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魔女と狼は月下で笑う  作者: 庄司 篁
実月 試験と転機
54/59

第52話 鍵は錠に、小鳥は外に

 混みあった食堂で、クロエはいつものようにアンナとソフィと一緒に食事を取った。

 先ほど、廊下を駆けていたエリーヌとばったり遭遇するというハプニングがあったが、どうにか切り抜けた。

 というよりは、急いでいる様子のエリーヌに半ば無理やり話を切られたと言う方が正しいだろう。

 彼女はやたらと視線をこちらに向け、何かを訴えようとしていたが、何かあったのだろうか。

 そのことが胸に引っ掛かりつつも、表情には出さないよう努め、食事後に雑談をしている時だった。


「あの。クロエ様でしょうか」


 背後から、聞きなれないようで聞きなれた声が聞こえてきて、クロエは振り返った。


「え? ……ああ、そうだけど」


 振り返るとそこにいたのは、先ほどエリーヌが急いで探していたカミーユだった。


「廊下にありました、落とし物でございます」


 彼女はそう言って、『クロエさんへ』と書かれた手紙を渡してきた。


「お、おう。ありがとう……?」


 身に覚えのない落とし物に、クロエは首を傾げる。

 だが、なんとなく嫌な予感もした。

 ここにきて彼女が訪ねてきて、尚且つエリーヌが焦っていたその理由に、はっきりはしないが心当たりがあるような気がする。


「そういえば、さっきあんたのこと探してたわよ。あのシャントルイユのお嬢様が」


 アンナのその言葉に、カミーユは驚いたような表情をする。


「左様ですか。実は、わたくしも探しているのです。どちらに行かれましたか?」

「あんたが昇降口の方に行くのが見えたから、昇降口の方ってクロエが言っちゃったわ」

「ありがとうございます。それでは」


 そう言って去って行くカミーユを目で見送る。


「どうしたのかしらね」

「なにかあったの?」

「それが、さっきここに来る前に、あのお嬢様に会って――」


 アンナとソフィがそんな会話をしている中、クロエはこっそりと手紙を開く。


(ッ!!)


