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魔女と狼は月下で笑う  作者: 庄司 篁
熟月 競技大会
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第61話 夢うつつ

 準備期間四日目の夜。

 エリーヌは自室で一人机に向かっていた。

 この時間、いつもならクロエと一緒に話をしている。特に最近は、競技大会のことで話すべきことが多く、話題に困らない。

 ただ、今日に限ってはクロエは少し用があって遅れ、今日は帰りが別である。なんでも、摘発した不正についてのことで生徒会に呼び出されたらしく、詳しい事情聴取をされるとのこと。

 それを、例の情報伝達手段で教えてくれた。

 そのことを母に話したら、また後で迎えを寄こすと言ってくれた。味方になった母は心強い。

 なので、クロエが帰宅するまでの間、エリーヌは一人でできることをしていた。

 それも、今後に関わる重要なことをだ。クロエが居ないなら、それはそれで好都合と言わんばかりに。


「……ふぅ」


 肩と首回りが凝り固まっているのを感じ、エリーヌは顔を上げる。

 ペンを置き、伸びをする。そうすると自然に欠伸が出て、口元を手で押さえる。

 もう一度机に向かおうとペンを持つが、どうも身が入りきらず、頬杖をついてペンを転がした。


 目先にあるするべきことに集中することに、エリーヌは抵抗の無いほうだ。一度切り替えたら、勉強にも読書にも集中できる。

 だが、今はどうもそんな気分ではない。机上のことに集中しようとしても、頭の片隅で競技大会のことが浮かび上がってしまう。

 いつもの集中力がないということは、何かいつもとコンディションが違うということだ。

 なぜ、などと深く考える必要はない。単純な寝不足である。

 近頃、少々夜更かしをしていたのだ。無理をしている自覚があった。


「遅いわね……」


 エリーヌは頬杖をついたまま外を眺める。

 夕日は沈みかけて頭の先が見えるだけになり、東の空の上には紫が広がっている。

 日が落ちるのが早くなってきた。そろそろ、サロン集会が終わるころには辺りが暗くなっている、なんてことになるかもしれない。

 そんな時期になると、一年の折り返しを感じる。年度の終わりが近づいているという感覚になるのだ。


 時の流れは早い。クロエがこの屋敷に来てから、もう4か月。そろそろ半年が経とうとしている。

 濃密な時間であったのに、流れが早いと感じるのはなぜだろうか。


「……少し、寝ようかしら」


 いろんな思考が巡って、ぼうっとしている間に時間が過ぎてしまうと感じ、エリーヌは机の上を片付け立ち上がる。

 ただ黄昏るくらいならいっそ、眠って体を休ませようと思ったのだ。

 部屋靴を脱いでベッドに腰かけ、掛布団の上からボサッと倒れ込んで横になる。

 深く考え事をする間もなく、意識も視界も黒くなった。





***





『ばあや、ばあや』


 どこか、柔らかな景色の中で、自分が誰かを呼ぶ。


『はいはい、お嬢様。ばあやはここに居ますよ』


 もう忘れてしまった曖昧な声で、誰かが返事をする。


『このお姫様のように、髪を結んで』

『あら、随分難しい注文ね。良いですよ、ばあやにお任せくださいな』


 本を広げる自分の小さな手の向こうで、薄ぼんやりと覚えている微笑みがあった。

 記憶の片隅で色褪せてしまったその景色は、歯抜けになった本のページように、場面を飛ばして映し出される。

 何の話をしていたのか、自分の髪型はどうなったのかは、もう覚えていない。

 ただ、その言葉だけを覚えている。


『――その時にはもう、ばあやは生きていないかもしれませんけれど。ふふ、楽しみだわ』


 皴だらけの手で、髪を包みこみ。

 その鏡越しに柔和な笑みを浮かべて、彼女は言った。


『お嬢様が、お姫様になる時が』





「!」


 エリーヌはぱっと目を見開いた。

 横向きの視界に映るのは、誰かの手。少し上を向くと、自分の顔を覗き込むクロエの顔と、ベッドの天蓋が視界に入った。


「お、悪い。起こしたか?」


 カンテラを片手に持ったクロエが、申し訳なさそうにそう言う。

 エリーヌはゆっくりと起き上がり、外の景色を見た。もうすっかり日が沈んでいる。


「いいえ。寧ろ、良かったわ。寝すぎてしまうところだった」


 部屋に置かれた土産の時計の長針は、エリーヌが眠ってから40分程経ったことを示していた。

 危うく仮眠どころか立派な睡眠をとってしまうところだったわけだ。


「おう。ノックしたけど出てこねぇから、何事かと思って入っちまった」

「ふふ。ありがとう」


