第48話 吐露
第二回評議会が終わり、一週間が経った。
学校は試験週間となり、皆机に向かって熱心に勉強に励んでいる。
今回も、サロン集会で勉強会を開くことになった。今回は何事もなく終われるとよいのだが、想定外の事はいつ起こるか分からないから想定外なのだ。
派閥同士の衝突も、試験週間になると少し大人しくなる。
そう思っていた矢先のことだった。
「仕方がないでしょ!! だって、この子が――」
昼の長めの休み時間。廊下を歩いていると、何処からか金切り声が聞こえた。
声の在処を探し辺りを見回すと、廊下の隅の方で誰かが言い争っていた。
声に驚いた野次馬たちが、その周囲に集まり始めている。
「何かあったのでしょうか」
「そうみたいね……」
エリーヌとベネディクトは、野次馬にならない程度に、遠目からその騒ぎを見る。
遠くからでもわかるのは、その渦中に背の高いクロエが居ることだ。
野次馬の隙間から少し覗いてい見ると、クロエの他に高等部であろう貴族の生徒と、クロエに庇われ、膝をついて泣いている生徒が見えた。
そして、その間に立つように、生徒会長のシャルロット王女もいた。
「王女殿下だわ……」
「生徒会が動いたのね」
「大変な騒ぎになったわね……」
周囲の野次馬たちが、口々にそう言っている。
「どうやら、生徒会が動くようなことがあったようですね」
「ええ。気になるけれど、これ以上覗くのははしたないから、行きましょう」
「そうですね」
叫んでいた貴族は、エリーヌ達華月会に関わりがある貴族ではなさそうだった。
野次馬だと思われる前に、エリーヌ達は去って行った。
***
家に帰宅後、いつものように、エリーヌの部屋に二人は集まった。
「そういえば、今日の昼、何やら騒がしかったわね。何があったの?」
二人は試験勉強について話していたが、特に何といって特別なことはなさそうなので、エリーヌがそう言って話題を変えた。
「ん? あー、あれか。平民出身の下級生に暴力紛いのいじめをしてたやつらがいたんだよ。前からヤバいと噂だったが、今回やっと尻尾をつかめた」
特に珍しくもなく彼女はそう言った。
「生徒会に言ったら、珍しく動いてくれたくらいには、危険な奴らだったからな。鳥蝶会にまで届かなかったのが残念だが」
そう言って、クロエは紅茶を飲みほした。
どうやら、派閥的には鳥蝶会側に属する貴族の生徒だったようだ。十中八九そうだとは思っていたが。
「思い出したわ。たしか、中級貴族出身の子たちだったわね。鳥蝶会に入る気だったようだけれど、中級だしあまりに過激で御せないから、イヴェット嬢が断ったとか」
「ああ。前から目をつけてたやつらだ」
クロエはそう言って、やれやれと肩を竦めた。
「生徒会に対応されて、取り巻きは厳重注意、主犯格は停学処分を受けた。何なら退学だってよかったのにな」
「生徒会も、あまり貴族を無碍には扱えないから」
クロエの言葉に、エリーヌはそう言って苦笑した。
王族も貴族に対してはそれなりに顔色を窺わなけらばならない。
「そんだけだ。それじゃあ、試験週間は各々勉強ってことで良いんだな」
「ええ。今回は範囲が広いから。分からないところがあったら、聞きに行くかもしれないわ」
「それは、お互いさまってことで。それじゃ」
もう試験週間だ。互いに勉強をしなければいけない。
話し合いは早めに切り上げ勉強をしようと、エリーヌは部屋に残り、クロエは立ち去ろうとした。
「……クロエ?」
エリーヌは、クロエの背後から声を掛けた。
立ち去ろうとしたクロエだったが、彼女の手は、エリーヌの部屋のドアノブを掴んで止まっている。
「……」
クロエは表情に影を落としつつも、誤魔化すように頭を掻いた。
「……もうちょっと、ここに居てもいいのよ? ほら」
そう言って、ベッドに腰かけてその横をトントンと叩いた。
クロエはそれを横目で見つつ、躊躇いながらも踵を返した。
そして、エリーヌの横にストンと腰かけた。
「なにかあった?」
「いや……」
そう声を掛けると、クロエは溜息を吐きつつ、後ろに倒れるようにベッドに横たわった。
「……最近、母さんが私に、やけに優しく触るんだよ。何か悟ったみたいに」
目を腕で覆い、彼女は呟くようにそう言った。
「それを思い出すと、ちょっと」
彼女はそう言ったきり、黙ってしまった。
休閑週に旅行に帰ってきてから、約一か月ほど経った。
あれからクロエの母は、どんどん衰弱している。
エリーヌも一度見舞いに行ったのだが、前に見た時よりもさらに痩せ細り、どこか空元気だった。
兄のピエリックが呼んでくれたという医者は屋敷に常駐することになり、何かあったらすぐに対応できるようにしている。
きっと、今は母の元に行きたくないのだろう。
感情が溢れて、顔に出てしまう。その気持ちは、察して余りある。
「……」
エリーヌは彼女の横に並ぶように、ゆっくりと横たわった。
「母さんはずっと言わないけどさ、私知ってんだよ。もう、あんまり時間がないって」
エリーヌは、目を見開いて、横を向いて彼女を見た。
「奥様は医者からの言葉を、私に曖昧な形で伝えてくる。良くなるとも言わないし、もちろんあと少ししかないなんて言わない」
医者が伝える仔細を知っているのは、侍従たちと母、それに診察を受けるクロエの母本人だけだ。
ここまでくれば、あまり関わりがないエリーヌでも察する。
クロエなんて、とっくに分かっているだろう。
「母さんは口では『最近よくなってる』なんていうけど、どんどん痩せて、苦しそうなのを私に隠してる」
大人の気遣いというのは、時に残酷だ。
子供が子供であると信じ切っているが故に、その残酷さを知らない。
同じく子供であるエリーヌには、クロエの気持ちが痛いほど伝わった。
「じゃなきゃ、あんな名残惜しそうに触れてくるわけない。あんな……悲しい顔するわけない」
震えを隠すように段々と声が小さくなる。
「母さんに会いに行くとき、どんな顔すればいいか分からない。ちゃんと笑えてるのかも、分からない」
ぽつぽつと、屋根が雨水を垂らすように、彼女は心の内を吐いた。
瞳を隠すように覆っている彼女の前髪を、流すようにエリーヌは触れた。
自嘲的な、それでいて泣きそうな表情の彼女を見て、心臓が締まるような感覚がした。
「……」
何と声を掛けていいのか、エリーヌには分からなかった。
適当に慰めて、哀れんでいると思われたくはない。かといって、楽しい話題を振って、気を紛らわすのも違う。
どうしたら、彼女に寄り添えるのだろうか。
「…………上手く笑えるようになるまで、この部屋に居ていいから。ね?」
そう言って、その表情を隠すように、エリーヌはクロエの額を撫でた。
クロエはそのまま、ベッドで丸くなって目を瞑った。
「……」
ラファナスの土産に買った外来品の時計の針の音だけが、部屋に響いた。