 その内容を見て、クロエは目を見開いた。


「それで――」

「わりぃ、アンナ。私、今日は午後の授業を休む」


 クロエは努めて無表情にそう言った。


「え!? 何よ急に」

「ちょっと、体調が悪い」

「さっきまで元気だったじゃない!」

「我慢してた」


 言い訳を考える暇は無かった。

 クロエはそそくさと立ち上がる。


「だ、大丈夫?」


 ソフィも心配そうに見上げてくる。

 アンナは訝し気だったが、クロエのその顔を見て思わず表情を変えた。


「大丈夫だ。じゃあな」


 演技をするまでもなく、苦しそうな表情を浮かべて、クロエはすぐさまその場を後にした。


「なによもう……今日はみんなせっかちね」


 残されたアンナが、ぽつんと呟いた。





***






 荷物を纏め昇降口に向かうと、先程落とし物と言って、大事な手紙を届けに来たカミーユが立っていた。


「……」


 彼女はクロエの方を一瞥すると、荷物を持って学校の外へと向かった。

 その後を追うために、クロエは守衛室の前に行く。


「すみません。早退届をお願いします」


 そう言って生徒手帳を見せ、早退届を書き、クロエは外に駆け出した。

 校門から出、学校の影となっている場所で馬車を見つけた。


「どうぞ」


 カミーユに案内され、クロエは馬車に飛び乗る。

 馬車はすぐに走り出し、学校から離れて行った。


「エリーヌ様は、学校にお残りになるそうです」

「ああ。私から、奥様に言っておくから大丈夫だ」


 馬車の中で、カミーユとそれだけ会話をして、あとは黙って到着を待った。

 今日ほど、馬車が到着するまでの時間を長く思ったことはない。


 エリーヌは、自分の事を思って行動してくれているようだ。

 きっと何かの手違いで、自分の所に連絡が届かないトラブルがあったのだろう。それに対処してくれたのだ。

 いつも世話をかけて申し訳ないと、心の中で彼女に礼を言った。


「着きました。さあ」


 到着した場所の扉が開くと同時に、クロエは馬車から降りる。

 廊下を走るなと注意したのに、今度は自分が走ることになってしまった。


 玄関ではすでに、何人かの使用人が立って待っていた。


「母さんは!?」

「お部屋に。お急ぎください」


 荷物を投げるように預けて、屋敷の中へと入ると、今か今かと待っていたであろう、この家の女主人がいた。


「クロエ!」


 彼女たちの様子で分かるが、母はまだ生きているようだ。

 だが、刻一刻を争うのだろう。


「エリーヌは、どうしたのですか?」

「私の代わりに、授業を受けるよう、私が頼みました」


 端的にそう言って、彼女と共に、母の部屋へ飛び込む。


「母さん!」


 部屋には、母を診る医者と、使用人と、ベッドに横たわってうつろな目でこちらを見た母がいた。


「母さん! 母さん!!」


 ベッドに駆け寄り、叫ぶように声を掛けると、彼女はうっすらと笑った。


「クロ、エ」


 そう言って、やせ細って骨と皮ばかりになった手を伸ばし、自分の頬に触れてきた。

 その所作に、その表情に、クロエは全てを悟る。


「母さん……母さん、待って。あたし、まだ、母さんに恩返しができてない!」


 その手を掴み、ベッドに乗り上げる勢いで、クロエは母にそう訴えた。


「学校だって、卒業してない!! いつか、二人で旅でもしようって約束も、果たしてない! だから……」


 彼女の両目から、ぽたぽたと涙が落ち、布団に染みを作る。


「だ、だから、まだ、いかないで……」


 そこに、派閥でリーダーとして先頭に立つ少女の顔や、大人や友人の顔色を窺う少女の顔はない。

 ただ、子供の表情があるだけだった。

 親を想う、子供の顔が、あるだけだった。


「……っ」


 ジュリエンヌは、堪らずに口を押える。

 周りの従者たちも、涙を堪えていた。


「お、お願い。母さん以外に、何だっていらないから、だから……」


「クロエ」


 モニカは、クロエの涙をぬぐうように、頬を撫でた。


「いい? あんたはこれから、自由になるの。母さんも、あそこの連中もいない、自由な世界で生きられる」

「そんなもの……!」


 いらない、と吐き捨てようとした言葉を飲み込み、母の言葉を待った。


「……母さんがそこに、クロエを連れて行きたかった。でも気付いたの。私がいたら、そこは、クロエにとっての自由の世界じゃないって」


 自分を見つめているようで、どこか遠くを見つめて、彼女は滔々と最後の言葉を紡ぐ。


「だから、いつかはきっと、離れ離れにならないといけなかったの。遠からずいつか」

「だからって、それが今で良い理由にはならない!」


 クロエは、母の手を強く、強く握った。

 世界の全てを憎むような眼で、母を見つめて。


「もう少し、もう少しだけ待ってくれよ! あたし、頑張って首席になろうって、母さんのために頑張ってんだよッ!」


 喉が焼き切れんばかりの勢いで、クロエは叫ぶ。


 彼女の悲痛な叫びに、モニカは目から一筋の涙を流した。


「そんな楽しそうなこと言われると、行きたくなくなっちゃうじゃない……」


 声を震わせて、モニカはクロエの手を握り返す。


「本当に……あなたは、いい子。どうして、わたしなんかの所に来てくれたの?」


 彼女の呼吸が、段々と浅くなる。

 医者は立ち上がり、治癒魔術をかけるが、もはや効き目がないと悟った表情を浮かべる。


「本当に……貧乏で、ごめんね。かわいい服だって、欲しいものは何でも……買ってあげたかったのに」

「だから、だからいらないって……!」


 クロエの脳裏に、走馬灯のように彼女との思い出が駆け巡る。

 嫌な思い出なんて、一欠けらもない。

 貧乏だろうが何だろうが、関係なかった。


 いつも楽しそうに笑ってくれて。

 自分の成すことを褒めてくれて。

 何か贈れば、子供のようにはしゃいで喜んでくれて。


「いらない……もう、十分だよ、母さん」


 クロエはそう言って、母の額に自分の額を当てた。

 誰にも聞かれず、ただ母だけに聞かれたい言葉があったからだ。


 それを聞いた母は、嬉しそうに笑顔を浮かべて、同じ言葉を返してくれた。

 そうして、静かに、ゆっくりと、目を閉じていく。


「ありがとう……どうか……しあ、わせに……」


 その言葉が途切れると、クロエの握っている母の手は、段々と重みを増した。


「先生ッ!」


 ジュリエンヌが、ベッドに駆け寄り、医者に叫ぶ。

 医者は、ゆっくりと首を振った。


 モニカは、深い深い眠りへとおちていった。

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