 エリーヌは靴を履いて立ち上がり、乱れてしまった髪を整えた。


「それにしても、ずいぶん遅かったわね」

「ああ。不正の件で、殿下に詳しい話を聞かれた。ちょっと危ないことしてたやつらがいたからな」

「あら大変。でも、その様子なら未遂で済みそうね」


 二人はそんな会話をしながら、当たり前のように窓際の席に対面で座った。

 クロエの手からコトリと音を立てて置かれるカンテラの揺れる火を、エリーヌは頬杖をついて眺めた。


「ふふ」

「?」


 火の淡い光に照らされて、突拍子もなく笑みを浮かべるエリーヌに、クロエは首を傾げる。


「……ばあやのことは、今でも大好きなのだけれどね」

「ん? ばあや?」


 これまた突拍子もないエリーヌの話に、訳が分からないといった表情をするクロエ。


「亡くなってしまった乳母よ。少し思い出したの」


 エリーヌは窓の外に目を遣りながら、そう呟くように言った。


「……なんだよ、急に」


 クロエは意味が分からず、怪訝そうに首を傾げた。

 だが、どこか遠くを見つめて、物寂し気なエリーヌの横顔を見て、それ以上追及するのはやめた。


「で、今日は何を話すんだよ」


 知らぬ存ぜぬを通すために、クロエは話題を変える。


「あら、そうね。何から話そうかしら」


 エリーヌも姿勢を正して、正面に向き直った。

 考えるように、目を伏せる。


「……ねえ、クロエ」

「ん?」


 エリーヌは、先程から頭の中に流れてとめどない考えを整理するために、口を開く。

 椅子にもたれかかり腕を組んだクロエは顔を上げた。


「"己が道は定められているのに、貴殿はどうするおつもりか"」


 エリーヌのもとよりの口調ではない、芝居じみた言葉を、目を開きながらクロエに投げかける。

 クロエはぽかんと口を開けそれを聞いたのち、暫くしてふっと息を洩らした。


「おい、それ国語学文献の一節だろ? 次の授業で扱うやつ。"魚は空を飛べず、鳥は海を泳げず"」

「そう、『詩人と騎士』よ。知っていたのね」

「授業中にこっそり文献を先読みするなんて、よくあることだろ?」

「あらあら。風紀会代表なのに、とんだ不良生徒ね」


 二人はくすくすと笑いあった。

 『詩人と騎士』。騎士の家に生まれながら、吟遊詩人として生きたいと思いをはせる主人公の話だ。


「ったく、まだ準備期間も終わってないのに、勉強熱心なこったな」


 クロエは呆れたように笑い、気が抜けたように頭の後ろで手を組んだ。


「ふふっ。……ただの質問よ、わたくしからの」

「なんだ、そりゃあ」

「答えて頂戴な」


 只の戯れだ、といった様子でエリーヌはクロエに問いの答えを催促する。


「そりゃ、"人は茨の道を歩けます"、だろ?」


 エリーヌに何を聞かれているのか理解できないクロエは、エリーヌの科白に応える科白を言った。


「貴女もそう思う?」

「そう、って? 今日はやたらと突飛な話ばっかだな」

「眠気覚ましだと思って」


 ふざけているのに、真剣な眼差しを向けてくるエリーヌに、クロエは腕を組んで考えた。


「現実じゃ、無理な話だろ。騎士の家に生まれて、旅芸人になるなんてさ」


 クロエは肩を竦めてそう言った。


「そうね」


 エリーヌは、目を細めて首肯した。


「でも……」


 クロエは言葉を続ける。


「出来ないわけじゃないだろ? 裸足で茨の道を歩かなくちゃいけないだけで」


 至極当然のように、クロエは答える。

 エリーヌは目を見開いた。


「……どうやって?」

「別に芸人になるのに、親の許可なんていらねぇよ。隙を見て抜け出す方法なんていくらでもある」

「まあ、家出?」

「そ。ほっぽり出て生きていけるだけの度胸と熱意があれば、な。あの主人公のお坊ちゃんじゃ、無理だろうけど」


 『詩人と騎士』の最後は、主人公が谷に身を投げて最期を遂げる。

 彼を弟子にしたいと言っていた詩人が強盗にあって亡くなり、夢が潰えたからだ。

 強要された者の末路を示し、縛り付けることの危険性を世に伝える物語。

 しかしその実、詩人の末路から自由への厳しさを表してもいる。


「茨の道を歩くことが、どれだけ厳しいか分かっているのなら、歩んでもいいと?」

「ま、そんなところだろ。これ、授業で出てきたりするのか?」


 質問の意図が読めないといった様子で、いまだ首を傾げるクロエに、エリーヌはくすくすと笑った。


「素敵ね」

「? つかそれより、準備期間をどうするかだよ」

「そうね。話し合いましょうか」

 

 叢雲のかかった三日月が、夜空には浮かんでいた。

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