第64話 勝負の日まで
大衆は騒めいたまま、しかし熱気冷めやらぬ様子で食堂から出て行った。
その時間帯に食堂にいなかった者達にもこの出来事は伝わり、学校内はこの話題で持ちきりだった。
今後、競技大会に向けての工作は減るだろう。皆理解したはずだ、そのリスクを。
それに、大半の人間は、この不正合戦に嫌気がさしていたのも事実だ。これを機に、不正という行為が下劣な手だという批評が広まり、その認識も改まるかもしれない。
しかし、この状況を面白くないと思う者もいた。
「一体、これはどういう了見ですか?」
食堂の外、廊下から外れた、建物と建物の間。
その路地裏のような場所で、エリーヌは詰められていた。
その相手はもちろん、イヴェットである。
「どうもこうも……あの場での最善手を打てたと思っておりますが」
エリーヌは剣呑な雰囲気の中、微笑みを絶やさずそう宣った。
半歩後ろで、ベネディクトが心配そうな顔をしている。
「最善手? はっ、笑わせないでくださる? お熱い正義感に上せただけの、口から出まかせではありませんか」
「出まかせなどではありませんよ。現状を覆すには、丁度いいタイミングであったというだけです」
エリーヌの言い分に、イヴェットは腕を組みながら心底不快そうに顔を歪ませる。
今にも舌打ちをしそうなくらいだ。
「それに、あの場は殿下もご覧になっているのです。相応の対応をしなければ、評価が下がるのは我々の方。致し方がありません」
エリーヌは付け加えるようにそう言った。
イヴェットの歯軋りが聞こえてくるような錯覚を覚える。
「……こうなることが分かった上で、我々にあの情報を流したのでしょう?」
「まさか。彼女があんなことを言うなど、誰が予想できるでしょうか」
嘘ではない。嘘ではないが、煽ったのは事実だ。
この場合は、何も知らなかったフリをしておくのが良い。
少々クロエとの接触が多い節もある。これ以上、彼女に寄っていることを悟られてはいけない。
「分かっているのですか? 貴女は既に、試験という独壇場で彼女に敗れているのですよ?」
イヴェットは詰め寄る。
「一勝一敗。今回を逃せば、一勝二敗の劣勢。あの平民派閥に対し、苦杯を喫する! この意味が分からないとでも?」
イヴェットに強い口調で言葉を投げかけられてなお、エリーヌは冷静である。
それと同時に、なるほどと理解を深めた部分がある。
彼女達権力派にとっては、劣勢になることもまた敗北なのだ。
たとえひと時でも、平民より下になるということが屈辱で仕方がない。だから、どんな手を使ってでも勝利を掴まなければならない。
理解をしたと同時に、理解し合えないことを察した。
「もとより、わたくしの独壇場などではなかったのですよ。それに、負けたとて、また次に勝てばよいのです」
暗に、その思想には賛同し得ないという意を含めて、エリーヌは強かな表情でそう言った。
平民や貴族という隔たりは、エリーヌにとって大した差ではない。
あるべきは実力と強かさである。
その意をくみ取ったイヴェットは、一瞬信じられないといった表情をした後、すんと真顔に戻った。
「……なるほど。分かりましたわ」
これ以上の対話は無駄と言わんばかりに、右腕のレベッカを従えて、その場を後にしようとした。
「本年の派閥筆頭は、随分腑抜けのようですわね」
エリーヌに聞こえるようにそう言って、背を向けるイヴェット。
「与えればつけあがるだけの人間と対等など……生温いですわよ、宰相の御令嬢さん」
そう吐き捨てて、最後に一瞥をした後、イヴェットたちは去って行った。
その背中が消えるまで、エリーヌは笑顔で見送った。
学校は二大派閥のぶつかり合いに未だ騒々しい中、エリーヌ達は次の授業の場所へと向かった。
「……本当に、良かったのでしょうか」
その道中で、ベネディクトが不安そうにそう聞いてきた。
「何が?」
「イヴェット様の件です。完全に決裂してしまいましたが」
「いいのよ。いずれ切り離さなければいけなかったの。今が潮時よ」
