き死ね」
バリオスから燃え盛る放射火炎が放たれる。
瞬時にブシュロンは空間錬成を発動させ、その炎をなんとか防ぐ。
そして叫んだ。
「みんな逃げろっっ! 私が食い止める」
ブシュロンの有無を言わない指示に、ミュラー達は戸惑いながらも、その場から脱した。
ブシュロンの空間錬成の中に入ったバリオスはその空間をゆっくり眺める。
そしてゆったりとその結界を見る。
ブシュロンは炎の矢を何度も飛ばすがバリオスに片手であしらわれてしまう。
そしてバリオスが呟く。
「空間錬成か、勉強不足だ。結界の形成が単純だし、脆い」
バリオスが指で弾くとブシュロンの空間錬成は跡形もなく崩壊した。
それを見て、魔力の尽きたブシュロンは片膝をついてしまう。
そして痛感する。
化け物が!
そう心で叫ぶと同時にブシュロンの身体は炎に包まれた。
焦熱の中でその身が無残にも炭の欠片となる。
バリオスは逃げるミュラー達を見て、ぼやく。
「さて、狩りの時間だ」
アーペルは走りながら、この闇の空間から逃れる術を模索する。
これは結界術式、同じ結界魔法なら脱出できるかもしれない。
アーペルが結界魔法を発動させると、光の空間が生まれた。
外へと通じる狭間ができたのだ。
アーペルが残りの仲間をその中へ入るように呼びかけた。
刹那、バリオスの声が響く。
「足掻くな、人間」
刹那、アーペルの身体はバリオスの腕で貫かれてしまった。
鮮血が空間を舞う。
血まみれのアーペルの目には光が無い。
「よくもアーペルを!Q」
その様に激昂したフェンディが大剣を振りかぶり、バリオスに斬りかかる。
バリオスは造作もなく、その大剣を指で摘み、容赦なく爆炎を放つ。
アーペルもフェンディも燃え盛る炎の中で朽ち果てた。
炭化したアーペルとフェンディの亡骸を見たミュラーは頭が真っ白になった。
そして新雪のように白い心が徐々に赤く染まりつつあった。
絶望から言葉にできないほどの憤怒の感情。
恐怖で立ちすくんでいた身体はその感情が爆発し、途方もない潜在力を生み出した。
ミュラーは怒りで我を忘れて、バリオスに斬りかかろうとしていた。
しかしジラールがミュラーめがめてハーミットを放つ。
ミュラー、クロエ、オルマ、ジラール、残された四人の中で唯一、赤髪の男だけが、冷静に状況を分析していた。
このままじゃミュラーも間違いなく死ぬ!
俺がなんとかしてやるぜ……!
ミュラーはハーミットの光弾を後頭部にもろに浴び、混濁した意識の中でジラールを睨む。
しかし、すかさずジラールはアーペルが形成した光の中へ、朦朧としたミュラーを放り込んだ。
そしてジラールが恫喝する。
「俺が死んでも食い止める! オルマ、クロエ! 行ってくれっ!」
立ち尽くすクロエをやオルマの頬を引っ張たき、無理にでも恐怖の支配から解放させた。
我に返ったオルマたちは残ったジラールを不安気な眼差しで振り返り、光の中へと消えていく。
それを見てジラールはニヤリと笑う。
「俺の全身全霊のハーミットの奥の手を味わえや! ミュラー、オルマ、クロエ! 生きろっっ!! ミュラー! 俺の無法者な生き様を忘れるなっっつ!!!」
暗闇の空間に眩い閃光が走りだす。
バリオスもジラールもその光に包まれる。
外に放り出されたミュラーはその闇の空間から戦友の最期の魂の叫びを聞きとげた。
瞬間、空間から輝く閃光が迸る。
全身を震えさせたミュラーはジラールの最後の輝きを無力にも見つめていた。
とっさにその空間に身を乗り出そうとすると、ウマを走らせたオルマがミュラーの身体を糸で掬い上げる。
背には凍えるように身震いするクロエが乗っていた。
オルマは何とか冷静さを取り戻した。
気付けば三人が全身に火傷を負っていた。
だがオルマはその痛みと涙を堪え、生きのびようと、その場を駆け抜けた。
ウマが疾走する中、クロエは表情を無くし、ただ虚空を見つめ、身を震わせていた。
ミュラーは泣いていた。
子供のようにただ泣きじゃくっていた。
オルマやクロエが見ている中、憚らず涙を流した。
そして自分を犠牲にして仲間を救った親友の名前を何度も繰り返す。
ミュラーは自分の無力さを呪った。
大切な仲間を失った喪失感、救えなかった罪悪感で心が張り裂けていた。
クロエとオルマは初めて見た。
ミュラーという男が号泣する姿を。
誰もその嘆きを止めなかった。




