第55話 反哺の孝
葬送を終え、一同は再び馬車に乗り、屋敷へと向かって行った。
行きは兄たちと馬車に乗ってきたエリーヌだが、帰りは母とクロエと同じ馬車に乗るように言われた。
雨が降りそうな暗い曇り空は、目を刺すような明るい曇り空へと変わった。
「さて、二人共」
馬車が道を走り始めたところで、ジュリエンヌは話しを切り出した。
どんな話をするかはなんとなく分かっているが、エリーヌは静かに耳を傾けた。
「今後のことについてお話を。……と、その前に」
予想していた流れとは裏腹に、母は何やら改まり、咳ばらいをして別の話へと移る前置きをした。
一体、何の話があるのか。
「貴女達二人。何かわたくしに隠していることはありませんか?」
ジュリエンヌは、遅れて帰ってきたエリーヌにしたような、叱り諭すときの表情をしてそう聞いてきた。
何の話をしているのか分からず、沈黙が流れたのは一瞬だった。
『!!』
二人共、何の話をされているのかようやく気付いた。
エリーヌは一筋冷や汗を流し、横のクロエをちらりと見る。
今まで重い表情をしていたクロエも、思わず「やっべ」という顔をして、エリーヌと目を合わせた。
ついに、母にばれてしまった。
「その様子だと、やはり何かあるようですね」
どうやら、カマかけだったようだ。
エリーヌもクロエも、そうとは知らずきちんと表情を出してしまった。
二人は顔を見合わせる。
「どうする?」という表情のクロエに、「仕方ない」というようにエリーヌは溜息を吐いた。
「実は……」
エリーヌはジュリエンヌに、クロエが家にやってくる前の関係を話した。
出会ったとき、どうしてあんなことがあったのか。
帰ってくるたびに、何の話をしているのか。
学校で二人はどうしているのか。
二人で、すべて洗いざらい話した。
「ふっ……あっはっは!」
一通り話し終えると、母は豪快に笑い声をあげた。
珍しい彼女の様子に、二人はポカンとした表情を浮かべ顔を見合わせた。
「ふふっ、そう、本当に面白いことをしているのね」
一頻り笑った母は、未だ腹を抱えながら、目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭った。
こんなに面白そうにしている母は、見たことがない。
「それならそうと、早く言ってくれればよかったのに。協力して、色々と手を回すことだってできたのよ」
「それは……そうですが」
言われてみれば、母に隠しておく理由はなかった。
強いて言うのなら、学校でのことをあまり知られても恥ずかしい、とでも思ったからだろうか。
何と言っても、醜い派閥争いだ。すべてが気分のいい話ばかりではない。
だが、母にとっては随分愉快な話だったようだ。
「でも、そう。ならばこの家に来た時、さぞかし驚いたことでしょうね」
「それは、もう」
「本当に驚きましたわ」
あの時は大層戸惑った。
そのことを思い出して項垂れる二人を見て、ジュリエンヌは再びくすくすと笑った。
「不思議な巡り合わせがあったものね」
母はそう言って、柔らかく笑った。
小さく、「貴女の言う通りだった」という呟きが聞こえた気がする。
「大方、理解しました。折り合いが付いているのなら、母はそれ以上のことは言いません。二人で励みなさい」
母は理解を示してくれたようだ。
特に干渉することも、止めることもしない。
今後、学校のことについて、何かが変わることはなさそうだ。
「それで、クロエ」
ジュリエンヌはそう言って、クロエを見た。
「私は貴女の母から、貴女について任されました」
真剣な表情で、そう言う。
「わたくしの事を、母と思う必要はありません。ただ、家族として、貴女が独り立ちをするまでの面倒を見させてくれないかしら」
自ら頼み込むように、母はそう言った。
その言葉に、クロエは目を見開く。
そして、その言葉を噛み締めるように一息置いて、彼女は口を開く。
「奥様、お願いがあります」
彼女もまた、頼み込むような言葉で切り出す。
「何でしょう」
ジュリエンヌは柔らかに続きを促す。
「先程の話の通り、私は学校で平民の立場として物を言っています。三か月ほど家に置かせていただき、十二分に衣食住を与えてもらった私が、言えることではないのかもしれませんが」
ここに来る前から、彼女がずっと貫いてきたことだ。
環境が変わったからと言って、急に考えまで変わるわけではない。
クロエは今のシャントルイユ家に適応しているが、謙虚な部分は変わらない。
「でも、それでも五年間、その立場をもって勉強し意見してきたのは変わらないし、今後も変えようとは思っていません」
クロエの意思表示を、エリーヌとジュリエンヌは静かに聞いている。
「でも、家に置かせていただいてから、見えるものが増えたように感じます。学校も……前より楽しくなった」
エリーヌも、クロエが来てからの学校生活は今までよりずっと楽しい。