エリーヌは自信ありげにそう言いつつも、頭にはいくつか懸念を浮かべていた。
もとより彼女達とは同じ道を歩まないつもりであったが、ここでしっかりと反感を買ってしまったことにより、後に痛手となることがあるだろう。
これは予想ではなく、もはや確信に近い。
彼女たちは明確に首席になるための点を持っていない。なので、自分たちに賛同する者を増やして、最後の推薦投票で捲るしかない。
推薦というのは、大きな影響力を持つ。彼女たちの場合、貴族派閥のトップに立てば、その実票のほとんどをかっさらうことができる。
彼女たちの思想は、権力支配。上にさえ立てば支配ができる。
しかしその為には、周囲の人気を取るだけの場と出来事が必要だ。ただ過ごしているだけで人気は取れない。
その場と出来事に、エリーヌ達は確実に巻き込まれるだろう。
「先のことは、後から考えましょう。今は目先のことに集中しないと」
自分に言い聞かせるように、エリーヌはそう言ってお茶を濁した。
***
あれやこれやという間に、準備期間の最終日となった。
この日の授業は半日で終了。明日の為に、学校は職員による大会の準備が行われる。
この日が一番、不正が多い。しかしその心配と言うのは、杞憂で済んだ。
食堂の件があって以降、不正は瞬く間に消え去った。
皆派閥の代表の権利を侵害できるほどの度胸はなかった。そこまでするほど不正に価値はない。
啖呵を切っていた鳥蝶会も、結局は手を出してこなかった。
念入りに近辺を調べて、何か細工がされていないかなども確認したが、特になし。
内通者からの情報でも、大きな動きはなかった。
「これで、ようやく無事に大会ができそうだな」
エリーヌの部屋にて。
頭の後ろで腕を組み、椅子にもたれかかりながら、クロエがそう言った。
「まだよ。大会が無事にできるかどうか……当日に何か仕掛けてくる可能性もゼロではないわ」
「それもそうだな」
エリーヌがピシャリとそう言うと、クロエは再び姿勢を正した。
「しかし、あれは効果絶大だったな。やっぱり、大衆の前で宣言するってのは、形だけでもやっておいたほうがいい」
「そうね。でも、事前にもっと詳しく教えてほしかったわ。アドリブだったのよ?」
「しっかり分かってたからいいだろ? 詳しく書く時間がなかったんだよ」
エリーヌの言葉に、クロエは肩を竦めた。
「でもこれで、正々堂々勝負できるわね。自信はどう?」
エリーヌはウインクのように片目を閉じたまま、茶目っ気を含んでそう聞く。
「そりゃ、こっちの台詞だ。正々堂々なんて、よっぽど自信があるんだな?」
「うふふ。どうかしら」
自信がどうであれ、最善を尽くすまでだ。
「ははっ。……でもよ」
そう言って、クロエは困ったような笑みを浮かべる。
「その……正々堂々ってのは、いいことだ。でも、あんまりあたしに気を遣う必要はないぜ?」
不意に掛けられたその言葉に、エリーヌは目を見開く。
「お前はお前で、周囲のことは見なきゃいけねぇだろ? 敵は身内にもいるし」
彼女の言う身内というのは、鳥蝶会や湖白会のことを指しているのだろう。
「もちろんよ。わたくしは誰にだって容赦しないわ」
エリーヌは姿勢を正して、ティーカップを片手に、自信たっぷりにそう言った。
そのエリーヌの態度を見て、クロエはどこか安堵したような表情を浮かべる。
「……」
エリーヌは紅茶を一口含み、呑み込む。
コトリとカップを置いて、再び口を開いた。
「まだ分かっていないみたいね、狼さん。わたくしは貴女が悔しがる姿が見たいのよ?」
エリーヌは、また悪戯な笑みを挑発的に浮かべて、クロエに言う。
クロエはその言葉を聞き、げっと言わんばかりの表情を浮かべた。
「正々堂々戦って負けた方が、悔しいでしょう? その為の準備なのよ、これは」
「はいはい、そういうこと。相変わらず、いい性格してるぜ」
にこにこと微笑むエリーヌに、クロエはやれやれと肩を竦めた。
いよいよ、競技大会が始まる。




