第71話 不穏な空気
試験が終わり、一週間ほど経った。
その間もやはり派閥争いは激しく行われ、風紀会はとても忙しなくしていた。
しかし、その争いそのものを止める手段は、生憎思いついていない。
競技大会の準備期間とは異なり、明確に不正や工作が行われているわけではない。
行動も人それぞれで、事前に注意のしようが無いというのが現状だ。
それに、もはやどんなに訴えたとて、派閥争いが穏やかになることはないだろう。
小競り合いはもう止められない。
そんなある日のことだった。
小さな争いを当たり前のものにして、普通に授業を受けていた日。
エリーヌはいつものように、ベネディクトと授業の行われる教室に向かった。
一限目は終わり、二限目は算術学。
大きな教場で、三年生は成績順に三分の一がここで授業を受ける。
クロエや、アンナも同じ教室だ。
「あれ……今日は遅いですね、あの二人」
「え?」
授業が始まるまでの雑談の中で、ベネディクトがそんなことを言った。
彼女の言う二人、そしてその視線の先によく座っているのは、クロエとアンナだ。
「確かにそうね。時間に厳しいあの人たちなら、もうとっくに席に着いていてもおかしくないけれど」
エリーヌはそう言いながら、教室にある大きな砂時計を見た。
もうあと少しで、授業が始まる。
教室の騒めきも、段々と静かになってきた。
「……人の時間に厳しいのに、自らは疎かですか」
「まあ、最近は何かと忙しそうだから」
二人は他人事のようにそう言って、また雑談を始めた。
しかし、教師が教室に入ってきても、まだ彼女たちは席についていなかった。
彼女たちが席に着いたのは、始業のチャイムが鳴り始めた頃だった。
「どうしたのかしら?」
「さあ……」
エリーヌとベネディクトは、小声でそう言い合った。
焦ったように着席した二人は、間に合ったはずであるのに焦った表情のままだ。
教師が板書の準備をしている中で、何やらひそひそと話し合っている。
落ち着かない様子のまま、ずっと授業を受けていた。
しかし気を取られて、ここで後れを取ってはいけない。
二人の様子を怪訝に思いつつも、エリーヌは授業に集中した。
***
次の授業は、国営学。
今日は、定期的なレポート提出の為に、調べ学習の時間が用意された。
なので教室ではなく、明影図書館で授業は行われる。
二限の授業をいつもより遅れてやってきた彼女たちは、二限の授業が終了後、直ぐに教室を後にしていた。
そしてこの三限の授業で、またしてもギリギリに彼女たちはやって来た。
かなり急いでやって来たのか、あるいは何か他に事情があってか、息を切らして教室に入ってきた。
(何かあったのかしら……)
さすがに二度目ともなれば、あまり無視はできない。
とはいえ、争う派閥の代表同士。
直接話を聞くわけにはいかない。特に向こうからアクションがない限りは、いつもの情報交換の手段を使って話すほどでもない。
この時は、帰ってから事情を聞こう、と思っていた。
「それでは、各自調べ学習を始めてください。分からないことがあったら、積極的に聞いて下さいね。あと、図書館では必ずお静かに」
教師からそんな指示が出され、皆静かに調べ学習を始めた。
エリーヌは本を探しがてら、本棚の隙間から、彼女たちの様子を見た。
静かにと言われた手前、二人で何か話し合うことはできないようだ。
だが、時折筆談のようなことをしている。
二限から引き続き、何かトラブルが続いているとみて相違ないだろう。
そんなことを確認しながら、エリーヌは良さげな本をもって自分の席へと戻った。
その道中、今時分は一人で授業内容に向き合っていたクロエと、目が合った。
エリーヌが、クロエに母の危篤の連絡を伝えようとした時と同じだ。
何かを訴えるような、そんな目だった。
(いつもの連絡手段では間に合わない、と?)