惰性だったことが、惰性ではなくなったような気がしていた。
彼女も同じくそう思っていてくれたことが、とてもうれしかった。
「なので、不躾ながら、我儘を一つ良いでしょうか」
クロエは顔を上げ、真っ直ぐジュリエンヌを見た。
「奥様は『家族として』とおっしゃってくださいましたが、私をただの『クロエ』のまま、家に置かせていただけないでしょうか」
クロエの言葉に、ジュリエンヌは目を見開く。
「子供としてでなくても構いません。使用人でもなんでも、立場は問いません」
そう言って、クロエは頭を下げる。
「なので、どうか。母にできなかった親孝行を、奥様にさせてください」
その言葉に、ジュリエンヌは目を潤わせた。
「どうか、顔を上げて頂戴」
母は優しい声でそう言った。
「もちろん、喜んでその願いを受けましょう」
柔らかく、己の子供を見るような眼で、母はクロエを見た。
「ですが、親孝行は学校を卒業して、大人になった後お願いします。それまでは、わたくしの子でいてくれるかしら」
その言葉に、クロエも目を輝かせた。
「ありがとう……ございます……!」
母が亡くなった日から初めて、クロエは笑顔を浮かべた。
***
屋敷に戻り、兄たちと共に食事を取った。
母は兄達にもクロエの今後について伝えたが、だれも反対する者はいなかった。
クロエにも、段々と元気が戻ってきたようだ。
夕方になり、兄達は王都へと帰って行った。
泊ってもいいと母は言っていたが、彼らも忙しい身の上なので仕方がない。
皆口々にクロエに励ましの言葉を送り、また来ると言って去っていった。
いつもと同じく夕食を終え、クロエを彼女の部屋へと送って行った。
「それじゃあ、今日はゆっくり休んでね」
そう言って、部屋を後にしようとした。
「エリーヌ」
珍しく名前を呼ばれ、エリーヌは振り返る。
「あたしは――次の試験で一位をとる」
彼女は窓の月明かりを背にしてそう宣言し、エリーヌの元へ近づいた。
星が零れるように輝き、彼女の瞳は青々と光っていた。
「母さんのこと、考えられないくらい勉強して、何が何でも一位をとる! それで――」
クロエは胸の前でこぶしを握り締める。
「平民で初めて、首席になってやる!!」
真っ直ぐ、輝かしい目でそう宣うクロエを、エリーヌはまるで宝物を探し当てたかのような目で見た。
なんて眩しいのだろうか、と。
「だから悪いけど、勝たせてもらうからな!」
ニマリと笑ってそう言う彼女に、エリーヌは満面の笑みを浮かべた。
「ええ。わたくしも絶対に負けないわ!」
満月は、そんな二人を見ていた。
***
一週間後。
第二回基幹科目総合テストが実施された。
前回のテストから星下寄宿に休閑週を挟み、試験範囲は広くない。
だがその分、内容の詰まったものになっていた。基礎的な問題から応用問題まで、出題された問題の幅は広かった。
そう言ったこともあり、難儀した生徒が多数いたようだ。
テスト後のサロンでは、渋い顔をした生徒たちが多数見られた。
そして、結果発表の日。
学校へ来るや否や、皆一斉に順位の紙が張り出されている場所へと向かって行った。
その大半は自分の点数を見る為ではなく、主にその上位にいる生徒を見る為である。
「エリーヌ様!」
ベネディクトに連れられ、エリーヌもまた紙の前へと向かった。
今日はやけに人が集まっていた。
「……えっ!?」
順位を見たベネディクトが、声を上げる。
以前のように、囃し立てようとしたのだろう。
だが、今回はそういうわけにはいかなかったようだ。
「やったー! 一番よ、クロエ!」
代わりに、風紀会のアンナが大きな声でそう言った。
周囲は一気にざわつく。
「クロエ先輩が一位!?」
「すごーい!!」
主に平民と思わしき生徒たちが、歓声に近い声を上げた。
「そんな、まさか……」
「あのエリーヌ様が、後れを取るなんて……」
貴族と思わしき生徒たちからは、戸惑いの声が上がった。
結果は、一位のクロエが493点。二位のエリーヌが489点。
難易度の高いテストだったので満点にはいかなかったが、4点差でクロエの勝利である。
「よしっ!」
クロエは拳を握り締め、喜びを露にした。
そして、エリーヌを見て、ニヤリと笑う。
「ま、まさか……」
ベネディクトが、あっけにとられた様子で順位を見つめている。
「ふ、ふふふっ」
「え、エリーヌ様?」
そんなベネディクトに対し、エリーヌは笑った。
ベネディクトは、負けてなお嬉しそうにしているエリーヌを見て、戸惑いの表情を浮かべている。
「さ、一限目の教室に向かいましょう。どんなに睨んでも、結果は変わらないわ」
「そ、そうですね。次は負けないよう、しっかり授業を受けましょう」
そう言って、エリーヌはクロエと反対方向に歩いて行く。
正反対の彼女たちは、同じ想いを背負って、今日も学園生活を送るのだった。