恐らく彼女たちは、二限やこの授業が始まる前まで、何かをしていたのだろう。だから恐らく、いつもの連絡手段を使ってエリーヌに助けを求める暇がなかった。
それでも、何か伝えたいことがあるに違いない。
エリーヌはそう思い、本の内容を紙にまとめる傍らで、クロエの行動を見た。
彼女は自席で何か書いたのち、立ち上がるついでにエリーヌを一瞥した。
そして、今まで読んでいた本をもって、その本があった本棚へと歩いて行った。
「……」
エリーヌは、クロエの姿が完全に本棚に隠れたところを見計らい、ポケットに使っていたペンと、普段から持ち歩いている紙切れを忍ばせて立ち上がる。
そして、彼女が向かった方へ、調べものをするふりをして近づいて行った。
クロエが居たのは、皆が使っている机からかなり離れた場所にある本棚だった。
此処からなら、誰かに見られる心配もない。
彼女はやって来たエリーヌを、目配せするように見つめた後、持っていた本をゆっくりと棚に仕舞った。
最後にトン、と本を指で叩き、彼女は何も言わずに去って行った。
こんな静かな空間では、どんなに声を潜めても誰かに聞こえてしまう。
クロエは伝えたいことを、本を見ればわかるようにしておいてくれたようだ。
エリーヌは、クロエが居無くなった後、彼女がいた場所へと歩みを進め、彼女が意味ありげにおいた本を手に取った。
その本の間には、一つの手紙が挟まっていた。
(これは……)
メモの内容に、エリーヌは目を見開く。
『後生だ、頼みがある。
今朝学校に来ていたはずのソフィの姿が見当たらない。
学校中探し回ったが、何処にもいなかった。
恐らく、どこかに閉じ込められて、監禁されている。
今朝会ってから、もうかなり時間が経った。このままだと、危険だ。』
手紙からは、クロエの切羽詰まった様子が伝わってくる。
どうやら、彼女たちが焦って教室に来ていた理由はこれだったようだ。
『私は貴族陣営の誰かが仕掛けたものだと思っている。
関係がバレないように最善は尽くす。
何か情報をくれるだけでもいい。手段はお前に任せる。
頼む、彼女を探す手助けをしてほしい。
もし考えがあったら、この紙の裏に書いて、もう一度本に挟んでおいてくれ』
クロエのサインが添えられ、この文章は終了している。
ソフィというのは、クロエと同じサロンのメンバーの少女だ。
クロエとその右腕と呼ばれているアンナとは、一つ年が下だが、よく三人で行動しているのを目にする。言うなれば、クロエの左腕だ。
成績優秀で、穏やかで柔らかな性格だったのを覚えている。
今朝会ってから学校内で見かけてないというと、さしておかしなことでもないように感じるが、それをおかしいと感じる何かがあるのだろう。
誰かの謀略だという確信が。
(……さて、どうすべきか)
他でもないクロエの、懇願にも近い頼みだ。協力したい。
それに、嫌がらせにしては少々度が過ぎている。咎められてしかるべきだ。
しかし、味方に近い人間の手口ならば、エリーヌ自身が巻き込まれる可能性もある。
どのみち、ややこしいことになる前に、早急に解決する必要があるだろう。
「……」
エリーヌはポケットから持ち出したペンを取り出し、紙の裏にスラスラと己の考えを簡潔に書いた。
インクが乾いたのを確認した後、再度紙を折りたたんで本に挟む。
手紙を挟んだ本は再度同じ場所に戻し、本を探していたという体で別の本を持ち出して再び席に戻った。
席に戻ってしばらくすると、座ってアンナと調べ学習をしていたクロエが立ち上がり、本棚へと向かった。
これで、エリーヌの考えは伝わった。あとは、この授業を終えるのみだ。
「それでは、今日の授業はここまで。調べたりなかった人は、次回までに調べ、レポートを纏めてくること」
授業終了の鐘が鳴り響いたのち、教師はそう言って授業を締めた。
皆各々持っていた本を片付け、図書館から出て行く準備を始める。
エリーヌは本を片付ける素振りをしながら、なるべくすべての人が外へ出払うのを待った。
そして、声を掛ける。
「クロエさん」
同じく人が居なくなるのを待って、あえて図書室でアンナと話していたクロエに。
「お話が、あるのでしょう?」
「え、エリーヌ様?」
エリーヌの側で、ベネディクトが驚きの声を上げる。
「……ああ。待ってたぜ」
真剣な目で、しかしどこか焦りを隠したクロエが、エリーヌの言葉を肯定した。




